第4話
結局、朝になっても陽くんは帰ってこなかった。このまま帰ってこなかったら、どうなるんだろう。
朝のコーヒーを飲みたいけれど、部屋を出てコーヒー屋さんに行くのも億劫だったので、インスタントコーヒーをつくる。粉がすっかり固まってしまっていたので、スプーンで崩しながらカップに入れないといけなかった。
ずっと家にいるのにセックスさせてくれない彼女。客観的に聞くとひどい気がする。
早紀からちょうどLINEで「今度はここに行こう」と飲み屋のリンクが送られてきたので、相談してみたくなった。
「彼氏が昨日出ていっちゃって帰ってこないんだけど、やばいかなあ」
「え。それって、この前エッチのスケジュールすっぽかしてわたしと飲みに行ったから……?」
「たぶん、昨日エッチしようとしたときに、口が臭いって言っちゃったからだと思う」
「ひど! 笑」
やっぱりひどいのか。
「まあ、わざわざエッチをスケジューリングしてくるのもだいぶこわいけどね」
「だよね」
よかった。
「茉優は変な人好きだもんねえ」
早紀はわたしの元彼を知っている。大学二年生から社会人三年目まで付き合って、結婚するのかなあと思っていた相手だった。インド哲学が専門で、確かにだいぶ変わっていたかもしれない。
いつも、彼がずっと哲学や文学についてしゃべっているのを聞いていた。彼は「この話、おもしろい?」とわたしによく聞いた。おもしろかった。
お互いの親に紹介し合ったりもしていたけれど、向こうが大学院に進学して、わたしが一足先に社会人になってから、彼の話すことが相変わらずだったり、食事代をいつもわたしが払っていたりしていたら、だんだん気持ちが冷めていって、結局別れてしまった。
彼と別れて落ち込んでいたときに、気晴らしに参加した会社のボードゲーム大会で陽くんに出会った。陽くんは、ランダムにグループ分けされた初対面のわたしたちの中で率先してゲームを進行していた。ちょっとぽっちゃりしているけど、背が高くてかっこいいと思った。
「香川さん、エンジニアっぽくないですねえ」
わたしの職種を聞いて、陽くんはそう言った。女性のエンジニアはまだまだ少ないし、ユニクロの服をマネキン買いして小綺麗にしているからか、たまにそう言われる。ボードゲーム会の後の飲み会で、お互いに激辛料理が好きというのがわかったり、陽くんも長く付き合った彼女と最近別れたというのを知ったりして、自然に話せた。付き合ってすぐにあったわたしの誕生日に、指輪を買ってくれたのはうれしかった。全然高価な指輪じゃなかったけれど、元彼からはそういうものをもらったことがなかったから、こういういわゆるデートっぽいのってうれしいんだなあ、と思った。
陽くんの部屋で半同棲状態になってから、いろいろおかしくなった気がする。わたしが転職して、一緒に会社から帰ることもなくなって、会うタイミングが減ってしまったので、陽くんが「うちに住めばいいじゃん」と言ってくれた。陽くんの部屋はわたしの部屋の二倍は広いから、部屋中に詰め込まれているものを整理すれば二人でも十分暮らせるスペースがある。最初は二人でいつも一緒にいられるのがうれしかった。一緒にご飯をつくって食べたり、夜セックスして、朝起きてまたセックスしたりした。でもだんだんきつくなった。転職をして在宅勤務をするようになったので、わたしは一日中陽くんの部屋にいる。ふとしたときに、部屋のどこを見てもものがあるのが目に入る。ティッシュ箱。ぬいぐるみ。乾電池。タオル。服。服。服。陽くんの部屋と比べると狭いけれど、だいぶすっきりしている自分の部屋に帰りたくなった。
「明日、荷物を持って帰ろうかなあ」
ある日、仕事帰りにたこ焼きを買ってきてくれた陽くんにそう言った。
「なんで?」
「なんとなく、この部屋、ものが多くてなんか集中できないから、帰ろうかなと思っただけ」
陽くんの笑顔がどんどん消えていって、陽くんは声を出さずに泣き始めた。ゴミ袋を取り出して、棚に百枚くらい詰め込まれた温泉タオルをどんどんゴミ袋に投げ込んでいく。
「ちょっと、やめてよ」
「なんで。こうしないと茉優ちゃん、ここに住めないんでしょ」
全然そんな風にしてほしいわけじゃない。
陽くんに変わってほしいわけじゃない。
「そんなことしなくていいから。ゴミだけ捨てよう」と言って、部屋のいたるところに埋まっている空のペットボトルを陽くんと一緒にかき集めて、ゴミ袋に入れて捨てた。陽くんは、「できるだけきれいにするね。ごめん」と言ってくれた。わたしも「ごめんね、もう言わないから」と謝った。そのあと、冷めてしまったたこ焼きを電子レンジで温めなおして一緒に食べた。おいしかった。
でも、その日からわたしは濡れなくなってしまった。たまに、陽くんの部屋でものに囲まれてセックスしている陽くんとわたしを想像する。なんだか泣きたくなる。
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