第50話 怨憎の檻

 豪雨の中、黒い合羽を着ながら街を歩いていく。

 久々の大雨だ。雷鳴も轟いている。


 今日は三連休の真ん中、休日二日目だ。


 練馬ダンジョンに潜ったはいいものの、俺は手応えを感じれずにいた。

 小鳥遊たちにとってはそこそこ厳しかったようで、まだ練馬ダンジョンに手を出すのは時期尚早かと思われた。そこで提案したのがこの三連休だ。


 己の鍛錬に使ってもいいし、ゆっくり心身を休めるもよし。


 倒した魔物の素材は大量にあり、しっかりギルドに売った分は平等に配っているので、皆収入も安定している。それに、俺のチャンネルも遂に収益化が通ったからな。 

 だからいいだろうとの判断を下したのだ。


「何か御用ですか?」


 守衛に呼び止められる。

 ここはダンジョンの入り口。その名も板橋ダンジョン。


「探索に入りたい」

「はぁ、それでしたら、ライセンスの提示をお願いします」


 守衛の言葉に従って探索者ライセンスを提出すると共に、顔の照合を早く済ませるために合羽のフードを取り払う。


「ええっ!? し、東雲千紘さんですか!?」

「ええ。その通りです」

「これはびっくりしました……どうか、お気をつけて!」


 もうこの手の反応には慣れた。ピシっと音が聞こえてくるくらい綺麗な敬礼に会釈を返し、俺はダンジョンへの階段を下っていく。


 侵入者を歓迎する食虫植物のように、背後で雷が落ちた。


「……フゥ」


 合羽を脱いで畳み、マジックポーチにしまってから腰にランタンを括り付ける。

 魔光石のおかげで視界はそれなりに明るいが、足元は安全とも言えないから。


 俺はさらにキューブを取り出すと、配信を開始する。


「あーあー、テステス。映ってるか? よし、大丈夫そうだな」


 :きた

 :待ってたぞ

 :外凄い雨降ってるね

 :こういう天気の日に他人のダンジョン配信見るの、すげーわくわくする

 :わかる。俺も今ポテチとコーラ用意してる。あ、これ鑑賞代ね \2000

 ;主、分かってるとは思うけどきをつけろよ

 :主なら大丈夫だとは思うけど、一応……ね

 :万が一が起きたら、かまわず逃げろよ


「ああ、分かってる」


 古参のリスナーたちは、俺のことを『ぬし』と呼ぶ。

 俺が配信を始めた当初から見てくれている古参も古参だ。

 だから、俺の動きにも大した感想は出さない。


 主ならこれくらいやれるだろう。

 主ならこんな状況も抜け出せるだろう。

 主なら何があっても大丈夫だろう。


 俺に全幅の信頼を寄せてくれている人たちだ。

 そんな彼らが口々に気をつけろというこの板橋ダンジョン。

 ここは、いわくつきのダンジョンなのだ。


 かつて、『審判の王冠ジャッジクラウン』という名のパーティが活躍していた。

 探索者たちは彼らに手も足も出せず、尊敬と羨望の眼差しを受ける存在。


 丁度、俺が探索者になることを決めた段階だったこともある。


 彼らの探索配信は毎度沢山の視聴者が訪れ、投げ銭も一回の配信で軽く数千万から億はくだらない額が投げられていた。正直に言おう、俺は彼らに憧れていた。


 人々から尊敬され、愛され、必要とされる存在に。


 だが、運命というのは残酷だった。


審判の王冠ジャッジクラウン』は、ここ板橋ダンジョンで全員が命を落とした。それも配信中に、だ。その様子は今でもダークウェブや一部違法動画サイトに存在している。


 メンバーたちの断末魔の悲鳴、怒号、なにか・・・を咀嚼する音。

 やがて、それすらも聞こえなくなり、完全な静寂が訪れたあとも配信はしばらく続いていた。


 メディアやマスコミはこぞってこの話題を取り上げ、新聞やウェブニュースにも載るほどの大騒ぎだった。あまりの恐ろしさ、凄惨さに探索者を辞める者も続出し、国力の低下を招きかけるほどの影響があったのだ。


 そんな呪われたダンジョンに、今俺はいる。


 当初、この宣言をしたときにメンバーには激しく止められた。


 特に小鳥遊は、涙を浮かべながらも抗議してきたほどだ。

 どれだけ時間が経ったとしても、『審判の王冠ジャッジクラウン』の一件は人々の心に大きなキズとトラウマを遺した、ということだ。


 だが、絶対に死なないこと、必ず生きて戻ってくることを俺自身の誇りに誓って約束したことで、ようやく許された。だからこそ、俺は死ぬわけにはいかない。


 ここは練馬区と同じ、未踏破のダンジョンだ。

 今日、この配信でそれを成し遂げれば、俺たちの名声はさらに高まるだろう。


「それじゃあ、探索開始だ。目指すは最奥。ちゃちゃっとやってやろう」


 声に出しながらホログラムを確認する。

 すると、まだ配信を開始してから数分しか経っていないのに同接は既に800万人を超えていた。皆、怖いもの見たさというやつなのだろう。


 :マジでドキドキしてきた

 :何が出てくるんだろう?

 :上層までは一応慣れた探索者なら安全って聞いた気がする


「その通り」


 俺はコメントを拾い上げる。


「上層までは、どこのダンジョンでも見かける雑魚モンスターしか出てこない。だから、周囲にきちんと気を配っていれば──っと、このように対処できる」


 話している途中で襲い掛かってきたジャイアントラットを脳天から串刺しにして、視聴者に見せる。別にグロ映像を見せたいわけじゃない。単純に、簡単に倒せることを伝えたかっただけだ。


 それからも度々雑魚モンスターとの戦闘を重ねつつ、時折コメントを拾って雑談したりしながら歩いている内に、ボス部屋の前に辿り着いた。


「さて、ここからが問題だな」


 一体何が出てくるやら。『審判の王冠ジャッジクラウン』の時はキリングオーガという魔物だったのを覚えている。だが、それが倒され、誰もここまで踏み込んでこなかったのだ。あるいは──来たはいいものの、殺されたか。


 情報が無い以上、実質完全初見で挑むボス戦だ。

 ダンジョンもダンジョンなだけに、いつも以上に気合いを入れる。


 :がんばれ! \3000

 :応援してるぞー! \1000

 :お前ならいける!\500

 :このコメントは削除されました。

 :気張って行けよ、主!

 :お前が死ぬところなんて誰も見たくないからな!

 :このコメントは削除されました。


「ああ、皆早速投げ銭ありがとな。それから……アンチの君らも、ね」 


 俺はカメラに向かってニヤリと笑う。

 いくつかAIに撥ねられているコメントがあるな。

 遂に俺にもアンチという存在ができたのかと思うと、何故だか嬉しくなる。


 俺は微笑みながら、ボス部屋の扉を開いた。


「……へえ」


 そこに鎮座していたのは、毒々しい色の巨大な竜だった。

 真っ赤な双眸が、こちらを睨みつけている。体調は10メートルほどだろうか。

 かなりの大きさだ。


 :初手ヤバそうなのきた

 :えっと……ここってまだ上層のボス部屋ですよね?

 :明らかに難易度設定バグってて草

 :ワロてる場合じゃないぞ

 :見たことも聞いたこともないな……なんだこいつ?

 :俺も知らない


「──リンドブルム、かな」


 まだ俺が小学生の頃、世界の幻獣図鑑という本を愛読していた。

 おとぎ話の中に出てくるような、神話上の生物。

 もっとも、その神話のような現象が現代社会に出没したので、一概に空想の話とは一蹴できないが。


 :なるほどリンドブルムね

 :俺も調べたら出てきたわ。まんまそれや

 :なんにせよこんな浅い階層に出ていい魔物じゃないね

 :頼むから死ぬなよ東雲! \10000

 :≪皐月のだらだら探索≫やられたら私が許さない


 どうやら皐月も見てくれているようだ。

 なら、ますます負けられないな。


 まずは小手調べだ。

 解体用のナイフを逆手に構えて、相手の出方を窺う。

 リンドブルムもこちらの動きを警戒しているようだ、なかなか尻尾を出さない。


 じりじりと距離を詰めていく。

 リンドブルムも舌を震わせて威嚇してくる。

 突如、リンドブルムの体がぴくりと動いた。


 ……来る!


 直感で横ッ飛びに回避すると、先程まで俺が立っていた場所に長い首が突き刺さっていた。危うく喰われるところだったわけだ。

 てっきり蛇型だから締め付けて殺してから喰うのかと思っていたが、どうやら違うらしいな。



「うおおおおおおおっ!」


 リンドブルムが首を引き戻そうと藻掻いているところに、俺は刀身を薄く魔力で強化したナイフで切り付ける。

 なるほど、柔らかいわけではないが、硬すぎることもない、と。


 俺は少し残念な気持ちになった。


 せっかく作ってもらった双剣。どうせなら、抜き払う価値のある相手に使いたいものだ。だからこそ、俺は今からこの竜を解体用ナイフ一本で仕留めてみせる。


「ほら、かかってこいよデカブツ」

『キシャァァァアアアッ!』


 ようやく地面から首を引っこ抜いたリンドブルムに挑発すると、予想を上回るほどの怒りを感じた。これは好都合。生き物というのは、怒れば怒るほど冷静さを失うのだ。だから、攻撃を避けるのは容易い。


 回避して、切って、回避して、また切って。その繰り返し。


 リスナーたちは飽きてしまったかな、とコメント欄を確認する。


 :よーーーーーーーーーし

 :これならいける

 :どんどん削れてるな

 ;押せ押せー!

 :慌てるなよ、身長にいけ!

 :≪あやチャンネル≫東雲さん、がんばって! \15000

 :≪皐月のだらだら探索≫む、ライバルがきた \30000

 :正妻戦争始まってて草

 :今そういうタイミングじゃないからwww


 どうやら思ってたより皆楽しんでいてくれてるみたいだな。

 それに、小鳥遊も応援しに来てくれたようだ。


「正妻戦争ってのは全く意味が分からんないけど……なッ!」


 動きは完全に見切った。

 俺はすれ違いざまにリンドブルムの右目にナイフを突き刺す。


『ギシャァァアアアアアアッ!?』


 リンドブルムは激痛に身をよじらせて激しく暴れるが、振り落とされるわけにはいかない。決着をつけるなら、このタイミングだと直感が告げていた。


 ならば、俺はそれに従うのみ!


「大人しくしろやあああっ!」


 俺は片手でリンドブルムの鼻の穴を突起物として使うと、ナイフをリンドブルムの右目から引き抜いて、頭のてっぺんに突き刺して体のバランスを取り戻した。そして、その状態で残った左目にナイフを思いっきり突き立てる。


 ブジュウッとトマトを潰したような嫌な感触が手に伝わってきて、嫌悪感に唸ってしまう。両目からはどろりと血と共に何かの液体が流れ出ていて、大分スプラッタな光景になっている。それでも死にきれず、苦痛に藻掻くリンドブルム。


「待ってろ、今終わらせてやるからな」


 そう言って、俺はナイフを最大限の魔力でコーティングし、脳天に再び突き刺した。


 ビクン。一瞬リンドブルムの体が痙攣して硬直したかと思うと、次の瞬間には首を地面に横たえて沈黙した。


「……なんとか勝った、な」


 ;うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお \5000

 ;よっしゃあああああああああああああああああ \20000

 ;まだ最初のボスだけどおめええええええ!! \11450

 :ヤバすぎるwww鳥肌が止まらんwww \9999

 :さすが主! 今回もかましてやったな! 

 :≪皐月のだらだら探索≫さすがチヒロ、やればできる子 \50000

 :にしても何でこんな強いボスが上層に……?

 ;逃げてきたって可能性もあるな。もっと強いバケモノから

 ;ヒエッ

 :ありえなくはない

 ;≪あやチャンネル≫おめでとうございます! 東雲さんっ! \50000

 ;≪皐月のだらだら探索≫ふ、私の方が早かった \50000

 ;投げ銭使ってまで争うなwww


「ほんとだぞー? お前ら金は大事に使えなー?」

 

 言ってからしまったと思ったが、時すでに遅し。


 :そうだよな、東雲の言う通りだ ¥5000

 ;ごめんな、足りなかったよな;; ¥30000

 :これからは計画的に投げ銭するよ ¥40000

 :札束ビンタしてる瞬間が行っちゃん楽しいよな ¥50000

 ;この瞬間のためだけにお前のこと推してた ¥50000

 ;俺高坊だからお金少ないけど、憧れっす! ¥3000

 :とあるベンチャー企業の社長です。こちらの財布事情は気にしないでください ¥50000


「お前らさぁ……でもまぁ、ありがとな。投げ銭助かる」


 そう言いながら、リンドブルムの死骸をマジックポーチにしまうのだった。





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