なぜ彼女は立っているのか③

 昼休み、相変わらず昨夜の心霊体験談に花を咲かせていた根本こころに榛菜は話しかけた。隣りにいた桜庭は気を使ってくれたのかお手洗いに立った。あるいは朝から続く怪談話から逃げたかったのかもしれない。


「白崎さんもこういう話が好きだったなんて、意外だね」


「好きってわけじゃないんだけど、実は私も似たような体験が最近あって。ちょっと話を聞きたいなと思ってさ」


「白崎さんも? やっぱり幽霊みたの?」


「いや、私は見たわけじゃないんだけど。ほら、こないだ井手口くんが私の上靴借りたことあったでしょ?」


「あーあったね! ひとこと言えばよかったのに、黙ってたせいで騒ぎになったやつ!」


 実際には騒いでいたのは一部の女子だけだったし、どちらかと言うとその渦中にいたのは井手口ではなく凛太郎だったのだが、面倒なので突っ込まないことにする。


「そういえば白崎さん、あの人本当はだれなの? お兄ちゃんじゃないっていうけど、塾で席が近いってだけでわざわざ別の中学校に来たりするかなぁ……?」


 余計な話に飛び火しそうだった。早く話を戻さないと。


「あれはね、あいつがただ変人なだけだよ。ほんとに塾の知り合いってだけ。何なら今度あいつのメッセージID聞いておくからさ、とりあえずそれは置いといて。ね?」あとで凛太郎にはそれとなくお願いしておこう。

「それより、実はあのとき上靴の紐がほどけてて、もしかしたら幽霊じゃないかーみたいな話に一瞬なったんだよね」


「え、ほんと? そういえばあの子、勝手にシャーペン使ったりとか体操服着たりとかもするんだよね? 上靴を履いてもおかしくないかぁ」


 幽霊を『あの子』扱いするとは。こういう子のほうが、案外ちゃんとオカルトをエンタメとして楽しんでいるのかもしれない。


「そうそう。あの幽霊って、上靴を借りておいて靴紐をほどいて返すらしいんだよ。で、井手口くんは靴紐はほどけてなかったっていうのね」事の顛末は後日、井手口本人から聞いていた。

「それが本当なら、井手口くんが上靴を戻したあとに幽霊が借りてったんじゃないかって風にも取れるわけ」


「なるほど!」


「そこで! 今回の根本さんが見た幽霊の件。何か関係があるんじゃないかなぁと思って、詳しく話を聞きたいなと」


「よしわかった。話そうじゃないか。というか、白崎さんてこういう話できるんだね。もっと堅苦しい人かと思ってた」


 そう言われて榛菜は少し驚いた。自分が思っていたよりも真面目ポジションにいたようだ。


「全然! そんなことないよ!」


「でもさ、普段は昼休みとかすぐ図書室にいってるじゃない? あんまり話せなかったからさ、今日は嬉しいよ」


「……ありがとう」


 思わぬ反応に困ってしまった。


 とりあえず情報は仕入れなくてはならない。こういう調べ物をするときは、教科書では5W1Hを意識しろと書いてあった。


 WhoだれがWhenいつWhereどこでWhatなにをWhyなぜHowどのようにしての英語の頭文字を取ったものだ。今回はある程度はすでにわかっていることもある。


 すなわち、


 だれが 根本こころが、


 どこで 学校の1F階段付近で、


 なにを 踊り場から見下ろすようにしていた幽霊を、


 いつ 夜7時すぎに見た。


 ということだ。


 あとは「なぜ」「どのようにして」の部分をはっきりさせれば取りあえずは揃う。


 しかしなぜ幽霊をみたのか、なんて聞かれてもわけがわからないだろう。出てきたからみてしまったとしか言いようがない。あるいはなぜ幽霊はあなたを狙ったのですか、と聞くべきなのだろうか。よくわからない。こういうとき、さくらや晶はどのように質問するのだろう。


「……どうして、幽霊があなたの前に現れたと思う?」


 言ってから、かなり変な質問だな、と思った。そんなこと幽霊本人以外がわかるわけがない。


 ところが根本ははっきり答えた。


「私が吹部すいぶだからだと思う」


「え……吹奏楽部だとなんで幽霊を見るの?」


「吹部、実習棟で一番最後に帰るんだよ。7時まで残って練習するんだけど、もう外は真っ暗なわけ。顧問の先生も先に帰っちゃうし。で、例の噂だよ。しかも最近は家斉先生も見たって言うじゃない? みんな怖がってて。やっぱりそんなところには幽霊も出やすいんじゃないかな」


 一理ある、と榛菜は思った。本物の幽霊が出るのかどうかは別にして、夜遅くまで残っていて怖がっている女の子なら、たしかに驚かせやすい。


「しかもいつもなら一年生が2人1組で戸締り当番するんだけど、私の相方が先生に呼ばれて、昨日は1人でやらないといけなかったんだよ。やっぱ幽霊も1人の方が狙いやすいのかなぁ」


 それもわかる話だ。2人のうちどっちも幽霊が怖いとは限らないし、片方が冷静ではイタズラだと見抜かれるかもしれない。


「吹奏楽部には他にも幽霊を見た人はいるの?」


「いやー、それは聞いたことない。体験談も又聞またぎきの話だけ。本当に体験したのはたぶん私がはつ


 この返事はある程度予想はしていた。吹奏楽部でも実際に見たのは一人。


 吹奏楽部は運動部を含めても最も人数が多い部活だ。現在の2年生と3年生を足せば40人以上は居るらしい。入学して二ヶ月の1年生ひとりだけが唯一の目撃者だとしたら、17576分の一どころの確率ではない気がする。今まで幽霊は何をサボっていたのかという話だ。均等に、とは言わないまでも2年生や3年生にも目撃者がいたっておかしくない。


 もちろん、榛菜は裏取りなどはしていない。他にも目撃者が居る可能性や、そもそも根本が嘘を言っていたり見間違えているという可能性だってあることは彼女も気付いている。しかし、そうだったにしても、それらが全て1年6組を向いているような気がしてならない。


「なぜ」に関しては十分に聞けた気がする。


 つまり、一人で遅い時間にいたから、遭遇した。


 榛菜は次の質問に移ることにした。


「幽霊ってどうやって見たの? こう……階段から見上げたんだよね?」


「うん、一階から、一階と二階の折返しの踊り場を見上げた。暗くってさー……他の階の踊り場は非常灯みたいなの? 補助灯っていうのかな、が点いていたのに、そこだけ点灯してなかったんだよ! ちゃんと用務員さんはああいうの点検してほしいよね」


「ふーん……あれ? 登ろうとしてたの? 帰るところだったんだよね?」


「降りてたよ。だけど耳元でさ、声がするんだよ! タスケテータスケテーって!」


「ほえーそれは……こわいねぇ」


 実際は彼女の声真似が面白かったので全然怖くない。榛菜が気になったのは「耳元で」というところ。踊り場の幽霊の声が階段下にいる相手の耳元で聞こえる、というのはちょっと変な気もする。


「しかも、名前を呼ばれてさ……そしたら思わず振り返っちゃうじゃない?」


「……名前?」


「そう。私の名前を呼ばれたから階段下から踊り場を振り返るわけ。するとそこには」


「ワッ!」


「「うわー!」」


 榛菜と根本はひっくり返った。それを見て桜庭がケタケタ笑った。


「ひどい……今のタイミングはずるい」


「だって私が戻ってきたのに全然気付かないしさぁ。ここだって思ってね! 大成功!」


 冷や汗が出た。


 鳴り止まない心臓に手を当てながら、榛菜は考える。


 暗い場所。遅い時間。一人のとき。女の子のシルエット。名前を呼ばれて振り返る。


 幽霊が出るんだから暗くて遅い時間なのは当たり前かもしれない。でも、他の要素はどうだろう? 一人のときに、女の子のシルエットを、名前を呼ばれたので振り返って、見る。


 先生の時と同じ環境。同じ順番。もしこれも誰かのイタズラだったとしたら、たぶん、同じ犯人なのではないだろうか?





 5時間目の国語の授業は、思っていたよりも普通に進行した。


 家斉先生は朝礼の時よりも顔色が良くなっていた。榛菜が考えているほど深刻ではないのかもしれない。ちょっと安心はしたが、それでもこの一連のイタズラは止めるべきだ。先生が可哀想だし、榛菜としてもまた突然のテストをされてはたまらない。


 それに、出来ることなら犯人を突き止めて文句の一つも言ってやりたい。


 そうだ、そうすればいいのでは? 晶に犯人を特定するか絞り込みをするかしてもらって、私が直接ガツンと言ってやればいい! なんなら私が学校に残って、イタズラの現場を押さえてしまえばいいのだ!


 そうだ、そうしよう!


 そうと決まったなら相手より少しでも有利に立つためにも、やっぱり晶の推理を聞く必要がある。


「……はぁ」


 それにしても、と榛菜はため息をついた。それにしても、まさか自分があの少年探偵に頼ることになるとは。

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