生死逆転の国

ユダカソ

生死逆転の国

「いやあ、めでたいめでたい」

「今日は無礼講ですな」

「うちも早くこのような式を挙げたいものです」

人々が晴れ着に身を包み、祝辞を交わし合っている。

神父が何がしかの宣誓を読み上げ、アーメンと言葉の終わりを飾った。

人々のにこやかな視線が集まる先には華々しい棺桶が縦向きに置かれており、中には濁ったまなこを見開き笑顔に表情を固められ、ドレスに身を包んだ死体が置かれていた。


この国では死はめでたいこととして盛大に祝われるのだ。

人生を終え、土に還ることは全ての生命の望みであり願いであるとして、葬式で暗い顔または質素な身なりで及ぶことは大変失礼なこととされていた。

反対に、誕生や結婚は大変深い悲しみを与えるものとして、厳かな雰囲気が求められた。

このような場で笑顔を見せたり、ましてや「おめでとう」と言うようなことは決してあってはならぬこと、生命や尊厳への冒涜であるとして絶対的なタブーとされていた。


それなのに、何故人々は生きるのであろうか、何故結婚や出産に及ぶのであろうか。

全ての人々の疑問であった。

死がめでたいとされているこの国でも、自殺や殺人を自ら行おうという者は稀なのである。

「まさか死を恐れているのか?」

「死を恐れるとは何事か。昔は何もしなくても戦争が起きたりして、みな喜んでその死を受け入れたものだ。」

若者の死離れ……それがこの国の問題であった。

死を恐れたり生に執着をして寿命を伸ばし続けた結果、高齢化が進んでしまったのだ。

もはや若者ではなく年配の死離れが問題ということになる。

「昔はどこもかしこも葬式ばかりでそれは華やかなものであった。」

「みんな酒を飲んだりタバコを吸ったり喧嘩したりして早く死のう早く死のうと焦っていたものさ。」

そのように語る老人たちも死を恐れて自殺に踏み切れない者達である。

死がめでたいとされていても……自分から死のうという気になかなかなれないというのが人間というものであった。


逆に淫姦は推奨された。

男女ともに短い人生を好きに生きようということで、淫らな行いは良しとされていた。

それなのに結婚や出産は大変いかがわしいものとして忌避されているのである。

周りがいくら「早く死ね早く死ね」とまくし立てても、人々は愛を交わし合い新たな生命を誕生させ、人生を謳歌してしまうのだ。

模範的な人間がなかなかこの世にいないことに、浮世を生きる人々は嘆き悲しんでいた。


この国で一番良い死に方は自殺である。次に殺人。その次に病死や事故死といったぐあいである。

自殺は自ら死に向かおうというのだから、大変勇気のある模範的な死に方とされていた。

殺人も推奨され、人を死に追いやる人は慈悲深き人とされていた。

殺された人は運の良い人として、殺人事件に見舞われた人々の親戚は自慢しあうのである。

「私も早く誰かに殺されたい!」

うらわかき乙女はよくこのような願望を持つものであった。

病死は不摂生の場合は本人自らが死を望んでいたのだろうということで、これも模範的な死に方とされていた。

事故死は偶然による死なので、「きっと神様の思し召しだ」と喜ぶ者もいた。

さまざまな死に方がある中で、人々はなかなか自殺や殺人をしようとしないものである。

「我が人生は手放すにはまだ惜しいのだ。」

「愛する人との別離もなかなか喜ぶことができない。」

そういう者が少なからずいるのだ。

そのような者は「不良」とされ、世間から冷たい眼差しを向けられていた。

だが「不良」はなかなか多く、社会的福祉も「不良」によって施されたり、なかなか撲滅に至らないままでいる。

それがこの国も大きな問題の一つであった。


結婚は不良が行うものである。

なので結婚式を挙げようというのは邪教の一つであった。

この国にも結婚や出産をめでたいものとして喜ぶような宗教家が少なからず存在する。

その宗教家はばれると酷い迫害や弾圧を受けるとして、ひっそりと隠れて生きなくてはならなかった。

「人は生まれた時から孤独であり、死ぬまで孤独であるのが最上である」

として、恋人や家庭を持とうとするのは邪教にしか許されぬ悪いことであった。

しかし淫姦は推奨されているのである。

それがこの国の不思議なところであった。


妊娠した者は、子を殺すものであった。

子を育てては死から遠ざけられてしまうとして、見殺しにするのが良しとされていた。

その度に盛大な葬式を挙げる者も少なくなかった。

大半はそのような金が無いので、嬰児の葬式ななかなか挙げられないものである。

しかし人の中には赤ん坊を育ててしまう者が少なくなかった。

なぜだかはわからないが、育ててしまうのだ。

それが人間の本能だと言うのであろうか。

また、何かの機関や組織の後継ぎが必要であるとか、そのような場合も仕方なく育てられるということもよくあった。

「生まれた時から金融業の社長として育てられ、死ぬことが許されず健康を求められ、長く生きることとなってしまった。」

深い悲しみを讃えながらそう語る者もいる。


神が死を人々に命じても、それでも人々は生に縋りつき、愛を育み、平和を保ち、長生きしようとしてしまう。

それがこの国の永遠の問題であり、終わらない性(さが)なのである。

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