チャンネルを変えられない人

ユダカソ

チャンネルを変えられない人

何もかもが気に入らない。


SNSもつまらない話しか流れてこない。

動画サイトも何を見てもつまらないものばかりだ。

ネットにあるデジタルイラストだって大したものは置いてない。


全部流行ってるからと見ているのに、何が面白いのか全く何もわからない。

あんなものを好きになる人達の気が知れない。


私だけがまともで、他の人は全て愚かに見える。

どうしてみんなつまらないものを好きになるの?

どうしてみんなつまらないものを眺めているの?


どうして……

どうして……


私はイライラしながら帰路を歩いていた。


家に着き、自分の部屋へ行くと、誰もいないはずの部屋から灯りが漏れている。


私の部屋に、誰かいるの?

それとも自分が電気を消し忘れたまま出掛けてしまっただけだろうか?

あるいは家族が私の部屋に…………


でも……………おかしい。

この家は、そもそも………


そうだ、私の家はこんな真っ白な壁にドアが一つだけあるような簡素なつくりではない。


家に帰ればお母さんがテレビを見て、風呂上がりのお父さんがソファーに寝転び、そのお腹の上に飼い猫のカンちゃんがいるはずなのに。


どう見てもここは私の家ではないし、このドアの向こうは私の部屋でもない。

絶対に私の部屋ではない。

しかし……………

しかし、これは私の部屋だ。


何故だかそう感じる。


少し開いたドアの向こうは真っ暗で、赤色や緑色のチカチカした明かりがせわしなく点滅している。


これは私の部屋だ。

これは私の部屋なんだ。

なぜだかわからないが、私にはそうとしか思えなかった。

私の部屋の中に、誰かがいる。

真っ暗な部屋の中で、チカチカとした光をつけた何者かがいる。

誰がいるんだろう。

誰が何の光をつけたんだろう。

私は私の部屋(私の住んでいる部屋という意味ではない)のドアを開け、足を踏み入れた。


部屋は灯りがついていないため、全体は薄暗くてよく見えない。

だが、ドアを開けたことで廊下の明かりが入り、部屋のおおよその様子が見えてきた。


部屋の中央には、明かりに顔を照らされた大きな子供がいた。


子供と感じたのは、あまりにも何も考えていなさそうに、つまらなそうに光を見て、だらけたような体育座りでぼーっとしていたからだ。


子供の視線の先の光を見ると、テレビがあった。

なるほど、部屋の外に漏れていたのはテレビの光だったのだ。


だが、テレビと言っても現代的な薄い平面型のディスプレイではない。


立体的な直方体で……灰色で……重たく無骨な見た目のブラウン管テレビであった。


そのテレビは、テレビと同じ幅くらいの木製の台の上に置かれていた。

台には引き出しがついている。


子供の左横脇にはちゃぶ台のような木製のローテーブルがあり、その上にはテレビ用のリモコンが乗っていた。

リモコンは、子供が手を伸ばせばすぐに届く範囲に置いてある。


テレビにはありふれたバラエティ番組が映っていた。

大食い対決だろうか、クイズ番組だろうか、食事のリポートだろうか。

タレントが何を話しても司会者が茶々を入れ、お笑い芸人はそれに乗っかり、オーディエンスが笑い、本題が見えてこない会話が繰り広げられる……。


これを見ている子供は……とても面白く感じているようには見えない。

表情はぴくりとも動かず、視線も焦点が合っているかどうかも怪しい。

テレビを見てはいるが、ただ見ているだけと言った感じで、どう見てもつまらなそうな様子である。

それなのに、この子供はなぜこの番組をみつづけているのだろうか……。


しかし、子供だと思っていたが、子供にしては身体が大きい。

中学生や高校生だろうか?

もしかして、大学生?

それにしては……年齢に対して一回り肉体的貫禄があるというか……………

…………………いや、


これは子供じゃない。


そのことに気づいて私はその子供(だと思っていた人物)の顔がようやく誰のものだかがわかってきた。

何か見覚えのある顔だとは思っていたのだ。


これは……………

この顔は、私の顔だ。


真っ暗な部屋で灯りもつけずにテレビを眺め続けるこの人物は、私自身だったのだ。


ドッペルゲンガーに出会ってしまったような状況ではあったが、なぜだか不気味という感じはしなかった。

相手から敵意は感じられないのと、自分自身だったためか、まるで兄弟(私は一人っ子なので兄弟はいないが)にでも出会ったかのような感情になったのであった。


だらしなくボーッとテレビを見つめる自分に対して「灯りもつけないで何やってんの」と言いたくなるような、そのような状態であった。


私は部屋が暗いままでは目が悪くなるだろうと、スイッチを探して灯りをつけた。


パチ、と音がして、テン、テンテンと鳴りながら天井にある蛍光灯の明かりがつく。


部屋全体が照らされ、部屋の詳細が見えてきた。

この部屋にはもう一人の私とテレビとローテーブルの他に、本棚があり、ゲーム機があり、勉強机がある。


机の上には一般的な文房具の他、色鉛筆や絵の具、スケッチブックが置いてあり、絵が描けるような状態であった。

他にも教科書や参考書が並び、勉強がいかにも捗りそうである。


棚の上には漫画だけでなく雑学系の書籍や気軽に読めそうな雑誌まで置いてあり、CDや CDプレイヤーが置いてある。

近くのコンセントに繋げば音楽だって聴き放題だ。


ゲーム機は任天堂もSONYも両方ある。有名どころのゲームがいくらか置いてあり、懐かしい気持ちになる。どれもクリアまでに長い時間がかかるボリュームたっぷりなものばかりだ。


そんな様々なものが置いてある部屋の中で、このもう一人の私は灯りもつけずテレビを眺めていたのか。


一体何をやっているのか。

テレビがそんなに面白いんだかつまらないんだか知らないが……もっと他のことをすればいいのに。

もう一人の私は灯りをつけても無反応に、テレビを眺め続けている。


「あ…このゲーム、好きだったな」

私はもう一人の私のことは置いといて、ゲームのカセットを眺めながら過去の楽しい思い出を呑気に思い出していた。

本棚には漫画もあり、他の書籍もあり、興味がそそられるものばかりだ。

ついつい目移りしてしまう。

そうやっていろいろ眺めていると、不意に何かの音が聞こえてきた。


「これやだ」


はじめは何の音だろうと思った。

家鳴りなのかとさえ思った。

一瞬後に、これは音ではないことに気づいた。

これは音ではなく、声だ。

「これやだ」という、人の声だ。

それも、誰の声かというと、私の声。

しかし、それは私の声ではあるが、私の声ではない。


もう一人の私の声だ。


もう一人の私が声を発したのだ。

もう一人の私が「これやだ」と口に出したのだ。

だが、それはあまりにも短い発音で、意味のある言葉としばらく理解することができず、私はただため息や欠伸のように出た意味の無い声だと思っていた。


「これやだ」


もう一度もう一人の私が声をだした。

二回目なので、私はやっとそれが何かを意味する言葉であることを理解した。

「これは嫌だ。」という意味の言葉なのだ。

「私はこれが嫌いである。」

そのような意味の言葉を発しているのだ。


しかしそれは独り言のようで、とても私に話しかけているようには見えなかった。

未だに視線はテレビに注がれ、私には一瞥もくれない。

私との交流を望んでいるようには見えなかったのだ。


だからもう一人の私が「これやだ」と言っているのを聞いても、「ああ、このテレビ番組を好きで観ているわけではないのか」程度にしか思わなかった。

ただその状況を伝えただけに過ぎないのだろう。

そうとしか思えなかった。


なら、もう一人の私は、何故この番組を観続けているのだろう。

テレビのリモコンなら、手を伸ばせば届く範囲に置いてあるのに。

今見ている番組がつまらないなら、チャンネルを変えて好きな番組に変えればいいのに。

あるいは、テレビの電源を消して、他の好きなことをすればいいのに。

他に楽しいことはたくさんあるのに、なぜわざわざつまらない番組を見続けているのだろう。

もう一人の自分ながら、奇妙なことをするものだ。

まあ…しかし部外者(同じ私ではあるが)の私がとやかく言うことでもない。

きっともう一人の私は、嫌嫌ながらも続きが気になる、そんな気持ちなのだろう。

だからこのテレビ番組を見続けているのだろう。

私にはそう思うことしかできなかった。


「これやだ!」


再びもう一人の私が言葉を発した。

今度は語気を強めて発せられた。

その声の大きさに驚いて、私は思わずもう一人の私の方を見た。

見るとなんと、もう一人の私は私の顔を凝視している。


「これやだ!」


もう一人の私は私の目をしっかり見ながら声を出した。

私は驚き過ぎて目を逸らすことができなかった。

なんで……なんでこっちを見るのだろう。

どうしてもう一人の私は、私のことを見つめるのだろう。

さっきまでまるで私などいないも同然の扱いだったのに。

いてもいなくても全く構わないという風だったのに。

もう一人の私は、急に私のことを認識し始めたようであった。

私に何か用があるのだろうか。

私が何かしたとでも言うのだろうか?

もしや部屋の明かりを勝手につけたのが気に食わなかったのか?

いや、勝手に部屋に入ってきた時点でまずかったのではないか?

いや、それよりも…………………それよりもこいつ、私に話しかけているのか?


私はひょっとして私ではない誰かに話しかけているのかと思い、辺りを見回した。

右を見て左を見て、前を見て後ろを見て、上を見て下を見た。

しかし……やはりと言うべきか、私以外の人物は見当たらない。

こいつは、私に話しかけている。

もう一度もう一人の私の顔を見て、お互い目を合わせたことで、やっとそのことを理解した。


話しかけていると言っても、「これやだ」という超個人的感情しか伝えられていないので、何をしたい、どうして欲しい、誰に何を伝えたいのかまるっきり何もわからないのであった。


とても子供っぽいコミュニケーションの仕方だ。

具体的な情報が一切無い上に自分では何も動かず、ただ「やだ」と言って周りの人間を動かし、自分の気に入るような状態になるまで言うことを聞かせようと言うのだ。

そうでないのなら、なぜ私の顔を凝視しながら「これやだ」という言葉を発し続けるのだろう。

相手が子供ならまだわかるが、もう一人の自分は、子供でもない大きな大人だ。

大人は可愛くないので、こんなわがままなど聞きたくも無い。

私の顔がついていなかったら無視する他なかっただろう。

しかし相手の顔は自分の顔ということもあり、私はある程度もう一人の自分の要望に応えてあげたいと思った。

私は「これやだ」と主張するもう一人の自分が快適な状態になることに協力することにした。


「これやだ」ということは、「このテレビ番組が嫌だ」ということだろう。

きっともう一人の私は、テレビのチャンネルを変えて欲しいのだ。

私はそう思い、テレビのリモコンを手に取ろうとした。


しかし、リモコンは私の位置からよりも、もう一人の私の位置からの方が圧倒的に手に届きやすい場所に置いてある。

少し手を伸ばせば簡単にリモコンに手が届く。

そんな位置に座っているのに、何故こいつはリモコンを手に取ろうともしないのだろう。

今見ている番組が気に入らないなら、絶対に私を介してチャンネルを変えるより、自分で変えた方がラクなのに。

ただ私の方を見やり、「これやだ」としか言わない。


なんと怠惰でわがままな奴だ。

そう思いながらもリモコンを手に取り、適当にボタンを押してチャンネルを変えてみた。

ボタンを押した瞬間、一瞬画面が暗くなり、テレビのチャンネルが変わった。

くだらないバラエティ番組から、ゴルフ番組へと変わった。


サンバイザーを被ったプレイヤーがゴルフバットを振り下ろし、球を転がしていく。

ルールも何もわからないが、プレイヤーが何点か取ったようで、実況者が熱心に解説している声が部屋に響いた。


私はゴルフに興味が無いが、番組が変わったことでもう一人の私は落ち着くだろうと思っていた。

しかし、もう一人の私の表情を見ても明るくなったようには見えず、相変わらずつまらなそうに仏頂面をしている。


「これやだ」


もう一人の私は再び声を発した。

私はこの番組も気に入らなかったか、と、再びチャンネルを変えた。


今度は将棋の番組に変わった。

将棋盤を模した図で何がどうすごいのかを淡々と解説していく。

私は将棋にも興味が無いのでいまいちよくわからなかった。


「これやだ」


もう一人の私も気に入らなかったようだ。

私は再びチャンネルを変えた。


今度はアニメ番組だ。

主人公らしき人物が相棒のモンスターと共に戦ったり、他の仲間と楽しそうに会話をしている。

テンポよく進む会話と展開に、これでもう一人の私も気にいるだろうと確信した。


「これやだ」


もう一人の私はこの番組さえも拒絶した。

私は流石にイライラしてきて、テレビの電源を消した。

もう一人の私はそもそもテレビを見たく無いのではないかと考えたのだ。

それに私と同じ顔をしているからと言って、相手の言うことを聞く必要もないからだ。

もう自分ではどうしようもないので、相手の判断に任せることにしたのだ。


相手がまたテレビを見たいと感じるなら再び電源をつけるだろう、そして自分で好きなチャンネルに変えるだろう。

他のことをしたいなら他のことをするだろうし、このままボーッとしていたいのならそのままボーッとしているだろう。

そもそも「やだ」しか言わない時点でおかしいのだ。

相手に動いて欲しいなら、好きなものを指示した方が早いのに、そうしないということは初めから相手にどうして欲しいという欲求も無いのだろう。

私が余計な世話を焼いていただけだ。

そう思ってリモコンを元の場所に……もう一人の私の近くに戻した。


リモコンをもう一人の私の近くに戻す時、チラッとそいつの顔を見たのがいけなかった。

もう一人の自分の顔を見やると、そいつは、私のことを物凄い形相で睨んでいた。

顔のしわを歪め、酷く怒っているのがよく伝わる顔だ。

いや、怒っているというより物凄くイラついているような表情だ。

まるで「なぜ私の言いたいことが伝わらないのか」「お前は私の気持ちを察するのが仕事であるはずなのに、それを怠るなんてなんと非常識な奴なのか」とでも言いたげな……。


「やだ!」


もう一人の私は叫んだ。


「やだ!やだ!やだ!やだ!やだああああ!やだああああ!やだああああ!やだああああああああ!!ああああああああああ!!!あああああああああああああ!!!」


もう一人の私は暴れ出した。

と言ってもただ叫んでいるだけで、特に殴ったり蹴ったりするようなことはない。

自分でチャンネルを変えることもできないのだから、きっとそれさえも億劫なのだろう。

安全ではあるが、ただただうるさかった。


「あああああああああああ!!!あああああああああ!!!」


私はテレビの電源を消したのがそんなに不服だったのかと思い、慌ててリモコンを手に取り、再び電源をつけた。


先程のアニメ番組が映る。

するともう一人の私は叫ぶのをやめた。

満足してくれたかと安堵したのも束の間、もう一人の私がぽつりと呟いた。


「これやだ」


なんということだ。

もう一人の私は、具体的な指示は出さないまま相手が自分の思い通りに動くまで騒ぎ続けた挙句、相手が要望に応えても礼も言わずにいまだに「やだ」の一言のみで私をこき使おうと言うのだ。

なんて………なんて不遜な奴なんだ。

わがままにも程がある。

私はもう我慢ならず、リモコンを乱暴にローテーブルに置き、もう一人の私の方へスライドさせた。

何をしても不満しか言わず、要望も曖昧で、そもそも要望かどうかすらもわからないのに他者が自分の気に入らない行動を取ると不機嫌になって暴れ出す。

そんな奴に構っていられるか。


「好きなチャンネルに自分で変えて、どうぞ。」


私がそう語りかけると、もう一人の私は再び物凄い形相で私を睨みつけた。

まるで主人に向かって反逆を起こした愚か者、公的に罰せねばならぬ重罪人を見るような目つきで……。


「これやだ!」


語気を強めてもう一人の私は叫ぶ。

こう言えば私が動くと思っているのだ。

騒げば騒ぐほど相手が自分の言うことを聞いてくれると思い込んでいるのだろう。

きっと、他者が自分の気にいるチャンネルを表示するまで、こいつはこうし続けるのだろう。

そのような態度であった。

そうであってもなくても、私がこいつに従う義理は無い。


「これやだ!!」


もう一人の私はもう一度大声で叫んだ。

私は対抗心が芽生え絶対に奴の思い通りにはなるまいと思い、無視した。

大きな声で叫んでも私が動かないので、もう一人の私も負けじと何度も大きな声で叫び続けた。


「これやだ!!!これやだ!!!これやだ!!!こ、れ、や、だあああああ!!!」


それはもう「私はこれが嫌いである」という意味の言葉ではなかった。

「私の望み通りに動け」「私の気にいる行動をしろ」「私の思う通りのことを成せ」「私のために私が満足するまで動くのが貴様の使命だ」「私に従わない者は許さない」「私を快適な状態にさせろ」

という命令であった。


一切具体的な情報も出さない上に、従ったところで私が得られるものは何も無いのに、こいつは私に命令する権利があり、私はこいつに従う義務があると思い込んでいるのだ。

そしてそれに従わないことは大きな裏切りであり反逆であり、許しがたい大罪である、そう思い込んでいるのだ。


なんとわがままで不遜で傲慢で尊大で身勝手で思い上がった奴なんだ。


私はこのような態度に耐えきれず、思わず言い返した。


「これやだこれやだって、やだしか言わないのに人を動かそうなんて、そんな子供じみた真似したって誰もあなたの言うこと聞かないよ!私はあなたの奴隷じゃない!見たいチャンネルがあるなら自分でリモコンを手に取って、自分で好きにチャンネルを変えればいいじゃないか!どのチャンネルも気に入らないなら電源を消すこともできるのに!そうしないのはどうしてなんだ!?テレビだけじゃない、あなたの部屋にはゲームだって漫画だって、教科書だって置いてあるんだから他のことも出来るのに、そこから一歩も動かないで指一本動かさないで、自分の気にいるチャンネルに誰かが変えてくれるのを待ってたって、そんな都合のいいこと誰かがしてくれるわけないでしょう!仮にしてもらえても礼も言わず、不満しか言わないような奴の言うこと、誰も聞いちゃくれないよ!快適な状態になりたいなら、自分で動かないとどうにもならないよ!誰かに動いてもらおうとしたって、あなた以外はあなたじゃないんだから、あなたが何が好きなのか、あなたが何をしたいのかなんて誰にもわからないんだから!こんなところにじっと座って人を動かそうとしないで、立ち上がって自分で好きなように動きなよ!ほら!」


言い切ると私はもう一人の私の手を取り、立ち上がらせようとした。

しかし………


ぐんっと腕を思い切り引っ張っても、相手はびくとも動かない。

信じられないほどに重い。

鉛?いや、そんな物質的な重さではない。

自分では決して動かないという強い意志の重さのような、他者では絶対に動かせない感情の重さのような、そのようなものを感じた。

自分でここから動かないと決めているのか、そうでないのか。

わからないが、もう一人の私は……こいつはきっと、他者の力では動かせないのだ。

こいつが自分から動こうとしない限り、決して動かすことは出来ないのだろう。

「動きたい」という意志が生まれるまで、きっとこいつはここに居座り続ける。

そして誰かが好きなチャンネルに変えてくれるまでずっとここで待ち続けるのだ。

そのようなものを感じさせる重さだった。


こいつ自身でないとこいつのことは動かせない。

私の力では絶対に無理なのだ。

きっと、ここでこいつの要望を聞き続けても、こいつが満足することは無いだろう。

永遠に不満を抱き、他者を思い通りに動かし続ける、ただそれだけの存在。

こいつはそういう存在なのだ。

直感的に、私にはそれがわかった。

そのことを悟った今、私はこいつに構う理由が無くなった。

いや、元から無かったのだ。


ただ、自分のような顔をしているからなんとなく相手をしていただけだ。

しかし、要望かすらもわからない要望に応えようが応えまいが、向こうは不満を言うだけだし、私も不満を感じるだけで何にもならない。

こいつの思い通りになる義理は無いし、なっても得は無くあるのは損だけだ。

そのような誰も得しない不毛な状態に身を置いておく余裕など私には無い。

よく見ると、こいつの顔もそんなに自分に似ていない。

私はこんな仏頂面をしていないし、目元も口元も耳元もよく見ると全然似ていない。

そう思うと、なんだか相手が鉛の粘土で出来た人間の形に似せたオブジェのように見えてきた。

きっと最初からそうだったのだ。

こいつはただの鉛であり、そもそも人間ではなかったのだ。

だって私はこいつのような子供じみた真似はしないし、こんなつまらないことをし続ける性格でもない。

何か要望があるなら具体的に伝えるし、応えてくれたらお礼を言う。

申し訳ないと感じたら謝るし、理不尽な怒りを露わにするような奴じゃない。

こいつは私じゃないし、私はこいつじゃない。

この部屋も、私の部屋じゃない。


そうだ、ここは私の部屋じゃない。

ここが私の部屋じゃないなら、私がここにいる理由は無い。

入る前は、どうしてここが自分の部屋だと感じたんだろう。

部屋の作りも、置いてあるものも、何もかもが似ていないのに。

自分らしいものが一切置いてない部屋に、なぜ入ってしまったのだろう。

こんなところ、いる方がおかしいのだ。

さっさとここを出て行こう。

早く自分の部屋に、自分が快適と感じる場所に行こう。

私は部屋の電気を消し(自分の部屋ではないからなるべく元の状態にした方がいいと思ったのだ)、振り返りもせず部屋から出て、ドアを閉めた。


バタン


「おかえりー」

お母さんの声だ。

「帰ってきたの?早いねー。」

リビングから顔を出し、私の帰りを確認してからまたリビングに戻って行った。

「テーブルに夕飯置いてあるから、あっためて食べなー。」

私は、私の家に帰ってきたのだ。 


リビングにはテレビを眺めるお母さん、ソファーで寝ている風呂上がりのお父さん、そのお腹の上に乗っかっている飼い猫のカンちゃんがいて、我が家という名の我が家の様子をしていた。


テーブルには冷めた夕飯がラップにくるまれて置かれている。

私はそれを見て、あの部屋にいたもう一人の私(もはや同じ私とは思っていなかったが)を思い出した。

あの部屋は、一体何だったのだろう。

あの部屋は、一体誰の部屋だったのだろう。

私はなぜ、あの部屋に辿り着いてしまったのだろう。

私はそこから、どうやって自分の家に帰ってきたのだろうか…………なぜ帰ってこられたのだろうか。

わからないけど…………………

ああ、お腹がすいた。

あの部屋のことは忘れて、まずは夕飯を食べよう。

ラップにくるまれ、すっかり冷めきったごはん。

あいつなら、「やだ」と言って他者に夕飯を温めてもらっていたのかもしれない。

もしかしたら食べさせることまでしようとするのかもしれない。

でも…………私はあいつじゃない。

冷めたままでも構わないならそのまま食べるし、温めたいなら自分でレンジでチンすればいいだけのことだ。

味つけが気に食わないなら調味料を加えて調整すればいいし、そもそも料理が気に食わないなら自分で作ればいいだけのことだ。

自分でたくさんのことが選べる。

私はあいつじゃない。


夕飯を温めたあと、私はそれを食べながら流れているテレビを見ていた。

あの部屋のテレビとは違う、現代的な薄型ディスプレイのテレビだ。

そのテレビには、あの部屋で流れていた番組とはまた違うが………同じくらいくだらないバラエティ番組が流れている。

司会者がゲスト俳優をいじり、周りはそれに合わせて笑っている。

正直言って、私の好みではない内容だ。

母親もそれを眺めている。

だが、あまり楽しんでいるようには見えない。

流れているから見ているだけ、という風であった。


リモコンは、

母親の近くにあるが、私が手を伸ばせば届く位置にある。

私はリモコンに手を伸ばした。

「チャンネル変えていい?」

「いいよ」

父は寝ていたので、母だけに了承を得て、ボタンを押した。

テレビのチャンネルが変わる。

それも気に入らないなら、また変えればいいだけのこと。

リモコンにはたくさんのチャンネルのボタンがある。

私は私の好きなように、自分の好きな番組を選んでチャンネルを変えることができる。

どれも気に入らないなら電源を消せばいいのだ。

現代はネットがあるから、テレビが嫌なら動画を見ることだってできる。

スマホで見ても、大型タブレットでも、ノート型パソコンでも見てもいい。

どれでも選べる。

好きなテレビチャンネルや動画チャンネルを自分で選べばいいのだ。

私はチャンネルを変えることができる。

自分で変えることができる。

自由に、気ままに、誰に頼ることもなく。


それから………


それから、私は気に入らないものがあればなんでも自分の気に入るものに変えることにした。

洋服だって最近季節外れになってきたから、自分で選んで好きな服に変えた。

バッグも使い古してきたから、新しいものに変えた。

髪型ももっと明るくなりたくて、染めてみたり、ウェーブをかけてみたり、好きなように変えてみたのだ。

なんでも好きなものに変え、気に入らないものとはおさらばした。


自分で選んで自分の好きなように変えることができる。

なんて素晴らしいことだろう!


それから、私はネイルも変えた。

眼鏡も変えた。

靴も変えた。

腕時計も変えたし、ベルトも変えた。

部屋の家具も変え、壁紙も変え、家の屋根も変えてみた。

SNSのアカウントも変え、メールアドレスも変えた。

自分の顔も気に入らない箇所があれば、整形して好きなように変えた。

恋人も変えた。

友達も変えた。

好きなアイドルも変えた。

好きな作家も変えた。

知り合いも変えたし、親戚も変えた。

お母さんも変えた。

お父さんも変えた。

飼ってた猫も犬に変えた。

家も変えたし、住んでるところも変えた。

名前も変えて、性格も変えて、出来るだけ全てを変えた。

歯も変えて、目も変えて、内臓も変えてみて、骨も変えてみて、脳だって血管だって全ての細胞も全部全部他のものと変えて、ありとあらゆるものを変えた。


そしたら、


そしたらそれは、

はたして私と言えるだろうか。

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チャンネルを変えられない人 ユダカソ @morudero

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