イケメン統一教
ユダカソ
イケメン統一教
始めに焼かれたのは人外村であった。
有名な『美女と野獣』の物語で、野獣はイケメンに塗り替えられたのだ。
童話とは言え、人外村の者たちはイケメンに人外のアイデンティティを殺されたことに憎しみを覚え、喪に臥した。
「人外を返せ。我らの人外を返せ。」……
人々は憤った。
だが、それは所詮童話である。
人外村の者たちもほとぼりが冷めれば「これはそういう話だから」と割り切り、平和に日々を過ごしていた。
それが………
あろうことかイケメン村の者たちは『美女と野獣』からダメな部分だけを学び「人外がイケメンに変身すると喜ばれる」と勘違いを始めたのだ。
そのことを学習したイケメン村の者たちは、人外をイケメンに変身させたり、あるいは獣人がイケメンになったり、ドラゴンがイケメンになったりと、やりたい放題を尽くしたのであった。
(その場合、たいていイケメンは動物の耳や尻尾が生えていたり、角が生えるなどしていた。)
イケメン村の住民は他の村の者の気持ちなどわかるはずもないので、それらーーー尻尾や動物の耳、角が生えた程度のイケメンーーーを「人外」と呼び、弄んだ。
もちろん人外村の者から見たらそれは「人外」ではない。
人間としての要素が多すぎるがゆえに人外とみなすのは不可能なことであった。
だがイケメン村の住民はそんな区別がつくはずもなく、「これで人外村のみんなも喜ぶ」と思い込んだまま次々に人外をイケメン化していった。
人外村の住民はこのようなイケメン村の住民達の暴挙を許すことが出来るはずもなかった。
しかし和平を好む人外村の住民は、イケメン村を襲うことはなかった。
代わりにイケメン村の人々の手の届かない山奥にひっそりと移り住むことにし、「イケメン村の者は見かけ次第殺す」という掟を作り上げた。
イケメン村から見れば「野蛮な村」と思われただろうが、イケメン村の暴挙が無ければこんな掟が生まれるはずも無い。
人外村の住民たち自身の身を守るために、やむなくしてこの厳しい掟が生まれたのだ。
人外村はそうしてイケメン村と交流を断絶し、険しい山々に囲まれた地に移り住み、そこに行き着いた者だけが住むことのできる安寧の地を作り上げ、静かに暮らすようになった。
次に燃やされたのは覆面村だ。
覆面や仮面など、顔を覆うものは大抵わけがあって隠されているものである。
『オペラ座の怪人』に代表するように、もともと仮面の下は大抵醜いものや酷い怪我を負った顔が潜んでいるのが定石であった。
それがいつの日か………
イケメン村の侵略により、「覆面・仮面の下はイケメン」というお約束が生まれたのであった。
覆面・仮面村が好むのは覆い隠された顔のことではない。
覆い隠す覆面や仮面に全ての魅力を感じているのだ。
なのでその下の顔になど微塵も期待しておらず、むしろ無い方がいいと感じている者も少なくない。
だがイケメン村の者は何を勘違いしているのか「覆面・仮面の下はイケメンの方が人々は喜ぶ」と思い込んでいるのだ。
覆面や仮面のその下の顔面に魅力を感じているならば、むしろ覆面や仮面は邪魔なはずである。
「イケメンが見たくて覆面や仮面を好んでいるのではない」
覆面・仮面村の者達もイケメン村と決別し、遠く離れた地に移り住んだ。
しかし勘違いしたイケメン村から度々襲撃を受けることも少なくないため、覆面・仮面村は紛争地帯と化した。
イケメン村の攻撃に備え、常に厳重な警戒を怠らない不穏な村となってしまったのだ。
このような少数派にとっては残念なことだが、イケメン村の力は強大であり、もはや滅ぼすことは不可能なまでに沢山の人々がイケメンの加護を受けている。
彼らは主に『イケメン統一教』の信者である。
イケメンを素晴らしいと思い込んでいるがゆえに「世界中の男性像をイケメンで統一すれば人々は幸福になる」という教えを信じているのだ。
なのでそれに従わない異教徒(人外村や覆面村)は卑しい者と見なし、迫害された。
イケメン村で生まれる物語では大抵「人外は自身を醜いと感じており、人間になりたいと望んでいる」というストーリーとなっている。
それらは人外村から見ればおぞましい物語なのだが、彼らは「そのような話を好む者もいるだろう」とあえて触れることは無かった。
なにせ人外村の中には「自身を醜いと感じている人間が人外の姿に憧れる」というストーリーの物語も存在していたからだ……。
彼らは彼らなりの人外の物語を作り上げ、人外を愛した。
そうすることでしか己を救う方法が無かったのだ。
他の村(覆面村など)もそうすることでなんとかイケメン村の襲撃から生き延びることが出来ていた。
イケメン統一教はたびたび遠征に出かけ、「イケメンは正義」という信念を掲げながら各地の村々を焼いていく。
ブサ専村、メガネ村、三枚目村、筋肉村、デブ専村、オネエ村……
応戦し、傷つきながらも生き残る村もいれば、あっさりと降伏しイケメン村に取り込まれる村も少なくない。
次々に勢力を拡大していくイケメン村。
その力は留まることを知らない。
だがある時……イケメン村で内紛が起きた。
それはイケメン村と隣接するイケおじ村との出来事であった。
イケおじ村はイケメン村の姉妹村のような存在であり、交流が盛んである。
彼らは基本的に相性がよく、イケメン村からイケおじ村に移り住む者も少なくないほど良好な関係を築き上げていた。
しかしイケメン統一教はあろうことか、イケおじまでもイケメンに統一しようとしたのだ。
イケおじが好きな人は重ねられた年月、それに応じて生まれる皺など、老い自体に魅力を感じている。
だのにイケメン村は「若ければ若いほど良い」と信じて疑わないために……イケおじを若返らせてしまったのだ。
「イケおじを好きな人がイケメンも好きとは限らない」……
そのことも理解できないままイケメン統一教はイケおじ村を襲撃しーーそれも「みんな喜ぶと思って」ーーイケおじ村とイケメン村による大規模な戦争が起きたのであった。
イケおじ村もイケメン村の次に強大な村である。
勢いよく応戦し、戦争は長引いた。
だがイケメンとイケおじは地続きのような存在でもあり、なかなが決着はつかなかった。
「イケメンが年老いたらイケおじ、イケおじが若返ったらイケメン」「そこになんの違いもありゃしねえだろうが!」「違うのだ!!」
何にしろ勝手に若返らせるな……黙れ枯れ専どもめ……
人々は口々に言い争った。
戦争は多くの人々を巻き込み、長く長く続いた。
が…………
結果としては……イケメン村の勝利に終わった。
やはり数が多い者が勝り、イケおじ村の中にも元イケメン村のイケメン統一教信者が少なくないために、イケおじ村は押し負けてしまったのだ。
「やはりイケメンには勝てない……。」
大半の人は諦めていた。
だがイケおじ村の中でも一部の人々はイケメン村に強い憎しみを覚え、村を抜け出した。
少数ではあるが自治体を作り細々と暮らすことにしたのだ。
こうすることで少数派はしたたかに生き延びていった。
イケメン村に土地を追われた者たちは憎しみを忘れることなく、自身の村を守るために力を蓄え続けている。
そしてここでも「イケメン村の者は見かけ次第殺す」という掟が生まれていたことを、イケメン村の者達は知る由もない………。
イケメン統一教 ユダカソ @morudero
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