参考資料 なぜ彼女なのか
なぜ彼女なのか①
「いつからわたしだと気付いていたの?」
「ちょっと前は『下駄箱とトイレに幽霊が出る』と言ってたけど、水曜日には『下駄箱と職員用トイレに出る』と変化してたから、情報が細かくなったなとは思ってた。
その時に何となく。それに上靴の話のときは微妙に表現が揺れてた。事故と事件。幽霊とお姉さんと少女、女の子。他人からの伝聞の場合はそういう揺れは出ない気がしたんだ」
「じゃあ、最初から分かってたんだ?」
「本当に何となく、だよ。上靴の件なんて、たまたま犯人が見つかったものだからあれで終わりだと思ってたし。靴紐がほどけるのは少し違和感があったけど、今回の件がなかったらそこで終わってた。それで……頼みというのは?」
晶がそう言うと、さくらは初めて目を逸らして俯いた。ややあって、決意を新たにしたように、晶と凛太郎を見た。
「……うん。長くなるんだけど」
そう言って、さくらは小さな声で話し始めた。
——————
入学式の日、母の友人の『花ちゃん』に会った。
「なんだか不思議だね。あのときの赤ちゃんが、こんなに大きくなって、とうとう追いついちゃった」
「追いついたって、何にですか?」
「あら、やっぱり覚えてない? そりゃそうか、あのときは何歳だっけ、一歳くらいだったね。私達も言わなかったもんね……。さくらちゃん、よかったら、おねえちゃんにあいさつしていってくれる? 同じ制服を着てたら喜んでくれるかもしれないから」
「……おねえちゃん? ……はい」
古い一戸建ての家に招き入れられた。いまでこそ頻繁に遊びに来ることはないが、小学校低学年まではよく母の留守中に預けられていた。和室と墨汁の匂いは、今でも覚えている。
「ありがとう。なんだか不思議……気の所為なんだろうけど、ちょっと雰囲気が似ているかもね」
奥の部屋に通された。そういえば玄関近くの居間で遊んでいたことは覚えているが、他の部屋はあまり記憶がない。入って正面にお仏壇があった。御仏前の写真立てには、わたしと同じくらいの年に見える、制服を着た女の子が写っていた。
「この写真の人……おばさんのお子さん? 亡くなってしまったんですか。病気?」
「いいえ、事故でね。ごめんなさいね、これから楽しい中学生活があるのに。ちょっと、思い出しちゃって。さくらちゃんね、ちいさいときは私をママって呼んでたのよ。だから、妹ができたみたいだって、この子も喜んでたわ。
ほら
わたしはお仏壇にお焼香をした。祖父の家でいつもやってるので慣れている。写真に向かってお辞儀した。
「……吹奏楽部だったんですね」お仏壇の横に金色に光る大きな楽器があった。「これ、おねえちゃんの楽器ですか?」
「そう。これね、あの子が事故にあったとき持ってたものなの。学校の先生から借りたものらしいんだけど、なんの手違いかうちに届けられちゃって。あのときはばたばたしてたから、そのままになっちゃってね……。
返そうと思ってたんだけど、持ち主の先生は辞めてしまってて。最期にあの子が持ってたものだから何となく置いたままにしちゃった」
「これ、なんていう楽器なんですか?」
「ユーフォニアム」
——————
「そう。花ちゃんと、ともちゃんの
「うん。事故で亡くなったんだって」
「事故? ……花ちゃん、事故って言ったの?」
「うん」
「そう」
急に母が遠い目になった。
「どうかしたの?」
「ううん。ずっと、あれは事件かも知れないって言ってたから。時間はかかったけど、受け入れられたのかなって」
「どう言うこと?」
「……もう良いでしょ。明日から塾も始まるんだから。はやく寝なさい」
——————
「こんにちは」
「あら、さくらちゃん。こんにちは。今帰り?」
「はい。でも、これから塾の説明会があって、また出かけないといけないんです」
「あらあら。今どきの子供は忙しくて大変ね」
「……」
「どうしたの?」
「もういちど、おねえちゃんに挨拶してもいいですか?」
「あら! きっと喜んでくれるわ、どうぞどうぞ」
仏壇の近くには、昨日のまま、ユーフォニアムが置いてある。
「ユーフォニアムって、大きい楽器なんですね」
「そうね……。大きくて重たいわ」
「……」
大きくて重たい。
「車、ですか」
「くるま?」
「事故です。交通事故だったんですか」
「いえ、あの子、そういうのじゃないよ。学校の階段で転んで。打ちどころが悪くてね。ドジね。わたしに似ちゃったのね」
「……」
大きくて重たいユーフォニアムを持ったまま。
「可哀想に。本当に」
「……。事件、じゃなかったんですか」
「……どうしてそんなことを言うの?」
「お母さんが昨日、口を滑らせました」
「あら。藍子ちゃんも案外ドジなのね」
「事故だったんですか」
「……。もう、そう思うようにしてるの」
「……」
「そうしないと、もう、あの子の写真を見るのも辛くなるのよ。だめなお母さんね」
「わたし、おねえちゃんのこともっと知りたいんです」
「……。ありがとう」
花ちゃんの唇が震えていることに気付いた。これ以上は、聞けなかった。
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