サイドカー
小深純平
第1話
予報通り秋晴れだ。岩本はやっと取れた休みと、購入して初乗りのサイドカーに気持ちを昂ぶらせていた。両ハンドルを握り地面に足を踏ん張ってゆっくりとサイドカーをバックさせた、さすがに自分の力だけで動かすには重い。従来、既成のサイドカーにはバックギアがついているがこれは後付けのサイドカーだからギアは前進のみだ。ようやく車庫から引っ張りだした。光沢のある黒光りの車体は地面を這う黒ヒョウのように突っ走る機会をうかがっている。岩本はゆっくりとまたいでセルを回した。ぶるると水平対向のエンジンが唸った。年代物のBMWR100は50年経ったとは思えないような滑らかなエンジン音だ。後付けのサイドカーは国産のT社のもので低い流線形のフォルムは年代を感じさせない。
岩本は妻に声をかけて今日のツーリング計画を話した「旧日光街道を走り日光東照宮に行き帰りは高速で帰るが」「行かないのか」やはり妻は行く気はなく「いってらっしゃい」と明るく返事をしてくれた。岩本はシルバーの頭髪に黒色のフルフェイスヘルメットを被り姿勢を正すと右手の手首でゆっくりとスロットルを開けた、サイドカーは地面をゆっくりとはい出した。サイドカーが左についているので直進をキープするには少しコツがいった。しかしこのサイドカーは友人から譲り受けたもので何度か乗ったことがある。難なく運転はでき、快適なドライブを予感させてくれた。
暫く北上するとS市の松並木にさしかかりもうすぐ最初の休憩地だ、昔ならまだまだ休む時間ではないが岩本も55歳の年齢には体力の衰えを自覚せざるをえなかった。何度か訪れたことのあるカフェの看板が見えてきた。狭い駐車場は車が5台も入ると満車に近かった。
岩本はゆっくりと駐車場に入りエンジンを切ると手押しでかろうじて空いている店の入り口の前に止めた。年季の入った木製のドアを開くとカウンターは常連らしき客で埋まっていた。2つしかないボックス席は空いていた、やはり年季の入った木製のいすに座ると少しギシギシいったが座り心地は悪くはなかった、マスターの目線と会ったので岩本はすかさずエチオピアを注文した、岩本は焙煎コーヒー店ではほとんどがエチオピアであった、酸味のきいた軽い味をストレートで飲むのがつねであった。
マスターは豆をミルして丁寧にドリップをしてくれた。岩本はテーブルに運ばれたコーヒーの香りを楽しみながらゆっくりと口に運んだ、猫舌の彼は少しずつコーヒーを含んだ。心地よい酸味と香りがのどを潤してくれた。岩本はしばし呆然としながら束の間の休憩を楽しんだ。
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