第九章 動機

 ゆっくりとした足取りで、杉村さやかは駅の方へ道を引き返していた。急いでいなかったにも拘らず、来たときよりもその距離はずっと近く感じる。

 相変わらずまばらな駅南の人通りを抜け、そのまま南側の改札を潜ると構内に入り、いつもとは逆方向のホームに立つ。

 電光の表示を見る間もなく、直ぐと列車の到着を告げるベルがホームに鳴り響く。扉が、待っている到着予定場所に近づいて、止まる。蒸気が噴き出すような音を立てて扉が開いた。

 並ぶ背中に続いて、さやかは電車の中に乗り込んだ。


             *


『探偵さんへ

 謎解きのヒントになるかどうか判らないけど、証言は全て信用していいと思うよ。

 特に、相田さんの証言、彼女の証言は信用していいものだから…。

 P.S.

 もう一つサービスで言っとくと、遠隔操作できるような機械を使ったトリックは無いから、そのあたりはご心配なく…』


 郁子はスマートフォンのディスプレイを覗き込んでいた。

 そこに表示されているのは当初、秋津の元に届いたメールの転送である。

 差出人は不明なアドレス、犯人からのメール。


 喫茶店。

 二人は向かい合って再び元居たテーブルに着き、中断された推理を再開していた。

 ディスプレイから目を離し、携帯電話をテーブルに置くと、郁子はゆっくりした動作で片側の髪を耳の後ろに掻き揚げた。

 秋津は無言でその動作を見つめる。

「なるほど…」徐に口から漏れた言葉は、様々な意味を含んでいた。郁子は視線を上げた。

「じゃあ、相田さんも、多分本田君もダメか…」

 苦笑気味にそう言うと、郁子は目を閉じ、座ったまま、小さく背を伸ばすようにした。

「まあ、それでも考えが無いわけじゃないの…私は前から、証言者以外の誰かを犯人と仮定して考えてもいたから…。

 とにかく、事件をもう一度おさらいするところから始めるね。

 まず、携帯の指示に従って鍋島さんが会議室の扉を開錠し、そしてそのまま職員室へ引き返した。その直後、会議室の中にいた牧野さんが外に出てきた。

 このとき、錠が留め金から外されていたのは、やっぱり史子ちゃん達が考えてたみたいに、相談室に隠れていた犯人による仕業だと考えていいと思う。行動の動機としては…おそらく不発に終わった仕掛けを作動させる目的だったんじゃないかって思う。さて、それによって、牧野さんは内側から扉を開く事が出来たわけだけど、その時に作動した悪戯に驚いた彼女は、そこにあった錠で再び入り口を閉めた」

 そこで目を開いた郁子は、俯いて視線をテーブルに落とした。

「ヒント通り、相田さんを信用するとして…彼女の見たものが犯人だったとすると…開いている窓から犯人は会議室へ侵入し、窓に内側から鍵を掛けた…」

 郁子は視線をテーブルに固定したまま、自問するような仕草で首を傾げた。

「その行動、つまり窓から会議室に侵入して、立て篭もったことの理由まではよくわからないの。

 まあ、一つ思いつくことがあるとすれば、写真って最後に無くなってたんでしょう? 元々写真は悪戯だから、そのまま放置しておいてもいいかもしれないのに、どうしてか判らないけれど、写真を回収するためにそうしたんじゃないか。っていうことくらいかな。とにかく、その後窓が閉められている事を、牧野さんが確認して、会議室が密室になっている事が判った。

 同時刻、史子ちゃん達は通路で集合していて、えっと、そこからの流れは史子ちゃんが一番覚えている事よね。

 推理のスタートはここから、つまり犯人が会議室の中に居て、みんなが通路に居るという状況、それぞれの入り口を包囲された犯人はどうやって部屋から抜け出し、最後にあんな痕跡を残す事が出来たのか?」

 言葉を切り、秋津の様子を覗うように首を傾げる。秋津は頷くことで先を促した。改めて指を組み合わせた両手をテーブルに置き、郁子は話を続けた。

「当時、会議室の犯人にとって最優先の課題は、猫を閉じ込めることなんかじゃなくて、先ずそこから脱出する事だった筈…だと、わたしは考えたの」

 再び言葉を切り、一瞬考えるように視線を逸らした後、郁子はゆっくりと結論だけを言った。

「犯人が脱出の経路として選んだのは、おそらく隣部屋に繋がる扉」

 秋津は反射的に眉を顰め、郁子の視線を真っ直ぐに見つめ返す。

「…それ」

「隣部屋へ繋がる扉は…」口を開きかけた秋津を無視するように言葉を遮って、郁子は説明を続けた。一瞬の逡巡の後、秋津は暫く無言でいる事にした。

 郁子の態度はとりあえず最後まで口を挟まないで聞いて欲しいという意味であり、これはいつもと違う少女の一面であることを秋津は良く知っていた。

「会議室側から、扉自体は簡単に開く事が出来る…そう、隣部屋からは障害となる机だけど、パイプ構造となっているその下半分の隙間を通って抜け出す分にはたいした障害にはならない…加えて、連なる机の下を這っていけば、端のダンボールの影に逃れる事くらいは出来る…机の下に僅かに残る埃の跡は、机を除けるときに一緒に引き摺られて判らなくなる。そうして、犯人は史子ちゃん達が扉を開くまでガラクタの影に潜み、隙を見計らって、史子ちゃん達が開いた隣部屋の入り口から、退出した」

 秋津は沈黙を守ったまま顰め面を返し、首を横に振った。『それは無い』という意思表示である。

 隣部屋に這い出してガラクタの陰に隠れる、というのまでは良いとしても、その後、三人の目を掻い潜って堂々と入り口を抜ける事は無謀な作戦だとしか言いようが無い。何の説明もないままでは、信じる信じない以前の問題である。もう一度首を振って、秋津は一言だけこう返した。

「それって…可能性がゼロじゃないってだけだわ、無理よ」

 しかし、郁子は秋津の視線をとぼけたようにかわし、補足するようにこう続けた。

「さっき言ったように、犯人にとって、最優先事項は脱出することだったはず。そして、状況から考えて、協力者の存在は絶対に必要。

 確かに、隣部屋には三人が居た。そのうち二人が机を運ぶのに集中していても、もう一人が戸口で見張っている。普通なら隙なんてできっこ無い状況ね。

 でももし、その手の空いている一人が犯人を手引きしていたとすれば? 可能性は飛躍的に向上すると思わない?」


             *


 扉の窓から外を見つめる。薄暗くなりつつある外の明かりは、初めて見る風景。

 自分の帰途とは反対側へ向かう路線。

 しかし、さやかはさほど不安を感じてはいなかった。

 気が付くと、目的の駅へ着いていた。随分長い時間のように感じたが、乗っていたのはたったの二駅だった。

 ホームに立ち、近くの階段から、真っ直ぐ改札を出る。

 降りて直ぐの駅前は大きな時計を中心に、小奇麗な広場になっていた。

 そこを横切って、歩を進める。

 目的地はそう近くはないようだった。


             *


「それって、じゃあ、共犯は?」

「勿論、鍋島さん。ただし、共犯というよりは協力者…ってとこかな」

「…」

 再び言い返そうとした秋津に今度は手のひらを見せて遮ると、郁子は続けた。

「彼女の協力で隣部屋を抜け出した犯人は、抜け出したと同時に、鍋島さんから会議室の鍵を受け取った。そうして、一度外にまわり、開け放したままだった窓から今度は進路相談室に侵入して、直後、甲斐君に電話をし、持ち場を離れさせる。

 彼が離れた事を相談室から確認した後、犯人は通路に出て、受け取った鍵で会議室に侵入。自分が一度脱出に使った隣部屋に繋がる扉を内側からロック――これは状況から考えて史子ちゃんが扉を開く直前だったってことになるわね――さらにパーテーションを移動させてから窓の鍵を開けて、すばやく流しのほうへ回り込み、流し台の下に携帯を仕舞った」

 郁子の説明を聞きながら、秋津はその様子を想像する。

 なるほど、鍵を閉めずに会議室から隣部屋に脱出したという事も、再侵入することで解決する。また、移動していたパーテーションは、脱出の際、窓より入り口扉及び流し付近の様子を隠すための目隠しの役割を果たすというわけだ。

「後は…まあ状況のままね、前田君が窓を開けて、猫が入って…。

 猫の事は完全に例外だったと考えて良いと思う。でも、犯人自身は逆に面白いと思ったのかもね…窓の外は混乱していたし、史子ちゃん達の侵入も未だだった。丁度携帯を放り込んだシンクの下に、やってきた猫を誘い入れて…もっていた錠で」

 扉を閉め、後は入り口から脱出するだけ…指先を口元にあわせ、静かにそう付け加えると、郁子は「どう?」と顔を傾けて見せた。

「なるほど…」そこで秋津はようやく相槌を打った。

 言葉の通り、それなりに状況を説明した解答ではあった。

 猫の件が本来は不必要なオマケだったという事、つまり犯人が会議室を脱出した後の悪戯だったということや、そのオマケの為の再侵入、そしてその他工作を実行する間の安全性から考えて、鍋島直子を共犯に選ぶことは妥当に思えた。

 例えば甲斐が持ち場を離れたとき、それを確認しにいこうとしたのは直子だった。

 もし、だれか別の人間、例えば秋津自身が確認に向かったとしても、そこに居る直子がすぐに犯人に連絡を入れる事が出来る。直子が隣部屋に居る事でその後の犯人の安全性が保障されるのだ。

「たしかに、鍋島さんが共犯だったとしたら、状況から考えて、犯人は安心して事を済ます事が出来たでしょうね」

 うん、と可愛らしく頷いてみせる郁子。が、しかし、秋津はそれに応じる代わりに問いを返した。

「状況の説明としては、いいと思うけど…でも、単純な疑問があるわ」

「何?」

「彼女と犯人が結託していたのなら、彼女の最初の振る舞いは一体どういうことになるの? 錠を掛けたままにしていたという主張や、不発に終わった悪戯…其処に使われた写真が牧野さんのものだったとしても、杉村さんに送られたメールの写真は鍋島さんのものだった…怪しまれる材料ではなくても、それは出す必要の無い…彼女にとって色々な意味で都合の悪い情報じゃない?

 それに、そもそも会議室の悪戯は、鍋島さんと牧野さんを引き合わせるのがその狙いのようにも思えるのよね? 共犯と考えるには、矛盾が多い気がするけど…」

「うん」当然、とばかり郁子は頷いた。

「だから言ったんだよ、共犯というより協力者だって…」

「…どういうこと?」

「多分、彼女は最初はただ呼ばれてそこに来ただけだったんだと思う。彼女が協力者になったのは、最後、犯人が追い詰められてからのことね」

「だから、それってどういうこと?」

「簡単だよ…犯人は、史子ちゃんの作戦が決まる直前に、そう…皆が通路に集まって、異変に気付いたとき、つまり会議室をもう一度開けようと鍋島さんが鍵を取りに行った時に彼女に連絡したんだよ、協力してくれって」

 秋津は再び眉を顰め、郁子を見つめ返した。さらりと笑顔でそれをかわし郁子は続ける。

「彼女には先生と付き合っているという秘密があった、犯人はそれを知っていた」

「脅したってこと?」

「うーん…まあ、言ってしまえばね…でも、もっとも交渉しやすい人間ではあるはずよ…」

 秋津は無言のまま、考え込むように口元を隠して頬杖をついた。

 ――途中から仲間に引き込んだ…か。

 納得できるだろうか?

 郁子が覗き込むようにして問う。

「…納得、できない?」

「いや、なんていうか、悪いって言うわけではないんだけどね。」

 口元を押さえたまま、視線を机に落とし秋津は言った。

「さっき郁ちゃんが言ったように、最後の工作は、オマケでしょ? できたらっていう」

「うん、多分そうだと思うけど」

「じゃあ、そもそも無くても良いのなら。

 つまり脱出する事が第一だったなら、協力者は別に他の人間でも構わないことにならないかな?

 依然として、甲斐君も容疑者である事の否定にはならないような気がするの。まあ、その場合、甲斐君は鍋島さんみたいに途中で引き込まれたって訳じゃなくて、元々から犯人と結託していたと考える事になるんだけど…」

「んー」と、郁子はわざとらしく、唸りにしては濁りの無い音を返した。そして、すぐさま上目遣いに不敵な笑みをたたえた瞳で秋津を睨み返した。

「当時、三つの出入り口を包囲する作戦を提案したのは史子ちゃん。だから、史子ちゃんにほぼ全ての主導権があった。人の配置は、勝手に移動しちゃった牧野さんを除けば他の人が何処を見張るかは、史子ちゃんが決める事が出来た。とすると、協力者がどの配置になるかは自分では選べないかも知れないわけよね?」

 秋津は仕方なく頷いてみせる。それに対し、郁子はやや得意げに人差し指を立て説明口調で続けた。

「だから…犯人としては、どの場所に居ても、自分を会議室から脱出させる事の出来る人物を協力者として選んだはず」

 そこで、にっこりと微笑んで頭を左右に揺らしてみせる。秋津は怪訝な表情を保ったまま、やや斜に構え、上目に不服そうな視線を返し言った。

「それが出来たのが、彼女ってわけ?」

「彼女だけ…ね」

 そう言って、カクンと小首を傾げて見せた郁子に、秋津は肩を狭め、じゃあ、詳しくお願い。と先を促した。


             *


 どれくらい歩いただろうか、ふとかけられた声にさやかは足をとめた。

 そこは一軒の家の前だった。

 低いくぐり門を開いて、数段上がった先に玄関がある。そこに、開錠した扉を半開きにして、家の主が待っていた。

「どうぞ?」

 声に反応するように、さやかは家全体を見上げた、窓から漏れる明かり一つ無い。

 わかってはいたが、やはりほかの住人は居ないようだった。

 頷いて階段を上がるさやかは扉の前で立ち止まった。相手は目顔で入るよう促した。

「うん…」

 扉が閉まる。

「二階行ってて?」

 そう言って、自らは真っ直ぐに奥の部屋に向かうその人物の背中に、さやかは考えるよりも先に声を掛けていた。

「あの…」

 振り向いて、待てとばかり片手を挙げ、

「ゆっくり、後で話すから…お茶入れてくる」


             *


 郁子は机上で指先を組み合わせる。

「うん、協力者が何処に配置されるか…入り口、窓、隣部屋に通じる扉…その何処に配置されても、犯人を逃がすことができる方法。実は何処にいるかというよりはどういう状況にいるかというほうが正確かも知れない」

 そこで少しためを作るように息を吸うと、視線を逸らして郁子は続けた。

「少し条件を分解してみたの。いろんな状況を仮定してみてね、あの関係者の中で、どの状況に置かれても、会議室の中の犯人を逃がす事が可能だったのは誰なのだろう?ってね。それで、考えるとそこまでのパターンはないの。状況ごとの対処法を考えてみるとね。

 部屋の出入り口は三つで、そこを取り囲む人員は、後で入ってきた本田君は別にしておいて、史子ちゃんと杉村さん、鍋島さんに牧野さん、そして甲斐君…ん~前田君もカウントしておくと、六人だから。

 それぞれの配置のパターンが

 ・ 一・二・三と分かれる。若しくは

 ・ 二・二・二に均等に分かれる。もう一つ考えると

 ・ 零・三・三みたいに、二つに分かれる。

 くらいになるかな…他に、六人を均等でない分け方で二つに分けるのが3パターンあるけどそれは、後で説明する意味において同じになっちゃうからOKなの。

 さて、一・二・三と分かれる、というのは実際の状況と一緒ね。実際の状況は入り口扉の前に一人、甲斐君が居たわけだけど、例えばさ、入り口扉は三つの入口の中で唯一、外からロックができるから、錠を下ろしてしまって、後の人員を窓と、隣部屋の入り口に配置したという可能性もあったわけよね。それが零・三・三のパターン。

 で、それぞれの状況で、外に居る協力者はどう対処すれば良いのか?って事なんだけど、実は場所ってそれ程重要ではないんじゃないかって思うの。

 具体的に説明するね。それぞれの入口のどれか、それに、一人か、二人か、三人以上で配置された場合のそれぞれで協力者の取るべき行動を考えると。

 ① まず、一人のとき。

 これは簡単、協力者が一人だけなんだから、その経路から犯人は安心して脱出できる。結局、このパターンを考える限り、実際の状況から考えて甲斐君が容疑者である可能性が高く思えるわけね。

 ② 次に二人のとき。

 二人のときは、邪魔なもう一人を何らかの方法でその場から離れさせる必要がある。これは、甲斐君が最後に受けた犯人からの電話のような手段でね。当然、協力者が居るということで、安心してその場を離れられるように仕向けるってわけ。まあ、少し甘い考えに聞こえるかもしれないんだけど」

 そう言って小さく舌を出して見せた郁子だったが、何故か得意気な口調でその先を続けた。

「でね、最後の…

 ③ 三人以上の場合。

 なんだけど。ここで実際の状況を思い返してみると、甲斐君は自らそこに居る事を主張して、入り口扉に残った。史子ちゃんの一存で入り口扉は締め切っておく事も出来たわけだし、そうなっていてもおかしくなかったわよね。そうしておいて何のデメリットも無いわけだし、その分、他の場所に人員を裂くことも出来たわけだしね。    隣部屋からの侵入に関しても、机を除ける為に人数は必要だったわけで…となると、最初に言ったみたいに、入り口を締め切っていた場合を考えるのが最も重要といえるわけ。

 さて、じゃあその場合には、協力者はどうやって犯人を手引きすればよかったのか?

 状況というのは、窓の外と隣部屋に三人ずつが着いたということだけれど、はっきり言って難しいと思うわよね…隣部屋の場合はさっき説明した方法で何とかなるとしても、ガラクタのような、脱出の際の目くらましが何も無い窓の外に着いた場合はとても難しい。二人で着いたときはともかくとして、自分以外の二人をそこから追い払うわけにはいかないものね。

 じゃあ、この状況を仮定して、鍋島さんを不利な場所に当てはめてみるわね…実際には窓の外の二人は決まっていたわけで、そこに鍋島さんが入った形を考える。甲斐君が史子ちゃん達と一緒に隣部屋に居るって状況」

 秋津は顔をあげ、腕組みし相槌を打つ。

「ありえたかもね。でも、そうなったら犯人は万事休すって感じじゃない?」

「いいえ」郁子は首を横に振った「この配置になった瞬間、がら空きになっている経路が一つあるでしょ?」

 秋津は首を傾げる。

「入り口のこと?締め切ってあるんでしょ?外側から…」

「うん、だけど、誰も見張りの居ないそこは鍵を開けてあげれば犯人は誰にも見つからずに脱出できるわ…」

「鍋島さんはそれができない状況なんじゃないの?」

 不満の声を上げる秋津に郁子は少し面白そうな表情で答えた。

「なんだか、解説しているのに、いつの間にか私がトリックを考えているみたいね、それも実際には使われなかったトリックなのに」

 そう言って、ふふと苦笑を浮かべる郁子。

「この…トリックのミソは、舞台がクローズドサークルじゃないってところよ…舞台は学校、関係者人数の制限された空間ではないという事…委員会に関係する人間は他にも居るということ、勿論鍵の数は限られている。スペアは借りられていないから、入り口扉を開錠する鍵は鍋島さんが持っていた一本だけ…でも、その一本を鍋島さん本人から受け取って、委員会の人間が彼女からこう頼まれば、あっさり扉は開かれる事になるわ…」

『これで、会議室の扉をあけておいてもらえる?』ってね…

 そう言って、少女はウインクして見せた。

「ね? 彼女にしかできないでしょ?」

 笑みを浮かべたまま、郁子は付け加える。

「そもそも外から鍵の掛かるのは入口扉だけだから、犯人を追い詰めるには其処を閉めるというのは当然の主張になる。彼女は自分がもし不利な…つまり窓の外に三人以上で配置されることになっても、入り口を施錠するよう提案すれば、今言った手段でもって犯人を脱出させる事ができる」

 秋津は小さく肩を上げるとともに一つ息を吐いて、腕組みを解くと、肩の高さで両手の平を上に向けた。

 ――確かに、提案する事で犯人を脱出させる事ができたのは彼女のみか…。

 秋津は納得したというよりは、寧ろあきらめたようなジェスチャで言った。

「確かに、うん。判った。他の人物よりも協力者として彼女が有利だということはよくわかった」

「でも? 不満?」

「んー」

 郁子がそう言ったように、秋津は未だ不満そうな顔つきでいた。彼女は甲斐が犯人ではない事をほぼ確信していたし、郁子の言ったことにある程度納得もしていた。

 ――でも、不完全なんだよなぁ。

 納得できなくも無いが、いまいち弱い。つまり、犯人にしてみれば不安が残る作戦を、あれほど大胆にやってのけられるものだろうか? そんな考えが頭を離れないのだ。

 秋津が何時までも考え込んだままで居た所為か、発言したときには自信ありげだった郁子も、次第に不安そうな表情に転じ、上目遣いに秋津の返事を待っている。

 例えば、提案が通らなかったら…。

 例えば状況が少し違えば?

 犯人は逃れる事ができない。

 運が悪ければ、逃れる事ができない?

 考えの中、不意に、妙な言葉が頭に浮かんだ。推理物によく出てくる、少々ありきたりとも思える言葉だった。

「いや、逆転の発想か」

「逆転の発想?」

 思いついた瞬間、思わずそれを口にしていた秋津は、問い返すように郁子が同じ台詞を疑問調で言ったことに気付かなかった。

「そうだ」

「ねぇ? 史子ちゃん? 何、逆転のって」

「いや、ちょっと思いついてさ…もしかしたら、真相を…」

「そう…なの?」

「うん、多分…」

 その返答に、郁子は少しがっかりしたのか苦笑気味に肩を落とした。

「そっかぁ…せっかく考えたのになぁ…」

 小さく肩を上下させてから、郁子は首を振る。

「じゃあ、それを聞こうかな…」

「うん、でも、面白くないよ」

「そうなの…」少し不思議そうに郁子は言った「ところでさ、史子ちゃんは…史子ちゃんはどうして犯人を知ってたの?」


             *


 さやかは、勧められた座布団に座り、俯いたまま、渡されたマグカップの中、琥珀色の液面をじっと見つめていた。

「あの先輩、面白い人だね…秋津先輩だっけ?

 あたしが犯人だって事には気づいてたし…ブログ見てピンと来たらしいよ、あれ、見てないの?

 『私は消える』って書いたんだけどさ…来週の…月曜の分にね…それで…犯人が自分のことを書いてるんじゃないかって思ったんだって。

 で、実際その通りなの。

 あたし月曜にはもうここに居ないんだ…転校するの。

 先輩はうちのクラスに転校する生徒が居ないかって、担任に聞いて、見事あたしがそういう生徒だってことを突き止めたってわけ。

 簡単でしょ?

 まあ、実際には気付いてもらう為に、あたしは自分からあの先輩にコンタクトを取ろうともしてたんだけどね。

 やっぱり、気づいてもらえなかったらアレだしね…立つ鳥後を濁さずっていうじゃない? あれ、違うかな、はは。いやまあ、気付いてもらいたかったんだ。じゃないと、なんだかよくわからない大掛かりな悪戯で終わっちゃうし…それは本当。

 さっきね…あの先輩と打ち合わせしてたんだ。さやちゃんたち全員が集まって、推理する予定だったんでしょ?

 私が犯人として名乗り出たとはいっても、先輩は今日の事件の細かいことは未だ推理中だって言うから…うん、犯人はわかってるけど、How done it.がわからなかったわけだね。まあ、少しヒントをあげて、それはお楽しみにって、とっておくことにしたんだ。

 でね、打ち合わせって言うのは、例の喫茶店でさ、皆が集まって話し合って最後推理が終わった時。つまり結論が出たところで、犯人であるあたしが出てくる。そういうことになってたんだ。

 犯人の独白タイムだね。

 入り口から入るとさ、あたしが来たこと判っちゃうから裏口から…開けてもらってたんだ店の人に。先輩の手配で…でね、少しそこで待ってると、さやちゃんがトイレに入るのが見えたの…その時、さ、ちょっと悪戯してやろって思ったんだ」

 そこで、言葉を切り、ふふっと笑う。

 聞きなれたその笑い声に、さやかはぼんやり顔を上げた。

 いつものように、美倉裕美は屈託の無い笑みを浮かべていた。


             *


「まあ、そういうことなんだ…前日の事件、誰にでも犯行可能だった例の時計の事件だけど…アレにしたって、何が重要かって、仕掛けのある場所に杉村さんを呼び寄せるということが一番でしょ?その日、駅前に寄り道することを提案したのは彼女美倉さんだった。

 今日の事件で言うと、最初に会議室に仕掛けをしておかなきゃいけなかった訳だけど、保険委員だった彼女は、昼休みの会議に出席しているから、その時に戸締りのフリをして会議室の窓を開けたままにしておけば、後の休み時間に侵入して、写真の罠を仕掛けておく事は簡単にできる。

 あだ名の件は自分で始めたことだし、その他の予言にしても、杉村さんに一番近い場所にいた彼女にとって、ありそうな予言を書く事は簡単だったのかも知れない」

 纏めるようにそう言うと、秋津は足を組み背もたれに体を預けた。

「まあ、そんなとこかな…」

「なるほど…」小さく頷くと郁子は少し眉を上げて聞く。

「で、さっき言いかけてた逆転の…っていうのは一体なんだったの?」

「ん?」

 秋津は背を逸らし、頭の後ろで手を組んだ。

「んー。さっきね、郁ちゃんの推理を聞いてて、その中で引っかかった事が二つあってさ…」

「二つ?」

「うん、一つはね。弱みを握って、途中からでも有無を言わさず共犯者に仕立て上げるって言う事…もう一つは、共犯者のことなんだけど、郁ちゃんの言うとおり、一番頼りになる人物として鍋島さんを選んだとしても…実際状況によっては脱出の手引きが難しいことがあるってこと…」

 む? と口を一文字にして、先ほどとは逆に今度は、秋津の言に郁子が疑問符を浮かべた表情で首を傾げた。

「郁ちゃんだって、不思議に思ったと思うんだけどさ…あの状況で、後で追い詰められる可能性があるのにも拘らず、きちんとした脱出経路を確保せずに会議室に立て篭もる…っていうのはなんだか変だと思わない?」

「まあ、それはね…確かに。でも、証言を信用する限り、おそらく犯人は…」

「うん、おそらく犯人らしき人物がそこに入った。誰かがそこにいた、それは確かな事」

「ひっかかるなぁ。それって、入ったのは犯人じゃなかったってこと?」

「多分。まあ、協力者かな。それも、さっき引っかかったことって言ったでしょ?その人物は弱みを握られてて、そこに入るように仕向けられたんだと思う」

 ここで、秋津はふんぞり返っていた姿勢を正し、得意げに組み合わせた指をテーブルに置いた。

「逆転の発想って言うのは、別にすごい事だって言うんじゃなくてね。

 一つ状況に合致するように考えてみたってだけなんだ。今まで考えてたのはさ、会議室に侵入した人物=犯人と考えて、其処から脱出する事がその人物にとって最優先事項だという風に考えていた。

 だけど、それはなんだか矛盾している気がした。よくそんな逃げ場の無いところへ犯人は飛び込んだなってね。

 でも、其処に入ったのが、犯人じゃなかったら? その人物は脱出する必要が無かったとしたら? いや、寧ろ脱出させてもらえなかったとしたら? それが何を意味するのか? 私はね…」

 そこで言葉を溜め、組んだ指先を見つめたまま、秋津はゆっくりと口を開いた。

「それが…犯人がその人物に仕組んだ、お仕置きみたいな意味だったんじゃないかって思うの…」

「それって?」

「犯人、美倉裕美さんは、おそらく…夏樹先生を脅迫したのよ」


             *


「許せないといよりはね…あたしは吃驚したね最初は。

 そういうことが普通にあるんだ…ってね。

 最初に知ったのは牧野さんと先生の関係。牧野さんの手帳拾ったときにさ、中は見てなかったんだけど、実は写真が出てきたんだよね…それがアレ。

 結構楽しんでたのあたし、あまりあの娘好きじゃなかったし。それでね少しその事を調べてみようかなって思ったの。まあ、趣味がいいとは言えないけどさ…二人が実際付き合ってたらそれって…ね? まあ、悪いとは言わないけどさ…んーあ、まあ、学校的にはまずいでしょ?

 で、カウンセリングを利用するフリをして、色々と調べてみた。あの先生、なんと言うかノーガードっていうか…壁がないんだよね。分け隔てなくやさしいとか、そういうのとはちょっと違うんだけど、馴れ馴れしいわけでなく、喋りすぎる訳でもなく、いつの間にかこっちに入ってくるんだな。うん、あたしも正直悪くないなこの人って思ったもん。ああ、カッコいいとか言ってたのは嘘なんだけどさ、私の評価はそんな感じ。

 でね、こちらとしてもそれは好都合だったんだ、ノーガードだけあって、情報はするする出た。何しろ携帯おきっぱなしでトイレとか行っちゃうからさ…余裕余裕。まあ、管理不足だね、パソコンのパスワードとかも机のメモにあったし。

 ああ、勿論、そっちは見た。情報を掴んでからだったけどね。別の相手に出しているメールがあったから、怪しいなってね。もう一枚の写真――直子ちゃんの写真――はそこで出てきた。で、これはマズいと思った」

「どうして…」

 そこで、初めてさやかは口を挟んだ。それは相手の話の内容とは関係のない問いだった。さやかはそれまで裕美の言ったことを殆ど聞いていなかった。

「どうして、あんなことを?」

 それは自身に対して行われた一連の悪戯に対しての疑問。

「…どうして」

 当然の疑問に、一瞬驚いたように開いた目と口をゆっくり閉じると、裕美は座りなおしてから、そのまま下を向いて自分のコーヒーを一口飲んだ。カップを置いてからも、少女は暫く視線を落としたまま、無表情とも、薄く微笑んでいるようにも取れるような曖昧な表情で黙り込んでいた。

「動機って言うとさ…」

 裕美は顔をあげ、さやかに視線をあわせる。

「なんか、何を言っても面白くなくなる気がするんだけど…」

 目を細め、首を傾げた。

「あたしさ…実は中学の頃は、結構な天才少女で通ってたんだよね。

 まあ、その前に居たところのせいなんだけどさ…うん、一緒だった加奈ちゃんは知ってるよ…加奈ちゃんは人のことしゃべらないし…そりゃ知らないよね…まあ、加奈ちゃんくらいだったね…普通に付き合ってくれたのは。ま、こっち来てからは、皆そうしてくれたから、すごく居心地良かった…。

 都合上、引越しが多くてさ…それでもこの三年の間は大丈夫なはずだったんだけど…唐突だったんだ今回は…。

 決まったのほんの二週間ほど前。すっごい残念でさ。

 少し落ち込んだ後、すぐに考えてた。

 やっておきたいことがあったんだ。

 一つが、今さっき言ったこと。先生と、親友の関係のこと。

 きっといつか良くない形で明かされることになるんなら、さっさと、事が大きくなる前にあたしの手で明かしてやろうってね。

 あの仕掛けは知ってたよね?

 勿論、懲らしめたかったのは先生。

 あの時、牧野さん、そして直子ちゃん二人と同じように、先生も携帯で呼び出したの。

 先生には最初窓を開けるように頼んだ。それだけじゃなく。あとで、相談室の窓から入ってくるように仕向けた。牧野さんのフリをしてね…先生は来てみてビックリ。予想していなかった人物がいたわけだからね。でね、先生には強制的に協力してもらうことにしたの。といっても、知ってる事を話したら素直に従ってくれたわ。

 当初の計画としては…えっとね。

 会議室にやって来た牧野さんと直子ちゃん二人の前で、例の仕掛けが作動する。勿論、二人はその写真について話会う事になるでしょ?でね、同じように呼び出された隣部屋でその様子を覗う先生は、気が気じゃいられないってわけ…まあ、そのまま放っておくわけにはいかないし、止めに入っても修羅場だし…まあ、あたしは突き出してやるつもりだったけどね…」裕美は小さく首を傾げた「そうそう、念のためにさ、未だ時間があったし先生には一度職員室に戻って、会議室の入口のスペアキーを取ってきてもらったわ。ちゃんとお願いしておいたの、記帳しないで良い方法で取ってきてねって…」

 そこでくすりと笑みをこぼす。

「…」ぼんやりと聞いていたさやかだったが、例の事件に差し掛かったところから、話に集中し始めていた。

「さすがに教頭の机を漁るのは難しかったみたい…時間かかってたもん。でも、まぁ間に合ったわけだけど、間に合わなけりゃダメなんだけどね、先生にとっても自分を救うことになる鍵なんだからさ…うん。

 えっと、先生が窓に戻ってくる頃にはさ、直子ちゃんは職員室に引き返しているところでね。つまり、例の仕掛けが不発に終わった後だったんだ。ちょっと残念だったのは確かなんだけど、先生のピンチは未だ続いてたんだよね…先生から鍵を預かって、すぐに、会議室の状況を教えたの。写真が散らばってますよってね。だから、すぐに集めなきゃって。鍵はあったから、どちらから入っても良かったんだけどね、先生は窓の外にいたし、覗いて確認させたの…状況から考えて、そこから入ったほうが早かったし、私がそうするように急かしたのもあって、先生は窓から会議室に入ったの」

「じゃあ、加奈ちゃんが見たのは? 夏樹先生だったの?」

「そうして、先生は見事に閉じ込められたってわけさ」

 おかしそうに語尾に笑いが絡む。

「先生としては、写真を回収する為に、怪しまれないよう窓を閉めるわよね。それに驚いたのは牧野さん。そして帰ってきた直子ちゃんが戸口の異変に気付く。

 会議室は自然と包囲されることになる。止めとばかりに秋津先輩が隣部屋から会議室に侵入する手段を提案して、万事休す。先生は完全に追い詰められたってわけ」


            *


「それこそ、万事休すの状況よね…」秋津は頬杖をつく。

「彼女、美倉さんにとっては、どちらでも良かったのかも。そうやって追い詰められ、怪しまれてその場にいた私たち全員から追及されるのは、元々彼女の狙いだったのかもしれない。でも、彼女はそこで、少し遊んでみたかったのかも。今の状況だってそうだしね」

 秋津は付け加え、携帯を確認する。そこには裕美からのメッセージが表示されていた。

『ごめんなさい、少しさやちゃん借ります。心配しなくても大丈夫、何もしないから…』

 あきらめた様に小さく溜息を吐いてから秋津は続けた。

「部屋を取り囲む状況は一番良く知ってたはずだし、彼女が先生を脱出させる事ができるとすれば、入り口からしか手引きできない。

 失敗しても狙い通り先生は疑われる。だからそれこそ遊びで、彼女は彼、甲斐君に牧野さんの携帯で電話をかけてみた」

「それで、見事彼はその場を離れたって訳ね?」

「うん、おそらく、暫くは様子を見ていた筈。廊下の足音で誰かが来るのはすぐにわかるからね…誰も来ないことを確認していると同時に、彼女は会議室の先生にも指示を出していた」

「パーテーションを移動させ、窓の鍵を開けさせたこと?」

 秋津は首肯する。

「一つ補足しておくとね。

 この悪戯は、実は彼女、美倉さん自身が鍵を開けるところさえ見つからなければ安全なの。入り口を開いてしまえば、もし誰かが通路の様子を見に来たとしても、先生がスペアキーをもって会議室の扉を開いたところで何も悪いことはないでしょう? 

先生が会議室に用事があって、丁度鍵が無かったからスペアキーを持って扉を開けた。と説明すれば誤魔化す事ができる」

 成る程ね。と頷く郁子。

「猫を閉じ込めたのは、扉を開いた後で美倉さんがやった事ね?その間、先生は入り口で見張ってたってところかしら?入り口の扉を施錠して、最後は二人とも相談室から外へ。か、なるほどね」

 そこで、郁子は腕組みをして、斜め上を見上げた。

 成程といった割には納得していないような表情をした彼女に、秋津は尋ねた。

「ん? どうしたの?」

「いや、今日起こった事件というのが、先生に対してのものだったということは良いんだけど、それがどうして彼女、杉村さんのブログに繋がるのかしら?」


             *


「変わりたいと思ったこと無い?」

「えっ!?」

 それは唐突な問いだった。

 例の事件の顛末を話し終え、二人の間には長い沈黙が続いていたが、それを再び破ったのは裕美だった。

「どういう、意味?」

「そのままの意味」

「変わりたい…って」

 無論、すぐにその意図が理解できなかったから聞き返したのだ。裕美がその先を補足しようとはしないので、さやかは考えた。

 変わりたい?

 実際、この一週間で、強く意識した自分があった。

 どうしてだろう? 事件が起こるたびに感じた。それはどうしてだろう?

 さやかは顔をあげた。目の前、犯人の顔を見る。

 それは、彼女の起こした事件の所為ではないか!?

 色々なことに悩まされた。その理不尽にそのたび、何故か? と考え、迷い。

 その所為で…。

 ――いや、違う。

 そのたびに嫌になったことは何だったか?

 それは、自身の曖昧さの所為ではないか?

「わたし…」

「あたし…」

「前の自分が嫌いだったんだよね…」言葉を続けたのは裕美だった。

「好きな事も嫌いな事も、何もかも一緒くたに投げ出したくなってた。そんな自分が嫌だった。

 変わりたかったというよりは、その時の状況からどうにかして抜け出したかったっていうほうが、正しいかな。

 その、努力はしたかどうか…でも、皆が助けてくれたと思う。

 こっちに来てからはね、そんな事が昔に思えたから。多分変われたんだと思う。いや、ちょっと変わりすぎたかも」

 一度言葉を止め、白い歯を見せる。

「さっき言ったでしょ? やりたいことがあったんだって。それを残して行きたくなかったから…」裕美は視線を逸らした。

「甲斐君のことも、本田君のことも。それは確かに、さやちゃんの勝手だし、別にあたしがとやかく言うことじゃない。それはわかってたんだけどさ。あれは、はっきりはさせたかったって事くらいかな」

「そんな…」

「ねぇ、告白って、何だと思う?」

 そこで、また唐突な問い。

「え? なに?」

「あたしね、さやちゃんに言いたい事があったの…」

「…?」

「ブログで、予告してたのはあたしなんだよ? アドレスにさ…you are me って『ゆー』と『みー』で『ゆみ』ってまあ、解んなかったんだろうけど…実は、あたし言おうと思ってたんだ、あの日」

 改めてその場で姿勢を正し、にっこりと微笑む裕美。

 一番の動機はこれかな…つぶやくようにそう言うと、ゆっくりと息を吸い込み、

「あたし、さやちゃんのこと、嫌いだったの」

 言って、そのまま少女はさやかに抱きついた。

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