第35話 呪術師との邂逅
赤い扉を開き、中へと足を踏み入れる。
部屋の中は暗く、血の匂いがつんと鼻をついた。
小鳥遊や皐月も嫌そうな顔をしている。
「んん? 何だ、レライエでも来たのか? ……いや違うな、君たちは誰だ?」
「それはこっちのセリフだよ」
そこにいたのは、小柄な中年男性だった。
「おお、そうかそうか。そういえば、人に物事を尋ねるときは自分から名乗るのが筋だったな。いやはやまったく、長いこと人と接していないと忘れてしまうよ」
男は座っていた椅子を回転させると、こちらに向き直った。
髪はボサボサ、髭は手入れしていないのか伸びっぱなし、眼鏡は何かの液体が飛び散ったのか、薄汚れている。
不潔。
それが最初に俺が抱いたイメージだった。
「私は
森田はそう言うと、眼鏡をクイっと上げた。
「あの黒子たちを作ったのも、アンタってわけか? それにレライエとも繋がりが ある様子。一体何を企んでる ?」
「おいおい、おいおいおいおいおい! おい! 人に名乗らせたんだ、君たちも返すのが常識じゃないか!? 礼儀は果たしたまえよ!」
森田は怒鳴り声を上げる。
突然の大声量に小鳥遊はびくっと身を震わせ、その肩を皐月が抱く。
「チッ……俺は東雲 千紘だ。そんで後ろにいるのが小鳥遊 彩矢に如月 皐月。そしてこいつが──」
「皇 大我です」
自己紹介を済ませると、森田は再び張り付けたような笑顔に戻る。
「よしよし、やればできるじゃないか。では、さっきの問いに答えよう。あの黒子たちを作り出したのは、僕だ」
「…………」
俺たちは黙って言葉の続きを待つ。
「画期的だとは思わないかね? 一度プログラミングを施してしまえば、何でもやってくれる。家事も、雑用も、それに……人殺しだって」
「全く良いとは思えないな。そんなものが世に出回ったら、世界が破滅する未来が容易く見える」
「ハァ……なんてチープな発想なんだ。だから、人間は進化できないんだよ。まぁ、だからこそこうして
「……どういうことだ?」
森田の発言の意図がわからず、聞き返す。
森田は楽しそうにニッコリと笑って、こう言った。
「黒子たちは魔物なんかじゃない。人間なんだよ! それを改造して、私の命令に従う忠実な駒にしてあげたんだ!!」
「そんな……ッ」
「なんてことを……!」
小鳥遊と皇が憤りを見せるが、森田は全く意に介さずニヤニヤと笑っている。
「ようこそ諸君、人殺しの世界へ。どうだったかね? 初めて人を殺した感想は」
「貴様ァァァッ!」
:胸糞悪すぎる
;なんだこいつ
:最低じゃん
:やっちまえ東雲!
:どうせ捕まえても死刑不可避
:こいつだけは絶対許しちゃいけないタイプ
皇は怒りに我を忘れ、抜剣して森谷に襲い掛かる。
が、急に現れた黒子にその道を阻まれ、妨害されてしまった。
「チヒロ、どうする?」
この場にいる仲間で唯一冷静さを保っている皐月が、そう問いかけてくる。
何が正解かなんて、分かりっこない。だが、たったひとつだけ確かなことがある。
あのイカレ野郎をなんとかすることだ。
「まずは皇の援護だ。とはいえ、相手は無制限に出てくる魔物。倒しても倒しても気は休まらないだろう」
一体、これだけの黒子を作るのにどれほどの犠牲を強いたのだろうか。
心の底から嫌悪感が湧いてくる。
俺たちは皇の横に並び立つと、襲い掛かってくる黒子を迎撃した。
「いやぁ、彼らを作るのには苦戦してねぇ。このダンジョンに入ってきた愚かな探索者や、夜遅くに一人で外を歩いている人間たちを連れて来たんだよ。だが、それも飽き飽きしてきた。私はもっと強い黒子が欲しい。……そう、君たちのようなね。私の呪術をもってすれば、最強の人形が作れるはずだよ、フフフ……」
そう言いながら舌なめずりをする森田。
俺は黒子の爪を剣で弾き返し、もう一方の剣で黒子の体を貫くと、言った。
「分かった、もういい。テメェはもう喋るな」
黒子は無数に出てくる。
俺は奥の手を使うことにした。
「皆、しゃがんでくれ」
「はいっ!」
「わかった」
「?」
皆、俺の言葉を信じてその場でしゃがんでくれる。
これで心おきなく使えるな。本当は使いたくなかったが……この物量だ、仕方ない。
「荒れ狂え、
途端、物凄い轟音と共に、無数の青白い雷が駆け巡る。
黒子たちはそれに触れた途端にジュウっと音を立てて消滅していく。
「ああっ、私の最高傑作たちがっ!?」
森田はここにきて初めて狼狽えた様子を見せる。
「終わったぞ、皆」
各々が起き上がると、驚愕に目を見開いた。
壁や天井、本棚などがすべて焦げ付いているのだから。
「これで万策尽きた、みたいだな」
「ひっ、ま、待ってくれ! 話し合おう!」
俺が近づくと、森田はしりもちをつきながら後ろに下がる。
よく見ると、失禁している。その姿はあまりにも滑稽だった。
俺は溜息を吐きながら、笑った。
「話し合う? 何についてどう話し合うって? 俺たちとお前は敵同士。話す言葉なんてないだろう?」
「わ、私と行動を共にすれば分かるはずだっ! ダンジョンの素晴らしさ、探索をしやすくする装備だって作ってやれる! ま、魔物を使役する方法も──ぐああああっ!?」
話の途中だったが、俺は森田の右肩を短剣で貫いた。
「信用ってさぁ、得るのも大変なんだよ? 特に、悪いことをたーくさんしてきたお前みたいな奴ってね。だから無理。諦めてね」
「そ、そんな……ッ! では金だ! 金はどうだ!? 君たち全員が望む額を払うと約束しよう! だから助けてくれ! な? なっ!?」
後ろを振り返ると、全員が冷めた目で森田を見ていた。
当然、俺も。
こいつは本当にロクでもないやつだ。生かしちゃおけない。
偶然入ったと思っていたここ、白金ダンジョンも、もしかしたら何かに導かれて無意識のうちに入ったのかもしれない。いや、必然か。
「それじゃあ、そろそろ幕引きだな」
「ま、待て! 私ほどの頭脳の持ち主を殺せば、この国は大きく衰退することになるぞ! それでもいいのか!?」
「悪いけど、著名人の中でもお前の名前は見たことも聞いたこともないな」
「ひいいっ! 嫌だ、殺さないでくれ!!」
森田は体を丸めて懇願する。
どうやら、俺によって手を下されると思っているみたいだ。
森田は知らない。自分の背後に影が忍び寄っていることを。
森田は知らない。魔物とて意識と自我があることを。
森田は知らない。自分が散々弄んでいたものたちが、復讐の牙を研いでいたことを。
「安心しろよ森田。お前を殺すのは、俺じゃない」
「何を……ッ!?」
「後ろ、見てみな」
俺のその言葉にハッと後ろを振り向いた森田は、小さな悲鳴を漏らした。
そこには、先程俺が放った雷魔法で破壊したポッドから黒子たちが現れる様子があった。
黒子たちは俺たちには目もくれず、森田の元へゆっくり歩いてくる。
「ひ、ひぃっ! 嫌だ! 助けてくれ!」
森田は俺の足に縋りつくと、涙と汗と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をこちらへ向けてきた。不快だったので、振り払う。
「いやだ! こんなところで終わりたくない! 私の研究は、まだ終わっていないんだ! 戻れ、黒子どもよ! 私の命令を聞けぇっ!」
森田は絶叫するが、黒子達に止まる様子は見られない。
恐らく、森田が言うところの「プログラミング」ができていなかったのだろう。
黒子たちは森田を取り囲むと、一斉に襲い掛かった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!! 嫌だあああああああああああああああああああああ!! 痛い、痛い、痛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
ゴリッ、バキッという音と共に響く粘着質な音。
黒子たちの向こうで何が行われているのか、容易に想像できる。
皇は絶句し、皐月は不快そうに眉をひそめ、小鳥遊は顔を真っ青にして口元を手で抑えていた。
それから三分ほど経っただろうか。もはや森田の叫びは聞こえず、黒子たちはゆっくりと立ち上がった。その隙間からは、腹を掻っ捌かれ、ありとあらゆる臓器が引きずり出された状態で死んでいる森田の姿があった。その目からは、血の涙が流れている。
あまりに凄惨な光景だったからだろう。
皐月は小鳥遊を抱きとめると、そっと目を手で覆った。
黒子たちはこちらに向かってやってくる。
だが、敵意は感じられない。その代わり、たどたどしい言葉で話し始めた。
「アリ、ガトウ」
「コレデヤット、シネル」
「フクシュウ、デキテヨカッタ」
「カンシャシテル」
黒子たちは口々に礼を言うと、横一列に並んだ。
その姿は無防備で、殺されるのを待っているようだった。いや、実際そうなのだろう。
「オネガイ、コロシテ」
「ええ、分かりました。どうかご冥福を。来世では、幸せに生きることができるよう祈っています」
そして、剣を一閃。
黒子たちは地面に倒れ伏して、そのまま蒸発していった。
『ありがとう』
最後の最後に、そう聞こえた気がした。
これでもう、他に黒子はいない。
危機は去ったと言えるだろう。
「しかし、弔うこともしてやれないとは……胸糞悪いな」
胸ポケットから煙草を取り出し、火を点ける。
「やった……んですね」
「可哀想だけど、終わらせてあげれてよかった」
「こんな非道を行う奴がいるなんて……ッ!」
皇は悔しそうに地面を叩くと、涙を流した。
彼の気持ちも分かる。
俺でさえ、さっきは激情を抑えるので精いっぱいだったから。
「とにかく、帰ろう」
「そうですね」
「ん」
「せめて何か手向けられるものがあればよかったのに……」
皇の言葉に、俺は反応した。
部屋に戻り、デスクの上に短剣を置く。
使いすぎてボロボロになったものだ。以前の戦闘でボロボロになってしまったため、買い替えようとしていたものだが、弔いの品としては丁度いいだろう。
感心したような表情を見せる皇、それから仲間たちを連れたって、俺たちはダンジョンを出た。
空には、無数の星々が光っていた。
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