第16話 深淵を越えて 

 神谷町ダンジョンは広大だ。

 それこそ渋谷ダンジョンや池袋ダンジョンには劣るが、まだその全容は知られていない。深淵があるだなんて、ただの噂だろうと皆が思っていた。


 しかし、俺は今こうして深淵にいる。


「よいしょっと」


 襲い掛かってきたドラゴニュートの群れを殲滅し、一息つく。

 流石は深淵。見たこともない魔物がうじゃうじゃいるな。


 無数の針を飛ばしてくるハリネズミのような魔物に、上半身がヘビ、下半身が牛の気持ち悪い魔物、鋭利な爪で壁や天井に固着し、こちらに襲い掛かってくる魔物。


 本当に様々な魔物がいる。


 ちなみに命名は、途中から面倒臭くなってするのをやめた。

 だって、サイクロプスとかドラゴニュートならまだしも、他の奴らは神話上とか伝承のどんな魔物とも似つかわしくないんだもの。


 それにしても、ここに来るまでに5時間かぁ。


 俺はスマホでD-Walkerを開いて自分の配信画面をチェックする。

 そこには、【底辺ダンジョン配信者のダンジョン生活】というチャンネル名の下に、5時間前に配信開始と書いてあったから。


 視聴者数は170万人。

 過去に見たこともない数字に小躍りしそうになるが、ぐっと我慢だ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

 小鳥遊ブーストがかかっているからこんなに集まってるだけだし、何より俺は少人数でわちゃわちゃする方が好きだからな。


 どうせすぐにこの波も収まるだろう。

 そう思い直し、近場にあったという理由で腰掛けていた岩から立ち上がる。


 もう結構進んだんじゃないかという自信はある。

 だが、ダンジョンは未知の場所。何が起こるか分からない。


 剣を握りしめ、再びダンジョン攻略に乗り出した。


 :おい主、今日は結局どこまでいくんだ?

 :それ私も気になってた

 ;俺も。こんなサクサク進むなんて、深淵どころか普通の階層ですらありえないのにな

 :主、説明責任を果たしなさい!

 :なんかもう、現実味がなさすぎて俺でも行けるんじゃないかと思っちゃう

 :やめとけ、間違いなく死ぬ ↑


 流れるコメントを見ながら、時折魔物に出くわしては瞬殺する。

 そんな退屈な配信でも見てくれてる人がいるのならば、ちょっとくらいファンサは必要だろう。


「んー、どこまで行くかは未定なんだよね。最初は軽く探索したらオッケーと思ってたんだけど、何か敵も弱いし、どうせなら行けるところまで行っちゃおう、みたいな?」


 我ながら舐め腐った発現である。

 しかし、実際そうなのだから仕方ない。


 確かに見たことがないモンスターばかりだ。

 喰らったらヤバそうな攻撃をしてくる魔物も結構いる。

 けど、ここで「はい、それじゃかえりまーす」というのも何だか違う感じがするのだ。これは俺の安っぽいプライドのせいかもしれないが。


 案の定、コメント欄を見ると「やめとけ」だの「もう充分頑張った」など、俺を労い帰還を肯定してくれるリスナーたちがいる。だが、腐っても俺は配信者。

 こんなに美味しい素材がゴロゴロと転がっている中で、撮れ高もないのに帰るのは何か違うだろうというわけだ。


 呑気に歩いていると、不意に前方に気配。


 剣を構えて待つと、そこからは巨大な女が現れた。

 黒い髪を足のくるぶしあたりまで伸ばし、赤いワンピースを着た女だ。

 そして何より、その目。

 本来眼球がある部分には、目がなかった。真っ暗に落ちくぼんだ眼窩は虚ろで、それでも何故か俺の存在を視認できているようだ。


 女はぶつぶつと小さな声で、意味の分からない歌を歌いながら近づいてくる。


 :ぎゃあああああああああ!!

 :思わずスマホぶん投げた。

 ;何あれ、幽霊!?

 :よく掲示板で聞く例の怨霊とそっくりじゃん

 :何か歌ってる

 :ほんとだ、怖いけど音量マックスまで上げたら聞こえた

 ;歌詞も聞き取れないし不気味なんですけど……

 :東雲、はやくやってくれ!

 :スマホ直視できない;; コメント欄見てなんとか誤魔化してる

 :奇遇だな、俺も

 :あれ、主動かない

 :ってか笑ってね? まさか憑りつかれた?


 好き放題言ってくれるが、俺は何も適当に笑ったわけじゃない。

 ここにきて初めて、やりがいのありそうな相手に出会えて嬉しいだけだ。


『アアアアアアアアアアァァァ……』


 女はこちらに向かって手を伸ばす。

 女の肩の方からゴキリと言う音が鳴った。恐らく脱臼したのだろう。

 それによって恐ろしくリーチの伸びた腕はたやすく俺のいる場所へ到達するが、既にそこに俺はいない。俺は素早く女の懐に潜り込むと、剣を切り上げた。


 しかし──


「刃が通らないッ!?」


 まるで透過するように、剣は女の体をすり抜けて向こう側へ行ってしまった。

 更に、勢いで触れて通り過ぎてしまった手と腕の肘から先が恐ろしく冷たい。


 慌てて飛びずさる俺に、女は真っ赤に染まった口をニタァと開いて笑った。


 そのまま、関節が外れた部分を気味の悪い動きをしながらゴリっと戻す。


「おいおい、マジかよ……」


 :東雲の攻撃が聞いてない!?

 :ってかほんとに無理、トラウマになりそう

 :わかる。今日の夢にでたらおねしょする自信ある

 :それよりも東雲のピンチだぞ

 :今回ばっかりは主でもちょい厳しいか……?

 :いや、でも今までも何回もこういう危機乗り越えてきたし、大丈夫でしょ

 :あの幽霊女も東雲も両方バケモン

 :東雲まだ笑ってる


 どう攻めるか考えあぐねていると、女は両手を広げてこちらに走り寄ってきた。


『アアアアアアアアッ!!』


 体を横にずらして軌道に入らないようにすると、女はそのままの勢いで壁の向こうへと消えていった。と思いきや、次の瞬間には別の場所の壁から現れて再び通り過ぎていく。そして、また壁から……ということを何十回も繰り返し、俺は大体理解した。


「ははーん、なるほどね」


 俺の呟きに、リスナーたちが反応する。


 :対策方法分かったん?

 :流石に消える幽霊相手に攻撃は無意味なんじゃ

 :でも気持ち悪すぎるからサクっと倒してほしい気持ちもある

 :もったいぶらずに教えてくれ!


 俺はコメントを読みながら、ふたたび背後から迫ってきた女をかわすと、攻略法を皆に告げる。


「まぁベタだけど……あいつ、攻撃するときだけ実体化するみたいだ」


 :ほーん

 :へえ

 :うん

 :なるほど

 :納得はできたが理解はできない

 :じゃあどうすんのさ?


「それはだな、こうするんだよ」


 再び女が駆け寄ってくる。

 だが、今回俺はあえて何もせず、棒立ちの状態で女を待った。


『キャハハッ、アハハハハハッ!』


 俺が避けようとしないのがお気に召したのか、女は笑いながら全速力でこちらへやってくる。なるほど確かに気持ち悪いな。見た目はホラー映画に出てくる相手そっくりだし、さっき感じた悪寒はいわゆる霊障みたいなモノだろう。だから、捕まってやるわけにはいかない。


 だが、その作戦をバラすこともできないため、俺はあえて優しい顔をして、両腕を女の真似をして広げる。


 そして、女が俺に到達する瞬間──


「どおっせえええええええい!!」

『!?』


 渾身の力で女の顔面を殴り飛ばした。

 女は何バウンドもしながら通路の奥へと吹っ飛んでいき、最初はピクピクと痙攣していたがやがて動かなくなった。そして、消え去っていく。


「ふう、当たりだったな」


 :ふう、じゃねえよwww

 :いくら幽霊とはいえ女性に顔面パンチとは……w

 :容赦ねえなwww

 :捕まってたらどうするつもりだったんだ?w

 :そりゃもう二人きりで抱き合って愛の夜を……

 :通報した

 :はいこれは事案

 :もうお前一生コメントするな

 :ひっど!?


 なんとか博打に成功したわけだが、外れてたら今頃俺の命はなくなっていただろう。

 そう考えると、冷たい汗が首筋を流れた。

 久しぶりだな、命がけの戦いをするなんて……。


 この高揚感が冷めやらぬ内に、さっさと次へ進むことにしよう。


「そんじゃ、次行くか、次」


 俺は手短にリスナーにそう告げると、ダンジョンを再び歩き出す。

 ここまでに狩ってきた魔物の数は順調。マジックポーチのおかげで、大荷物にならなくて済んでいる。


 横道から現れた全長10メートルはありそうな蛇型の魔物の頭頂部をぶっ刺す。

 天井から降ってきたデカいカエルのような魔物を真っ二つに切る。

 通路の向こうから雪崩のようにこちらへ向かって走ってくる狼型の魔物を蹂躙する。


 いつしか、コメントの数は減っていった。

 皆飽きたのかな? と思い視聴者数を確認すると、さっきよりも増えていた。

 まぁいいか。人のことを気にしなくていいのは気が楽だ。


 何だかさっきまでよりも調子がよくなった双剣を振り回し、次から次へと魔物を切り刻んでいく。


 この時、俺は知らなかったんだ。

 まさか、リスナー全員が俺の戦いっぷりを見てコメントをする余裕がなかったことを。


 やがて、俺は深淵の最奥部まで辿り着いた。

 ここに来るまでに1時間半か。結構かかったな。


 ちなみに帰りは問題ない。

 原理は解明されていないが、ダンジョンの入り口に戻してくれるポータルがあるからな。それに乗ればひとっとびというわけだ。


 多分人体を原子? か何かまで細かくして、、入り口まで送り届けているのだろうと俺は考える。まぁ、学者じゃないので全然分からないですけどね!


「さて、と」


 俺は扉の前にどかりと腰を落とすと、キューブに向かい合った。

 ここは安全地帯。魔物が寄り付かない場所だ。多分、奥にいる魔物に恐れて迂闊に近づけないのだろう。では、ボスがやられたら? なぜなのかは分からないが、それでも魔物は近付いてこない。ほんと、何から何まで不思議な場所だよな、ダンジョンは。


「で、これからボス戦だけど」


 :ボス戦きちゃあああ!

 :いっけええええええ!

 :深淵のボスとか絶対ヤバい

 :東雲が死んだらあやちゃんが困る

 :死ぬなよ、東雲

 :≪Nagi≫もう着いたのか、お前ほんとに凄い奴だよ


「おっ、Nagiじゃん。まぁな。俺が本気出せばこんくらい余裕よ」


 俺はわざとらしく鼻の下をこすりながら、そう言った。


 :うぜえwww

 :けどちゃんとした実力あってのこれだから怒るに怒れないんだよなぁw

 :トイレ行きたいんですけどボス戦まだですか!

 :行ってくればいいじゃん

 :でも心配っちゃ心配……

 :そりゃ情報もなんも出回ってないボスだからな……

 :だって深淵攻略したのって世界でも東雲が初めてだし

 :海外勢ですらいけてないってマジ!?

 :この前アメリカのトップクラン≪ウォーデン≫がコロラドダンジョンの深淵入った瞬間壊滅しかけて敗走してたよ

 :だっっっっっさ


「おいおい、あんまそういうこと言ってやるなって」


 俺は苦笑しながら、やんわりと窘めてやる。


 :たしかに

 :日本のダンジョンとはまた違う魔物もいるだろうしな

 :俺がわるかった;;

 :ええんやで

 :あやまれてえらい

 :あったけえなぁ

 :主の人徳


 うちのリスナーも、小鳥遊のリスナーも、仲良くやれているようで安心した。

 まぁ、俺としてはお帰り願いたいのだが。そんなことを直接言って傷つけるのもはばかられるので、あえて何も言わない。


 俺は立ち上がり、後ろを振り返った。

 装飾こそ深層にあったものより豪華だが、今回は特に変な文言も書かれていない。


「さて! 小休憩おしまい。それじゃ、行くぞー」


 コメント欄が湧くのを横目に、俺は扉に手を掛けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る