ヒロインは逃げだした

小春凪なな

一章 王子様に相応しい者

第1話 村娘と王子の恋物語





 バシャバシャと水の溜まった桶に野菜を入れ、土の汚れを落とす。洗った野菜を籠に入れて、水が濁ったら捨て、新しい水を魔法で補充する。その繰り返し。


 ここは国の東が海に面したヴォヌレ王国領内の南西部に位置するオスタン男爵領ルメルパ。農業が盛んな村で今日は保存食になる乾燥野菜用の野菜を洗う手伝いをしている。洗っても洗っても終わりが見えないその作業を手伝っていた。


「ふぅ……」

「エルテー。そろそろ休まない?」


 作業が一段落したのを見計らったようにやって来たのは村で一緒に育った幼なじみのテーリェ。


「そうだね。そろそろ休もうかな」

「やったー!休憩時間だぁ!!」


 1人で休んでも良かったのに態々一緒に休憩をしようと誘って来てくれたテーリェが喜びの舞を踊り出したのに思わず笑顔になった。


「今日はねー。お母さんがお弁当を渡してくれたんだー!エルテにも分けてあげるね!」

「ありがとう。今日の具材にテーリェの好きな肉団子があるけど食べる?」

「食べる!えへへっ!エルテの家の肉団子美味しくて好きだなぁ、ソースがまたいいんだよ~」


 喜びの舞が終わったテーリェとお昼のお弁当に思いを馳せながら、荷物が置いてある場所へと歩いて行く。


「キャー!」

「カッコいいー!」


 近付いて行くにつれて、村の女子達の叫び声が聞こえてきた。


「…何だろう?」

「騒がしいね」


 テーリェと首をかしげながら近付くと、一緒に手伝いをしていた子達から村のお母さん方まで、誰かを遠巻きに囲んで見ているようだった。


「こっ、こっちに来た!」


 状況がよくわからずキャアキャアと華やいでいる村の女の子の誰かにこの状況について訪ねようかと思った時、騒ぎの原因の誰かが動き出したらしく、みんなが慌てて動き出した。


「えっ、何?」


 訓練を受けたプロのようにキレのある動きでザッ!っと進行方向に道が出来た事に驚きつつ、これから何が起きるのかと狼狽える。


「…キレイな人………」


 「キャー!」と喜声を上げる女性達で造られた道の奥から歩いて来た人物に目を奪われた。


 素人目でも分かる程にオーラが溢れ出ているその人物は、王子様の言葉が似合う容姿をしていた。

 太陽の光に照らされキラキラとした金髪。エメラルドを嵌めたような魅力のある緑色の瞳。美しい顔はどの角度で見ても美しくなるように計算されて作られたかのようだ。

 みんなが道を譲ったのがわかる。不可侵の領域があるような近寄れない、近寄り難い雰囲気がある。


 優雅に歩くその人物が呆然と見とれる私の目の前を通り過ぎて…


「……ああ、エルテ?やっと見つけた」


 通り過ぎず、私の目の前で止まると、眩いばかりの笑顔を向けて言った。


 美形の、正に王子様のような人が私に向かって笑顔を放っている。


「は、はい。そうです…」


 その事実と、まさか話し掛けられるなんて思わなかったので、肯定するのがやっとだった。


 芸術品のような目の前の方の視界に入っていると思うだけで体がガチガチに固まってくる。緊張のピークを今現在も更新し続けている私にその人物は気を悪くしたような様子は見せずクスリ、と僅かに笑うと真っ直ぐに私を見つめて、


「エルテ・オブディア。ヴォヌレ王国の第3王子であるルスフェン・ロネ・ヴォヌレと婚約しゆくゆくは私の妻となってはくれないか」


 そんな爆弾発言を眩いばかりの笑顔で言った。



 


「…………ぇ」


 告白された瞬間、聞き間違いじゃないかと疑った。本当に王子様だったのかという驚きが薄れるレベルで、何かヤバい言葉を聞いた。


 いや、カッコいい王子様を見て私の耳が幻聴を創りだしただけかもしれない。そう思って周りの様子を伺う。


 だが、周りの女の子から「キャァ!」「こ、こくはく、した!」だとか、「エルテが王子様と知り合いだったなんて…」と声が聞こえた。


 成る程、良かった良かった。私の耳だけでなくみんなの耳がおかしくなっただけらしい。そうだよね。こんなに現実離れした人を見たら耳の1つや3つ、おかしくなるよね。


「どうだろう?返事をくれないか」


 現実逃避をしようとした私を現実に引き戻す目の前の、本当に王子様だったルスフェン王子殿下。


「え、あの、その…すみません…えっと」


 だが私は返事が言える程混乱と驚きから抜け出せていなかった。まともに喋れないのがもどかしくて申し訳ない。


「……すまない。困らせてしまったようだな。私は数日この村に滞在する予定だ。その間、ゆっくり考えてくれ」

「はい…ありがとうございます・・・」


 アワアワしてまともに話せなくなっている私にルスフェン王子殿下は優しい微笑みと声を掛けて下さった。少しでも猶予が与えられた事に心の底からホッとする。


「では、エルテまた明日…」

「ッ!」


 そんな油断しきった私の手を流れるように取り口付けをしてルスフェン王子殿下は去った。私の顔がみるみる内に真っ赤に染まったのが見られていないと思いたい。


 兎も角、一息吐けると思っていたエルテだったが、近くで聴いていた子達に詰め寄られ質問攻めにされた。


「王子様に話し掛けられて羨ましい!」

「王子様に見初められるなんて、物語みたい!」

「エルテ!返事は?どうするの?」


 キラキラした瞳のみんなに囲まれると、興奮のままにルスフェン王子殿下の事について聞かれる。


「えっと、それは……」


 苦笑しながら前後左右から飛んでくる声に答えていたエルテの目の前に見覚えのある髪色が抱き付いてきた。


「テーリェ!?」

「みんな!エルテが困っているでしょ!少しは落ち着いてよ!」


 たった一言で止まない質問と感想の嵐をピタリと止ませたテーリェに感激したエルテは俯いたままのテーリェに感謝の言葉を伝えようとした。


「テーリェありが………」

「エルテ!いつ王子様と知り合いになってたの!?」


 感謝の言葉を遮って質問したのは他ならぬ質問の嵐を止めたテーリェだった。


 顔を上げたテーリェはキラキラを通り越してギラッギラな瞳を向けている。1番落ち着いていないのがテーリェだと分かったエルテは腕が引っ張られているのに気が付き、ギラッギラな瞳のテーリェから視線を外して腕を引っ張っている主を見た。


「エルテ、何時知り合ったの?」


 引っ張っていたのは同じく一緒に育ったラシスだった。一言ではあるが眼力が凄い。


「何時知り合ったの?」


 圧も凄い。瞳の奥から涌き出る好奇心は静かではあったものの蛇のような威圧感があった。


「ねえねえ!教えてよー!」

「教えて……」


 救いは無いのかと上を見上げたエルテに腕を引っ張り続けるラシスと、しがみついて離れないテーリェ。


「コラッ!テーリェにラシス!エルテが困っているでしょう!離れなさい」

「「はーい…」」


 テーリェとラシスを離れさせた救いの神はテンラン。一歳だけしか年が違わないとは思えない程しっかりしたみんなのお姉さんだ。


「ありがとう…!テンラン!本当に、ありがとう」

「う、うん、大変だったんだね。エルテ…」


 テンランにお礼を言った私の頬を一筋の涙が伝った。


 お昼のお弁当で肉団子をテーリェよりも多くテンランに上げたのは言うまでもない。




「ただいま~」


 食後に始まりかけた質問タイムからテンランが逃がそうとしてくれたが、テーリェとラシスがテンランを振り切ってしがみつかれた。中々離せなかったがテンランの協力とテーリェ、ラシスのお母さんの登場によってあっという間に引き剥がされた。


「おかえりなさい。エルテ」

「ああ、おかえり」


 そんなこんなで疲れきった私をお父さんとお母さんが出迎えてくれた。

 現在私の家は、お父さんとお母さん、私の3人暮らしだ。姉が1人いたのだが村を出て、街で働いている。


 夜ご飯の準備を済ませて席に着き、食べ始める。食事中の話題はルスフェン王子殿下からの告白についての話で一色だった。


「エルテ、王子殿下に告白されたんだって?」

「うん」

「凄いわよね、王都から離れているこの村に第3王子殿下が来るなんてよっぽどエルテの事が好きなのね」


 柔らかな笑顔で訊くお父さんと、弾んだ声で話すお母さん。2人の話は夜ご飯が終わって片付けをして、お茶を飲む時間までルスフェン王子殿下の話だらけだった。


「ハァー。疲れた」


 自分の部屋のベットに転がると眠気が凄いくる。


 ルスフェン王子殿下に告白されて、あらゆる人に質問攻めにされた。明日、どうなるのかはわからないが大変なのは間違いないだろう。


 思い出して感じる。本当に、こんな疲れる日なんて中々無いだろう。既にうとうとしてきた。


 でも、私はまだ恋を知らない。恋がなんなのか分かっていない私が、ルスフェン王子殿下の気持ちに答えられるだろうか。


 そんな事を考えていたが、いつもはない疲れがあった所為かいつの間にか眠っていた。



 ◇◇◇



「皆さん今日はよろしくお願いします。手伝っている間、私は第3王子という身分ではありますが、他の村の人のように間違っていたら指摘をする等して頂いて構いません」


 翌日の朝、私はルメルパ村で共有している野菜の保管場所にいた。


 春になり村のあちこちで収穫シーズンが来ている。今日は収穫された野菜を町に売りに行く為に荷馬車に積み込む作業を手伝うのだが…


「今日はよろしくお願いします。王子殿下」

「ええ、私はデュランさんと一緒に作業を、と言われたのでよろしくお願いしますね」

「そうなんですか。なんだかドキドキしますね」


 にこやかに話すお父さんとルスフェン王子殿下。周りにはカチコチの状態で立ち、一言も発していない村人達。デュランはお父さんの名前なのだが、何故お父さんはこの状況で何時も通りに話せるんだろうか。初めて知った私の知らない才能だなぁ。


「エルテも今日はよろしくね」

「は、はい。よろしくお願いします。王子殿下」

「…ああ。…昨日と違う髪型も似合うね。とても可愛いよ」


 昨日の今日なので私はドキドキなのだが、ルスフェン王子殿下はそんな様子はなく爽やかに話し掛けられた。


「ッ!?」


 内容は私の心臓に悪いものだったけれど、何はともあれ野菜の積み込み作業が始まった。


「凄いですね、王子殿下。とても速くて丁寧ですね。言うことなんてありませんよ」

「ありがとうございます。デュランさん。皆さんの足手纏いにならずにすみそうで良かったです」


 そう言えば今日のこれは、ルスフェン王子殿下の方から村の仕事を手伝いたいと言い、ヴォヌレ王国の第3王子が野菜の積み込み作業を手伝うという今の事態になった。らしいのだが、どうしてその記念すべき1回目が野菜の積み込み作業なんだろうか。普通なら野菜の収穫作業にするのではないのか。疑問を感じる。


「よいしょ!重い…」

「持つよ。これは私が運ぶから、エルテはあそこにある箱を運んでくれないか?」

「え?はい、分かりました」

「もう少しで終わる。きつくなったら言ってね」


 そうして関係ない事を考えているとはいえ、作業は止めないように箱を運んでいたのだが、疲れから箱を持った瞬間ふらついた。このまま運んだら落としてしまいそうなので、なんとか落とさないように地面に置いた私から箱を流れるように持ち上げて軽いハーブが入っている箱を運んでほしいと言うルスフェン王子殿下。


 風魔法で落ちた野菜を箱に戻し、スタスタと恐らく何十個目であろう箱を持って歩いていってしまった。


「あの、ありがとうございます」

「いいんだよ。無理して怪我をしてほしくはないからね。私はその綺麗な顔に傷が付いてほしくはないと思うよ」


 作業が終わり、一息ついているルスフェン王子殿下にお礼を言いに行った私に、ルスフェン王子殿下はフワリと微笑んで言った。


 その言葉に照れて顔を反らす。作業が始まる前に言われた時もそうだが、私は爽やかな言葉に対する耐性は無いらしく、何も言葉が出て来ない。


「で、では。あ、あり、あぃがとうございした」


 この場に立ち続けるのも気まずいので、礼をして立ち去った。甘噛みしたけど言い直す精神力はもう無いので何事もなかったように走り去る。


「じゃあね。エルテ、また明日」


 背後から聞こえたルスフェン王子殿下の声は良く通って少し離れた私にもハッキリと聞こえた。


 そうしてあっという間に積み込み作業は終わった。



 ◇◇◇



 翌日、収穫した野菜の選別作業をしている人達に食べ物を作って持っていくお手伝いをする事になった。


「お疲れ様です。差し入れを持って来ました。良かったらお食べになって下さい」

「おお!エルテちゃん、ありがとう」


 作った食べ物を持っていき、選別作業をしている人達に向かって言う。


 『休憩時間だ!』と村人が声を上げて知らせると、その声に気づいた村人達がぞろぞろと食事を取りにやって来た。


「やぁ、エルテ」

「王子殿下!こんにちは」

「美味しそうだね。エルテも手伝ったのかい?」

「少しだけですが」


 その中にルスフェン王子殿下もいた。完全に馴染んでいて見つけるのに時間がかかった。


「そう、エルテが作ったのはどれなんだい?」

「え、えっと、この辺りのサンドイッチです」

「それじゃあそれを食べようかな」

「いえ、そんな!形もキレイではないですよ。こちらの方がずっとキレイです!」


 この国の第3王子のはずなのに普通に作業して本当に大丈夫なのだろうか、と最近ずっと不思議に思っている事に思考を奪われていたらルスフェン王子殿下が私の作ったサンドイッチを食べよう、なんて言い出した。村のお母さん方が作ったキレイな物と比べるとちょっとだけ具材が飛び出していて不恰好に見える私の作ったサンドイッチを。

 王子なんだし、もっとキレイな物を食べた方がいいと思い他のサンドイッチを勧める。


「でもそれはエルテが作った物ではないんだろう?」

「それはそうですが…」

「私はエルテの作った食べ物が食べたいんだ。王宮の料理人が作った料理よりも私には価値のある物だから」


 ルスフェン王子殿下はそう言うと、じゃあ食べるね、と私が何か言う前に食べ始めてしまった。使った食べ物は同じ物なので不味くはない、ないはずだけど恥ずかしい。


「…うん。美味しいね」


 モグモグと食べていたルスフェン王子殿下は、ニッコリと微笑んでそう言った。


「あ、ありがとうございます。王子殿下…」


 私はその言葉を言うしかなかった。

 誰が王子様に、それも本物の第3王子殿下に自分が作った料理を褒められるなんて想像するだろうか。いやない。ないから私の頭は驚きと嬉しさと恥ずかしさでお礼を言うのに精一杯になってしまう。


「…ねぇ、エルテ」

「は、はい!なんでしょうか」

「私の事を名前で呼んでくれないか?」

「ぅえ!?」

「私は王子という身分だが、エルテに告白した1人の人間でもある。だから、もっと私の事を見て欲しいんだ。その一歩としてルスフェンと呼んでほしい」


 サンドイッチを褒められた後に追撃がきた。


 まだ話すのにも精一杯な私がルスフェン王子殿下の名前を呼ぶなんて、半年位精神統一の時間が欲しい。そしたらたぶん呼べる。


「…ダメ、だろうか。無理にとは言わないが、名前を呼んでくれたら仲が深まる気がすると思ったんだが……」


 そう思っていたが、そんな時間まで待てなさそうだ。こんなにシュン、としてしまったルスフェン王子殿下を目の前にして無理だの、駄目だのとは言えない。

 そう思ったら口が動いてしまった。


「い、いえ!ダメでは無いです!」

「そうか!良かった。呼んでみてくれないか?」

「……今、ですか?」

「ああ、今此処で呼んで欲しい」


 期待の眼差しを向けるルスフェン王子殿下。やっぱり無理です。なんて言えない瞳だった。私には言う道しか残されていない。


「…ゥルス、フェン王子で、んか……」


 頑張って言ったものの、全然上手く言えなかった。声は消え入りそうな程に小さく、詰まってもいた。下を向いていたから口を動かしたかどうかもわからず、きっと聞こえなかっただろう。


 ルスフェン王子殿下はどんな顔をしているのか。ゆっくりとドキドキする心臓の音を聞きながら私は顔を上げた。


「なんだい?エルテ」


 柔らかな、暖かい、木漏れ日のような微笑みだった。


 つい、見惚れてしまう。それほど、ルスフェン王子殿下は美しくて、優しい笑顔をしていた。


「いえ、な、んでもない。です」

「そうか。フフ、エルテ、ありがとう」


 今、私の顔は真っ赤なのだろう。確認しなくても分かるくらいに熱い気がする。


「エルテの作ったサンドイッチのお陰で元気が出たよ。ありがとう、休み時間が終わったみたいだからもう行くね」

「あ、はい!が、頑張って下さい!」

「ああ!頑張るよ」


 サンドイッチを全部食べたルスフェン王子殿下はまた選別作業の手伝いに行ってしまった。


 その後ろ姿を見て、初日に告白された時に思った高貴で近寄り難い人なんじゃなくて、親しみやすくて優しい人なんだと話して分かって距離が近付いたな、と感じた。


 昨日、今日とドキドキしてばっかりだが、悪いドキドキではなくて笑みがこぼれてしまう出来事ばっかりだった。


 明日もきっとドキドキするけど、笑顔になる1日になるんだろうと思った。




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