求婚は無難で困難

天海りく

プロローグ

「あー。今度も駄目……」

 サンドラは森の木の上で、八度目の見合いに失敗して長々とため息をついていた。

 相手に断られたことよりも、そろそろ嫁き遅れの言葉がちらつき始める十八になっても自分のやる気がわいてこないことが悩みの種だった。

 周囲を見渡せる高い木の枝に腰掛けた狩り装束のサンドラは、大陸北部に広大な領土を持つ大帝国ディシベリアの東の片田舎の小領主ニキフォロフ男爵家の令嬢である。だが、領地は広大な森だけで領民は二十名足らず。森の番人を古くから務めていた一族として爵位をもらい受けているだけで、要は猟師のまとめ役にすぎない。

 今日も木の上にいるのは、四ヶ月に一度神殿によって決められる禁猟区へ密猟者や迷子が入り込まないよう監視するためだった。

 その程度の身分で見合い相手もさほど乗り気ではない。加えてサンドラは容姿も普通だった。黒髪も特段珍しいわけでもなく、顔立ちもそばかすが目立つもののごくごく平凡である。

 特徴といえば背が高いぐらいだ。男達の目線が人差し指一本上ぐらいにあり、同年代の女性の目線は掌ひとつ分下と身長だけなら目立つ。

 そうして身分が低く器量が並でも、賢ければまだ嫁ぎ先が見つかるものだがこれも駄目だった。政治も経済も理解することはとうに諦めている。

「結婚したくないわけじゃないんだけど、今すぐって気分でもないのよねー」

 十六の頃からせっせと兄達や父が見合い話を見つけてはくれるものの、いまひとつ気乗りしなかった。

 相手に不満があるわけでもない。うまくつきあって行けそうだと思う相手なら、今まで何人かいた。だが、あと一年内に結婚をと言われると二の足を踏んでしまう。

 そんな迷いを相手に勘づかれ、必死に繋ぎ止めるほどの身分も器量もないのですぐに断られるのだ。

「問題は、あたしのやる気なのよ。もらってくれるだけでありがたいのよ」

 これからますます縁談は遠のく。分かってはいるが、焦りがまったくわいてこない。

 貴族だろうがそうでなかろうがこの年齢なら長子であれば婿を取り家を継ぐ準備を整え始め、それ以外なら嫁いでいるものだ。

 父と兄達の方がいざ結婚したくなったときに相手が見つからなくなると、当人よりも焦っている。

「結婚しないで、一生ここで森番が嫌じゃないのよねえ」

 今の暮らしになんら不満のないサンドラは、そろそろ場所を変えるかと木の下を見下ろす。ちょうどその時、不意にすぐ近くに大きな影が見えて目を丸くする。

 熊かと見間違えるほどの大男が木の陰から出てきたのだ。

 男の大きさはもちろんだが、考え事をしていたとはいえあれだけの体格の主が自分に気づかれないほど、音も気配もなくすぐ近くまで来ていたことに驚いた。

(密猟者……?)

 銀の髪を短く刈り込んだ男は、あたりを伺っている。狩りの下見に見える。近隣であんな大男は見ないのでどこからか迷い込んできたのやもしれない。

「ねえ、ちょっと。そこのあなた! そっから先は、神殿が定めた禁猟区だから入っちゃ駄目よ!」

 サンドラは念のため短弓に手を伸ばしながら、男に声をかける。

「おお、そうか! それはすまんかった。神霊方に無礼をするところだった。番人殿、礼をいうぞ」

 男はすぐさまくるりと振り返り、愛想よく手を振った。思ったよりも男はずっと若く、自分とさして変わらなさそうだった。

「見ない顔ね、迷子?」

「おお。一応、来た道は覚えてはいる。散策をしていたら熊狩りをしたくなって下見に来たのだ。番人殿はこの辺りの森の管理人であろうか。狩りの許可を願い出たい」

「管理人はあたしの父さんがしてるの。そうね、家まで案内するわ」

 サンドラは周囲に人がいないか警戒しながら木から下りる。ひとりが囮で密猟者が他にいる可能性は捨てきれない。

(でも、大丈夫そう。間近でみると本当に大きいわ)

 近づいて見ると、男は掌ふたつぶんは自分より背が高かった。体の横幅はゆうに三倍はありそうなほどで、上から羽織った上物と一目で分かる毛織のマントの下の体躯は隆々とした筋肉がついていることが見て取れた。

 しかし、顔つきは柔和で物腰は上品さがあり、なによりつぶらな瞳がとても純朴そうに思えた。

(すっごくいい人そう)

 どう見ても悪人には見えない。

「そうか。手間をかけさせてすまないな。ふむ、共の者をまいてきたので呼んでおかねばならんな」

 共がいるというのならやはりどこぞの貴族の子弟なのだろうとサンドラが思った時、男がすうっと息を吸った。

「おおおおーい!! 俺はこれから森の管理者の屋敷に行く! お前達も後からついてこい!」

 男の声の大きさはすさまじかった。間近でその声を聞いたサンドラは、あまりの大音声に一瞬目眩がしたほどだった。

「おお、すまん! 番人殿が近くにいるというのに騒がしくしてすまんかった。大丈夫か」

「……え、ええ。かなり、びっくりしたけどなんとか。あ、あたしサンドラ。番人殿って呼ばれるほど大げさなものじゃないわ」

 本気で心配そうな顔でやっぱりいい人だと思いながら、サンドラは自己紹介する。

「いや、神霊方の森を護る立派な役目だ。うむ、しかし名を呼ぶ方がよいな。俺はイーゴルだ。どうにも、後先考えずに行動してしまう癖があってな、すまん」

「それあたしもよくやる。兄さん達と父さんにいっつも怒られるの」

 イーゴルという名が記憶のどこかに引っかかったものの、サンドラは思い出せなかった。

「言われた時には次こそは気をつけねばと思うのだがなあ」

「ああ、忘れちゃうのよね。それでまた怒られるの」

 学習能力がないにもほどがあると何度呆れられたことか。

「なんともならんものだなあ」

「そうねえ」

 お互い同時にため息をついて、顔を見合わせて苦笑し合う。

(こういう人、初めてだな)

 日頃から人見知りしない質ではあるが、こんなにも一瞬で気があうのは初めてで新鮮だった。

「サンドラは気安いな。俺の周りは妙にかしこまった女性ばかりで、見合いの話がきていてもどうにも話しづらい。実は女性が苦手なのかとも思ったが、違うようだ」

 イーゴルが似たようなことを思っていることに、サンドラはどきりとする。

「あたしがこんな性格だからじゃない? というか、あたしもしかしてイーゴルにもっとかしこまらなきゃいけないんじゃ……」

 身につけているものや話の内容から察するに、おそらく相当な名家の子息ではないだろうか。自分のような名ばかり貴族がこんな気安く声をかけるのは、到底許されないほどの。

「いや。かまわん。俺はそのままのサンドラがよい」

 出会ってすぐの相手にそんなことを言われて、サンドラは面食らった。

 その後心拍数が上がって、頬が火照ってしまう。こんな気持ちは初めてでさらに自分自身にびっくりする。

「……う、うん。だったらいいわ。あ、父さんとボグダン兄さんだ。イーゴルの声、父さん達にも届いてたみたいね」

 まごまごとしていたサンドラは父と長兄が馬でやってくるのを見つけて、少し不思議に思う。

 よく見ればふたりとも血相を変えて、慌てふためいている。そしてまだ距離のある場所で馬を降りて駆け寄ってきたかと思うと、すぐさまイーゴルの前で膝をついた。

「皇太子殿下! 申し訳ありません!! 娘が何か、といいますか絶対に非礼を致してしまったかと思いますが、どうかお許しを!」

 父の様相と、何より皇太子という言葉にサンドラは頭が真っ白になる。

「いや、むしろ世話になっていたぐらいだ。おお、お前はボグダンではないか。久しいな。そうか、ここはお前の故郷だったか」

 イーゴルが大様な態度でにこにことしている傍らで、サンドラはやっと思考を取り戻す。

「……皇太子殿下」

 そしてイーゴルを見上げてサンドラは自分の中でもう一度確認する。

「何、気にするな。俺はサンドラの顔を見るのは初めてで、サンドラが俺を知らんのは当然だ。きちんと身分を明かさなかった俺が悪い」

 皇太子の名前を忘れていたというのは大問題ではないだろうか。

 サンドラは人生で一番の馬鹿をやったと、自分の頭の悪さを呪ったのだった。しかしこれが序の口だということは、彼女はまだ知らなかった。


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