若芽と光
AZUMA Tomo
若芽と光
まず眩しさがあって、その次にやっと美しさを実感することができた。
人間を模した玩具には馴染みがあった。親族の経営する骨董店で西洋の古いドールを扱うこともあったため、人によって作られた美しさには親しみがあった。
眩しさの奥に存在するその男の美しさというのはまさしくそのようなものだと思った。一見すると作り物イコール偽物のようにも感じられるかもしれない。しかしその情熱や愛は本物だ。男の作られた美しさは周りから受け取る愛情だったり、もしくは本人の情熱に起因するものなのだろうと、直感的に思った。
「邑神くん、次は移動教室だよ」
声の方向を振り返れば長身の男が教室の扉に手を添えて首を傾げているのが見えた。どこから風が吹いているのだろうと思うくらいに軽やかに男の金髪が揺れ動く。
教室の中には既に他の生徒はいない。黒板の上に設置されている時計を見る。手元の小説に没頭している内に昼休みの残り時間が僅かとなっているのがわかった。
扉付近に立ったまま微笑みを絶やさない男を再び見る。お節介な男だと思った。
東雲祥貴。これがその男子生徒の名前だ。まさしく眉目秀麗。しかし自分の優秀さや美しさを鼻に掛けることもなく人当たりも良し。それ故、交友関係も広い様子だった。
――お節介ではあるが、礼を述べておくのが無難か。
「……ありがとう」
「ねえ、どうせなら一緒に行こう」
高校一年生にしては規格外の長身の男は、中性的な美しい面立ちに完璧な微笑みで誘い文句を発する。愛でられて磨き上げられてきた美しさ。きっとこの美しさはまだ成長途中だ。骨董や美術品ならまだしも、生きた人間でこんな男が存在するとは思いもよらなかった。
「……いや、先に行っててくれ」
「どうして? どうせ行く先は同じじゃないか」
幼い頃から骨董や美術品に触れ続けていた自分の審美眼には自負があった。そこらで何にも感動を覚えずに生きている大人たちよりもよほど美しさの価値を知っているつもりだった。だからこそ自分はその男の眩しさに触れるのが嫌だった。
「……自分のペースで移動する。後から行くから、東雲祥貴、お前は先に……」
「あっ、それ!」
何かに気づいたらしい男の声が教室中に大きく響いた。よく通る声がいきなり大声を発するものだから、思わず顔を顰めてしまう。
「うるさいな」
「すまない……」
次の時間は生物室での実習だということを思い出し、本を閉じて机の中からタブレット、机の横にかけた鞄から白衣をそれぞれ取り出す。必要以上に時間をかけて持ち物を机上に並べているというのに、扉付近にいる男はまだ移動する様子がなかった。チラリとそちらに視線を送ると青み掛かった灰色の艶々と輝く目が未だこちらを見ているのがわかった。おそらく、いつまで経っても男はそうしているつもりなのだろう。そうするとこちらが折れてしまった方が早いということがわかってしまい、渋々、男の話の続きを促すことにした。
「……で。『それ』とはなんだ」
「邑神くんって人をフルネームで呼ぶけどどうしてかなって、いつも不思議だったんだ」
「お前さん……本当にそんなことに興味があるのか?」
褒められたことではないが自分には友人と呼べる人間は少ない。おそらく自分と関わってきた人間全員が『なぜフルネームで人を呼ぶのか』という疑問に行きつきはしただろうが、その数少ない友人でさえそれを指摘することはなかった。邑神有奇はそういう人間だという風に皆割り切って接してきていたのだろう。風変わりだと思えど、その風変わりさを正面を切って指摘することは方法を間違えば無礼になる。無礼とは人を傷つけることにも繋がる。だから邑神有奇の風変わりさを指摘する人間はいなかったのだが。
「君に興味がなければこんな質問はしないさ」
あまりに自然に紡がれるクサイセリフ。この男でもなければできない芸当ではないかと思える。クサイセリフだが上滑りすることのない真実味がそこにはあった。端的に言えば、大真面目にそう言っているのがわかる口調と態度だった。
揶揄ったり、馬鹿にしたり。そういう幼稚なことをまだまだしていても良さそうな年頃だ。自分がそういう対象にならなくても、そういう状況を見聞きすることはあったし、もしかするとこの男もタチの悪い人間なのではと疑ったりもした。しかし、どうやらそうではないらしい。
散々色々なことを考えたが、目の前の男は自分を逃してくれる様子もなく、立ち去る様子もない。
「……名は……特別なものだろう」
「ほう?」
「苗字は歴史を、名前はその者を表す言葉だ……その人物の意味を示す記号だろう。すべてのものにとって意味は大切なものだから……」
「物や人がそこにある理由や意味を君は大事にしたいってことかい?」
微笑みだと思っていた表情は薔薇が満開になったように華麗な笑顔に変貌を遂げていた。ささやかな笑顔ですら眩しいのにここまでの笑顔を向けられると戸惑いにも似た感覚が湧き上がってきた。
「……そういうことだな」
「素晴らしい理由だね……そんな考えがあったなんて」
「大したことじゃない。実際、お前は不思議に思っていたんだろう。妙なこだわりだと自分でも思っている」
「妙だなんて!」
男の馬鹿デカイ声が再び教室を揺るがす。つくづくやかましい男だと思った。しかし、次の瞬間には男をそんな風に邪険に思ったことを反省した。
切なげに寄せられた美しい形の眉が本気の悲しみと少々の怒りを表していた。つやりと光っていた灰色の目は熱い炎が灯ったように瞳の奥に何かが渦巻いているのがわかる。やがてその目が紅色にぎらりと煌めいた。
「……妙なことなんてないよ。素晴らしい考えだ。少なくとも僕はそう感じた」
先程の声とは一変して静かな声だった。しかし雲間から一筋の光を通すようにはっきりと届く声だ。時に人を勇気づけ、時に人を操る。そんな危うさのある力強い声。
男が黙ってしまうと途端に教室の静寂が耳鳴りのように鬱陶しく感じた。黙らないでほしかった。もっとその声を聞かせてほしいと感じてしまった。雄弁な瞳をもって美しい語りを響かせ続けてほしいと思った。
圧倒的な自信と自信を持てるだけの根拠と才能と努力を持ち合わせて、それを真っ直ぐ発露することができる稀少さは、もうこの年齢になれば理解できていた。
――このような美の前では自分の言葉が出てこなくなることが悔しい。
少年少女の要素も青年の要素も併せ持った幼くも美しい顔がじっと自分を見つめていた。この眩しさを持つ男がそれを抱えたまま成長をしてしまったらどんな大人になるんだろうか。成人なんてもう目の前に迫っているのに、なんだか途方もない話のように思えた。
「……暑苦しい男だな、お前」
「……よく言われるよ」
やっと絞り出せた声は少しだけ嗄れていた。その言葉を聞いた男は苦笑いで頬をかく。目の周りの血色が良くなり、頬がうっすら赤く染まっていた。感情のままに発言をしたことに対する気恥ずかしさがあったのかもしれない。
――己のために感情を波立たせてくれたこの男に返せるものは何かあるだろうか。
「東雲祥貴……良い名は特にフルネームで呼びたくなるんだ」
そう思った瞬間に口をついて出たのは男の名への賛辞だった。
「東雲は『夜明け』、祥は『兆し』、貴は『尊さ』……もしくは『美しさ』。あまりによくできた名前だ。祝福を感じる――お前という人間をよく表していると思わないか」
「……僕がこの名に相応しい人間だと?」
赤く染めていたはずの男の頬はすっかり真っ白に冷めていた。男は微笑みか無表情か判断のつかない顔で首を傾ける。生気が感じられなければ人形と見誤るほどの造形だ。
そしてその真っ白な顔を見て気づく。東雲祥貴にとっても、『東雲祥貴』という言葉の意味は重いものなのだと。
「……『少なくとも僕はそう感じた』」
「え……?」
「お前がどう思っているか知らんが、その美しい名はお似合いだと自分は思う――もし仮に、今はそうでなくとも、そうなれる。そう思わされる」
「……君は……」
男は軽く俯くと口元を手で覆った。その瞬間、予鈴がけたたましく学校中に響き渡る。
いい加減に移動をしないと次の授業に遅刻してしまう。白衣とタブレットを抱え、男が立っている扉へ早足で歩み寄る。自分が近づいてきていることに気づいているはずだが、男はまだ動かない。
「おい、いい加減……」
俯いていてもなお自分より高い位置にある顔を見上げれば、男が耳まで真っ赤に染め上げていたたまれない表情をしているのがわかった。予想外の表情にギョッとして後ろへ飛び退いてしまう。
「……なんでお前そんな顔してんだ」
「いや、だって……大真面目にそんな風に言われれば誰だって照れるだろう……」
「は? クサイセリフのオンパレードみたいなことを大真面目に言うお前に言われたくないが」
「クサイセリフ? 僕にそんなつもりはないよ!」
「至近距離で大声をあげるな! やかましい!」
ちなみに生物室はこの教室からもっとも遠い場所に存在するため、自分と東雲祥貴のふたりはそんなやりとりをしているうちに遅刻が確定してしまった。
「邑神くんは僕の名前の意味を知っているみたいだったけど、君の名前の意味は何だい?」
放課後を迎えるまでの時間、つまり五・六時間目とその間の小休憩については昼休みの出来事などなかったかのように過ごしていた。東雲祥貴はいつもつるんでいる奴らとの会話を楽しんでいるようだったし、こちらもいつも通り読みかけの小説を読んで過ごしていた。そして終学活を終え、部活動へ向かおうとしたところで呼び止められた。
一年生は先輩よりも先に準備をする慣例でもあるのか、チャイムと共にほとんどの生徒は既に活動場所に駆け出していったあとで、再び自分は男とふたりで取り残されていた。男は黒い合皮製の細長いケース――竹刀入れだろう――を肩にかけている。一般的に武道系の部活動ほど礼儀作法や上下関係に厳しく、こんなところで油を売っている暇などないはずだが。
「……お前は部活に行かないのか」
「先輩方は優しいから、そんなに慌ててないよ」
「剣道部なのにか?」
「今は君と会話がしたいからね」
「……それだよ。クサイセリフ」
「……クサイかな?」
「自覚がないならどうすることもできないな」
「手厳しいね」
男は肩をすくめてにこりと笑う。動きは軽やかだが、ちょっとやそっとでは動かすことのできない重い彫像を想起させる視線を浴びせられる。
昼間のやりとりで散々思い知らされたことだが、この男は納得のいく答えが引き出せなければ諦めることはない。自分がいくら美術部で文化系でゆるいとはいえ、大幅な遅刻は避けたいところだった。
「……本当に知りたいのか?」
「もちろん」
自分は自分の名前が嫌いというわけではなかったが、大袈裟ではあると思っていた。ましてこの『美しい名の体現者』の目の前で自分の名の意味を語るには少し荷が重いようにも感じた。
しかし、感情を動かしてまで自分のこだわりを肯定してくれた男に、自分の名の意味を語らないのは誠実ではない。
「そのままだよ……邑神はそのまま『村の神』。有奇は……『奇跡がある』……」
自分の名の意味を語るのは何とも苦い思いがした。自分の名を誇りに感じる一方で、自分自身の平凡さや力の無さを自覚させられる。特に、力のある者の前で『奇跡がある』などと語るのは滑稽に思えた。
しかしだ。おそらく自分は『語らされた』。その時には知っていたのだと思う。この男なら自分を肯定してくれるに違いないと。
そして男はまた大輪の花の綻んだ笑顔を感情のまま自分の方へ向けて、身振り手振りで喜びを表現する。
「すごい。とても素晴らしい名前じゃないか!」
「……本当にうるさいな、お前」
「良い名前だなあ!」
「やかましいぞ、東雲祥貴」
「ねえ、邑神くん」
大輪の笑顔の眩しさの中から、紅の閃光が鮮烈に心を射抜く。この美しさをどう捉えれば良いのか、一生己の感情を持て余すのだという予感がした。
「今度から君のこと、有奇くんって呼ぶよ」
<終>
若芽と光 AZUMA Tomo @tomo_azuma
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます