この鼓動が止まったとしても、君を泣かせてみたかった

望月くらげ/ビーズログ文庫

第一章 泣けない私は道化師と踊る

1-1


 電話の向こうで、友人が笑っているのが聞こえる。

だって! ちょっと待って!」

「もうおそいよ。ねえ、ちゃんはこんなことになっちゃ駄目だよ。グループからつまはじきにされたらもう教室に居場所なんてないの。だから絶対、莉子ちゃんはこんなふうにならないで」

「待って! ねえってば!」

「……り……と……」

 電話の向こうで友人が何かを言った気がした。けれどなみだが混じったような声で告げられた言葉は、莉子の耳にく届かない。聞き返そうとしたしゆんかん、耳をつんざくようなかい音に思わずスマホを耳からはなしてしまう。耳に当てていなくても聞こえるぐらいの大きさで、だれかが悲鳴を上げたのがわかった。

 しようげきを受けてもなお、かろうじて残る通話機能の向こう側で、救急車のサイレンがひびくのが聞こえた。


 夕方の、小学生たちが帰ったあとの公園で、友人たちのするような笑い声がひびく。自分に向けられたそれを、どこかごとのようにはし莉子は聞いていた。遠くの方で救急車のサイレンが聞こえる。そのせいか、まるでフラッシュバックするかのように、あの日の電話を思い出してしまう。今も耳のおくで聞こえる気がする。あの日聞いた、救急車のサイレンが。そして、かつての友人の声が。聞き取れなかったさいの言葉。飛び降りる寸前、友人は一体なんと伝えたかったのだろう。

 莉子は自分の目の前で意地悪いみをかべた今の友人──と呼べるのかわからない──たちへと意識を向けた。

 高校に入学してから半年以上が過ぎた。いつの間にか二度目のころもえが終わり、入学したころにはいまいち似合っていなかった制服も、この頃になるとずいぶん身体からだんでいた。

 いや、馴染んだのは制服だけではない。人も学校に馴染んでいく。気付けばクラス内での立ち位置やグループ内でのポジションも完全に固まっていた。莉子はクラスでも目立つおくきたりんたちのグループに所属していた。

「莉子は本当にバカだよねえ」

「そう、かな? えー、そんなことないよ」

「ううん、バカすぎるよ。心配になるぐらい」

 その言葉が善意によるものか、それとも悪意がめられているのかわからないほど莉子はバカではない。それでもバカを演じ続ける。

 入学当初はここまでではなかった。イジられることはあっても、度が過ぎるということもなく、よくある仲間内でのからかいに過ぎなかった。それが夏休みが明けた頃から、少しずつおかしくなっていった。言葉がきつくなり、明確に馬鹿にされることが多くなった。やめてと言えばよかったのだろうか。ちょっとやりすぎだよ、と声を上げるべきだったのだろうか。

 何も言えなかった莉子が今のじようきようを作っているのだと言われてしまえば、もうどうすることもできなかった。

 グループ内でイジられ、パシらされる莉子だけれど、外から見ると仲よさそうに見えるらしい。莉子が何かされていても、どれもじゃれているようにしか見えないというからこうみようだと思う。それでも莉子はあえてそのポジションにいることを選んでいた。一人になりたくない。ハブにされたくない。グループからはじき出されたくない。

 かつての、友人のように──。

「ってかさ、莉子わかってる? 自分がどれだけひどいことをしたか」

 とうとつに、真凜のとなりに立っていたがわそのがニヤニヤと笑いながらそう言った。どれだけ酷いことを、と言われても莉子に心当たりはない。ないのだけれど、それをそのまま言ってはいけないことを莉子はよく知っている。

 どうするのが正解かわからず莉子がだまっていると、真凜が先を続けろと言わんばかりにあごで戸川をうながした。どうやら戸川の言葉は真凜のお気にしたようだ。

 真凜の反応にニヤリと笑うと、戸川は少し興奮したように莉子に向き直った。ああ、なんて楽しそうなんだろう。まるでものを見つけたカマキリのようだ。

「だってさ、今日の体育の授業のとき──」

 戸川が口にするのは、本当のことを十倍も二十倍もふくらませた話だった。その話の中で莉子はうまびに失敗し、運動場でしりもちをついた友人に心ない言葉を投げつけたことになっていた。

 実際は「だいじよう?」と「保健室に行った方がいよ」としか言っていないのだけれど、それが戸川の中では随分と悪意を持ってへんかんされてしまったらしい。

 でもこれは、今に始まったことではない。だからもう慣れた。例えば、莉子が誰かのかたれればたたいたことに、誰かが莉子をければ、それは莉子が誰かが通るのをぼうがいするためにイジワルしたことに変換される。イジリ、と呼ぶには意地悪いそれらの言葉を、莉子はひたすら受け止め続けていた。

「ちゃんとあやまった? ああいうのはダメだと思うよ」

「う、うん」

「何、その顔。私は莉子のためを思って言ってあげてるのに」

「あ、えっと、そうだよね。わかってるよ、ありがと」

 あわててうなずき礼を言うけれどもう遅かった。戸川はいつしゆん、口のはしをニヤリとあげる。そして信じられないとばかりに非難の声を上げた。

「いやいやいや! 思ってもないのにそんなこと言わなくていいよ。あーあ、莉子ってそういうところあるよね」

「そ、そんなことないよ」

「そんなことあるでしょ。私だったらさ、こんなふうに友達から注意されたらきっと泣いて謝るよ。だって自分が悪いことしたって気付くんだから」

 ああ、始まってしまった。またこのパターンだ。

「ねえ、莉子ってすっごく図太いよね。こんなになっても涙の一てきも流れないんだから」

「それは……」

「申し訳ないとか酷いことをしてしまったって思わないの? ねえ、なんで?」

「思ってるよ。思ってる、けど」

「じゃあ、なんでそんなふうに平然としているわけ?」

 責めて責めて責め立てて、それでも泣かない莉子にいらったように戸川は言う。今日は戸川だっただけで真凜のときも、そしてたまにだけれど他の子が言ってくるときもある。

 莉子を泣かせるための、いつものお決まりのパターンだ。

 泣けるものなら莉子だってさっさと泣いて満足させている。でも、泣くことができないのだ。

 けれどそんなことを伝えたところで信じてもらえるとは思えない。むしろ泣けないのなら泣くまでさらにイジられるだけだとわかっている。だから莉子は申し訳なさそうに見えるであろう表情を作ることしかできないのだ。

 ごめん、と謝るのもおかしいので黙ったままでいると、戸川はあからさまにため息をいた。

「結局さ、自分が同じ目にってみないと、どれぐらいつらいかなんてわかんないんだよ」

「え?」

「だからね、教えてあげる」

 そう言ったかと思うと、戸川は莉子の肩を強くした。とつぜんのことに反応しきれず、気付けば莉子の身体は重力に逆らうことなく地面にくずちていた。受け身を取ることもできず、勢いよく尻餅をついたせいで衝撃が全身に伝わる。そして。

「うわー、莉子ってばそんなところにすわっちゃってきたなーい。ホントけなんだから」

「なっ……っ」

 頭上から馬鹿にしたような戸川の声が聞こえる。逆光で顔は上手く見えないけれど、楽しそうに笑っているのが声からもわかる。

 反射的に声をあららげそうになるのを必死にこらえた。戸川は小さく笑うと、莉子の前にしゃがみむ。

「……なんてね。どう? これで言われたさっちの気持ちがわかった?」

 戸川はさきほどまでとは打って変わったように親しみを込めた笑みを浮かべると、莉子に手をべる。莉子の肩をばし、転ばせた手だ。こんな手、つかみたくなかった。でも。

 莉子は差し伸べられた手をそっと取ると、立ち上がった。

 笑え、笑うんだ。心の底から感謝をしていると、そんな笑みを浮かべるんだ。

 必死で自分に言い聞かせると、莉子は一度二度と呼吸をかえし、そして顔を上げた。

「うん、ありがとう。ホント私ってダメだよね。ごめんね、こんなことさせちゃって」

「ううん、莉子ならわかってくれるって思ってたよ。大丈夫だった? おこってない?」

 わざとらしい言葉。作られた笑み。でも、それは全部莉子も同じだ。

「大丈夫だよ。戸川さんが私のこと思ってやってくれたんだってわかってるから」

 莉子の言葉に真凜の周りにいた他の子たちがクスクスと笑っているのが見える。きっと馬鹿にされているのだろう。こうまでしてグループにいたいのかと思われているのかもしれない。

 思い出した苦いおくむねおくが痛くなる。一年も前のことなのに、まだ昨日のことのように思い出せる。

 きっとあの日から、莉子の心は止まったままなのだ。友人だったが、死んでしまったあの日から。

「ならよかった。だよね、私たちみんな仲良しだもんね」

 それはまるでしきのような言葉。仲がよいから全てが許されると言いたいらしい。そんなわけがないだろうと思いつつも、莉子はへらっとした笑みを浮かべる。

「そうだよ、私たち仲良し──」

「あーあ、つまんないの」

 けれどそんな友情ごっこは真凜のお気に召さなかったらしく、莉子にもそして戸川にも目を向けることなく隣にいた友人に「帰ろ」とだけ言って公園の出口へと向かっていく。

 戸川は慌てたようにその背中を追いかける。自分以外誰もいない公園で、一人残された莉子はようやく今日が終わったことにホッと息を吐いた。

 すなぼこりよごれたスカートをはたく。そのひように手のひらにピリッとした痛みが走り、ようやく右手のひらに血がにじんでいることに気付いた。

 だんは突き飛ばされることまではないのだけれど、少しずつやることが過激になってきている気がする。このままではもっと酷いことをされるかもしれない。

 そう思うのに離れられないのは、もはやぞんに近いのかもしれない。

「はぁ……」

 そろそろ自分も帰ろう──。

 ベンチに置いたままになっていたカバンを取りに行く莉子の耳に、ふと誰かの足音が聞こえた。

 一瞬、もしかしたら真凜たちのうちの誰かがもどってきたのかもしれないと身構え、そして慌ててがおを作るとかえった。無視した、なんて言われたら何をされるかわかったもんじゃない。最悪、そんなさいなことがきっかけで、グループを追い出されることだってあるのだから。

 けれど、振り返った莉子の視線の先にいたのはクラスメイトのそめはるだった。染井は冷たい視線を莉子に向けているように見えた。

 学校で人気のある染井と莉子に共通点はない。あるとすれば同じクラスというだけだ。女子と話をすることはほとんどなく、いつも特定の仲のいい男子といつしよにいる。そんな染井を、真凜たちが『西高の王子様』なんてさわいでいたのを知っている。莉子は興味がなかったので「そうだね」と話を合わせることしかしなかったけれど、上級生にも染井にフラれた人が何人もいるとのことだった。

 たしかに整った目鼻立ちをしている。読者モデルをしているなんてことを真凜が言っていたけれど、そういううわさが流れても不思議じゃないなと思う。顔立ちだけじゃなく、かみがたまとふんがそう思わせた。

 こんなところで話しているのを知られたりなんかしたら、何を言われるかわからない。それこそあることないこと言われ、悪者に仕立て上げられてしまう。

 気付かなかったふりをしよう。向こうもこちらには気付いていないかもしれないし。

 莉子はカバンを手に取るとうつむいたまま染井の隣を通り過ぎた。いや、通り過ぎようとしたはずだった。なぜかうでを摑まれた莉子は、思わず足を止めた。

「……なに?」

「三橋こそこんなところで何してんの?」

「別に。用がないなら手、離して」

 一秒でも早くこの場を立ち去りたかった。冷静にたんたんと話すけれど、心臓はすごい音を立てて鳴り続けている。染井にドキドキしているのではない。こんな姿を誰かに見られたらと不安でいっぱいなのだ。染井が、莉子に話しかけている。その事実が、イジリをもっと酷くするであろうことは想像にかたくなかった。だいたいどうして莉子に話しかけてくるのか、莉子なんかを気に留めるのか、染井の行動の理由がわからずにいた。けれどそんな莉子の様子になんて気付くことなく、染井は腕を摑んだまま話し続ける。

「あのさ」

「なに!」

 苛立ちをかくすことができず声を荒らげた莉子に、染井は不思議そうに首をかしげた。

「泣いてやめてって言えばさすがにやめてくれるだろうに、どうして泣かないの?」

 一瞬、言われた言葉の意味が理解できなかった。ゆうに十秒はち、どこか遠くで帰宅を促す音楽が流れてきた頃、ようやく莉子は染井の言った意味がわかった。

のぞきなんてあくしゆだね」

「たまたまだよ」

「へえ。……言っとくけど、あれ別にいじめとかじゃないから。私ってほらイジられキャラっていうかさ。なんだろ、友達同士でじゃれ合っているだけっていうか」

 けれど、染井は莉子の言葉なんてこれっぽっちも信じていないようだった。

「先生に相談はしないの?」

「だから──」

「ちなみに、さっきの。動画にってるって言ったらどうする?」

 染井の言葉に、莉子は頭の中が真っ白になるのを感じた。まるで耳鳴りのような音が鳴り響く。こういうときあせくんだと思っていた。けれど、現実は頭の中がだんだん冷たくなり、全身はまるで発熱のときのように熱くなった。

 口を開けるけれど、上手く言葉が出てこない。どうようさとられないように必死に息を吸うと、莉子はしぼすようにして声を出した。

うそ、だよね」

「どうだろ」

 けれど、どうにか絞り出した莉子の言葉を、染井は肩をすくめるようにして返答をぼかす。ふっと笑う染井の姿に苛立ちさえ覚える。

 声を荒らげそうになるのを必死に堪えると、莉子は口を開いた。

「何がしたいの」

「ね、そんなことよりさっきの質問に答えてよ。どうして泣かないの?」

「別にそんなこと」

 あんたに関係ないでしょ、そうててしまいたかった。けれど、げんそこねて撮っているかもしれない動画を先生に見せられたりどこかに公開されたりすることはけたい。

 少し悩んだあと、莉子はしぶしぶ口を開いた。

「泣かないんじゃなくて、泣けないの!」

「──知ってるよ」

「は?」

 何それ、知ってるなら聞かないでよ。だいたいなんであんたが知ってるの。適当なこと言わないで。知ってるわけないでしょ。

 言いたいことはたくさんあった。そんなおもいが視線をキツくさせる。無意識のうちに莉子は染井の顔をにらみつけていた。けれどそんな莉子のことを、染井はなぜかやさしいひとみで見つめていた。

 染井の視線に、莉子はバツが悪くなって顔をそむける。いったいなんなんだ。なんで、こんな。

おれさ」

「だからなに!」

「俺、あと三ヶ月で死ぬんだ」

 あっけらかんとした口調で言われた言葉の意味は、しゆんに理解できるものではなかった。目の前でピンピンしている染井が三ヶ月後に死ぬと。いったいなぜ。そして事実だとしてもどうして莉子にそんなことを言うのか。ちなみにじようだんだとしたら、もっとたちが悪い。

 そもそも染井は文脈というものを知らないのか。今、莉子とそんな話をしてはいなかったはずだ。急にどうして、染井があと三ヶ月で死ぬなんて話になるのだろう。

 結局、なんて返事をするのが正解なのかわからず、気になんてしていないふうをよそおって「ふーん」とだけ言った。

どうびようって知ってる?」

 莉子の態度を気にすることなく染井は話を続ける。 知ってる? と、たずねられたので、とりあえず莉子は頷いた。

 染井が口にしたのは近年明らかになった新しい病気の名前だった。

 ねずみや象といった動物はしようがいに打てるどうの数が決まっている。人間も他のにゆうるいと同じく二十三億回で鼓動が止まるという説もあるらしい。だが、もしそうだとすると人類はもれなく決められた寿命で死んでしまうことになる。そのため、人間の心臓が生涯に打てる鼓動の数は決まっていないという学者もいる。

 けれどこの病気の人間だけは、鼓動の回数が二十三億回と決まっているのだ。鼠動病の人間は、まるで鼠のようにしんぱくが速く、つうの人をはるかにしのぐスピードで心臓が動き続け、決められた二十三億回分という数の鼓動を消費してしまう。鼠動病──つうしよう『鼠の心臓』と呼ばれていた。

 知っている、と言っても、先日たまたまつけていたテレビの中でレポーターが言っていた程度の知識しかなかったけれど。知らないわけではないからまあいいだろう。だが、それがいったいどうしたと──。

「俺、鼠動病なんだって」

 言っていい冗談と悪い冗談があると、子どもの頃に教わらなかったのか。反射的にそう言いそうになったけれど、やめた。そんなことを言う関係ではない。

 ただ、染井の口調は冗談を言っているようには思えなかった。まさか本当に……?

 ……だとしても、莉子には関係ないことだ。

「ふーん、だから?」

 残念ながら、目の前の特に仲がいいわけでもないクラスメイトが鼠動病だったとしてどうだというんだ。関係のない人間が、関係のないところで死ぬだけだ。

「お気の毒に、としか思わないんだけど、それを聞かせて私にどう思ってもらいたかったの?」

「別に? それぐらいの反応で良いよ」

「どういう意味?」

 問いかけてからしまったと思った。これではまるで染井に対して興味を持っているようではないか。けれどそんな心配は莉子のゆうだったようで、染井は特に気にしていないように肩をすくめた。

「そのまんまの意味だよ。──話は変わるんだけどさ、俺自分で言うのもなんだけどそこそこモテるんだよ」

「は?」

「まあ、だからなんだって話だけどさ」

 モテることになんて大して興味はない、と言わんばかりの態度の染井に、莉子はおどろきを隠せなかった。今までどちらかというと、自分がモテることを自覚しながら、その上で女の子から騒がれることに関心がないようなりを見せているのだと思っていたから。とはいえ、全く興味がないわけではないだろう。だって──。

「読者モデル様が何を言ってるの。自分がかげでなんて呼ばれてるか知らないの?『西高の王子様』だよ」

「なんだよ、それ。だいたい読者モデルったって、あれはたまたま街で写真撮ってもらってっただけだよ。もっというなら王子様なんてキャラじゃないよ」

「へー?」

 莉子から発せられる冷ややかな空気を気にすることなく、染井は話を続けた。

「でもさ俺、今まで誰とも付き合ったことがないんだよ」

「そんなにモテるのに? 王子なのに?」

「そんなにってなんだよ。ってか、王子って呼ぶなよ。……で、まあそんな感じでさ、今に至るまで誰とも付き合ったことないんだけど、俺このままじゃ誰とも付き合わないまま死んじゃうってことに気付いちゃって。これはヤバいなと」

「ヤバいんだ」

「ヤバいでしょ、そりゃ」

 死ぬことよりも誰とも付き合わずに死ぬことの方がヤバいって、なんだそれは。その感覚が莉子には理解できない。

「好きな人は?」

「いない。いないから、今こうやって言ってるんだろ」

 それもそうか。けれど、まあそれなら。

「好きだって告白してくれた子に『やっぱり付き合う』って言えばいいんじゃないの?」

いやだよ、そんなの」

 そくとうだった。

 立っているのがつかれたのか染井はさっきまで莉子のカバンを置いていたベンチにこしける。莉子の腕を摑んだまま。必然的に、莉子は染井の隣に座ることになってしまう。

「手、離してよ」

「話が終わったらね」

 どうやら本当に腕を離す気はないようだ。こうなればさっさと話を聞いて解放してもらうより他ない。

 日は完全に暮れ、公園の街灯に明かりがつく。時折風がくとはだざむくさえ感じる。ついこの前まで夏の終わりを感じていたというのに、いつの間にか秋も終わりをむかえそうだった。

 一年のうちでこの季節が一番好きだ。暑くもなく寒くもなく、過ごしやすいこの時期が。なのに、年々秋の時間が短くなっていっている気がしてさびしかった。

 こんなところでグズグズしていないで、早く帰ろうと、莉子は隣に座る染井へと投げやりな口調で問いかけた。

「前の子が嫌なら、これから告白してくれる子でもいいんじゃない?」

「そういう問題じゃないんだよ。そもそも今の状況で、俺のことを好きな子と付き合うのがいやって話」

「どういうこと?」

 染井の言っていることが理解できない。自分を好きでいてくれる子と付き合わずに誰と付き合うというのか。

「俺のことを好きな子だと、俺と付き合って俺が死んだら泣くだろ?」

「まあ、そりゃ泣くんじゃない? 好きな人が死ねば。付き合ってる人ならなおさらだよね」

「でしょ? それが嫌なの」

「もう何言ってるのか意味わかんないんだけど」

 どうどうめぐりの答えがない話であれば、これ以上付き合わされるのはたまらない。を聞いてしいだけなら友達にでも言えばいい。どうして莉子じゃないといけないのか。

「あのさあ」そう言いかけた莉子の言葉より早く染井が口を開いた。

「だからさ、泣かせたくないの。俺のことを好きな子を」

 その声がどこか寂しそうに聞こえて、莉子は思わず隣に座る染井の顔を見てしまう。

 こんな顔を、していただろうか。

 すぐそばの街灯に照らされた染井の顔は、普段教室で見るよりも随分と大人っぽく見えた。

「今回のことがあってさ、まあ当たり前だけど親とか泣くわけだよ。俺の前ではじような顔してるけど、夜中とかさ、リビングで両親が二人で泣いたりしてんだよ。父親まで涙流してんだぜ。想像できる? あんなのさ……かのじよにまで味わわせたくないわけだよ」

 言わんとしていることはわかる気がする。大切な人を自分のせいで傷つけるなんてことしたいと思うわけがない。

 でもそれと莉子にこの話をするのとどういう関係があるのだろうか。

 いや、うん、まさか。そんなわけないと思いつつも一度頭をよぎったことはなかなかはらえない。

「そっか、じゃあしょうがないよね。もうこのまま誰とも付き合わずにいれば傷つけることも悲しませることもないもんね。それじゃあ、まあ元気出して──」

「待てよ」

 腕を摑んだ手に力が込められるのがわかる。振りほどきたいのに振りほどけない。痛いぐらいにまっすぐ染井が見つめてくる。

「離して!」

「どうして?」

「いいから、離してって──」

「ね、俺と付き合ってよ」

「なんでっ」

「三橋なら俺が死んでも泣かないでいてくれるだろ。泣けないから、泣かれなくていい。自分が死んだときのこと考えても気が楽だ」

 意味がわからない。いや、言っていることの意味がわからないわけじゃない。けれど、だからといってどうして莉子が付き合わなければいけないのか。

「嫌だ」

「なんで」

「好きじゃないから」

「だからいいんだよ。好きになんてならないで。俺のこときらいなままでいてくれていいから」

「どうしてそこまでして」

「さっきから言ってるだろ? 誰かと付き合ったことのないまま死ぬなんて嫌なんだって」

 むちゃくちゃだ。こんな話に付き合っていられない。どうにかこの腕を振り払ってこの場を立ち去ろう。

 でもさっきの動画を本当に撮られていたとして、あれを誰かに見せられたりしたら……。

 ──そういえば。

 ふと、莉子は気付く。撮ったとは言われたけれど、実際に見たわけじゃない。もしかするとあれは染井の噓だったのではないか。本当ならあの場で再生してみせるはずだ。

 そもそも再生してみせてよ、と言わなかった莉子の落ち度ではあるのだけれど、あのときは気が動転してそれどころじゃなかった。

 ああ、そう思うと全てにつじつまが合う。なんだ、少しホッとした。よし、あとはこの手を振りほどいて──。

「それに三橋は断れないよ」

 染井はニッコリと笑ってみせると、ポケットから取り出したスマホの画面をタップする。すると、先程までの莉子と真凜たちの姿がそこには映っていた。

「それ……ホントに撮ってたの……?」

「噓だと思った? 断ったら、これ校長先生とか担任とか、ああ教育委員会もいいな。そういうところに持って行くから」

「何それ最悪。きようはくじゃん」

ちがう、お願いだよ。もしくは取引、かな」

 染井が音量ボタンを操作すると、戸川と莉子の会話が鳴り響く。

「これ、他の人が見たらどう思うかな? 俺にはどう見ても虐めにしか思えないんだけど」

「と、友達同士の悪ふざけだよ」

「ふーん? まあでも見る人によっては虐めに見えたりすることもあるかもしれないよ? 感じ方は人によって違うからね。ほら、これとか俺には三橋が思いっきり突き飛ばされて転ばされているようにしか見えないなぁ」

「それ、は」

 手をぎゅっとにぎると、先程できた傷口が痛む。

 この動画を他人に見られてしまえば、きっと莉子がどれだけ違うと言い張っても虐めだとにんしきされるだろう。そうなれば莉子は今のグループにいることができなくなる。あの場所をうばわれてしまえば、莉子は一人になってしまう。一人になるだけならいい。一人になった莉子に、虐めの主犯だと大人たちから言われた真凜がどんな行動を取るか、想像しただけで背筋を冷たいものが流れ落ちる。

「……付き合ったら、その動画見せたりしないの?」

「もちろん」

 笑みを浮かべる染井に苛立ちを覚える。けれど、今の莉子にはこの提案を受け入れるしか。いや、この脅迫にくつするしかないのだ。

 強く握った手のひらにつめむのを感じる。結局、どれだけあらがおうとも莉子にはどうすることもできない。

「……わかった」

「そうこなくっちゃ」

「でも、一つだけお願いがあるの」

「お願い?」

 首をかしげる染井に莉子は頷く。

「教室では今まで通り無関係でいて欲しいの」

 莉子と染井が付き合っていることがわかれば、きっと真凜は莉子を許さない。染井に黙って真凜に事情を話す、という手もあるけれど、たとえ理由があっておどされて仕方なく付き合っているのだと言ったとしても、それを信じてはくれないだろう。

 真凜以外にも何か言ってくる人間はいるかもしれないけれど、それは莉子にとってどうでもいいことだった。自分の居場所を守りたい。ただそれだけだった。

「無関係、ねえ」

「そう。今までだって別に私たち教室で話したりしてなかったでしょ? だからみんなの前ではそのままでいて欲しいの」

「……おっけ、三橋の話はわかった。教室では今まで通りにして欲しい、と」

 頷く莉子に染井はほほんだ。その笑顔にとりあえず安心する。

 ひとまずれんらくさきこうかんして今日は解散することになった。送ろうか、という染井の言葉をていちように断ると一人帰り道を歩く。

 いつもよりも真っ暗な道のりは、今の莉子の心の中のようにどんよりとして見えた。

 なんでこんなことになってしまったんだろう。せんたくちがえた気がして仕方がない。本当ならあのとき受け入れるのではなくて、どうにかたのんで動画を消してもらう方がよかったのではないか。

 とりあえず、絶対に真凜たちには気付かれないようにしなければ。

 重い足を引きずるようにしながら、莉子はとぼとぼと自宅への道のりを歩き続けた。


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