第12話 生○○

 部屋で辺境伯領の治水についての計画書を見ていたところ、ドアが控えめにノックされた。


「入れ」


 エドガーは書類から目を離さず、セバスチャンだと思い入室の許可を出した。


 人が一人入ってきて、扉が閉まる音がする。いつもならば、エドガーが書類を見ていても、報告事があれば勝手に話すセバスチャンが無言で立っていた。


「なんだ?屋敷で不具合でも起きたか?」

「いえ……そうじゃなくて」


 エドガーは、その声を聞いて驚いて顔を上げた。

 目の前には、前髪をいじりながら、俯くエマの姿があった。しかも、ガウンは羽織っているものの、どう見ても透け感のあるナイトドレスを着ているではないか。


 エドガーは、書類をバサリと床に落としてしまうくらいの衝撃を受けた。


「やだ、大丈夫?」


 エマはエドガーの横にくると、しゃがんで書類を拾い出した。

 エマがしゃがんだ途端、ゆったりと広めの襟ぐりのところから、見えてはならない丸い膨らみが……。


 エドガーは、思わずガン見してしまう。


 そこは紳士だからとか、騎士団長だからとかは関係ない。

 気になる女が無防備に生チチを晒していたら、それは見てしまうのが男だろう。どうでも良い女のモノはそれこそどうでもいいが、目の前にあるのはエマの生チチだ。


 エドガーは貴族であるから、それこそ実地の閨教育は受けている。十四年前に。……できれば思い出したくない記憶だ。

 そして、今まで数名の婚約者とも住まいを共にしてたこともある。しかし、これは広い城のような屋敷のどこかに婚約者が住んでいたというだけで、お互いの部屋を訪れたことさえなかった。


 そう、エドガーは素人童貞だった。


「はい、順番とかは適当だけど」


 書類を拾い集めたエマは、まさか生チチを見せつけていたとは気が付かずに、エドガーに書類を差し出した。


「ああ、悪い。ありがとう」


 エドガーの網膜に、エマの生チチと、その谷間(という谷間はないのだが)にあった三つ並んだ黒子がくっきりと記憶された。


「……」

「……」


 気まずい沈黙が流れる。

 先に動いたのはエドガーだった。


「少し寝酒に付き合わないか」


 エドガーは棚からワインとワイングラスを出してきた。エドガーはソファーに座り、テーブルにグラスを置きワインを注いだ。

 それを見ていたエマは、グラスが横に並べられて置かれたのを見て、エドガーの正面ではなく隣に腰を下ろした。


「ワインは飲めるか?」

「はい……いや、多分」


 キララであるならば、ザルを越えてワクである。しかし、エマの身体でお酒を飲んだ記憶はない。


「多分?」

「飲みたいけど、飲んだ記憶はないから」


 エドガーにはできる限り嘘はつきたくないから、正直な状況を伝える。


「そうか。冬なら、ホットワインにすればアルコール分を飛ばせるが、今は暑いからな」

「大丈夫ですよ」


 ……と言ったのは、いつだったかな。


「あっつい!!!」


 羽織っていたガウンを脱ぎ捨て、女子校の生徒レベルでスカートをバサバサやって扇ぐ。アン一推しの紐パンが丸見えだが、エマは気にしない。


「こら、駄目だって!脱ぐな」


 ナイトドレスのボタンをポチポチと外し始めたエマを見て、エドガーは慌ててその手を押さえる。

 見たいには決まっているが、自分の鉄壁を誇っていた理性が、エマの前ではグラグラ揺らぐ自信しかない。しかも、チラッと見えるレベルを超えて丸出しにされたら、きっと十代の男子レベルで反応してしまうだろう。……今だってかなり危ないレベルだというのに。


 エドガーは、さりげなく足を組んで手のひらを股の上に置く。


「エドガーさん、いや、エド!」

「お……おう」


 エマはワイン一杯で酔っ払っていた。かなりご陽気に。


「すっごい、素敵な筋肉だね!特にこの胸筋、羨ましい」


 エマは満面の笑みで、エドガーの胸をペタペタ触る。薄いシャツごしにエマの小さい手の感触を感じ、エドガーは硬直してしまう。しかも、エドガーが視線を下げれば、大胆にボタンが外されたエマのナイトドレスの中身が見放題だ。

 

 これは精神力を鍛える修行だろうか?と、エドガーは頭の中でセバスチャンに半裸でポーズをとらせて冷静を保とうとする。


「エマ……」

「本当、超推せる。エド、ちょっと力入れてみてよ。これだけ筋肉あったら、胸動かせるっしょ。ピクピクって。あれ、やってよ」

「……こうか?」

「そう、それそれ!」


 エマはケラケラ笑いながら手を叩き、何を思ったかエドガーのシャツのボタンに手をかけた。


「こ……こら」

「推しの筋肉は生で見たいじゃん。やだなぁ、出し惜しみ?こんなカッコイイ筋肉、なかなか見れないっしょ。先輩達はみんな脱いで筋肉自慢してたけど、ここまでのはお目にかかったことないし」

「先輩達?!それは男か?!」


 聞きづてならないことを聞き、エドガーはエマの肩を強く掴んでしまう。


「エド、痛い〜」

「あ……悪い」

「いいよ〜。エドになら何されてもウエルカムだから」


 エマがヘラヘラ笑って言うと、エドガーは真剣な表情でエマの目を見つめた。


 エマの言う先輩とは、治療院の先輩だと思い込んだエドガーは、半裸の男達に囲まれて怯えるエマを想像し(実際には新歓の余興で、体操部の先輩達が整列して半裸で筋肉自慢をしながらポーズをとっているのをゲラゲラ笑いながら見た)、憤りを隠せなかった。


「……辛い思いをしたな」

「辛い?……うーん、まぁ(体操の練習は)そういうこともあったけど、楽しいことのが多かったからね」

「……それは、第三王子は知っているのか」

「(第三王子って誰だっけ?……あぁ、あのナヨッチイイケメン!)知らないでしょ」

「そうか……。しかし、婚約者であったならば、君を守る義務があった筈だ」

「(婚約者?そっか、結婚式してたな。あのまま第三王子なんかと結婚しなくて良かった!今はエドが旦那様だもんね)なら、エドが私を守ってくれるの?婚約者どころか旦那様だもんね」


 内容は噛み合っていないのだが、会話は噛み合ってしまっている二人だった。


「当たり前だ!」


 エドガーはエマをきつく抱き締めた。その弾力のある雄っぱいの感触に、エマはフニャンとなりスリスリと頬を寄せる。酔っ払ったエマは欲望に従順だった。

 

 エマの柔らかい身体を感じ、甘い匂いを嗅いでしまったら、エドガーの理性は吹けば飛ぶ埃のように軽くなってしまう。それでもその一息を吹かないように、息をひそめてエドガーは囁く。


「……手に入れたいと思うのは傲慢だろうか」

「……?」

「最初は、傷ついたであろう君の居場所になれればと思った。いつか君の本当の居場所を見つけるまで。でも、君が俺のことを怖がらないで笑顔を見せてくれたり、楽しそうに話しかけてくれる度、君を手放さなければならないことを考えると辛くなって……。君に似た者を見ては君を想うようになり、俺は……」


 耳元で響くエドガーの声は心地良くて、エドガーの胸の中は何よりも安心できて、エマはついウトウトとしてしまう。エドガーが、何かエドガー目線のキラキラしたエマを語っているようだが、エマの耳にはただ心地良い子守唄のように聞こえた。


「……私の居場所……ここがいいな」


 半分夢心地で、エマはエドガーにキュッとしがみつく。


(腕が回りきらない胸板の厚さとか、これよこれ!この最高の筋肉を他の女性もいっぱい堪能したかと思うと……。マジ許せん!)


 いきなりカッと目を開いて覚醒したエマは、エマの言葉に感極まったような表情のエドガーの胸ぐらを掴んだ。


「この筋肉は、これからは私専用で!他の女性には触らせたら駄目だからね」


 エドガーは驚いたように目を見開いたが、すぐに今まで誰も見たことがないだろうフワリと優しい笑みをこぼした。その笑顔のギャップに、エマの心臓が大きく跳ねた。


「当たり前だ。君が俺の本当の妻になってくれるなら」


 もう「推し」だと誤魔化せないくらい、エドガーへの気持ちが爆上がりした瞬間だった。


「なる!」


 エマはエドガーの首に抱きついた。

 エドガーはそのままエマを抱き上げると、立ち上がって部屋の奥にある扉へ向かう。エドガーが器用にエマを下ろすことなく扉を開けると、その奥には落ち着いた寝室があった。


「……寝ちゃうの?」

「まさか!……でも、本当に良いのだろうか?」


 エドガーの視線が悩むように揺れる。


「何が?」

「エマの相手が、俺のようにかなり年上な上、顔に傷まであるような男でだ。別に誰に何を言われても俺はかまわないが、エマが俺のせいで陰口を叩かれるのは耐えられん」

「アハハ、エドとのことで何か言われるとしたら、ただのやっかみだよ。カッコ良すぎな上、スタイル抜群、しかも剣では無双でしょ。完璧か!それに、もしエドの傷のことをとやかく言う人がいたら、私が蹴り飛ばしてあげるから」


 今まで、顔を背けられたり、顔色を悪くされたり、最悪は顔を見ただけで気絶されたりしてきた。こんな醜い傷のある男に嫁いでやるのだからと、高価なプレゼントを要求されたり、果ては公然と愛人を連れて嫁ぐと言ってきた令嬢もいた。

 王都から出てこない母親が送り込んでくる婚約者は、そんなエドガーを男どころか心がある人間とすら思わないような女性ばかりで、エドガーもそんな女性達と会話する気も起こらず、出て行くならでて行けという態度を常にとっていた。いつしか北の辺境伯といえば、冷徹で恐ろしい人物の代名詞のようになってしまった。


 しかし、エマは最初から彼女等とは違った。エドガーを恐れるどころか、笑顔を向け楽しそうに話しかけてくれる。エスコートの為に差し出した腕を躊躇わずとり、それどころか照れてはにかむ姿は、まるでエドガーが普通の、いや、普通以上に好ましい男性だと思っているかのように思えて……。

 

 エドガーはエマをそっとベッドに下ろした。しかし、エマが逃げたければ逃げられるだけの余裕は残しておく。


「エマ……愛している」


 エマはエドガーの首に手を回し、引き寄せるようにしながらベッドに倒れた。


「ヤバイ!推しが旦那様で、しかも愛してるいただきました!」


 エマは幸せそうにフニャッと微笑むと、自分からエドガーの唇に噛み付きに行った。


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