解答例と採点基準

 んん、と晶は咳払いした。


「まず整理する。


 ちゃんと結んでたはずの上靴の靴紐が、登校したらほどけていた。これは噂の幽霊の仕業か、幽霊にかこつけたイタズラか、今回は除外するけど変態の仕業か。いったい誰が何のためにやったのだろうか?


・靴紐がほどけたのは下校してから登校するまでの間。


・靴紐がほどけている以外に変化はなく、汚れてもすり替えられてもいない。


・被害者の白崎さんは帰宅部かつ学級委員で、部活が始まる前後に帰宅する。


・現在は部活見学、勧誘期間。


 間違ってない?」


「うん。ちなみに、私は変態以外の犯人であって欲しいと言う意味で、幽霊犯人説を推したい」


「じゃ、ご要望にお応えして、変質者以外の犯人を探っていこう。


 まず、白崎さんが下校してから登校するまでが犯行時間。靴紐をほどく、というのはつまり上靴に触れるということだ。この時間に上靴に触れることができる、もしくは触れる必要がある生徒は誰か。……ああ、今回は教員を除く。教員は変態が多いから。


 白崎さんは学級委員なので、普通の帰宅部よりは帰りが一歩遅れる。黒板消しを綺麗にしたり日誌を書いたり。だとすれば、帰宅部はとりあえず除外して良い。念のため言っておくと、君の上靴欲しさに帰りを待つようなやつは帰宅部だったとしても変態カテゴリなので、これも除外している。


 となると、該当する生徒は部活をしているか、生徒会や委員会か、部活見学者だ。これでだいぶ範囲を絞れたが、まだ多い。部活見学者を一年生の半分程度と見積もって……一年生は全部で何人?」


「1クラス30人くらいで8クラスあるから、240人かな」


「なるほど。うちの学校より多いな。2、3年で部活をしている生徒はそれ以上だろうから、まだたくさん容疑者がいる。


 次は動機。


 なぜ靴紐をほどく必要があるのか。そもそも、靴紐をほどくのが目的だったのか? 悪戯ならそれもあるかもしれないが、今回はそんな変質者は考慮しない。とすれば、何かの理由があって上靴を持ち出して、その際に誤って解いてしまったと考えるのが妥当だろう。


 では次に、なぜ上靴が必要になるのか。まともな理由で借りるなら山岸さんが言う通り一言ひとこと言えば良いし、学校に持ってくるのを忘れたなら夜から朝にかけて借りる必要なんてない。授業は終わってるし、始まってないんだから。何よりも登校前に返さないと白崎さんは上靴がなくなってることに気付いてしまう。名前も書いてあるから、誰が勝手に使っているかもバレるし……名前は書いてある?」


「もちろん」


「よかった。


 だから『借りて履く』なんて当たり前な理由で上靴に触れることはない。ではどんな理由で上靴を借りるか? しかも汚したり痕跡を残してはいけないし、登校前には返さないといけない。


 たとえば誰かの替玉かえだま。人数の誤魔化し。


 部活動勧誘の時期だから、賑やかな部活をよそおうために女子の上靴を並べて凛太郎のような男子を釣ろうとしたのかもしれない」


「失礼なこと言うな」


「まぁそのあたりは例え話だから多めに見てくれ」


「俺のイメージが悪くなるからそういう例えはやめてくれよな……」


「話を戻そう。


 まず生徒会も委員会もメンバーと人数は決まっているし、誤魔化しようがないから容疑者からは外れる。となると部活関係に絞られるが、グラウンドを使うような運動部は除外できる。外に持ち出したら少なからず汚れたり砂がつくからだ。


 そうすると、文化部系か、上靴が汚れない体育館や武道場を使う運動部が候補に残る。


 そうだな、和室だと上履きを脱ぐので、特に誤魔化しやすい。茶室なんかは入口もふすまで仕切られてるだろうから、上靴を並べとけばそれだけで中にいる人数は水増しできる。茶道部なんかが怪しくなるが……茶道部はある?」


 榛菜とさくらは首を横に振る。


「ないか。あったとしても、部屋に入れば人数や替玉なんてすぐにバレるんだから、上靴をわざわざ借りてまでやらないだろうね。


 その点、剣道部や薙刀なぎなた部、フェンシング部なら武道場や体育館に入るために上履きは脱いで並べておくだろうし、練習中は裸足か専用のシューズで、何より面をつけるから誰が誰だかわからない。人数はともかく、人の入れ替わりは可能だ。防具とかに他人の名前があっても、部活見学者に貸してるんだよと言えば誤魔化せる。


 一般的に、市立の中学校に薙刀部やフェンシング部はない。


 そんなわけで消去法から、『上靴に触れる』動機と可能性がある容疑者は、剣道部関係者だと思われる。


 実際のところ、持ち出した・触れたからと言って靴紐がほどけるとは限らないが、結びが甘かったなら十分可能性はありそうだ」


 そこまで話すと、晶は一旦止まった。


 榛菜とさくらは目を丸めていた。内容もそうだが、饒舌じょうぜつに話すのが意外だった。凛太郎は隣でニヤニヤしている。


「なるほどとは思うけど」榛菜はやっと声を絞り出した。

「だったら何で私の上靴なの? 誰かが私のフリをしたってことでしょ? 人数誤魔化し説の方が、どっちかというとありそうな気がする」


「そうだな。たまたま君の上靴を持ち出したってことかも知れないが、ここではそれは考えないでおこう。今回は理詰めで行きたいから、偶然や例外は考えないことにする。知り合いに剣道部員はいる?」


「いたっけ?」榛菜はさくらを振りかえって聞いた。


「……いたかなぁ。榛菜ちゃんの友達って、わたしあんまり知らないから……」さくらは何となく不安そうな声を出す。


「ん〜。……あ! いた! 小学校のとき、5年と6年でクラスが一緒だった倉持くん。幼稚園の頃から剣道やってるって言ってたよ」


「そうなんだ。知らなかった」


「実は幼稚園も一緒だったんだよ。小学校の卒業式の時にたまたま一緒に写真撮ったんだけど、その時に初めて聞いてさ。言われてみれば幼稚園のときサムライの真似事してたなぁ、だからいつも汗臭いんだねって言ったらすんごいへこんじゃって。悪いこと言っちゃったなぁって反省した」


「それはさすがにひどいよ」もっともな非難である。


「その倉持くんって白崎さんと同じクラス?」


「私のとこじゃないね。さくらちゃんとこのクラスだっけ?」


「うん、同じクラス。隣の席だけど、ぜんぜん汗臭くないよ」さりげなくフォローする。


「じゃあもう剣道やめたのかな?」


「それ、剣道やってる人に怒られるよ……」


「白崎さんとは違うクラスか。下駄箱は離れてる? それか、名札はついてる?」


「離れてるっていうか、さくらちゃんのクラスとは背中合わせの棚だから反対側って言えば良いのかな。名札は付いてなくて、番号だけ」


「じゃ、その人じゃないかも知れない」


「え、なんで。というか倉持くん怪しいの?」


「怪しいというか、条件を当てはめていってるだけだ。クラスが違って名札がないなら白崎さんの下駄箱の位置を知らないかもしれないし、総当たりで下駄箱を開けてまわっていたら怪しまれるだろうから、あり得なくはないが少し条件からズレる」


「……なるほど」


 次々と条件が絞られていく。確かに、映画や漫画で見る名探偵のようだ。


「となると、別の剣道部員だ。知り合いではなくても、同じクラスにいない? 同級生なら白崎さんが学級委員で帰りが多少遅れるということを知っているはずだし、正確に下駄箱の位置を知らなくても出席番号などから割り出せるだろう。男子でも女子でもいい」


「うーん……いるかもしれないけど知らないなぁ……」


「では、倉持くんと仲の良い友達は同じクラスにいる?」


「誰だろ……井手口くんとか、小学校では同じクラスだし喋ってるのを見たことある。剣道やってるかは知らないけど、臭くはないと思う」


「別に剣道やってたらすべからく臭くなるわけじゃないと思うが。その人がとりあえず第一容疑者だ。明日はその子に聞いてみたら良い。『上靴借りた?』もしくは『誰かに下駄箱の位置教えた?』と」


「ええ……変態だったら嫌なんだけど」


「一応、その可能性を除いた結果だから大丈夫だと思う。ここからはもう本人に聞いて確認するしかない。正確な動機の推測なんてのは金や怨恨、痴情ちじょうのもつれでないとまず分からない」


「痴情のもつれ……」中学生の世界で使われる語彙とは思えず、榛菜は黙ってしまった。


「聞きづらいなら俺が聞こうか?」それまでふんふんとうなずくだけだった凛太郎が言った。


「え? 黒川くん、中学違うよね?」さくらが不思議そうに尋ねる。「何ならわたしが……」榛菜をチラリと見る。彼女なりに気遣っているらしいが、それが果たして榛菜に対してなのか、榛菜に無遠慮な事を言われるであろう男子に対してなのかはわからない。


「いやいや、そういうの女の子に聞かれても男は素直に答えられない。俺に任せてくれ」


「何か妙案があるのか?」


「案ってほどでもない。こんなの直接聞けば良いだけだろ。まぁ言い回しだな」


「じゃ、こっからは任せた」


 黙っている榛菜を残して転々と話は進んでいく。慌てて口を挟んだ。


「や、あの、流石にそこまでは大丈夫だよ。別に汚されたとかでもないし。今のところは」


「もう遅い」晶は苦笑いしている。


「僕が探偵なら、こいつは刑事だ。しかも興味のまま、頼んでもないのに勝手にやっちゃうんだ。法律じゃなくて好奇心に従って動く、面倒な刑事だよ」


 凛太郎はにやにやしている。


 あれ、ちょっといつの間にか大ごとになっているのかも。


 榛菜は嫌な予感がした。


 —————


 翌日学校に着くと、玄関に制服姿の凛太郎がいるのを見て榛菜は開いた口が塞がらなかった。昨日の今日で本当に来ている。


「よう。市立中学って制服同じだから便利だな」


「それよりそっちの学校どうしたの!?」


「サボった。午後は行くから大丈夫」


 大丈夫なわけないでしょ! と突っ込みたかったが、まだ驚きで舌がうまく回らない。今までおない年の男子が「絶対」とか「必ず」とか大袈裟に約束して簡単にやぶるのを見てきたので、今回もまぁ口だけだろうと高を括っていたのだが違った。榛菜も周りから多少浮いているところがあったが、彼は明らかな変人である、と彼女は確信した。


「で、どいつなの? まだ来てないならそいつの下駄箱教えて」


「え。多分まだ来てないから……」


 登校開始が8時からと決められていて、今が7時55分だ。榛菜も早い方だが、彼は何時からいたのだろう。


「出席番号順だから、そこの4番のとこ……」言ってからこれはやらかしたか、と思ったが後の祭りだ。


「よし、あとは任せてくれ。というか、いたら邪魔だからさっさと教室へ行ってくれ」


 やらかしたようだ。自分がいたらなぜ都合が悪いのか。よからぬ事になりそうな予感はしているが、もはやここまで来たら流れに乗るしかない。腹を決めて、榛菜は教室へ向かった。


 待っている間は気が気でなかった。どうも早めに登校する女子たちがざわついている。凛太郎がだいぶん目立っているようだ。クラスの下駄箱の前にいるものだから、転校生と勘違いしている子もいた。「見た? 玄関にいた男の子?」「うちのクラスのとこにいたひと? 初めて見たけど、転校生?」「かっこよかったよねー」「きゃー」的な。彼女たちの反応を見る限り、昨日のさくらのほうが一般的な反応だったらしい。自分は男の趣味が悪いのか? 榛菜は若干心配しつつ、井手口の登校を待った。


 果たして、8時20分ごろにやって来た井手口浩人はずいぶん落ち込んでおり、かつ涙目だった。彼は教室に入っても自分の席には行かず、榛菜の机の前に立って「ごめん」と言った。


「えっ……うん。どうしたの?」


「ごめん、お兄さんに聞いたんだ、上靴借りたの知ってたんだね…ごめん! もう変なことしないから」


 と、大変反省している様子だ。しかし榛菜はそんなことは気にならなかった。もっと重要な、突っ込むべきところがあるからだ。


 彼女は一人っ子である。


「いやいや! お兄ちゃんなんていないよ! どゆこと!?」


「いや、さっき玄関で脅されて……」


「脅されて!?」


「僕が悪いんだ、君にちょっかいをかける気なんてなくて……」


 にやけ顔の凛太郎の顔が浮かんだ。


「あんにゃろ……」


「え、あの玄関にいた人って白崎さんのお兄さんなの?」耳ざといクラスメイトが聞いてきた。


「いや、そういうわけじゃなくて……」


「怖い人なの?」別の女子もやってきた。


「いやいや、怖いってわけじゃないんだけど、私もよくわからなくて、勝手に急に来ちゃって……」


「井手口くん何したの?」


「いや別に大したことをされたわけでは」


「ごめん白崎さん!」


「いやいや別に大したことでは」


「そんなに気にしてたなんて気付かなくて、絶対嫌がらせとかじゃないんだよ、ごめんよ」


「えー井手口くんなにしたの! ひどーい!」


「いやいやいや全然大したことじゃないし勘違いだし気にしてないし」


「お兄ちゃんが助けに来たってこと?」


「素敵!」

「良いお兄ちゃんね!」

「紹介して!」


「ちが……ちがうー!」


 榛菜の声が、ざわめく教室に消えた。


 —————


 天神中学、昼休み。


兄妹きょうだいのふりって……お前は相変わらずだな」


「まぁまぁ、結果よければ問題なしだろ」


「で、どうだった?」


「ああ……やっぱり剣道部だったよ。経験者が欲しいから、あの手この手で倉持ってヤツを剣道部に誘ってたんだと。結構強かったらしいけど、本人はもう剣道したくないらしくてさ。倉持君が惚れてる白崎さんが美術部に興味あるらしいと聞いて、そっちに入ろうとしてたみたいだ。そこで白崎さんの上靴を借りて、ほら榛菜ちゃんが入部してるよ〜上靴あるでしょ〜、と」


「なるほど。実にしょうもない」


「傑作なのは、倉持はすぐに嘘に気づいて、こんな臭い部活なんて白崎さんがするわけない! って言ったらしい」


「こう言っちゃなんだけど、あの子もなかなかに口が悪い。遠慮がないというか」


「それに悪気なくいってるから、余計に傷つくんだよな。好きな女の子に臭いなんて言われたらなぁ。流石に同情するぜ。で、井手口自身は剣道部に入ってるわけでも興味があるわけでもなくて、先輩に頼まれてやったんだってさ」


「剣道部関係者と言えばそうなのか……ちょっと繋がりが弱かったな。まぁ素人推理だし、適当にやったにしては上手くいったか」


「ほぼ正解だろ。で、別に大した悪事でもなかったんで、平和的に「解決」したぜ」


「本当か……普段の行いを見てると怪しいな」


「ちゃんと平和的にやったって。それよりさ、気になることを言ってたぜ」


「うん?」


「靴紐はしっかりと結んであったってさ」


「……」


「返すとき、配置まで気をつけたって。絶対バレないように」


「……」


「こうなると、いよいよ変質者説が濃厚になってくるな」


「靴紐をほどいて満足する変質者?」


「お前も言ってたろ。9割はそういう奴が犯人だって」


「うん。まあね。でも、あるいは」晶は思案顔でつぶやいた。

「あるいは、『となりに立つ少女』……か」






——『なぜほどくのか』採点基準——




容疑者の絞り込みに成功した(配点5)

□帰宅部を除外した。

□生徒会や委員会活動を除外した。

□グラウンドを利用する部活動を除外した。

□白崎榛菜の下駄箱の位置を特定できる者だと推測した。

 以上を一つでも満たしていれば加点


動機の推測ができた(配点5)

□単純に上靴を借りたわけではないと推測した。

□身代わり、人数水増しなどの合理的な理由を推測した(現実的で実現可能なものであれば他の理由でも可)。

 以上を一つでも満たしていれば加点

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