レインメーカー
十色綴、
第1話 今日も雨が降る
ふと、空を見上げる。
遠くで雷鳴が轟いている、これは一雨降るか。そう思ったと同時に
「…………、」
どうやら、また影が現れたらしい。
影、それは人の憎しみ、怒り、悲しみ、いわゆる闇から生まれる。影は見境なく人を襲う、故に十数年前までは人がよく行方不明になって帰って来なくなったり、原因不明の死を遂げたりしていたものだ。
だが、それはあくまでも十数年前までの話。今は、影を祓う存在がいる。彼らは「影を祓う者」と呼ばれているが、名前も顔も年齢も性別も知っているのは数少ない人間のみだ。
玄関先のハンガーにかけてあるレインコートを羽織る。
いつもと変わらない着心地、そして少しひんやりとしている。フードを深く被り、家を出る。
今日もレインメーカーがやってくる。影を洗い流す雨と共に。
これは、
影を祓う者達と出会った少女と影を祓う者の話。
今日は最悪だ。天気予報は外れて、雨が降っている。
降らないって聞いていたから傘は持ってきていない。
「うーん……走って帰るか」
と、そう言いながら私、蒼井雫は靴を履く。蒼井ばかりで仕事も慣れない日々が続いている。持っていた鞄で出来るだけ雨風を防ぎながら走る。と言っても鞄も意味を成さないほどの雨だ、濡れるに決まってる。
傘を持って学校に行かなかった自分を責めつつ、小さい頃よくお小遣いを握りしめて行った駄菓子屋さんの前を通る。もうすぐ家に着く。帰ったらまずシャワーを浴びなければ、それから弁当箱をキッチンに出して、それから夕飯も作らないと。そんなことを考えている時、ふと家までの距離がいつもより長い気がした。いや、気ではなく本当らしい。先程通った駄菓子屋の前に立っているのだ。
「あれ、何で………」
頭の中で疑問が絶えず、その場に立ち止まってしまう。
そんな中、どこからか見られている気がした。周りを見ても、人はおらず不気味な程に静まりかえっている。
「早く、帰らないと」
その場から逃げるように駆け出した。
しかし、走っても走っても家には着かない。気づけば目の前は行き止まりだった。この辺りはこんなに複雑な道だっただろうか。引き返し、別の道へ。しかしこれまた家には着かない。雨は一層強さを増してきている。心の中で感じていた異変が徐々に大きくなる。
その時、
「……………、サナイ…ゆ、ル…さない」
と、憎悪と殺意に満ちた声が聞こえた。後ろを振り返る。
そこには、黒い「何か」が佇んでいた。そして、その「何か」がゆっくりと近づいてくる。
「な、何……やめて、近づかないで!」
と、叫ぶが近づくのをやめることはなかった。
そして、
「…………、許さないィ!」
と叫び、襲いかかってきた。咄嗟に目を瞑る。
(だ、誰か!)
心の中で助けを呼んだ──────────
どれくらい時間が経ったのだろう。襲われたというのに、体のどこにも痛みはない。恐る恐る目を開ける、
目の前には、黒い「何か」がいたが、顔と思わしき部分は、忙しなく右へ左へと動いている。何かを探しているようだ。稲光が空を駆ける。刹那、轟音が辺りを包む。
あまりの衝撃に耳鳴りがする。そして、轟音が鳴り止み、耳鳴りも落ち着いた時、黒い「何か」が唸り声を上げた。
「雨雨降れ降れ母さんが……蛇の目でお迎え嬉しいな、ぴっちぴっち、ちゃっぷちゃっぷ、らんらんらん…」
誰かの歌声が聞こえた。それは、水のように透き通った女の声。声のした方を見ると、そこには白いレインコートを着た女がいた。
「やっと見つけたよ…さぁ、大人しくその女の子から離れてくれる?」
女は、黒い「何か」に話しかける。
「う、ウルサイ…!ジャマヲスルナァ!」
黒い「何か」はレインコートの女に向かって襲いかかる。
「危ない!逃げて!」
雫は叫んだ。しかし、女がやられてしまうという心配は必要なかったようだ。
「霧雨」
女がそう言うと、黒い「何か」はまるで霧のように体が変化し、最後には見えなくなった。
「よし、もう大丈夫だよ」
女はこちらに近づいてそう言った。
「あ、ありがとうございます……さ、さっきのは…?」
「あれはね、人の心の影が実体化したものなの。見境なく人を襲ったり、時には命を奪ったりする。ああ、そんなに怖がらなくて良いよ。さっきのやつは私がやっつけたから」
「あなたは、一体…?」
「私達は、影を祓う者。まあ、自分達からそう名乗ることはなくて、人々がそう呼んでるだけ」
「影を、祓う者…」
「そう。それより、さっきの影の姿が君は見えていたのかい?」
「え、はい。声も聞こえました」
「へぇ、珍しいね。影が見えるなんて。私が助けた人の中で影が見えてる人は君が初めてだよ」
「見えないんですか、普通なら」
「そうね、見えないのが普通。なのに影が見えてる……君、面白いね。もしかすると、素質があったりするのかも」
「素質って……まさか、あなたみたいにさっきのと?」
「察しがいいね、まあそういうこと。君の中にも影を倒す力が眠っているのかもしれないね」
「……い、いりません、そんな力」
「そう言われてもねぇ、今更力を捨てることなんてできないし、力を持っていることによって影から狙われやすくなる」
「き、危険じゃないですか!」
「落ち着いて、力を持っていても必ず襲われるとは限らない。例えば、私と君だったら私の方が先に襲われる。影は自分にとって邪魔な存在から襲うからね。だから、君は私についていれば大丈夫」
「そんな、ずっと付きっきりだなんて無理ですよ。私は仕事もありますし」
「ああ、それに関してはこっちに任せて」
「え?」
「まあ、ここからは他人に聞かれると厄介でね。場所を変えようか。あ、このレインコート貸すよ」
取り敢えず、女について行くことにした。レインコートを貸すと言うが、自身は大丈夫なのだろうか。そんなことを思いつつ、女から手渡されたレインコートを羽織りながら、名前を訊いてみた。
「あの、名前は?」
「雨宮桜詩(あまみやおうか)。そういえば、君の名前も聞いていなかったね」
「わ、私は蒼井雫です」
「雫、綺麗な名前だね」
そう言われて、雫は少し驚いた。今まで生きてきた中で名前を綺麗と言われたことがなかったからだ。
「どうしたの、何か考え事でもしてた?」
「あ、いえ…名前を綺麗と言われたのは初めてで」
「そっか……」
そう呟く桜詩は、雨粒が当たる毎にその美しさが際立っているような気がした。艶のある髪、整った顔立ち、シュッとした鼻筋、どこまでも澄んだ蒼い瞳。
「ん?私の顔に何かついてる?」
「とても、綺麗だなって思ってつい、見入っちゃって」
「そ、そう…き、綺麗だなんて。照れるよ」
彼女の頬に少し赤みが増す。照れた顔も、美しかった。
「さて、着いたよ」
連れてこられたのは雑踏の蠢きから少し離れた裏路地。
裏路地、やはり何か企んでいるのか。いや、桜詩についてきた時点で、そんなことを考えていても意味は無い。
裏路地を少し進んだところで、自販機の隣のドアの前で立ち止まった。裏口、といったところか。
「この中だよ。ここからの事は、何があっても人に話したりしないって約束できる?」
「約束……はい」
「よし、良い子だね」
クスッと笑いながら桜詩はドアを開けた。ドアの先には、オフィスでよく見るたくさんの部屋のようなものはおろか、扉ひとつない。ただ、通路の奥にエレベーターがあった。ふと、少しだけ恐怖を感じた。
「大丈夫?怖くない?」
「だ、大丈夫です…怖がりじゃありませんから」
「そうだね、少しからかい過ぎたかな」
ほんのわずかの恐怖を抑えつつ桜詩と共にエレベーターに乗る。桜詩はB8のボタンを押した。エレベーターがゆっくりと動き出す。そして、
(地下八階です)
エレベーターの扉がゆっくりと開く。
その先に待っていたものは、大きいテーブルとそれを囲む椅子。壁には少し古びた革のソファーが置いてある。
他には、壁に取り付けられた大きいテレビ、作業机には最新型であろうPCが置かれている。
「ようこそ、私達の拠点へ」
「ここが、拠点…あの、私達ってことは他にも?」
「ああ、いるよ。疾風〜、帰ったよ〜」
「騒がしい…もう少し静かに出来ないのか」
声の主は仮眠用の簡易ベッドから身を起こし、少しの苛立ちを交えた目線をこちらに向けた。
女は少しサイズが大きい白衣を着ていた。研究員か何かだろうか。
「仮眠中だったの?それはごめんじゃん。今日で何徹目?」
「………三徹、といったところか。で、そこに突っ立っている女はどこで拾ってきたんだ?」
「拾ってきたとか、猫じゃないんだから。私がついてきてって言って、頷いたから…」
「確かに、猫の場合は人間が相手の承諾を得ずに連れていく。だが、今回は承諾を得ているから猫とは別か……今はそんなことはどうでもいい。その女は何だ」
「この子は蒼井雫。影に襲われてたところを助けたの」
「助けたからって、何故態々連れてくる?今月は先月に比べ影の出現が極端に少ない。今まででこんなに出現しないことはなかった、何か良くないことの前触れかも知れん。もしそうなった時のために備えなければいけないというのに、この女を世話する暇なんざあるわけない」
「私が何の理由もなしに連れてくると思う?」
「何か、特別な理由があるようだな?聞かせてもらおうじゃないか」
「この子は、影に襲われた時、影の姿を見たの」
「何だと!?」
白衣の女は簡易ベッドから飛び出し、
「いつ、どこで襲われた?影はどんな姿だ?姿が見えたということは、声も聞こえたのか?」
と、質問の雨を降らせた。
「えっと、その……」
「ちょっとちょっと、雫が困ってるわよ」
「…私としたことが……すまない、影を祓う者以外で影を見た者と会ったのは初めてでな。私は夜桜疾風、影を祓う者であり、桜詩のタッグパートナーだ」
「そうなんですね…そして、ここはどういう組織で?」
「疾風の言った通り、影を祓う者の拠点。と言ってもここは、第弐団だけどね」
「は、はぁ………」
その言葉に呆気にとられていると、
「それと、私達は政府公認の組織。影が彷徨いて人を襲ったりすると治安も悪化するし、政治どころじゃないみたい」
「なるほど、何だか安心しました」
「良かった。最初はついてきてって言われて不安だったろうけど、もう大丈夫みたいだね」
「なあ桜詩、連れてきたのは良いが雫をどうするつもりだ」
「もちろん、新たなメンバーとして迎え入れる」
「断固反対だ。例え力を持っていても、使い方も知らない奴に影を祓うことはできない」
「最初から戦場にた立たせるわけじゃない。それに、何か良くないことが起こるって言ってたし、万一それが現実になって私達だけでは対処出来なくなったら?メンバーが1人増えるだけでも戦力は上がる」
「何を言う、私達は第弐団だぞ。すなわち、軍の中で2番目に優れた団。余程のことがない限り、対処できないなんてことは無いさ」
桜詩と疾風の間に不穏な空気が立ち込める。
「あ、あの……私、帰っていいですか?」
と、雫は切り出した。
「ほらな、本人がそう言っているんだ。本人の意思を尊重するしかないさ」
「くっ………それは、そうね。ごめんね、散々振り回して、迷惑だったよね」
「いえ、そんなことは…助けて貰いましたし、迷惑をかけたのはこっちですよ」
「雫、ここでの話は何があっても他人に話すなよ。政府公認とはいえ、名前も顔も知られていないんだ。そんな未知の存在に守られている人間は当然だが不快だろう。政府の犬、と言って貶す一般人もいる。もし、誰かに話せば、そいつらの矛先がお前に向けられることになる」
事の重大さに唾を飲み込み頷く。
「帰り道は、来た道を戻るだけ。家まで送らなくて大丈夫?」
「もうよせ、私達が無理に関わることもないさ」
「……じゃあね、気をつけて」
「はい。お邪魔しました」
雫はエレベーターに乗り込み地上へ。雨は降り続いていた。
何だか、不思議な感覚だ。影が見えるだとか、力だとか、全く知らない話ばかりだったからだろうか。
まあいい、家に帰って寝てまたいつも通りの日々を過ごすだけだ。何時間ぶりだろうか、玄関の前に立つのは。鍵を開け、玄関に入る。そこで、あることに気づく。
レインコートを返していなかった。道理で道中濡れずに来れたわけだ。あまりの出来事の多さにレインコートを着ていたのを忘れていた。返しに行かなければ。
そう思い、再び外へ出た。記憶を頼りに拠点まで向かう。その途中、もうすぐ裏路地にたどり着く道で、桜詩達の言っていた影らしきものが群れとなっていた。
影はこちらには気づいていないようだった。
(き、気づかれないように後ろを通って……)
息を殺し、ゆっくりと足を動かす。とてもゆっくりだが、こうする他ない。あと少しで、裏路地だ。そう思った時、気が緩んだせいか足がもつれて転けてしまった。
(早く、起き上がらなきゃ)
顔を上げた時、こちらを向いた影達と目が合った。
「ヴ、ヴぅぅ゛…」
影はゆっくりと近づいてくる。
今度こそ終わりだ。さっきは運良く桜詩に助けられただけで、その桜詩はここにはいない。
影が襲いかかってくる。
「ヴァア゙ア゙!」
(嫌!来ないで!)
心の中でそう叫んだ時、影の動きが止まった。いや、降っていた雨の粒も、宙で止まっている。
「じ、時間が止まった?私が、止めたの…?」
そうとしか思えなかった。だが、時が止まったとは言え、どうすれば良いか分からない。
(ああ、何て自分はちっぽけで何も出来やしないんだ…)
と、心の中で嘆く。その時、
「おぉ〜?これ、雫ちゃんがやったの?」
聞き覚えのある声がして、振り返るとそこに桜詩がいた。
「桜詩さん…私、レインコートを返しに」
「ちょうど今私もそれを思い出してね、届けてくれてありがとね」
「影、たくさんいますね…」
「どうやら疾風の予想が的中したみたい。これじゃまるで影の百鬼夜行だよ」
「何だこれは、まさか雫がやったんじゃないだろうな?」
桜詩の後ろには疾風もいた。
「心の中で来ないでと叫んだら、影が止まって…」
「ふむ、桜詩は水を司る。コードネーム、レインメーカー。私は風を司る、コードネーム風の旅人。お前の時間を止めた力を見るに、刻と空間の管理人と言ったところか」
「雫ちゃん、時の戻し方分かる?」
「も、戻し方…えっと……」
分からずもじもじしていたところに突然、目の前に時空の歪みのような穴が開いた。
そして、その奥から一冊の古びた本が出てきた。表紙には刻乃書(ときのしょ)と書いてある。ぱらぱらといくつか頁を捲る。そしてとある頁に気になることが書いてあった。
『己が望めば、刻は止まり、その逆もまた然』
と書いてある。その次の分には、
『影の存在を時空ごと消し去る。影だけに限定せずとも、万物にもそれは該当する。全てはこの書を司る人間次第』
「なるほどねぇ……雫ちゃん、今から採用試験を始めるよ」
「し、試験?」
「そう。私達の拠点のメンバーとして採用するか動画の試験。」
「…分かりました」
止まったままの影に近づき、
「我、影を消し去らん」
書に書いてあった言葉を復唱した。
すると、それまで動かなかった影は身悶えしながら時空の歪みの中に吸い込まれて行った。
そして、再び雨が降り出した。
「……疾風、ダメかな?」
「ふん、好きにしろ」
「やったぁ!それじゃ、雫ちゃんは今日から第弐団の新しいメンバーとして採用!」
こうして、雫の世界は色を変え形を変えた。
これから桜詩達と、人々を救うために影を祓う。
その使命の重さに押しつぶされそうになるが、独りじゃない。傍には桜詩達がいる。
こうして、影を祓う者として生きていくことを決意した。
────────────────────続、
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