第02話「魔王と勇者」

「ふぁ……あふ」


 進玄しんげん 海流かいるは、人目もはばからず大あくびをした。

 あまり髪型にこだわりのなさそうな中途半端な長さの黒髪、やぶにらみで切れ長の目。

 真面目な顔をしていればそんなに悪くない見た目のはずが、ワイシャツの第二ボタンまで外して裾をズボンに入れない格好は、必要以上にだらしなく見える。

 弁当を食べ終えたばかりの昼休み、教室の端の席で。

 初夏の日差しは風に揺れるカーテン越しにぽかぽかと温かく、海流はにじんだ涙を指先でこすり、机に突っ伏した。


「なんだよ、またゲームで徹夜でもした?」


「いや、ちょっとな」


「ま、いいや。目の覚めるもん見せてやんよ」


 クラスメイトが週刊マンガ雑誌の巻頭グラビアを広げる。

 そこには同年代くらいの女の子の健康的な水着姿が並んでいた。


「……これ新居田あらいだじゃん」


「おお、エロくね?」


 グラビアの主は新居田あらいだ 玲菜れいな

 同じクラスの女子生徒だ。

 新居田の両親が芸能人で、本人も子役としてドラマに出ていたというのは海流も知っていた。

 だが今は剣道部で全国大会に出るほどの活躍をしていて、芸能活動はあまりやっていないという噂だった。

 全国高等学校剣道選抜大会のポスターにモデルとして映っている程度のものは見たことがあったが、やはり同級生の水着姿というのは、かなり衝撃的だ。


「ちょっとよく見せて」


「なんだよ、なんだかんだお前も好きだねぇ」


「ちが……まぁいい」


 海流は雑誌を持ち上げ、玲菜のへその下あたりをまじまじと凝視する。

 へその下から水着までのすべすべしたお腹に、うっすらと輝く剣の紋章が浮かび上がって見え隠れしていた。


「これは……どう見てもアレだな」


「なになに?! なんかイケナイもの写っちゃってたりする?!」


「だからちがうって」


「なにがちがうんだよ! ヘア的なものとかか? おい! オレの本だぞ! 教えろ!」


 数人で雑誌を囲んで盛り上がっていると、不意にひょいと取り上げられる。

 そのまま雑誌を追って視線を上げると、そこには少し頬を赤らめた玲菜れいな本人の顔があった。

 グラビアと同じ明るい色の髪だが、今は三つ編みにしている。

 透き通るような白い肌、長いまつ毛に縁どられた大きな瞳。

 ぽってりとした唇は濡れたように輝き、困ったように笑っていた。


「さすがに隠れてやってよね、そういうの」


「……ごめん」


「あ、買ってくれたのはうれしいんだからね。最近お呼びかかんなくて」


「え? 部活忙しいから仕事断ってたんじゃないの?」


「いやいや、仕事優先でしょ普通。でも、いくら仕事でも恥ずかしいものは恥ずかしいのよ」


 だから家で読んでと屈託なく笑って、玲菜は雑誌を返す。

 そのまま自分の席に戻ろうとする玲菜の背中へ、海流は声をかけた。


「新居田、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、時間いいか?」


「なに? いいけど?」


「ちょっとここじゃ話しづらい。場所を変えよう」


 席を立ち、廊下へ向かう。

 教室から湧き上がる歓声と囃し立てる声を背に、二人は屋上へ向かった。


「なによ、あたし芸能人だからこういうの困るんだけど」


 鍵のかかった屋上の出入り口付近。

 壁に寄りかかった玲菜が、先ほどよりさらに頬を赤らめて前髪をいじりながら、まんざらでもなさそうな顔をしている。

 周りに誰もいないことを確認して、海流は口を開いた。


「新居田、『エリュシオン』って聞いたことあるか?」


 告白されると思い込んでいた玲菜は、たっぷり5秒動きが止まる。


「……しらないけど。なに? ゲーム?」


「そうか、記憶はないのか」


「なに? 用がないならもう帰るけど」


 ちょっと怒ったような玲菜に向かって、海流は無言で自分のシャツをめくりあげた。

 慌てた玲菜が逃げようとして壁にぶつかる。


「ちょ! お、大きい声出すよ!」


 壁沿いにじりじりと逃げようとする玲菜によく見えるよう、海流は自分のわき腹を指さした。

 そこには、今まで誰にも見せたことがない魔王の紋章が輝いている。

 パニックになりかけていた玲菜は、その紋章の輝きを見てまた、動きを止めた。


「新居田……いや、勇者レイナ・アルトリウス。ちょっとスカートめくって腹を見せてくれ」


 海流は躊躇ちゅうちょなくスカートに手を伸ばす。

 壁沿いに置いてあったモップに手が触れた瞬間、顔を真っ赤にした玲菜は、思いっきり面を決めた。

 全国大会の常連、剣道三段の面である。

 進玄海流――いや、魔王カイル・ヴァレリアスは、頭を抱える暇もなく、踊り場に崩れ落ちた。

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