2.引越準備
「あ、ようやく帰ってきた」
午後五時、大学の講義を終えてから家路につくと、その終点に彼女はいた。昨日とは異なり、ちゃんとマンションの入り口の前にいた。
「そういえば鍵ないと入れないな。まあまだ渡せないけど」
「なんで?」
「空き巣犯だからだよ」
「そっか」
傍から聞いたら不審がられる会話でも、周りに人がいないから気兼ねなくできる。この
「じゃあ入るか」
「ちょっと待って。今からうち来てほしいんだけど」
「うちって、あんたの?」
「そ。色々持ってきたいんだけど、絶妙に一人じゃ足りないから手伝ってほしくて」
「それはいいけど、だったら荷物置いてからでいい?」
「わかった。じゃあ、待ってるからね」
僕は鍵を差し込んで、入り口を開錠する。
*****
「お待たせ」
「よし、じゃあ行こっか」
彼女の道案内を頼りに歩き始める。
「まさか徒歩圏内とはね」
「まあ、遠く行くお金あれば空き巣なんてしないからねー」
「あのさ、あんまり外でそのワード出さないでもらっていい?」
「え? 別に良くない? 当事者がいいって言ってるんだから」
「もう一人の当事者である僕が、嫌って言ってるんだけど?」
「仕方ないなー。じゃあ特別ね?」
「何が特別なんだよ……」
「ほら、もう着いたから、ちょっと汚いけどね」
彼女が示したのは、いかにも昭和に建てられた、古いアパートだった。壁がところどころはがれかかっていて、雨が降った後でもないのに湿った匂いがする。
彼女はその中の一室に入っていく。が、すぐ出てきた。
「何してるの? こっちおいでよ」
「え? なんで?」
「なんでって、部屋から出すのも大変だから呼んだんでしょ」
「そっか。わかった」
僕はなるべく草が生い茂っていないところを通りながら部屋の前にたどり着く。中を覗くと、思ったより整頓されている印象だった。
「はい、これお願い」
「……重っ!」
渡されたボストンバックは、機械が入っているのか、ごつごつしていて持ち辛かった。
「よし。これで大家さんに話してくるから、先行ってて」
彼女はそう言って、トートバッグを二つ、両肩にかけて裏の方に回っていった。
僕は後から追いかけてきても追いつけるよう、ゆっくり歩き出した。が。
「お待たせー!」
妙にすがすがしい顔で彼女が僕に追いついた。
「早っ。さっきあいさつしに行ったばかりじゃ」
「うん。済ませてきたよ。元々家賃の滞納で出て行けって言われてたから。出て行きますと一言」
「そんなに……って、確かに今日は六月の最終日だけどさ」
「そ。だからちょうどよかったんだよ」
「だから空き巣したの?」
「家賃分だけ盗れたらもう一か月住もうかなとは思ってたけど。てか、その言葉、禁句じゃなかったっけ」
「僕が言う分にはいいの。事情聴取の一環だし」
「よくわかんない。まあいいや。もう着いたし」
彼女は僕に続いて玄関を通り、エレベーターに乗る。三階に着き、部屋の鍵を開けた。
「あれ、ちょっときれいになってるじゃん」
「なってる、って、昨日見ただけでしょ? 普段はもっときれいにしてるし。ま、今日はあんたが来るから片付けただけ」
「彼女の歯ブラシとか?」
「生憎そういうのには縁がないんでね。余計なお世話だ」
段ボールをどさっと床に置き、ドアを開ける。
「この部屋、自由に使っていいから」
「え、まさか個室用意してくれたの?」
「そりゃ、同じ寝床はまずいでしょ」
「お気遣い感謝です。ん? あれは?」
「あっ」
僕は急いで寝巻のセットを取る。ある程度はクローゼットに入れたり処分したつもりだったが、冬用のパジャマだけ出しっぱなしだった。
「……それ、なんですか?」
彼女は気にせずに荷解きを始めたかと思いきや、すぐにこちらに興味を示した。
「冬用の寝巻。片づける時に出たやつが残ってた」
「君の?」
「ん? そうだけど」
「そんなモコモコのやつが?」
「冬場のエアコン代を抑えたくてね。思いきって買った」
「……」
「なんだよ」
「いや、捗るなーって」
「は、捗る? や、やめてくれよ」
「ん? イラストのことだけど」
「……え、イラスト?」
「そ…………何だと思ったんですかー?」
「……ほんとにごめんなさい」
「はしたない」
「うっ」
いくら空き巣犯とはいえ、同年代の女子から言われると本当に刺さる。
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