第三章「それぞれの勘違い」5
この遊園地の閉園時間は夜の六時だ。一応、どんなトラブルがあるかもわからないので、余裕を持ってその一時間前を集合時間に指定した。
「んー、時間的にアトラクション二個乗れたら上出来だな。どうする? 何か乗りたいもの、ある?」
コウが笑顔を向けてくれる。繋がれた手はそのままで。周りの目なんて、そんなもの気にしない。夢にまで見た時間を過ごしているせいで、本当に夢なのではと疑いたくなるくらいだ。
「えーっと……実は、あるんだ……」
夢に描いたコウとの時間。シズクの料理が上手くなったら彼にオムライスを作ってあげる。二人で手を繋いでデートする。そして……
「好きな人と……コウと、遊園地の観覧車に乗るのが夢、だったんだ」
リュウトに今日の計画を持ち掛けられた後、シズクは広告のチラシを見てそう夢見たのだった。観覧車が頂点に達する時に告白、というのはさすがに夢を見過ぎたが、恋人と一緒に乗りたいものであることに違いはない。
「うん。なら乗ろうか」
コウもニコっと笑って繋いだ手に力を込めてくれた。大きくて暖かいコウの手は、シズクの手をまるまる包み込んでくれる。それが彼の包容力の表れのように思えて、そんな小さなことですらシズクの笑顔の源になるのだった。
観覧車は園内の奥に設置されていて、これに乗れば園内はおろか、街並みすらも一望出来る。この天気なら山の方まで見えるかもしれない。
中途半端な時間のためか、観覧車はあまり並んでいないようだった。並んでいるのは家族連れにカップルが多い。男同士で並んでいる人間は、ほとんど見かけなかった。ましてや手を繋いでいる男同士なんて皆無だ。
それでもコウは、その手を放すことはなかったし、シズクだってその気持ちは同じだ。
列は滞りなく進み、搭乗の際に係員の男に訝し気な視線を送られたが、二人で無視してゴンドラに乗り込む。四人乗りの小さなゴンドラは、体格の良いコウと二人で横並びに座るには少し狭過ぎて。なので仕方なく、対面に座ることにした。
ガチャリと扉が閉められて外側から鍵が掛かる。ゆっくりとしたスピードで、二人を乗せたゴンドラが上昇を開始する。
「ふー、やっぱり……覚悟はしてたけど、けっこう見られるね」
カフェを出てからこの観覧車に乗り込むまで、シズクは周囲の視線を痛い程感じていた。戸惑い、嫌悪感、好奇に満ちた……悪意の数々。
その視線達にシズクは、目を伏せることもなく、堂々とコウと共に歩ききった。もちろん手を引き先導してくれるコウとて同じである。だからこそ、彼の“今”の気持ちが知りたかった。恋心が成就して、夢が現実になった今の本心を。
「シズクがそれだけカワイイからかなって俺は思ってたよ。シズクは何も……気にしてない?」
いつも見せられていた、優しい笑顔だった。普段と何も変わらない、シズクだけに向けてくれるその笑顔は、どんな悪意にだって濁ったりしない。
「これは俺が望んだことだから。俺が、コウのことが大好きで、付き合いたいって思っただけだから。だから、悪いことなんかじゃないよ。俺は、気にしてない」
「そっか。もちろん、俺もだよ。『気にしない』ってのが、難しくなったら……リュウト先輩に相談しようか」
最後には笑いを堪え切れないといった様子で、コウがそう提案してくれる。それにはシズクもぷっと噴き出してしまった。
「そうだね。まさかあいつが男も好きになれる奴だとは思わなかったけど、『好きになったらそんなん考えん』ってリュウトらしいっていうか……」
「しっかり自分があるタイプだよね、リュウトって。そういう強さ、憧れるな」
「コウだって十分、強そうだよ?」
「俺のは見た目の話だろ? 俺が言ってるのは心の強さだよ。自分が好きな相手と一緒にいると決めたら、周りの目なんて気にしない。そういう強さはリュウトを見習いたい」
そう言って、コウはじっとシズクを見詰めてきた。シズクもその視線から逃げずに頷いて、束の間の沈黙の時を楽しむ。ゴンドラは、頂点にはまだまだ程遠い。本当にゆっくりとしたスピードで回転しているようだ。
どちらともなく微笑み合い、そして――シズクからコウの隣に移動した。ぐらりと揺れるゴンドラが、なんだか気恥ずかしい。
「えへへ。来ちゃった」
「カワイイ。本当は俺だって、これに乗り込む時に隣に座りたかったよ。でも、やっぱり係員の人の視線が気になった……」
「ならさ、降りる時は、このまま降りようよ。それなら、俺達……ちょっと強くなった気がしない?」
「それ、良いな。さすがシズク。よーし、それなら降りるまで……って、あれ……リュウトじゃない?」
そう言いながらコウはゴンドラから見下せる園内の一角を指差す。その指の先にはメリーゴーランドがあって、確かにそのすぐ傍にリュウトと――ケイトの姿が見えた。ゆっくりとしたスピードの為に、まだ地上から離れていないことも幸いしたのだろう。
二人はメリーゴーランドを見ながら何か話しているようだ。当然のことながら二人の会話なんてものは聞き取れるはずがないし、表情すらもしっかりとは見えないので実際は話しているのかすら怪しい。
「……何話してるんだろ?」
シズクは内心複雑だった。計画のためとはいえ、一度嘘でも告白をしようとした相手で、しかもその後実は嘘でしたーなんて、自分だったら怒っている。それを彼女は飲み込んでくれて、あげくに祝福までしてくれたのだ。自分が好きだった相手を、男に取られたというのに。
そんな心の広い、本当に尊敬したい女友達と、こちらもまた好きな相手を横取りされた男が一緒にいるのだ。仲直りもしたし、そもそもそんな人間じゃないと信じてはいるが、それでも心に燻る罪悪感を払拭することは難しい。
「気になる? シズク」
「……気にならない……って言ったら嘘になる」
「俺もだよ。降りたらさ、様子見に行ってみようか」
コウの提案に、シズクは返事に詰まった。コウもきっと、罪悪感に圧し潰されそうになっているに決まっている。彼の声はいつもより少し低くて、まるで……あれ? なんだか、まるで……
シズクがコウの顔を確認すると、彼はまるで悪戯を思いついたような悪い笑みを浮かべていた。
「……うん」
その表情になんだかシズクの心まで軽くなってしまって、悪いことだとは思いつつもついつい了承してしまっていた。
「よし。なら、二人のことは降りるまで置いといて、今からは二人きりの時間、堪能しよう。な?」
「うん」
大きな手に頭を撫でられて、その力強さに包み込まれる。暖かさに安心感を覚えることを教えてくれたのは、コウだ。
「カワイイよ。シズク。俺のものになってくれてありがとう。ちゃんと言ってなかったから、言うね。好きだよ」
「うん……俺も、好き」
ぎゅっと抱き締め合い、コウの顔が近付いてきた。さすがにシズクだって、初めてでもわかった。コウに身を任せるようにして、シズクは産まれて初めてのキスを交わす。
そっと、触れるだけの淡い淡いキスだ。たったそれだけで、シズクの身体は火がついたように熱くなった。
顔がこれでもかと言う程熱いし、きっと薄っすら汗ばんですらいるだろう。芯まで熱を持った瞳だが、それをコウから逸らすことが出来ない。熱源であるコウもまた、熱のこもった視線をシズクに落としてくる。
「その顔……ダメだ。我慢出来そうにない」
もう一度近付くコウの顔に、今度はシズクもそれに応えるようにしてキスを交わす。二回目のキスは少しだけ長く、ゆっくりとお互いの感触を楽しむように角度を変えて。お互いの存在を感じ合いながら、貪るように唇を合わせる。
一度息継ぎのために唇を離して、じっと見詰め合う。ずくずくに蕩けてしまいそうな頭で、それを貫く程の真剣な眼差しのコウを見詰め返す。観覧車はゆっくりと回転しており、もうそろそろ頂上に到達するぐらいだろうか。
「カワイイ。本当に……好きだ。シズク! 好きだ!」
「俺も好き。コウが好き……っ」
想いが強過ぎて上手く言葉にならないことが、こんなにももどかしいと感じるなんて。熱さを増す脳の回路が焼き切れたかのようだ。言葉にならない熱い想いは、お互いの脳を焼き胸から溢れ、逃げ道を探すかのように強引に求める相手へと手を伸ばしてしまう。
コウに押し倒される形でシズクは観覧車の席に背を預ける。押し倒されながらシズクも誘うようにコウに手を伸ばしていたので、二人はそのまま抱き合うようにしてお互いの感触を楽しむ。
「っ……コウ……」
制止というには弱すぎる、欲望に満ちた声が出てしまう。これから与えられる刺激を求める甘い誘惑に、コウは返事もままならないとばかりにシズクの首筋に舌を這わせた。
「んっ……」
自分の口から初めて出る甘い声に、シズクは頭が沸騰しそうになる。おまけにコウから与えられる刺激も想像以上で、シズクは足がガクガクと震えるのを抑えることが出来ない。
「カワイイ。好きだ。もっと、甘い声出して」
電流のような甘い刺激がシズクを襲い、張り詰めた下半身がボトムの上からでもわかるくらいに興奮しているのが、快感から逃げるために薄めた視界に入った。
だが、それはコウも同じようだった。彼もシズクを攻め立てながら、己のモノをこれでもかと言う程張り詰めさせているのが、服の上からでもわかる。
――このままじゃ、駄目だ。さすがにココで、最後までは……
最後に残ったありったけの自制心で、シズクはコウの胸を両手で押して、愛しい身体を引き離す。それはとても難儀な行為で――もちろん肉体的な苦労ではなくて、精神的に、という話だ――、触れ合っていた身体が離れるというそれだけで、シズクは心が張り裂けそうな程だった。
「……ご、ごめんな。シズクがあまりにカワイイから。我慢出来なくなった」
少しばつが悪そうに、やや紅潮した顔でそう謝ってくれたコウに、シズクも少しだけ悪い笑顔で「俺も、同罪だから」と舌を出してやった。
「こいつ」
そんなシズクにニッと笑ったコウは、悪戯気にその舌を絡めとるようにして、これまでのどのキスよりも深いキスをくれた。
「んっ……もう、下についちゃう、から」
いつの間にか外の景色にアトラクションの影が見えるようになっていた。甘い甘い二人だけの空間は、なんだかとっても時間が経つのが早く感じて。
「そうだな。さ、二人のところに急がないとな」
先程までの甘い誘惑を孕んだ顔はどこへやら。すっかり好青年の表情を取り戻したコウが、シズクに微笑んだ。
シズクもそれに笑顔で頷き、近づいてきた地表に視線をやり、そして――乱れていた着衣に今更気付いて、慌てて整えることとなった。
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