第54話 惨劇の元凶

 ザリ、ザリ……とダンジョンの床をこちらに歩いてくる音がする。

 それと、『カチカチカチ』というクリック音のような音も。


 明らかに人間ではないだろう。

 俺は油断なく、ニライカナイを抜いて構えた。

 一体何が現れるのか、半分は期待、半分は警戒心で待ち構える。


 やがて、ぬるりと現れたそれは、身長6メートルほどの巨人だった。


 目は無く、鼻も耳もない。ただ歯茎がむき出しになった口を開き、それをカチカチと鳴らしている。全体的に皮膚はのっぺりとした薄いピンク色で、毛は一本も見当たらない。まるで海外のホラー映画に出てくるバケモノ。それが俺の第一印象だった。


 そう、こいつこそが『審判の王冠ジャッジクラウン』を壊滅させた張本人だ。


「……遂に出たか」


 グラトニー。それが配信で呼ばれていた名前だ。


 :あ

 ;やばいな……

 :やっぱ出てくるよねー……

 ;主、撤退しろ!

 :こいつは流石にやばい!

 ;他のルート探せばいいからさ!

 ;ヤバい、俺ちょっとトラウマが……

 ;わたしも色々思い出しちゃった

 ;頼むから逃げてくれーーー! \10000


 逃げろと叫ぶリスナーたち。

 それもそのはず。当時国内最強と呼ばれていた奴らが手も足も出せずに死んだのだから。恐らく、少し前の俺だったら躊躇なく逃げていただろう。


 だが今はそうじゃない。


「悪いな、もう何かから逃げる生き方はやめたんだ」


 同接を見る。1300万人。とんでもない数の人々が、俺の今後の行く末を見ている。


 :かっこつけてる場合じゃないって!

 ;いいからはよ逃げろ!

 ;気付かれてない今ならチャンスだから!

 ;主、流石に今回は逃げた方が良いと思う

 ;『審判の王冠ジャッジクラウン』の二の舞にだけはならないでくれよ……


『カチカチカチカチ……カチッ』


 グラトニーが遂に俺の居場所を探り当てたんだろう、顔をこちらへ向けてくる。

 醜悪な外見だ。見てるだけで不快感が増す。


 まずは小手調べと行こうか。


「爆ぜろ」


 呪言を唱えながら、グラトニーに符を投げつける。

 それは俺の魔力と言葉に呼応して、爆発した。

 呪文符というやつだ。値段はピンからキリまであり、効果の高いものほど当然値段も高くなる。今俺が使ったのは、≪フレア≫の呪文符。値段はたしか5000円くらいだったかな。細かい金額は覚えていない。


 とにかく、それはグラトニーの眼前で間違いなく発動したのである。


 が、煙が晴れた向こうで立ち尽くしているグラトニーは、何事もなかったかのようにまだそこに立っている。その皮膚には、傷一つ見受けられない。


「チッ、やっぱり魔法耐性ありかよ」


 恨み事を呟きながら、次の手を発動する。


「シャリャァァアアアアッ!」


 雄たけびを上げながら、高速で背後に周ってアキレス腱の辺りを切り裂いた。

 流石は自分の愛刀。生半可な武器では一太刀でも浴びせられなかっただろう。

 足の腱を切られてバランスを崩すグラトニーだったが、すぐに治癒再生が始まったようだ、踏ん張りなおすと、再びゆらりと立ち上がる。


 こいつの厄介な能力がこれだった。


 超異常速度での自己回復。

 これのせいで、一瞬で心臓と脳をほぼ同時に破壊しないと、奴はあっという間に再生してしまう。だが、それらを破壊しようにも奴はあまりにも巨大。

 それゆえに、近付くことがまずできないのだ。


 加えて、怪力である。

審判の王冠ジャッジクラウン』のメンバーの一人、タンク役の佐々木ささき まさしが捕まり、雑巾のように絞られて血や臓物を水のように垂れ流して死んだ動画を見たことがあるが、その光景は未だに覚えている。


 あの巨腕に捕まれば一瞬であの世行き確定だ。

 確かなスリルが、冷や汗となって俺の頬をつうっと流れていくのを感じる。


『カチカチッ、カチッ、カチカチカチッ』


 グラトニーは俺を見失ったことに苛立っているのか、手当たり次第に腕を振り回さしている。腕が壁に当たるたびにガラガラと音を立てて土塊となった壁が崩壊していく。対する俺は、決定打に欠けている状況で場を俯瞰していた。


 届かない弱点、当たれば終わりの即死攻撃、どれだけ傷つけても再生してしまう治癒力の高さ。加えて魔法への完全耐性。ほぼほぼお手上げ状態だ。だが、ああ言った手前逃げるわけにはいかない。そもそも、俺が逃げることなどハナから想定してない。


 だが、いつまでもこうしているにはいかないわけで。


『カチッ』


 どうやらグラトニーがこちらもに気付いたようだ。


『カチカチカチカチカチッ!』


 歯を鳴らしながらこちらへ駆け寄って来る、

 俺は飛び上がり、グラトニーとすれ違うように前方に跳躍。その隙に左腕を一本いただいていく。グラトニーは再び俺を見失い、歯をカチカチと言わせながら俺を探している。それと同時、切断面からボコボコと腕が生えてきている。


 では、切り落とした腕はどうなったのだろうか?

 見れば、丁度黒い霧となって消えていくところだった。

 自立運動でもされたらどうしようと思っていたので、これに関しては安心だ。


 それに、今ので勝機も見えた。


 :おいこの男笑ってるよ……

 :正気じゃないって

 :いつもの病気だよ。追い詰められれば追い詰められるほど楽しそうになる

 ;なんだいつもの東雲か(錯乱)

 ;でもここからどうするんだ? 有効な決定打ないし詰みだろこれ。

 :≪皐月のだらだら探索≫そんなことはない。だってあの顔、悪いこと思いついた時の顔

 ;皐月ちゃんがそう言うならそうか

 :≪あやチャンネル≫東雲さん、勝って……!


 俺はある秘策・・・・を思いついた。そしてそれを実行する。

 まずはナイフで手のひらを少しだけ切る。そして、そこから流れる血を符の上に垂らした。これは呪文符ではない。召喚符と俺は呼んでいる。


 契約者の血がこの紙に染みたとき、神獣との契約は果たされ、式神として召喚されるのだ。


「おいで──あんみつ」


 名前を呼ぶと、符が光り輝き、魔法陣からあんみつがやってくる。


 とはいえ、いつもの姿ではない。3メートルほどの黒い巨体に、理知的な金色の瞳。

 ついこの間、アルヘベンを喰らったのもあんみつだ。

 もっとも、あの時は失敗してしまったが。


 あんみつはごろごろと喉を鳴らすと、俺にすりよってきた。


 :もふもふだ!

 :この前の!

 :かわいすぎるううう

 ;もふもふきちゃ!

 :無事でよかった!


「よかったな~あんみつ、皆お前のこと可愛いってさ」

「グルルゥ」


 撫でてやると、甘えるようにさらに頭を押し付けてくる。

 ずっとこうしていたいが、残念ながら制限時間がある。

 グラトニーがこちらに気付くまでの制限時間が。


「あんみつ、頼めるか?」

「…………」


 そう問いかけると、あんみつはこちらに背を向ける。

「乗れ」というサインだ。


「ありがとう」


 礼を言ってあんみつの頭に手を乗せると、あんみつはグラトニーの元に走りだす。

 こちらに気付いたグラトニーは手を伸ばしてくるが、あんみつは俊敏な動きで器用にそれを避ける。これはあんみつがいないと出来なかった荒業だろう。もしかしたら一人でも何とかなったかもしれないが、リスクは大幅に減らせた。


 :あんみつちゃんがんばれ~!

 ;俺もペット欲しい……癒されたい

 :わかる、あんみつちゃんみたいな子俺も飼いたい

 :でも猫が懐くのって相当珍しいみたいだよ?

 :ソースくれ

 :ほい 【URL...】

 ;違う、それはイッコーマンの醤油

 ;どうぞ 【URL...】

 :違う、それは調味料のソース


 さっきまでの絶望感はどこへ行ったのやら、漫才を始めるコメント欄を横目に見ながら、俺はニライカナイを構えたう。後少し。3、2、1──今ッ!


 俺はあんみつの背から飛び降りると、その勢いを利用してグラトニーの細くて気持ち悪いピンク色の両足を切断した。当然、両脚の支えを失ったグラトニーはバランスを崩すと、地響き起こしながら前のめりにに倒れ込む。


「あんみつ! 抑えといてくれ!」

「ガウーッ!」


 あんみつは俺の伝えたいことを一瞬でグラトニーの前方に回り込み、手を避けながらちょっかいをかけまくる。

 その隙に背中まで登っていた俺は、フゥと息を吐いてグラトニーを見下ろした。


審判の王冠ジャッジクラウン』を壊滅させたという個体。

 だが、それほどの力はなかったように思える。何かがおかしい……?

 疑問が頭をよぎったが、今ここでチャンスを逃せば確実に死ぬ。


 だから、俺は迅速に行動を起こすことにした。


「それじゃあ、さよならだ」


 まずは双剣を両方心臓に突き刺す。万が一、左ではなく右側に心臓があってもいいように。グラトニーはビクンビクンと痙攣を始める。もはや、あんみつの相手すらできない程にダメージを受けているようだ。


 俺は双剣を刺したままグリンと捻ると、そのまま頭部まで走っていく。

 当然、剣によって体は割かれ、血が滝のように溢れ出る。

 そして頭部に到達し、一度双剣を抜いて──脳天に突き刺した。


『カッ、カチカチ、カチ……』


 グラトニーは一度だけ大きくのけぞったが、それ以上動くことはなかった。


「勝った……か」

「グルグル……」

「ありがとな、あんみつ。今日は帰ったらご褒美をやるよ」


 そう言ってあんみつを送還。

 グラトニーをマジックポーチに収納し、煙草に火を点けるとそのまま壁際に座り込んで天井を見上げた。


 ;きたああああああああああああああああああああ \40000

 ;やったああああああああああああああああ \50000

 ;すげえええええええええええええええええええ \30000

 ;マジ最強! ホント最強!! ¥8888

 ;これは神回確定 

 ;やっべえええええええええええ

 ;割とマジで日本のダンジョン史に歴史を残した瞬間 

 ;おめでとう!!!! \9999


「あー、みんなありがとう。投げ銭もありがとな。まぁ、あんみつのお陰で勝てた部分もあるから……」


 :謙虚すぎ

 :あんみつちゃんのおかげもあるがお前が成したことだぞ

 ;お前ががんばってきたからあんみつちゃんも応えてくれた

 ;なんなら最初の方から割と余裕な動きしてたしな、普通にすごかったぞ


「お前ら……良い奴すぎかよ」


 胸の奥に熱いものがこみ上げてくるのを感じる。

 俺は頭を下げて、ここまで見てくれたリスナーに感謝した。


 だが、グラトニー一体に当時日本最強のパーティが壊滅させられた理由は、ついぞ分からないままだった。







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