もやしに纏わる一顛末

そうざ

One of the Facts about “Moyashi”

 消費者は値上げに敏感である。1円単位の変化でも、また高くなった、と察知する。

 比べて、値下げには鈍感なところがある。例えば、もやしの値段は年々下がり続けている。この事実をどれだけの消費者が実感しているだろうか。もやしなんて安くて当たり前、と受け入れて来た歴史がある。

 原料の豆が高騰する一方で店頭価格は下がっている――これが、もやしを取り巻く現実である。


越智杉おちすぎ物産〕は、小売店と生産農家との間で板挟みになっている弱小加工業者である。

 もやしとカット野菜を混ぜたアレンジ製品等を製造して凌いでいるものの、赤字すれすれの状況は変わらない。生産農家にしても、もやし栽培だけで儲けを出せている者はほんの僅かである。


 朝一で始めた会議がもう正午を迎えようとしていた。

 皆が昼休憩に行く中、企画責任者の福路ふくろ幸司こうじは1人、会議室に残った。

「何か良いアイディアはぁ……」

 ネットニュースにヒントがあるとは思えないが、福路はいつもの癖で取り留めもなくスマホを弄った。


『お騒がせ炎上ユーチューバーが懺悔企画』


 それはほんの一ヶ月前、忽然と現れた覆面女性ユーチューバー〔モヤ本モヤ子〕が自主企画と称する『もやし水泳チャレンジ』を投稿した事で始まった。

 大量に買い込んだもやしで部屋中を満たし、その中にビキニ姿で飛び込んで泳ぎ捲くるという単純極まりない内容だった。

 覆面に水中眼鏡を掛けた顔がへらへらと笑う。

「めっちゃひんやり~♪ 夏場にサイコーッ! 皆さんもやってみてくださ~い!!」


 翌日にはもう大炎上である。

 動画の最後に『もやしは撮影後に美味しく戴きました』との字幕は入っていたものの、信用する者は皆無だった。

「食べ物を粗末にするな」

「生産者に謝れ」

「先ずはもやしに土下座しろ」

 様々な意見が飛び交う中、それでもモヤ子は強気だった。

「自腹で買ったもやしをどうしようが勝手だと思うんですけど。えっ、分かんない分かんない、何が悪いの?」


 動画に影響を受けた者達が挙って『もやし水泳をやってみた』を投稿し始めるに至り、炎上は業火と化した。

 全国のもやし農家や関連業者が連名で抗議文を発表。勿論〔越智杉おちすぎ物産〕もそこに名を連ねた。


「本当にぃ……本当に、申し訳ありませんでしたっ!」

 騒ぎから一週間、モヤ子は頭を丸めて動画に登場した。

 覆面の頭部を切り抜いた丸坊主は滑稽だったが、涙ながらに平身低頭、謝罪の言葉を繰り返した。


 そして、今度は懺悔企画である。

 またもやしを大量に買い込んだモヤ子は叫んだ。

「食って食って食い捲ります!」

 もやしを煮たり、蒸したり、炒めたり、様々な味付けをしたり、果てはミキサーでペースト状にして飲み干すという『もやし大食いチャレンジ』が配信された。何故かやっぱりビキニ姿である。

 次第に食べるペースが落ち始め、ばんぱんに膨らんだ下腹部を晒しながらモヤ子は泣き出す。

「まだ……罪滅ぼしが、足りませんっ……もやしが許してくれるまで、私は頑張りますっ!!」

 この何だかよく分からない動画は奇妙な感動を呼んだ。実は真面目で純粋で良い奴なんだというイメージがネット上を駆け巡る。

 消費者が鈍感ならば、視聴者は単純である。


「ありがとうございますっ、宜しくお願い致しますっ」

 電話を前に、福路が何度も頭を下げる。

「福路君っ、どんな状況なのっ?!」

 電話が終わるのを待っていた社長が素早く声を掛ける。

「はいっ、何とか増産に協力して貰えました。農家さんも嬉しい悲鳴です」

『もやし大食いチャレンジ』に端を発し、動画サイトは関連コンテンツで溢れた。『もやし料理百選』『もやしを取り巻く現状と未来』『もやし興亡史』『もやしの傾向と対策』『もやしを買って社会貢献』『もやしっ子と呼んでご免なさい』等々、百花繚乱の様相である。

 ネットでブームになれば直ぐに他のメディアも追随する。テレビ、ラジオ、雑誌、新聞も、もやしの喧伝で一色になった。


 慢性的な品薄を食い止めようと、福路はもやしの納品価格を1本当たり10円にまで引き上げる提案をした。当然、店頭価格もそれ以上の高値になったが、それでも世の中の反応は優しかった。

「これまでが不当に安過ぎたんだ、罪滅ぼしだと思って買おうじゃないか」

 もやしブームは遂に海の向こうまで飛び火し、ダイエットに最適な食材として『Moyashi』のまま通じるようになったのだから、その儲けたるや――。



「未だに何か、寝覚めが悪いと言うかさ……」

 複雑な表情をしつつも福路は器用にフライパンを振る。手際の良さは日頃の商品開発で自然に身に付いたものである。

「まだ気にしてんのぉ? 別に良いじゃない、詐欺を働いた訳じゃなし」

 妻はダイニングテーブルで先にビールを開けている。既に酔いがほんのりと頬を染めている。

「せめて前以て言って欲しかったよ」

「言ったら全力で反対したでしょ?」

「そりゃ、そうだけど……」

 福路が手早く盛り付けた野菜炒めやスープを、妻はまじまじと観察する。

「もやしは……当分、見たくないから」

「そうだろうと思って入れなかったよ」

「出来た夫を持つと妻は幸せだ〜」

「それはこっちの台詞……かな」

 不意に、もやしまみれのユーチューバーが脳裏に浮かんだ。久し振りに見た水着姿は、昔の体型を維持していた。

 漸くショートヘアーまで戻った妻を熱い視線で眺める福路だった。


 

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