第八章 この日、私は、ここから消える

 駅前を過ぎ、さやかは真っ直ぐ目的地を目指し歩いていた。

 今は一人である。


『その方が良いかも』

 少し考えるように立ち止まったあと、

『じゃあ…先に、行ってて』

 そう言って、秋津は脇道に入っていった。


 学校でできる調べ物を終えた後、場所を変えようという秋津の提案で、さやか達は終礼のチャイムに促されるまま下校した。

 調べ物というのは、鍵の管理のことについてだった。

 学校の鍵にスペアキーが用意してあることは勿論想像がついていたので、その管理がどうなっているかを調べたのだ。

 通常、教室の鍵は職員が管理しており、一応の許可が必要ではあるが、委員の人間が利用する教室の鍵なら特別な理由無く借りることが出来た。ただ、鍵を掛けてある場所が職員の目に付きやすい場所ではあるので、顔なじみの委員以外はそう簡単には持ち出すことができなかった。

 さて、ではスペアキーの管理はどうかというと、それは教頭が自身の机の中で管理していた。これは勿論、委員如何にかかわらず、また教員でも貸し出しには正当な理由が必要だった。その際持ち出した人物は名前とその時間を記帳されるのだ。

 さやか達はその記帳を調べた。が、その日、会議室のスペアキーを持ち出した記録は無かった。


 それ以外、特に目新しい発見はなかったが、今後のことについて、場所を変えて話を続けようと、二人は駅前に寄り道することにしたのだった。

 秋津が指定したのは、先日彼女と会った例の喫茶店だった。

 まだ明るいが、店に入ればじきに暗くなるかもしれない。そう思ったさやかは家に少し遅くなると連絡し、既読を確認すると携帯から顔を上げ、立ち止まった。

 目的地は駅から離れているので秋津と別れた場所からはまだ距離があった。少し先に同じ制服を着た生徒の後ろ姿が見える。

 さらにその先に目を移すと、わずかに緑が見えた。公園の入り口、手前に少し入り込んだところにある店はそこからでは看板しか見えなかった。

 ふっと息を吐くと、微かに息がのどに引っかかる。すこしばかり喉が渇いていた。

 それまで、話を整理していたのは秋津だったので、さやかはそれほど喋っていた訳ではなかったが、緊張もしていたのだろう、口の中が乾いていた。

 ――先に、何か飲んで待っていよう。

 水でもいいや、そう思って少し急ぎ足になる。

 前を向くと先を行く生徒の姿は消えていた。ふと後ろを振り返ると後に続く人は居ない。まだ電車の込み合う時間帯だったが、駅南に人通りは少なかった。

 ――先輩…時間掛かるのかな。

 人が居ないことに少し不安になってきて、また早足になっていた。二度ほど後ろを振り返るが、誰も居ない。

 ――怖がりすぎかな…。

 何事も無く看板の前まで到着する。溜息をひとつ着いてから苦笑。頬の紅潮を自覚してエントランス前に立ち止まり、また来た道を振り返った。

 数人が歩いているのが見えるが、秋津はどうやらまだのようだった。それを確認すると、今度はクールダウンした自分の顔を扉のガラスで確認してから、さやかは店の扉に手を掛けた。

 ノブを引くと、来店を告げるベルの音がして、直ぐに店員がやってきた。

 おひとりですか? の質問に、後でもうひとり来ますけど…そう答えて奥のパーテーションを見つめる。と、一人の人物が目に留まった。

「あ…」

 さやかは反射的に声を上げていた。


             *


 ――しかし、やりづらいな…。

 店の制服なのだろう、グリーンのジャケットを羽織った目の前の少年は、店員にあるまじき無愛想な表情でそこに佇んでいた。

 ならばこちらもとばかり、極力感情を表に出すことなく、秋津は目の前の人物と対峙していた。

 その表情は勿論知るものだったが、一応、胸の名札を確認する。

『甲斐』


 駅前の電気店。

 さやかと別れてから、秋津は彼、甲斐由斗からの情報を得るためにこの場所に足を運んでいた。

 途中まで一緒にいた杉村さやかと別れ、一人になったのには特別な理由は無かった。ただ、先のさやかの様子から、面と向かってその少年とやり取りすることは苦手のようだったし、何より気の進まない様子のさやかを庇うつもりもあって、少年への質問は秋津ひとりで聞くことにしたのだった。

 ――が、しかしなぁ…。

 改めて相対してみると、少年は実に取っ付きにくい雰囲気をまとっていた。

 なるほど、クールな表情を保っている顔は、なかなか綺麗にまとまっている。が、しかし、魅力的と言う単語とはなぜか結びつかないように秋津は感じていた。

 たとえば綺麗な石膏像があったとしても、材質上色艶を感じることは無いだろう。そんなイメージを秋津は抱く。

 賑やかなオーディオコーナーの雑音を、その冷たい視線で凍らせてしまったかのように、少年を中心にその場は一種異様な沈黙に包まれていた。

 実際には、直前に担当だった甲斐が試聴用スピーカーの音を切ったのだったが、それとは別の、電気店相応の雑音といったものも、同時に取り除かれてしまったかのような静けさだった。

 そこで、秋津は唐突に連想した『人間ノイズキャンセラー』と言う単語に、少し可笑しくなってしまったが、突然笑い出すわけにも行かず、一文字に結んだままの口に少し力をいれた。

 ここまでで、約30秒。

 秋津が「あのさ」と声を掛け、少年が試聴用スピーカーの音を消して、答えるつもりなのかどうなのかはっきりとしない無表情を返すまでのことである。

 甲斐は秋津の方を向いてぴたりと静止している。

 おそらく呼びかけには反応しているはずだった。考えれば当然のことなのだが、声を掛けたことをすら忘れさせるほどの、相手のリアクションの薄さに秋津はしばし戸惑っていた。

 ――石膏像…ね。

 再びの連想。さて、そのままではいられないと秋津がようやく口を開くまでにさらに五秒ほどがかかっていた。

「あの…今日の、さっきのことを聞きたいんだけど」

「…」

 少年はわずかに顎を上げ、やや首を傾けた。それが、是非の意思を示すものなのかどうかは分からない。秋津は続けた。

「あの時、貴方が持ち場を離れたとき。何で離れたのか? さっきも聞いたけど…あのときのこと、正確に教えてくれない?」

「探偵ごっこって、楽しい?」

 それまでのぼんやりした対応に比べ、言下にそう答えた甲斐に対し、秋津は若干の苛立ちを覚えた。

 少し眉を顰める程度にとどめたものの、一瞬後には爪先で相手の脛を蹴飛ばして、そのまま踵を返してやろうかという思いが頭を掠めていた。というのも、秋津は最初からこの少年を疑ってはいなかったからなのだ。

 一連の事件は明らかに愉快犯の仕業と考えられる。それも、悪戯のようなものの積み重ねとも取れる事柄である。それこそ、犯人にとってはこうやって相手してくれる人がいて初めて犯行を楽しめるのである。

 したがって、この少年の、今のいかにも迷惑そうで、相手のやる気を削ぐような対応は、実際に関係ない人物のそれであるように取れるのだ。

「見て分かると思うけどさ…バイト中なんだよ俺」

「特に忙しそうには見えなかったけど?」

 仕返しとばかり、棘のある口調で秋津は言い返した。

「別に、すこしくらい話してても…商品説明でもしてるってことにしとけば良いんじゃないの? これ、視聴させてよ」

 実際、少しやる気が削がれていた秋津は質問を続ける代わりに、片側の棚に並んだスピーカーを指差して投げやりにそう言った。

 その苛立ちを受け流すように、秋津の指差す商品をぼんやりと見つめた甲斐は、暫く間を空けてから。棚に備え付けてあったリモコンを手に取ると秋津の方を振り返った。

「良いけど…」

 ピッと音がして、サンプル音源がスピーカーから流れる。

 秋津の手前にあった、白色球形の、小さなスピーカーだった。その音が意外に良かったので秋津は驚いた。暫くして、甲斐はリモコン操作で順番に別のスピーカーに出力を変えていった。一列を大体聞き終わると、秋津は違う棚の目ぼしい機器を指定して、数台を試聴する。

「これ、一番良い音ね」

「そうだろ?」

 秋津が指差したのは最初に鳴った球形のスピーカーだった。もう一度鳴らして? 甲斐がリモコンを操作する。

 暫く値札を見ていた秋津だったが、手前のバーコードのついた紙切れを取ると甲斐に差し出し言った。

「これ、貰うわ」

 そこで、少年はそれまでの無表情を始めて変化させた――とは言え、それも一瞬、少し眉が動き、口が若干開いたように見えただけだったのだが――。一度商品の値札を見、続けて棚の下を見た。そして秋津の手から紙切れを受け取る。

「多分、倉庫にあると思うけど、在庫…」

「そう?」

 少年の表情が今度は少し訝るように動く。

「ホントに買うのか?」

「うん、実は最近買おうと思ってたのよね」

 これは本当のことだった。

 少年は少しの沈黙の後「…じゃあ、取ってくる」と相変わらずの口調で言うと店の奥の方へと引き返して行った。暫くすると製品の箱を持ってこちらに戻ってきた。

「これで?」

「うん」

 頷く秋津に顎でしゃくってレジスターの方を示し、少年は歩いていく。秋津も黙って後に続く。丁度人の手が足りなくなっていたので、少年はそのままカウンターに入った。

「カードはお持ちですか?」

 カウンターに立つなり店員らしい口調に戻る。秋津は首を振った。直ぐできるというので、秋津は受け取った用紙に住所と名前を書く。

「で、何が?」

 用紙に向かう秋津の頭の上からそう聞く声がした。

「何って?」秋津は顔を上げず言う。

「さっきの、聞きたいことあったんだろ?」

「教えてくれる?」顔はまだ上げない。

「…」

 甲斐は今度も無言だったが、その雰囲気から是の意思が読み取れる。秋津は書き終わった用紙を差し出し、顔を上げた。

「じゃあ、聞くわ…あなたが持ち場を離れたとき、その時の事なんだけど…ちょうどあの時、牧野さんの携帯から貴方に、電話があったわよね?」

「…ああ」甲斐は受け取った紙の情報を入力しながら、秋津に答える。

「それ…」秋津は言いかけて逡巡する。と、質問より早く甲斐は答えた。

「牧野じゃ、なかったんだろ?」

「たぶん…」秋津は軽く肩をすくめて見せる「まだ、はっきりとは解らないけど、たぶんそう…貴方は、牧野さんだと思っていたのね? 相手はなんと?」

 入力を終えたのか、少年は一枚のカードを取り出すと表面にあるバーコードを読み取り、名前を書くようにと、裏返してペンと共に秋津に差し出した。

「たすけて…」

 思わずカードを受け取る手が止まる。秋津は少年の顔を見た。先の台詞は相変わらずの無表情で発声されたようだった。

「助けて…って、言ったの?」

 少年は首肯する。

「女の声だった…」

「女…」

 ――なるほど…。

 甲斐は助けを呼ぶその声を、牧野のものと勘違いし、その場を離れたということらしい。が、しかし、その声が実際に彼女のものだったかどうかに確信は無い様だった。

 犯人像がまたぼやける。

 ――女…か。

 甲斐の証言を全面的に信用したわけではないし、あくまで電話の声の聞き違えである。加工した音声ということも可能性としては十分考慮できる。

 が、もちろん犯人が女性である可能性も考えられるのだ。しかし、それは今までさやかの身近に起こった出来事からは考えにくかった。関係者の中でも、翔子以外はさやかの友人である。

 ――だれも、信じるな…か。

 茶化して言った言葉がまんざらでもない響きで思い出されてくる。現実に、本人にとってはたまったものではないだろう。そう考え秋津は少し反省する。

 自身の名をカードに記して、ペンを返す。ペンを受け取ったまま、しかし甲斐は手を引っ込めない。秋津が首を傾げると

「ポイントは、今回の購入分から加算されます」

「ああ、そう…はい」

 答えて秋津はカードを手渡す。カウンターに置いた箱からバーコードを読み取る。液晶表示を見ながら、秋津は金額を財布から取り出そうとして、変化したその数字にあれ? とつぶやいた。元の表示からいくらか割り引かれている。

「間違ってない?」

「いや…」

「あれ? なんで?」

 反射的に頓狂な声を上げて秋津は訊いた。液晶から視線を移すと少年は答える。

「割引…」少し間を置いて

「値札を差し替え忘れてた」

 秋津は一度瞬きし、肩を竦めることでそれに答え、微かに口の端を斜めにした。

 割引なら割り引かれた値段が妥当な値段ということになるが、なぜか秋津は得をしたような気がして、悪い気はしなかった。それに、甲斐のことも少しだけ見直した。彼にとってはそのままの値段で売っても構わなかったはずなのだ。

 秋津が袋に入った商品を受け取ると甲斐はカウンターから出て、自分の持ち場に戻ろうとした。

「あのさ…」その背中に声を掛ける。無言で振り向くのは予想通り。

「もうひとつ、あるんだけど…」

 と、今度は少し好意的な表情と声音で言った秋津だったが、甲斐はそれには応じず、無視するように踵を返して歩き出した。

「って…ちょっと。少しくら…」

 見ると少年は肩越しの視線と、人差し指で付いてくるよう示した。

 ――何よ…コミュニケーション能力不足で店員がつとまるのかしら?

 そう思いながら、しぶしぶ少年について行く。甲斐は元いたオーディオコーナーに戻っていた。先程から静けさに包まれたままのそこは、売り場の中心からそう離れている場所ではない。少年は暫くそこにいて何かを弄っていた。展示している棚の奥、スピーカーの位置を調整しているようだ。良く見ると、あらぬ方向へそのスピーカーを向けている。何をしているのかと様子をうかがっている間に、今度は手前に音源となるポータブルプレーヤーを引き出し、メディアを入れ替え再生ボタンを押す。そして、準備はできたとばかり、秋津の方を振り返った。

「じゃあ、向こうに…」

 そういって、甲斐は棚の向こう側を指差した。

「向こうって?」

 聞き返す声には応じずに、甲斐はすたすたとコーナーを回り、棚の裏側へ向かう、秋津はあわてて後を追う。

 角を曲がり、丁度反対側の陳列棚を見た瞬間、秋津は気付いた。

「…なるほど」

 甲斐がリモコンのスイッチをONにする。

 ――ジリリリリリリリリリ!

 とたんに明瞭な音質で響くベルの音。

 そこは時計売り場だった。

 そばで時計を見ていた客が一瞬驚いて音の出所はどこかと、首をめぐらしている。

 甲斐はスイッチをオフにして秋津に振り向いた。

「昨日、片づけをしていたらこんな仕掛けが用意してあった…」

 秋津は暫く黙って腕を組み、考えていた。

 なるほど、そのときの話を聞いただけで、実際に電気店に足を運んだわけではなかったから分からなかったものの、例のベルの話はこの方法を使えば簡単に実現できることだ。

 時計に細工する必要なんて全く無いのだ。それに、遠隔操作で出来ることならば、そこにいた全員に可能だ。

 しかし、いずれにしろ最も利用しやすいポジションにいるのが甲斐である事に違いは無い。

「…」

 ――こちらの質問を聞く前にそれを見せる気になったのは一体なぜだろう?

 ゆっくりと甲斐の方を振り向く。

「…あなたじゃ、無いのね?」

「当然。というか…」

 甲斐は初めて逆に問い返すように秋津を見つめていた。

「この悪戯は誰の仕業だ? 今日の事といい、あんたら何やってるんだ?」

「何って…私は妙な出来事を調べているだけ。昨日、私は居なかったけどね。今日の件と関係が無いわけじゃないと思ってね…貴方と、杉村さん。その他クラスの人達。今日会議室付近に居合わせた人達が前日も何らかの悪戯に遭っていたわけでしょ?」

「…」

 甲斐は無言で秋津を見つめ返す。秋津はその真意を探ろうと真っ向から視線を受け止める。先に目を逸らしたのは甲斐の方だった。彼は元いたコーナーに戻る。見ると先ほどの仕掛けを元に戻しにかかっていた。

 暫くすると秋津の前にもどってきて、コンパクトメディアを差し出す。

「くれるの?」

 それは時計のベルの音が入ったメディアだ。

「こんなもん要るかよ、調べたいなら自由にどうぞ…いや、店のものを弄り倒すのは止めてくれよ。後、他の奴を疑うのは勝手だけど、俺は関係ないからな」

 受け取ったあと、秋津はゆっくり会釈するように頭を下げる。

 応対はともかくとして、少年の行動は結果的に証拠提示に協力的だといえた。よくよく考えれば最も自分に不利な証拠を、自ら示したわけなのだ。

 秋津は甲斐に微笑みかけた。甲斐は、一瞬怪訝そうに眉を顰めた。相変わらず変化には乏しかったが、今までの無表情に比べ、聊かの当惑を含んでいる。

 不意打ちが成功したことに、一人満足し、秋津は笑顔で続けた。

「正直、こんなに協力してもらえるとは思わなかった。ありがとう」

 実際に彼の発言は役に立っていた。値引きもしてくれたし、ここは感謝しておこう。秋津はそう思った。

 素直な感謝の言葉に、甲斐は小さく肩をすくめる。その小さな応答が、それまでで一番の対応であるように秋津は感じた。

 もう一度ありがとう、それじゃ…といって踵を返しかけた秋津だったが、不意に少年を試すように、もう一度問いかけたい好奇心にかられこう言った。

「あのさ…さっき、なんで割り引いてくれたの?」

「…」

 既に別の方を向いていた甲斐は、沈黙したまま、秋津を振り向くこともなかった。が、それでも暫く答えを待つように少年の方を見続けると、彼はおもむろに口を開いた。

「あんた、こういうの…好きなの?」

「こういうのって?」

 振り向かず甲斐は顎でしゃくってオーディオの並ぶ棚を示す。

「うーん…特別好きって事も無いけど…選んでは買うかな…」

「俺、オーディオマニアは嫌いなんだ」

 唐突に、繋がらない言葉を返し、甲斐は秋津のほうに顔を向けた。秋津は少し眉を上げてそれに応じる。

「私…そういうのは良く分からないわ」

 少年は秋津の持っている袋を示して言った。

「形もいいし、そいつ、俺も気に入ってたんだ。ここで一番いい音が出る」

 平板にそう言った彼の声は、なぜかすこし機嫌がよさそうに聞こえた。


             *


「あ」

 さやかと同様に声を上げたのは、奥のテーブルに着いていた少女である。ただ、彼女は驚いたのではなく、さやかを見つけて反射的に声を出したようだった。

 ――あれは…昨日先輩と一緒に居た。

 それは前日ここで秋津と一緒に居た少女、篠宮郁子だった。

 彼女はさやかに向かって手招きする。その様子を見て、店員は笑顔でどうぞ、と奥の席を指し示した。


「こっちこっち」

 テーブルの前まで行くと、郁子は笑顔で向かいの席を示した。

「えっと…」

「あとで、史子ちゃんも来るんでしょう?」

「ええ、そうですけど…あの」

「どうぞ、座ったら?」

「あ、…はい」

 さやかは促されるままに対面に着いた。

「かばん…」そういうと唐突に郁子は手を差し出した。

「えっと…」

 さやかが戸惑っているうちに鞄は手から取り上げられ、それは空いている隣の椅子に納まった。置いた鞄から顔を上げさやかに向き直ると、ね? とばかり郁子は小さく目配せをした。

「はあ」

 思わず俯いたさやかは上目遣いに少女を見つめ返す。鞄を取り上げられてそのまま泳がせていた手は行き場を失ってゆっくりと机に降り、やがて隠すように膝についた。

「あの、どうもありがとうございます」

 その言葉に返すように、郁子は小首を傾げ微笑んだ。

 運ばれる水。ご注文は? えっと、まだ…です。では。と店員が席を離れると、直ぐにさやかは水に口をつけた。

 一口、二口と飲み、『はぁ』と大きく息をつく。

 ――あ、しまった。

 喉が渇いていたせいで、思わずがぶがぶと水を飲んでいた。

 郁子の視線を感じ、さやかはあわててグラスを置いた。少し恥ずかしい。

 水を飲めば落ち着くかと思ったが、かえって緊張してしまった。

「えっと…」その様子を見て郁子が言う。

「先に何か飲み物頼む? 史子ちゃんまだ少しかかるみたいだったし…」

「はい、じゃあ…」

 素直に、提案に従うことにする。

 郁子が手を挙げて店員に示し、オレンジジュースとホットコーヒーを注文した。

 オーダーを受けて引き下がる店員の背を横目に見るようにして、対面の人物から目を逸らしながら、さやかは切り出す言葉を考えていた。

 ――そういえば…あとで、来るのよね? って言ってたような…。

「あの…先輩は…」

「ん?」

 それだけの短い言葉を相槌に変える動作で、少女はその片手を頬に添えた。その所作に再び落ち着かないようにさやかは視線を伏せた。

「どうしたの?」

 問いかけに視線を合わせる。

 ――やっぱりだ。

 前に一度、しかもわずかに挨拶を交わしたようなだけの人物に、緊張するのも当然と言えたが、さやかが感じたのはそれだけではなかった。

 面と向かうのは二度目だったが、一度見ているから慣れるというものでもない。目の前の少女は同性のさやかでさえ目を合わせることに面映さを感じる美少女だった。店の照明は落ち着いたものだったが彼女の栗色の髪には、文字通り綺麗な天使の輪が広がっている。

「えっと…先輩と、約束してたんですか?」

 前日のことを思い出し、さやかはまずそう質問した。

「え? ううん、違うの。さっき、ちょっと連絡が入ってね」

「さっき? ですか?」

「ええ、そう」

 その返答に首を傾げるさやかに郁子は説明を続けた。

「昨日、貴方にはじめて会った時に言ったでしょ? わたし、あなたのこと少し史子ちゃんから聞いてたの…」

「ああ、そういえば…新聞部の話を…」

「そうそう…で、今日また何かあったんでしょ?」

「あ…」一瞬さやかは口ごもる。

「はい…」

 その様子を見て、郁子は小さく両手を前で振って見せた。

「ああ、いいの…別に。もし…」

 とその途中で、二人の飲み物が運ばれてきた。さやかは早速ストローを手に取ったものの、ゆっくりと氷の音を聞くようにそれをかき回し始めた。

 ――秋津先輩は、なぜ、彼女を呼んだんだろう?

 例の新聞部の件はともかくとして、今回の件は随分とデリケートな内容だった。いくら秋津の友人とはいえ、直子と翔子。そして夏樹のことを無闇に説明してよいとは思えない。

 ――先輩は何を考えて?

 客の来店を告げるベルの音がした。二人は同時に入り口の方を見た。入店したのは別の客だった。期待を裏切られ、一つため息を着いて振り向いたさやかに、郁子は思い出したかのように言った。

「えっと、そう。さっきの事なんだけどね? 私はその、史子ちゃんはミス研に所属してるでしょ? 私はそこの、なんていうか…ユーレイ部員みたいなことをやっててね。入部して無いんだけど。良くお邪魔するから関係者といえば関係者みたいな…」そこでわずかに開いた唇から綺麗な歯並びを見せる。

「催しなんかには良く参加させてもらうってるのね…だから、今回史子ちゃんに呼んでもらったことも、何か協力できればって思っているだけだから」郁子は胸の高さで、両手のひらをさやかに向けた。

「詮索はしないし、私が聞いちゃいけない話なら席を外すから…」

 その言い分に、少し遅れて「はい」とだけ応えたさやかは、黙って少し考えた。

 最初、秋津に相談したのは、新聞部の件で巻き込まれたもの同士だったというのもあるが、そのとき頼れる人が誰も居なかったという事もある。

 ミス研副部長は少々胡散臭くも思えたが、協力はしてくれているし、直子や翔子の秘密にしていることは話していない。秋津からの、そのつながりを信用するというのなら、目の前の少女を信用して良いかもしれないとも思う。

 さやかの心中を見透かすように、郁子は言った。

「確かに、私は事件に全然関わっていないからね…でも、史子ちゃんはだからこそ私に声を掛けたのかもしれない」

 ――確かに当事者より、外部の人間の方が見えてくるものがあるかもしれない。そう言った協力者を必要とするなら…。

 少しうつむいていた顔を上げ、さやかは少女に微笑を返す。それまで友好的な表情でなかったかと思うと、途端最前の対応が失礼だったように思えてきた。

 ゆっくりと頷いて見せ、さやかは言った。

「ですね。じゃあ、お願いします。先輩にも、相談に乗ってもらっちゃおうかな」

 自然と少し砕けた口調になった。正直、さやかは彼女に好感を抱き始めていた。

 ただし、秘密にしててくださいね? そう付け加える。郁子はもちろん、と答えた。

「わかった。じゃあ、できるだけ協力するね」

 

             *

 

 電気店を出て、ふとあることを思いついた秋津は、大きな荷物を置いてポケットから携帯電話を取り出していた。

 メニューからいくつか画面を切り替え、ブラウザを開きURLを入力する。

 検索。

 画面が切り替わった。

 ――?

 そこに書かれていた内容に、秋津は眉根を寄せる。

 ――どういう…ことだろう?

 じっと画面を睨み続け、暫く考え込んだ秋津はやがてブラウザを閉じると、今度は電話を掛け始めた。

 「あの…一年六組の鈴木先生はまだいらっしゃいますか?はい、私、一年六組の杉村さやかです。はい、少しお聞きしたいことがあるんですが…あの…」

 質問を終えた後、秋津は暫く携帯電話を見つめた。一つ溜息を着く。

 不意に、置いていた荷物を思い出し、携帯から足下に視線を移す。拾い上げようと手を伸ばしたその時、自分の方を向いている靴のつま先を見つけた。視線を上げる。其処には秋津にとって見知らぬ人物が立っていた。

「あなた…」

 呼びかけに相手は薄く笑みを返した。


             *


「遅かったわね、史子ちゃん」

「ごめんごめん…二人とも、待たせちゃったわね」

 店に入り、真っ直ぐ待っていた二人の元に向かった秋津はさやかの隣の椅子に掛けると、手を伸ばした郁子に荷物を預けた。

 比較的大きな秋津の荷物に、怪訝な表情でさやかは問うた。

「先輩…買い物、してたんですか?」

「なりゆきで…でも、いいもの見つけたから、ある意味。証拠品みたいなものね」

 袋の中をちらと覗きながら郁子も問う。

「何を買ったの?」

「スピーカー」

「スピーカー?」

 さやかは早速疑問符を顔に浮かべ秋津を見た。

「割り引いてもらっちゃった…甲斐君、あの子、それほど悪い子でもなさそうね…」

「…」

 その言に、さやかが首を傾げている間に郁子の方を向いて秋津が訊く。

「そういえば、郁ちゃんは大体の事情とか、きいた?」

「え? うん」郁子は小さく頷いた。

「大体の説明を受けたわ、とても興味深い事件ね」そういってさやかの方に頷いてみせる。

 秋津は手を上げて店員を呼び、コーヒーと、チョコレートのケーキをオーダーした。

 「他は? いい?」

 秋津にならって、後の二人も飲み物とケーキを頼んだ。メニューを返しながら、秋津はちらと郁子のほうを見、続けてさやかの方を向いて言った。

「話しやすかったでしょ? 違った?」

 はい、と答えたさやかに微笑みを返す秋津は電気店での出来事を二人に話した。

 説明の間にケーキと飲み物は直ぐに運ばれてきたが、秋津がコーヒーに二度ほど口を付けたほかは、誰も手を付けなかった。説明が終わると同時くらいに、郁子が自分のミルクレープにフォークを入れ、口に運んだ。ほどなく満足そうになるほど。とつぶやく。

 秋津の説明から、時計事件の方法、それに甲斐がどうして持ち場を離れたのかということに関しては一応の説明がなされた…ように思われた。が、依然として、犯人を特定できるような情報が得られた訳ではなかった。

 さやかは頭を整理しながら一口紅茶を飲む。目の前の皿を見ると、自分のケーキは半分も減っていない。いつも通りだなと思って回りを見ると、向かいの郁子は最後の一切れを口に運んだところだった。ゆっくりとそれを味わうとコーヒーのカップを取り、一口、またゆっくりと満足そうに飲み干した。

 そうして、不意にさやかの方を見る。そのまま郁子は両肘をテーブルについて組んだ手の甲に顎を載せ、僅かに首を傾けた。

「さて、じゃあ、一番早く食べ終わっちゃったし…ああ、二人はそのまま聞いててくれればいいから」そう断って郁子は続けた。

「とりあえず、二人から聞いた話を整理しながら、思いついたことを話していくことにするから、疑問を感じたり修正する必要があれば言ってね」

 ここで、郁子は片目をつぶった。

「まず、最初からおさらいをしてみましょうか…。

 一日目の予言。これは…杉村さんがあだ名を付けられたことが書かれていたブログ。杉村さんのノートにメモを紛れ込ませるということ、コレに関しては…クラスメイトのうち誰にでも可能といえば可能だし、内容もその日は後付けの日記で全然かまわないわけね。だから初日に関しては、犯人はクラスメイトである可能性が高い…って位のものかしらね」

 郁子はその様子を伺うようにさやかに視線を向ける。さやかは気にしないとばかり小さく頷いて返す。郁子は続けた。

「二日目までは、杉村さん一人が体験したことで、この告白の件で考えるとすれば、告白した本人がブログを書いた。って言うのが、素直に考えられるわけだけど…」

 ここで、秋津が同意するように頷いた。

「そうね、確かに…もし本人なら全く無理なく予告できるしね」

「…でも」

 さやかの表情から内心を慮るように郁子は言った。

「それは、考えにくいんでしょう?」

 頷くさやかに同意するように郁子は答えた。

「そう、確かに前日の犯行との繋がりから、同じクラスでない彼に、単独で、容易にそれが出来たか? を考えると、ちょっと難しいんだよね…それに後日…新聞部の件を考えてもそれは言えるのかもしれない」

 ここで、郁子はテーブルから肘を上げ、椅子に掛けなおし、背筋を伸ばすようにすると、少し砕けた感じでこう言った。

「なんていうかな…この事件は一人でやってるんじゃないかって気はするの。その発想っていうか、悪戯。どれも言ってみれば些細なものばかりでしょう?

 でも、ちょっと引っかかるというか、いまのところ本田君? 一人ってのも無理っぽいのと、彼と誰かが共犯でって言うのも考えにくいことなんだけど…」

 唇から指を離す。

「彼って…そう簡単に排除できる可能性でもないんだよなぁ…」

 その台詞に、さやかはどきりとする。

 さやか自身でも、本田のことを考えないわけではなかった。が、告白された当時を振り返るに、それが悪戯でない様子はさやかが一番感じていたことだった。したがって、その少年が何か目的を持って一連の行動を起こしているというのは想像し難く、またあまり考えたくないことでもあった。

「…そう? ともかく保留でいいんじゃない」と、秋津は相槌のように返すと、少し残ったチョコレートケーキを切り崩し、口に運んでから先を促した。

「じゃあ、引き続いて三日目…消えた新聞部部員の件、ここから史子ちゃんも事件に巻き込まれることになったのよね」

 そう言って秋津の方を見つめる視線には何か含むものがあるようだった。秋津も何かを楽しむような表情をしている。秋津はさやかに問う。

「さっき、今日調べた件も含めて郁ちゃんに説明したのよね?」

「はい、例の…なんでしたっけ? マスターズ警部?」

「そう。あの時、あなたには言ったと思うけど、あの出来事は密室騒ぎとは関係のない事じゃないかって」

「はい、そう聞きましたけど、それって? つまり、あの事件で消えた新聞部員は一連のブログの事件には関係ないって…先輩はそう考えているんですね?」

「うん、私はね…というか、先ず問題はさ…もう一人の部員。それが本当に居たのかどうか? それが三日目の事件を考えるための、最初の疑問なんじゃない?」

 郁子が言葉を続けた。

「確かに。訊いた話だと、その人物は誰からも存在の確認を取ることが出来なかったわけだし、他の人にとっては居ないのも同じ…そこだけ考えると、今日の事件の犯人との共通点も多くあるわけだけど…それが、ブログの犯人が演じていた姿の無い相手なのか? そうではない別の誰かなのか? 杉村さん、さっき、最初に新聞部部室を調べたとき、そして再度同じ部屋を調べたときのことを訊いたけど、そのときのことから何か判断できるようなことは無い?」

 郁子の言葉は単なる問いかけというよりは相手を試す類のものだった。さやかは言われて初めて、そのときのことから何か論理立てて説明できることは無いかと思いをめぐらせた。

 ――最初は、何も見つからなくって…鍵。そうだ鍵はあったんだ。だから…鍵を持っているのは、顧問もしくは顧問から鍵を預かっている部員。

 当たり前の想像である。部屋を調べたとき秋津が言ったように、ここでまずは部員がいたと仮定して話を考えることにする。あの状況を作り出したのもその人物だとして、その行動自体は簡単だ。さやかと、そしてミステリィ研究会にはミーティングの中止を連絡せず。自身は姿を隠す。ただそれだけのこと…。

 ――でも、どうして?

 確かに、その人物が居なかったと考えれば、すべてのことが。『偶然』『ただ、先生が忘れていただけ』で終わってしまうことだ。が、一度目の…秋津の目印に答えるように、二度目にその場を訪れた際には付箋にメッセージが残してあったのだ。

 ――それを残したのは、誰のなのだろう?

 ブログの犯人とは違うと言えるのだろうか?

 告白の件と同様に考えて、姿をくらました本人が犯人である。というのが最も合理的であるように思われた。会うと予言しておいて、姿をくらます。もともとそのつもりなら、犯人にとっては何の例外も無いことである。それに犯人なら、のこのこと相手の前に顔を出すわけには行かないはずだ。そういった意味では姿を顕さないことこそ妥当性があるとも言えるだろう。

 と、考え付いたところで、さやかはあることを思い出した。

 ――あのメッセージ

 付箋に残っていたメッセージ、それを利用してログインしたPCから得られた情報は謎のメール。

 ――私のことを書いたブログと似ていた…。あのメールを送ったのが真の犯人で、それを送られたのがPCの持ち主、つまり姿をくらました新聞部部員ということだとしたら、その人物は、私と同じような悪戯を受けていた? ってこと?

 理由はわからない。けれど、想像できることはさやか以外にも、自身の出来事をメールで予言された人物がいたかもしれないということだ。

 ――ん?

 そこで、ふとさやかは思った。

 そんなメールが来て、その人物はどう思ったのだろう? 考えた次の瞬間。さやかははっとした表情で顔を上げ、真っ直ぐ郁子を見つめた。

 ――なんだ。そう考えると、解ってくるような気がする。

「あの…居たんだと…思います。今日、部室のPCを調べて、その持ち主。それがおそらく姿を消した新聞部部員なんだと思いますけど…その人宛って考えられるメールの内容を見ることができたんです。その内容は、私のことを書いたブログに似てて…」

 対面の郁子がうんうん、と微笑み頷く。だから? と先を促されているように思い、さやかは気が焦る。

「今まで部員ゼロだったというのは本当だったはずですし、その人はおそらく同時期に先生が勧誘していた人物だと思います。届けが出ていないのは多分出張中の先生がそれを預かったままにしているから…だとすると私よりも後に希望を出した人なのかもしれません。ただ、部屋の鍵を預かっている可能性などから考えて、割と積極的に部活動に参加していたのかなと…」

 聞き手二人の様子を伺うと、二人はなかなか楽しそうな様子でさやかの声に耳を傾けていた。安心して先を進める。

「えっと、それで…私にとって、あの日の出来事はクラブ活動で先生も参加するものだと思っていましたから、予言に多少の警戒はしていたものの、結局のところ素直に指定どおり部室に向かったんですが…もし、その、私が出会うはずだった新聞部部員が先生からミーティング中止の連絡を受けていたとしたら。当然メールの予言を不審に感じていたと思います。メールには『明日のミーティングで』としっかり書いてありますけど、それが中止だということは、他のクラブに回っていた連絡から考えて、その部員本人は前日から解っていたはずですし…」

 ここまで言って、さやかは一息入れるように言葉を切った。喉を休めるように一口だけ紅茶を飲む。

 カップを置いて、両手をテーブルに載せた。

「だから…メールを受けた立場で考えると、どう考えても変な予言です。私がその立場だったら、それを…悪戯だと思うでしょう」

 さやかの言葉に、上級生二人は目を合わせるようにして頷いた。

「悪戯だと考えたその人は、予言されたその出会いを警戒して、対処しようとした。つまり、私との出会いを意図的に避けたんじゃないでしょうか?」

 さやかはスッと一息吸うと、結論を下すように述べた。

「それが…眼鏡を掛け、よれよれのシャツのを着た人物が、姿をくらました理由なんじゃないかって…」

 目の前の郁子がにっこりとした表情で音を立てず拍手するように数回手を合わせる。一度史子の顔を見て。

「史子ちゃん? 杉村さん結構上手いんじゃない?」

「かも…なんか、副部長の狙いって意外に外れてないのよね」といって、秋津もクスッと笑う。

「あの、えっと…思いついたことを、言っただけなので、全然…単なる空想みたいになっちゃってるんですけど…」

「推理するって、それでいいと思うのよ、私」

 ――え?

 ぽかんとした表情のさやかに、やさしい口調で郁子は続ける。

「推理するのってさ、論理だとか…唯一無二性そういったイメージが強いけどね。結局は既知の情報からどれだけ辻褄を合わせて説明出来るか。ってことだと思うのよね。

 さっき杉村さんの言ったことはそれを満たしているし、実際私たちの考えていたことと殆ど一緒だと思う。

 勿論。疑う事に、その結果の検証作業は必要だと思うけれどまず可能性を示せる事が大事」

 ここで、ね? と郁子は秋津に同意を求める。

「うん、多分ちょっと、補足できるけどね…」

 そういうと、秋津は残りのケーキを口に運んでコーヒーで流し込み、少し椅子を後ろに引いて足を組んだ。

「大体、一緒。わたしもそう思ったの。勿論、出会うはずだった人物、貴方以外に居たもう一人の部員って言うのはブログの犯人が仕組んだ影ってのも考えられるけど、後々の事から考えて、やっぱり予言が外れているのは三日目の事件だけだから、やっぱりあそこは一連の事件の犯人としては、例外が起きたと考えられるんじゃないかなって…」

 そこで、秋津は空になった皿に置いていたフォークを取り上げ、指示棒のようにクルリと回した。

「一応ひとつだけ引っかかるところがある。それは部室が空いていたっていうことなんだけど…悪戯を避けるためってだけなら、その部員は部室に寄らずに真っ直ぐに帰ればいいだけでしょ? でも、部室の扉、鍵は空いていた。これが混乱の原因だった訳だけど…私の想像だと、逆に悪戯を返すとまでは行かなくてもわざと部室を開けておいて、その様子を何処からか観察でもしていたんじゃないか? って思うの」

「観察…誰が来るのか知りたかったって事ですよね?」

「メールの『ミーティングで』って予告。ミーティングが無いことはその人物が一番よくわかっていた事だった筈だから、悪戯を仕掛けた相手は何者なのか? それが知りたかったってとこじゃないかな?」

「…なるほど」

 納得したように数回頷いたさやかの方を見て、秋津はにやりと笑みを浮かべ、こう言った。

「だってさ…『可愛い』って、書いてあるのよメールに、悪戯でもどんな子が来るのか見てみたかったんじゃない?」

 さやかはまた、少し恥ずかしそうに俯いた。誤魔化すように久しぶりにケーキにフォークを入れ、少しだけ口に運ぶ。彼女の選んだチーズケーキは甘さの中に微かな酸味を感じた。気分がリラックスしてきたせいか、さっきより、味わって食べられるような気がした。

 視線をめぐらしてみると、目に留まった窓の外、僅かに光が翳ってきている。振り返ると郁子が進行役らしくテーブルの上で指を組む姿勢に戻って話の続きを始めた。

「さて、三日目は今の結論で概ね良いとして…」

 言いかけたところで、携帯の振動音が響いた。片手を失礼、とばかり低く立て秋津がポケットに手を入れる。無言で確認するディスプレイ。

 文字を読む目元、口元に笑み。

「OKみたいよ…」

 ディスプレイを二人に見せる。


『Re:

 素敵な少女様

 はじめまして、そして前回のミーティングの際には失礼しました。といっても、あなたはミス研の方か、新しく入部された新聞部員の方どちらでしょう? まあ、どちらにしてもご連絡ありがとうございます。

 自己紹介をしておいても良いですが、そちらも本名を名乗られていないということで…一応まだ伏せておきます。

 疑問がおありでしょうが、双方に誤解もあることでしょう。メールでの応答でもよいのですが、貴方を信用しますので、もしよろしければ、月曜の放課後にでも新聞部部室にいらしてください。心配なら新聞部の次の会合、顧問の先生の戻っているそのときにでもかまいません。お待ちしております』



「まあ、今のところ誰かはまだ分からないけど…顔を見せる気はあるみたいね」

 秋津は携帯を操作し始める。

「じゃあ、返信しとくね。月曜日で…一緒にいくわよね?」

「はい」

 さやかは頷いた。

「ふーん…」覗き込んだ郁子は「じゃあ…先に話を進めようか」

「先って言うと…四日目、時計事件の日のことね?」秋津が壁にかかった時計を見上げながら言う。

「そういえば、さっきの話で突っ込みいれるところは何かある?」

 さっきの話というのは、秋津が甲斐由斗から得た情報である。

「突っ込みっていうと…」郁子は頤をつまんで、考えるような素振りを見せる。

「私は誰とも面識が無いわけだけど…甲斐君ってハンサム?」

「えっ?」

 ケーキに伸ばしたフォークが止まる。さやかは反射的に郁子を見て、再びぎくりとした。彼女は真っ直ぐさやかを見ていた。

「えっと…」

 さやかがそれを、自分への問いではないと認識したのは、まさに一瞬後のことで、同時に『しまった』と心の中でつぶやいていた。

「なんで、そう思うんです?」

 さやかは取り繕うようにフォークを前に進めたが、ぎこちない動きで食器を鳴らしてしまった。

 その様子に含みのある笑みを返すと郁子は言った。

「えっとね…史子ちゃんの、なんか評価がそれほど悪くなかったから…」

「そう?」

 振られた秋津は少しの動揺もなく、小さく首を傾けると澄ましてコーヒーカップを口に運ぶ。

「まあ、綺麗な顔ではあったかな…でもなんか目立たない感じ? そうね、もう少し笑顔が増えると、可愛いと思うんだけどな…どう?」

 と、さやかの意見を求める。

「え? えっと…」

 返答に詰まって見つめ返した秋津の表情は、特に関心があるようには見えなかった。

 ――あれ?

 相手の返答を期待するようなものではなく『あなたはどう思っているのかな』と純粋に問いかけるような表情。

「私は、どうとも…」少し不思議に思いながらさやかは答えた。秋津はそう? とだけ答えると、もう一度コーヒーを飲む。つられるように、さやかも一口掬う。正面、また微笑する郁子と目が合う。彼女は悪戯っぽく言う。

「史子ちゃんはね…面食いなのよ」

「どうかな?」さらりとそう返し秋津は続けた。

「で、聞きたいのってそれだけ?」

 くすりと笑った郁子はごめんごめん、と片手を挙げた。

「聞きたいといえば、そのとき、その場に居た人のことくらいかな。さっき説明受けたとこだと、杉村さんと、その友人二人。入り口付近で出会い、買うものが一緒だった前田君。そして店員の甲斐君。それだけかしら?」

「えっと…」さやかは店に入るとき、裏口付近に翔子がいたことを補足する。秋津がそうなの? という顔をする。

 ――そういえば、言っていなかったし、そのことを彼女に聞き忘れていた…。

「それって? 誰に話しかけていたのかわかる?」

「えっと、多分…甲斐君に…じゃないかと思います」

 秋津の問いに答えると、「え?」と郁子が首を傾げる。

「そうなの…その二人、は仲良いの? 付き合ってるとか?」

 今度の問いは間違いなくさやかに対してのものだった。

「親しいみたいですけど…そう…ではないらしいです」

 ちらりと秋津の様子を伺うと、特に関心はなさそうに、手に取ったグラスの水面を見つめている。ただ、その眉が僅かに動いたようにさやかには見えた。

「あ、そうだった。さっきの話で夏樹先生が出てきてたんだしね…」郁子は人差し指で小さく頬を掻く仕草をする。

「まあ、とにかく、現場にいたのはそれだけね…今日の事件の関係者でそこに居なかったのは…鍋島さんと、本田君…か…でも」

 再びスプーンを伸ばす郁子。

「さっきの話だと、その中の全員に犯行は可能ということ」

「そうね」秋津はグラスを置いた。

「誰にでも行える可能性を示す、実はコレが一番無難というか、安全なのよね犯人にとって」

 少し視線を逸らす郁子の横顔をさやかは見つめた、彼女はその口を動かしかけて止めた。しばらくして、郁子は二人に振り向くと、まあ、特に思いつくこともないかな…と言った。それに対して秋津は、そう? とだけ答えた。さやかも考えがあったわけではなかったが、そのときのやり取りを何か奇妙に感じた。

「まあ、史子ちゃんの聞いてきた話からその日のトリックみたいなものは解決されたとして…最後の事件に進もうか?」

 二人の頷きに、じゃあ、と郁子は五日目、この日の事件の纏めを始めた。聞き手は黙ってそれを聞いていた。郁子は滑らかに、整然とデータを述べていく。彼女はほぼ事件の全体を把握していた。

「それで、どう? 二人は何か考えがある?」

 単独の犯人像。

 さやかにはそれを思い浮かべることは難しかった。共犯となれば、不思議の数は減っていくだろうが、今のところ明確な関係性を持つグループを特定するのは目的の面から考えて難しい。

「まあ、話してた続きっていうか、先に郁ちゃんの推理を聞きたいな私は…第三者の意見を…」

 秋津の言に、郁子は一瞬眼を見開き、少しおどけてそれに答えた。

「そう? 杉村さん、いい? そう…じゃあ、私から発表させてもらうことにしましょうか…」

 ――あ、ちょっと…。

 一度頷いたものの、さやかは話に待ったをかけた。

「あの、すいません…その、ちょっとそのお手洗いに…いいですか?」

「え? ああ、どうぞ…」

 郁子が答えるのにあわせて、横に座っていた秋津が席を立ち道をあける。

「すいません…」

 さやかは素早く席を立つと、通路へ出て化粧室へ向かった。

 通路を曲がり、奥の扉を閉め、ひとつ息をつき、ゆっくり洗面台を向く。

 蛇口をひねって水を出し、手を濡らす。

 そのまま暫く、さやかは洗面台の前で茫と立ち尽くしていた。

 緊張していたのは確かだったが、そこに来た理由は別だった。

 ――なんか…。

 話を聞く前に、少し心の準備が要るような気がしたのだ。

 流れ続ける水を止め、顔を上げた。

 鏡の中、自分の顔を見つめる。

 ――まったく、なんともいえない顔しているじゃない。

 少し濡れた手で両頬を挟む。その顔は何か決心したような表情にも見えるし、少し滑稽な風にも見える。

 後ろから、別の客が化粧室のドアノブに手を掛ける音がした。

 ――ずっとこうしてもいられない。行こう…。

 さやかは、入り口を振り返った。


             *


「すこし、遅くない?」

 化粧室へ繋がる通路のほうを見据えて、郁子が言った。

「…そう、ね…」秋津はゆっくりとそちらを振り返った。

 さやかが席を立ってから、五分が経とうとしていた。その間に、別の客が化粧室への通路へ向かい、そして帰ってきていた。

「ちょっと、見てこようか?」

 郁子が立ち上がる。

「…」秋津も無言で続く。

 二人は一列に、真っ直ぐ通路を化粧室へ向かった。

 化粧室の扉は奥まった通路を曲がったところにある。そこから誰かが出てきそうな気配は無い。扉を前に、二人は足を止めた。郁子が黙って扉を開ける。

 開けて正面に洗面台がある。左に個室が二つ。

 ――!?

 郁子ははっとした表情で秋津を振り返る。

「史子ちゃん!? 居ないわ…」

 内側に扉の開く二つの個室、そのふたつともが空だった。

 扉の外の秋津は、既に別の方向を見ていた。化粧室とは反対方向に曲がった通路の奥。郁子に示すように、秋津はそちらを指差した。

 裏口の扉が開いている。

 秋津の横に並んだ郁子は怪訝な表情で、問いかけるように秋津の顔を見た。

「史子ちゃん?」

「…どういう、事だと思う?」

 少し含みを持ってそう言った秋津はポケットから携帯電話を取り出した。ディスプレイを郁子に向ける。

「…」

 そこに表示されていたのは、日記だった。

 翌週、5/15日の日記が既に更新されていた。


             *


[伝言]

 この日、私は、ここから消える

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る