なぜ彼女はほどくのか

なぜほどくのか ただしヘンタイは除く①

 白崎しろさき榛菜はるなの通う中学校には、怪談がある。


 校内の事故で亡くなった女の子の幽霊が、夜な夜な学校に現れては自分が過ごせなかった楽しい10代の日々を取り戻そうとしている。気がつけばほら君の隣に……という通称「となりに立つ少女」。


 なんでも、自分の上靴がないので学内の女子の上靴を夜中に借りて、校舎を徘徊しているのだそうだ。明け方になる頃に上靴を元の場所に返すのだが、その時に靴紐がほどけてしまうとのこと。持ち主とのサイズが合わないので自分で結び直しているが、幽霊なので力が弱くきちんと結ぶことができないらしい。


「だったら最初からほどかなきゃいいのに」というのが、榛菜の意見だ。


 まさに今日、下駄箱の中にあった上靴の紐がほどけていたのである。昨日帰る時にはほどけていなかった……と確証があるわけではないが、たぶんほどけてなかったはずだ。


「だってそうでしょ、朝来て下駄箱開けたら靴紐がなぜかほどけてて、うわこれ例の怪談だわ〜誰かのいたずらだわ〜なんて朝から疑っちゃうじゃん。迷惑!」


「その辺りは幽霊だから気にしないんじゃないかな……」


 さりげなく幽霊のフォローをするのは、学校では隣のクラスの山岸さくら。榛菜とは小学校が一緒で、同じ市立中学校に進学した。


 二人がいるのは、学校から少し離れた進学塾だ。


 もともと私立中学校に行くつもりで受験勉強をしていた彼女からすると、市立中学校の授業はあまりに初歩的すぎた。ねた気持ちから「学校の授業が面白くない」と家で愚痴っていると、「だったらちょっと良いとこの塾に行ってみるか」と親に勧められて来たのがここ六本松修学館で、偶然さくらが同じクラスだった。


 今は授業前の開放教室で、まだ生徒も半数程度しか来ていない。


「そもそも幽霊なら足もないでしょ。上靴いらないじゃん! 足があったとしても裸足でも問題ないでしょ、汚れるわけでもないだろうし。だいたい、制服着ている幽霊なら上靴もはいとけよと言いたい! どのみち怪談にかこつけたイタズラなんだろうけどさ、こっちは中学校入りたてで何だかんだナーバスなんだし、隠れてイタズラなんて、しょぱなから気分悪い」


「でも、本当に幽霊だったらどうする?」さくらは割と信じているようだ。


「いないよ、幽霊なんて」榛菜はばっさり切り捨てる。


「幽霊がいるなら殺人鬼なんてすぐ呪い殺されちゃうし、神様がいるなら戦争なんて起きない。幽霊がいたらもっと世の中は平和になるのに、いないから世の中悪人だらけだわ〜ってパパが言ってた」


 身も蓋もない言い方にさくらは静かになった。うつむき加減で顔がはっきり見えないが、落ち込んでしまったようだ。


 榛菜は慌てて付け加えた。


「あ、でも、もしかしたら気付かないだけで何かいるのかなぁ〜? うちの学校、他にも怪談あるんだよねぇ?」ちらりとさくらを見る。


「うん!」


 笑顔で反応してくれた。


「いまのとこ二つだけ知ってるよ。さっきの下駄箱の怪と、トイレの怪。どっちも同じ女の子が出てくるんだって」


 まだ4月の終わりだというのに、なかなかに情報が早い。


「その幽霊、トイレにもいるんだ……下駄箱だけで十分なのに……」


「榛菜ちゃん、今朝ほどけてたの?」


「うん。結局は私があんまり力が強くないから、たまたま紐が緩くなってただけじゃないかなと思う」頬杖ほおづえをつきながらさくらに言う。


「でも靴紐が勝手にほどけることってないんじゃないかな。歩いてるときならわたしもよくあるけど。やっぱりそれ、怪談の女の子かも」


「うーん……そうかなぁ……」


 二人が他愛もなく話していると、後ろに座っていた男子が割って入ってきた。


「面白い話してるじゃん。俺、怖い話好きなんだよ」


 別の中学校の男子だ。挨拶くらいはした記憶があるが、まだ名前もはっきり覚えてない。確か黒川……なんとか太郎。声が大きく、先生にも遠慮のない質問をしていたので、何となく声と姿の印象は残っていた。


 塾ではみんな私服なのでどこの中学校かはわからない。髪が少し明るい茶色で、癖っ毛なのかパーマを当ててるのか、もじゃもじゃした髪を綺麗に揃えている。この子の中学校は髪型とかにうるさくないのだろうか。榛菜は、話し方と髪型だけでなんとなくチャラい印象を受けた。


「その話、俺にも聞かせてくれない?」


「え? 困るんですけど」


 榛菜はにべもない。


「怪談、興味あるの?」


 対してさくらは乗り気の様だった。


 榛菜は意外に思った。少なくとも小学校ではさくらは内気な子だった。榛菜自身もあまり社交的な方ではないが、積極的に友達を増やそうとせず、自分から周りと距離を取りがちな榛菜に比べて、さくらは声をかけたいのに出来なくて隅っこに行ってしまう、そんな印象の子だった。見かねて声をかけるようになり、それから二人は仲良くなったのだ。


 中学校からは別々のクラスになり普段の姿を見ることは減ったが、そんなさくらが他校の男子に快活に応じるなんて。


 それともこの男子がさくらの好みなのだろうか。


 改めて話しかけてきた男子を見てみる。同じ年頃の男子の中では背が高いのは普段から感じていた。顔の彫りも深く、目鼻立ちが整っていて、あまり中学生には見えない。なんなら高校生と言われても信じてしまうかもしれない。つまり、かっこいい。


 加えて、この進学塾は近郊の有名私立高校や県立高校を狙う中学生が集まるところなので、きっと成績もいいのだろう。


 持ち物も外見の軽さとは裏腹に大人っぽいものを持っている。筆箱も鞄も本物かどうかわからないが革製で、黒色で統一されていてお洒落に見える。こういうセンスが良いものを持っている人はお金持ちなんだろうな……と、ねたみ半分で思った。


 高身長、好成績で、たぶんお金持ち。三拍子揃っている王子様的な男子。自分たちの小学校では見なかったタイプではある。


 警戒心丸出しの榛菜を置いてけぼりにして、二人は怪談話を始めてしまった。


「実は、本当に事件があってね」


「ああ、そういうのから噂が立つんだよね」


「実際に女の子が亡くなったらしくって」


「へー! 本当に?」


 そんなやりとりをしていると、その男子と並んで座っていたもう一人が声をかけてきた。


凛太郎りんたろう。そのくらいにした方がいい。そろそろ人が増えて来たし、授業が始まる」


「ああ……そうだな。じゃあまた後で」


「うん!」


 普段、榛菜に見せない表情のさくらを見て、(この子、案外ちょろいわぁ……)と心配になった。さくらは同性の自分から見ても可愛く見える。小柄で華奢きゃしゃ、名前の如くはかなげな印象さえある。学校の制服姿と違い、塾で着ている私服だと中学生に見えない。肩に届かない程度の髪を両側で結んでいて、このままだと来年でも小学生で通用しそうだ。中学生になったら誘惑が多くなるぞ……と子煩悩で心配症の父親が言っていたが、なんとなく気持ちがわかった。


 後ろの男子たちが話している。


「お前、ここでも静かにできないんだな」


「お前は静かすぎる。名前があきらで日が三つもあるくせに暗いんだから、もう名前もクライとかダークネスとかそういうのにしろ」


「なんだよダークネスって……中二病は1年早いぞ。お前も凛太郎の凛って涼やかとか身を引き締めるとかそういう意味だが、名前負けしてるじゃないか。ゆる太郎とか似合ってると思うが」


「ふざけんなそんなハムスターみたいな名前にできるか」


 前言撤回。小学校の頃に身近にいた男子と違わなかった。隣のさくらはくすくす笑っている。受け取り方はそれぞれらしい。

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