泣いている少女には声をかけない

ユダカソ

泣いている少女には声をかけない

「誰か助けてください」

朝の忙しいホームで行き交う人混みの中、すすり泣く少女の声が聞こえる。


少女はホームの雨よけの屋根を支える柱の一本の傍に佇んでいた。


涙を拭う手が顔を覆い、表情は見えない。

「誰か助けてください」

悲痛な泣き声だけが聞こえてくる。


「誰か助けてやれよ」

私は周りを見渡した。

周りの人は誰も少女に目もくれない。

少女なんて見えていないかのようだ。


誰も少女の泣き声が聞こえていないのか?

まさかこの声が聴こえているのは自分だけで、この少女は幽霊なんじゃ……。


………しかし、よく見ると周りの人もその泣いている少女が見えていないわけではなく、ちゃんと彼女のことを認識しているようだった。


「なにあれみっともない」「やだー」

馬鹿にして笑う者。

「チッ」「……っせーな……」

小声で悪態をつく者。

反応は様々だが、少女の声が聞こえている者は自分以外にもいることがわかり、私は少し安堵を覚えた。


しかし、誰も優しい声を掛けようとはしない。

駅員までも誰も気に掛けない。

「どうして誰も声をかけないんだ。あんなに泣いているのに。」

だが、そう思う自分にも声をかけている時間があるわけじゃない。

次の電車に乗り遅れては始業時間が過ぎてしまう。


そのような状況ではあったが、少女に声を掛ける余裕のある者は、自分含めてどこにもいないようだった。

誰も声を掛けないならと、たまりかねて自分が少女に近づくことにした。

その程度の優しさを持っているのが自分の長所だと思っていた。

それを優しさと呼ぶのなら。


「ねえ……そんなに泣いていて、どうしたの?」

私は、少女を安心させようと優しく話しかけた。

だが、少女はすすり泣くばかりで顔をあげない。

「何かつらいことがあったの?迷子?それとも……」

慰めようと手を伸ばした、その時だ。


「お前のせいだ!お前のせいだ!お前のせいだ!」

少女は私の腕を掴み、物凄い形相で私を責め始めた。


「え?ちょっと……お、落ち着いて」

私は少女が混乱しているのかと思い、宥めようとした。

しかし少女は落ち着く様子もなく、腕を掴む力はますます強くなっていく。


「お前のせいだ!お前のせいだ!お前のせいだ!お前のせいだ!」

少女は私を責め続ける。一体何のことを責めているのかわからないまま。

「お前のせいだ!お前のせいだ!お前のせいだ!お前のせいだ!」

少女の力はますます強くなっていき、ついに私の腕に爪が食い込むまでになっていた。


「痛っ……!ちょっと……おい!」

止めようとしても少女は力を緩めない。

「こ、この………!」

私は思い切り腕を振った。なかなか離れない。

「やめろ!」

私は少女を振りほどこうと、少し力を入れて突き放した。


「うぐ……!」

ようやく少女は私の腕を離した。

しかし突き飛ばされた少女は大袈裟に倒れ、さも物凄く痛めつけられたように泣き始めた。

私は確かに少女を振りほどこうと必死だった。

しかし少女が私の腕を掴み、爪を食い込ませてきた時の力よりは、かなり小さな力でふりほどいたのだ。

そんなに痛くはなかったはず……なのに……。

私は狼狽えた。当たりどころが悪かったのだろうか?


「ひどいひどいひどいよーーーーーひどいひどいひどいひどいーーーーーー」

少女は大声で泣き始めた。

その声を聞いて、周りの人間も少女に注目し始めた。

そして狼狽える私に視線を注いだ。


「ひどいひどいひどいひどいーーーーー」

少女は私を責めるように泣き続ける。

周りも私を責めるように見つめ続ける。

「あの人が……」「なんてひどい……」「あんな小さな少女に……」「ひとでなし……」

ひそひそと声が聞こえる。


「いや、ちがう、その……」

私は弁明しようとしたがうまく言葉を繋げることができない。


「なぜだ」

私は慌てながら思考を巡らせた。

「なぜ、最初に少女が泣いていた時は誰も気に掛けなかったのに、少女が傷ついた途端に認識を始めたのだ。」

少女は元からそこにいたのに、最初から泣いていたのに。

誰も気づかぬふりをして、助けもしなかったのに。

声を掛けた人が現れても、誰も少女のことを意に介さなかったのに。


「ひどいひどいひどいひどいーーーーー」

泣き叫ぶ少女、それに呼応するように周りの群衆も私を責め立て始めた。

「お前が悪い」「お前が悪い」「お前が悪い」「お前が悪い」「お前が悪い」「お前が悪い」「お前が悪い」


「ちがう……私はただ、この子を助けようと……そしたら、急にこの子が……」

私は必死に弁明するも、

「言い訳するのか」「卑怯な奴だ」「親の顔が見たい」「酷い人だ」

と、余計に周りの怒りを買ってしまった。


「ひどいひどいひどいひどいひどいひどいーーーーーーー」

「お前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだ」

「……ちがう………ちがう!」

私はその場から逃げることしかできなかった。

後ろでは「逃げたぞ」「やはりそうだったんだ」「罪を認めたも同然だ」「犯罪者め」と、なじる声が聞こえる。

私はもうなりふり構わずその場を離れた。

彼らの声が聞こえなくなるまで、出来るだけ遠くに…………。


………数年後。


あれから、私はもう泣いている少女には声を掛けないことにした。

またあの時のような出来事が起きるかと思うと、見掛けてもとても声を掛けられなかった。


今思えば、他の人たちはそのことを知っていて、だから少女のことは見て見ぬ振りをしていたのだ。

私は泣いている少女がいたら声を掛けて助けてあげるような人になるのが優しい人だと思っていた……。

だが、それはただの幻想だったのだ。

泣いている少女に声を掛ければヒーローになれると思い込んでいた、ただの自分の幻想。


きっとあの少女は、そのような幻想を餌にして生き続ける、ある種の怪物だったんだ。

私のように、知らない誰かに出来るだけ優しくあろうとするような人間を狙って、だからああやってか弱い少女の姿に似せているんだ。

そして幻想を食ったら、あとは用済み、捨てるだけだ。


私は、幻想だけ食いつぶされ捨てられた、ただの抜け殻だ……。

あの少女との出来事があってから、そんな気持ちが拭えないでいた。

自分が優しいと思っていたことが優しくなく、冷たいと思っていたことが冷たくなくなった。

そんな気持ちになるようになってしまった。

何かが失われてしまったような、そんな気持ちに……。

……まあ、肉体まで食べられなかったぶん、マシか………。

私はまた始業時間に間に合うように、朝の駅の人混みに紛れた。


何か音がすると思い、ふと見ると、あの時の少女によく似た子が、人混みの片隅で泣いていた。

あの時のように、しくしくと、静かに助けを求めている。


私はもう、泣いている少女には声を掛けない。

私には少女を助けられないことがよくわかったからだ。

泣き続ける少女を見て見ぬふりをして、足早にその場を離れた。

その私の姿を見ながら、誰かが眉間に皺を寄せる。

「酷いやつだ。少女が泣いていることに気づきながら、声を掛けずに去ってしまうなんて。」


私の背を睨みながら見送ると、その青年は少女に駆け寄り、なるべく優しい声で少女に語りかけた。

「大丈夫ですか。そんなに泣いていて……どうしたんですか?」

青年は、出来るだけ優しく微笑み、その少女を励まそうとした。

泣いていた少女は、優しく声を掛けてきたその好青年の顔を見ようともしない。

青年が少女を安心させようと、彼女の肩に触れようとした瞬間、泣いていた少女は、彼の腕を掴んだ。

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泣いている少女には声をかけない ユダカソ @morudero

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