短編集
阿_イノウエ_
令嬢に向いていなかった少女の話
一粒涙が頬を滑り、足元の床に落ちる。私の両隣の騎士が息を飲むのがわかった。
彼らの剣は私が婚約者に近寄らないよう、私の前に交差してかざされているだけで私自身は拘束されてはいない。
訓練されている彼らは例え私がなにか行動を起こしても直ぐ様取り押さえることが出来るだろう。
妙にすっきりとした心地だった。
今零れた一滴が私の後悔も苦悩も恨みも悲哀も、黒い感情を温かい情もろとも捨ててくれたのかもしれない。
どうしようもない状況に諦めたというには違和感がすぎる爽快感に似たものが私の心を支配していた。
私にはもう何も無い。
何をしようと誰にも迷惑はかけないし処刑される未来は変わらない。
表向きは国外追放だけれど、生き残るかもしれない不安要素などない方がいい。そのうち殺されるだろう。
私程度が反抗したところで何が変わる訳でもない。
怖いけれど気負うことはない。
婚約者はともかく、親にも捨てられた。
信じて貰えなかったのは辛いけれど、もう令嬢でなくなったのは救いだろう。
最期くらい自由にやろう。
もう淑女である必要はないのだから。
私は隣の騎士が腰に差した副装備の短剣を抜き取ると大きく1歩下がった。
勘違いした悲鳴が上がる中、自分の長い髪を掴み短剣を宛てがい斬ってしまう。
令嬢の嗜みとして磨いてきた自慢の髪だったがもう要らない。
肩までの長さになって、随分頭が軽い。
動きづらいドレスも短くしてしまうか悩んだが、どうせ後で質素なものに着替えさせられるだろう。これは家の財産でもあるから勝手に切り裂くのは良くない。
着れる人が居なくても売ってしまうことは出来るのだから。
静まり返ったホールで奇行をしだした私に集まってきた騎士に短剣と髪を渡す。
捨ててしまうものを渡すのは心苦しかったが、ホールを散らかすわけにもいかない。
両手が空いたので、今度は婚約者の証の耳飾りを外し、別の騎士に渡す。これももう要らないものだ。
他のネックレスや髪飾り、靴さえも騎士たちに手渡した。
靴を脱いで渡そうとした時は流石に止められかけたが、微笑んでこう言えば黙り込んだ。
「囚人には要らないものでしょう?それにこれは公爵家の財産ですから。もう娘でもない私が使えません。」
そして身につけるものがドレスだけになって身軽になった私は、呆気にとられている紳士淑女を後目に、元婚約者を真っ直ぐに見据えた。
「それでは殿下のご命令通りに私はこれで失礼させていただきますわ。知人として御二人のご婚約をお祝いしたいところですが、囚人である元婚約者からの祝福の言葉など不快に思われるでしょう。もうお会いすることもないでしょうし、御容赦ください。さようなら。」
スカートを摘み、お淑やかに頭を垂れて淑女の礼をする。仕草だけは染み付いた癖のおかげで完璧な淑女だったことだろう。
婚約を破棄され貴族令嬢でなくなって漸く心が軽くなった私は出会ってから初めて殿下を見て心からの笑みを浮かべることが出来た。
彼がさらに目を見開き息を飲んだ気がするが気のせいだろう。先程の奇行に驚くならわかるが、今の挨拶に驚愕する要素などない。
傍らの騎士に牢へ案内を頼む。
差し伸べられた手はもう令嬢ではないからと断った。
会場を出ようと歩きだそうとした時、思い至った。
何も弁解せずこんなに粛々と刑を受けようと行動するなんて、今までの私の無実への訴えを知らないものからすれば(知っているものからも?)、悪事がバレて開き直ったようにしか見えないかもしれない。
足を止めてまだ固まっている聴衆を見廻す。どうせ信じるものなんていないだろうが、私自身が罪を認めることになってしまうのだけは嫌だ。
「言い忘れておりました。私は人に誇れぬことなど何もやっておりません。殿下が仰った罪状など心当たりもございませんし、刑を受けるのは罪を認めたからではありません。信じてくださらないのは残念ですが、誤解を解けなかったのは唯一私の落ち度でしょう。抵抗する術も持ちませんし大人しく受け入れることを決めましたが、罪を認めた訳では無いことせめてこの場にいる皆様だけは知っておいてください。それでは私はこれで。」
今度は両手を前で揃えて、庶民の礼を。丁寧に頭を下げた。
さあ、行こう。
きっと短い間だけれど私は自由だ。
自然と頬は緩んでいた。
涙はもう出なかった。
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清すぎず薄情でもなく自己犠牲的でもなく、勿論悪女でもない。常識的な力のない少女。
政略結婚だったけれど、婚約者が落ちぶれていくのを見過ごすことが出来ず注意していた。口煩く思われていた所をほかのずる賢い令嬢に名前だけ利用された。無実を訴えたけれど、誤解され信じてもらえず刑を言い渡された。表向き国外追放だが不穏分子は殺される。
大人しく穏やかに微笑み遠回しに控えめに訴えるだけであった少女が最期に吹っ切れた。
何が変わる訳では無いが、最期くらい淑女の教えに背いて自由に振る舞いたかった。令嬢として完璧すぎて人間らしさや情が見えず、遠回しな言い様が皮肉に取られ穏やかな口調が含みがあるように聞こえたりなど積み重ねもあり、裏があるという噂を周囲が鵜呑みにしてしまった結果。
愛されていない訳では無いが、家族にさえ誤解され貴族家の冷酷さで切り捨てられた。領民を守るためにも実子とはいえ不祥事を抱えるわけにはいかなかった。
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