催眠副作用
森本 晃次
第1話 やっと晴れての入学式
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。今回は少し作家としての偏見が混ざっているところがあるので、お見苦しい点があるかも知れませんが、そこもご了承ください。
K大学のキャンパスでは、今年もたくさんの入学制がキャンパスを所狭しと賑わせている。入学式を終えて、緊張の面持ちの新入生に、クラブやサークル活動の先輩が声をかけまくっている。
今まで受験で孤立していた人生がここまで変わってしまうと、
「本当に受験勉強頑張ってきてよかったな」
と、誰もが感じていることだろう。
一年生の中には、すでに大学慣れしているかのような人もいて、予備校の時にも、輪の中心にいたいと思っているようなやつを見てきたが、大学の中で見ると、それはまた新鮮であり、同じ人物でも違った人間に見えることだろう。
なにしろ、今までは、
「予備校生」
これからは、押しも押されぬ、
「大学生」
なのである。
入学式が終わると、いよいよ大学生活が始まる。次の日からは、自分から受ける講義を決めていくことになる。
高校を卒業し、一浪しながらも、何とかK大学に入学できた高橋つかさは、今までの暗かった予備校生生活を思い出していた。
「何も楽しいこと、なかったな」
まわりから、カラオケに誘われたりもしたが、一切誘いに乗らなかった。
「たまには息抜きも必要だよ」
と、男子に言われても、同じ予備校生、その言葉に何の信憑性があるというのか、
「信じられない」
という気持ちを持って、いつも孤独をまるで正義のように思っていたのだった。
中学時代までは、天真爛漫で、
「あの子、少し抜けてるんじゃないの?」
とまで言われていたくらいだったが、高校に入ってからは、まったく性格が変わってしまった。
友達がほしいとも思わないし、まわりから一人で孤立することも、嫌だとは思わなくなった。それはきっと高校生になってから、友達の目が気になりだしたからだった。
「あの娘、いつもヘラヘラ笑ってて、気持ち悪いわ」
と言われているのが聞こえてきた。
一番仲のいい子だったので、まさか自分のことではないと思っていたが、次の瞬間、
「つかさって、本当におめでたいわね」
と実名が飛び出した。
もうそれを聞いて、自分以外にありえないと思うと、それまでの自分がまるでまわりから置いて行かれているように思えたのだ。
つかさの顔から笑顔は消え、今度はそんなつかさを皆不気味に思うようになった。つかさの方も、
「しまった」
と思ったが、後の祭りで。完全に笑顔を忘れてしまった。
完全に、、
「歌を忘れたカナリア」
になってしまったのだ。
笑顔が消えると、まるで別人だった。鏡を見るのも怖くなり、中学時代は毎日のように見ていた鏡に何が映っているのか、自分以外が映っているように思えて恐ろしかった。もし、映っているのが自分でなかったら、それは魔女ではないかと思えたほどだ。
「魔女のように鼻が高く、目がきつく、口が耳の近くまで裂けていたら、どうしよう……」
そんな恐ろしい思いから、鏡を覗くことができなくなってしまった。
「鏡に吸い込まれたらどうしよう」
そんな思いまであったくらいであった。
とにかくつかさの中では、
「浪人せずに現役で大学に入学したい」
という思いが強かった。
進学だけは早くに決めていた。高校を卒業して就職するなどという考えは最初からなくて、進学できるのであれば、どこの大学でもいいと思っていた。それが滑り止めで受けた学校であっても、一つでも引っかかりさえすれば、喜んでその大学にいくつもりだった。
しかし、現役での受験は、受験した学校すべてに失敗し、結局滑り止めにすら引っかからなかった。これは、かなりのショックであった。
「このまま、進学を諦めようか?」
とすら思ったほどだったが、さすがに就職に今から切り替えるのは無理なことで、結局予備校に一年通って、来年の受験を目指すことにした。
最初の数か月は、罪悪感で押しつぶされそうだった。まるで自分だけが大学に入れずに、一人だけ惨めな予備校生活。そんな気持ちに打ちひしがれるような気持ちになり、自分だけが、人生の落後者であり、一番底辺にいるということを自覚するようになっていた。
今から思えば、鬱病だったのかも知れない。
自己暗示がかかってしまい、どこか病的になってしまったことを自覚はしているが、すべてを鬱病という言葉で片づけてしまったのは、きっと、
「逃げの気持ちが強かった」
ということであろう。
だが、予備校に通っていても、高校現役の頃であっても、人と絡みたくないという思いに変わりはなかった。人と絡んでしまうと、きっと自分が惨めになっていくのが分かったからだ。いくら受験のためとはいえ。人と隔絶して、まわりがすべて敵であり、友達としてなど見ることができないくらいに自分を追い込まないと、またしても、どこの大学にも引っかからないという結果を招いてしまう。
「もう、あんな思いをするのは嫌だ」
と感じていた。
どこの大学にも引っかからなかった時、最初はいじけた気持ちになった。いじけた気持ちになった時は、それほど惨めではなかったのだが、意外といじけた気持ちが長続きしなかったことで、次に襲ってきたのが、現実を見つめることだったのだ。
現実からは逃げることはできない。受験に失敗したという事実をいつかはどこかで真摯に受け止めないと、先に進むことはできないのだ。その時に感じる惨めさは、自分を他人事のように感じないと耐えられないほどの辛さであった。
「鬱病だ」
と思ったのも、無理もないことで、そもそも、この思いが他人事を演出している証拠だったのかも知れない。
予備校に入ってから、最初に二か月ほどは本当に他人事のような気持ちだった。予備校に通って勉強しているのが、何のためなのか、目標すら見失っていたほどである。受験というものが自分にとって何なのか、まずそこから分からない。どうして大学に行くというだけで、こんな思いをしなければいけないのか、そして、こんな思いをしてでも、就職の方が嫌だと思っているのか、ずっと頭の中の選択四にはなかったのだ。
それでも、夏ごろになると、勉強していることに違和感はなくなってきた。単純に慣れてきたというだけのことなのかも知れないが、目標が分からないまま慣れてきただけであれば、自分が惨めな思いを抱いていることも、本当は消えていないのに、慣れてきただけなので、何を目標に生きているかということを考えることすら、なくなってしまっていた。
ただ、成績はそれなりに悪くはなかった。
「これだったら、今年は大丈夫かも知れないですね」
と予備校の先生から言われたが。考えてみれば、同じ言葉を高校の時の先生からも言われた気がした。
要するに、何を言われたとしても、その言葉を信用してしまうと、もしダメだった時、ショックが大きいということであろう。
いや、ショックが大きいというよりも、また同じことになってしまうと、言葉というものを信用できなくなってしまいそうで、そっちの方が怖いのかも知れない。それでも、ダメだった時のショックが怖いと思うということは、言葉を信用できないということに関しては、それほどショックでもないということなのだろう。
ショックというよりも、そのショックがマヒしてしまうことの方が本当は怖い。ショックを感じたくないという思いから、他人事のように感じるようになって、いつの間にか感覚が慣れてしまう。感覚が慣れるということは、
「絶えず、同じレベルの感覚を保ち続ける」
ということであり、難しいことのように思えていたが、他人事だと思うことで、その難しさを解消することができる。
他人事のように感じるというのは、あくまでも漠然として感じることで、慣れてくることとは違う。これこそ別レベルのことなので、一緒に考えることがほとんどないが、もし考えることができるとすれば、それは、
「夢から覚める時であろう」
という思いであった。
眠っていて目が覚めるまで、見ていた夢をどんどん忘れていくのを、高校時代までは感じたことがなかった。
目が覚めてから、
「何か、夢を見ていたような気がする」
と思っても、どんな夢だったのか覚えていないことの方が多かったのだが、別にそれならそれでいいと思っていた。
「怖い夢だったから、意識的に忘れるようにしているんだ」
と自問自答していたのだが、後から考えてみると、
「覚えている夢というのは、怖い夢ばかりではないか」
と思うことであった。
その時に考えたのが、
「私は楽しい夢など見ることができない体質で、その中でも覚えているとトラウマになってしまいそうな怖い夢だけ忘れてしまうようにしている」
という思いと、
「楽しい夢は忘れるようにできているんだ」
という思いとが交錯していた。
夢というものを、皆楽しいもののように言っているが、
「ほとんどの人が楽しい夢を見ていてもそれを忘れることはないのだが、ごく一部の人間は覚えることができないでいるのだろうな」
と思っていた。
自分が、その、
「ごく一部」
の人間であって、希少価値なのだろうと思うのだった。
まわりの誰かに聞けば自分の疑問を解決する話をしてくれるのかも知れないが、敢えて人に訊いて疑問を解決しようとは思わなかった。
「きっと、分かる時がいずれやってくるのであって、何も焦って知る必要などないのではないか」
と思うようになっていたのだ。
その年の夏は結構厳しい暑さが続いた。六月中旬から梅雨に突入し、ジメジメした毎日を送っていて、やっと梅雨明けしたかと思うと、うだるような暑さが襲ってきて、それに追い打ちをかけるのが、あの耳をつんざくようなセミの声だった。
セミの声を一番鬱陶しいと思って聞くセミの声は、朝目覚める時であった。朝なので、冷房までは掛けないで目を覚ますことができると思っていたので、窓を開けたまま寝ていると、早朝の六時を回ったくらいから、セミのけたたましい音で目を覚ますことが増えてくる。
目覚めが一日のうちで一番嫌いな時間だっただけに、セミの声は完全に追い打ちだった。一気に身体にだるさが襲ってきて、身体中に変な汗を感じるようになる。この暑さは表からのものではなく、内部から噴き出してくるもので、
「これが現実に引き戻されたという気持ちなんだろうな」
と感じるのだった。
目覚めた中で、夢から覚めていくのを感じていたが。セミの声を自分がどうして恨めしく感じるのかというと、
「せっかくの夢を台無しにしやがって」
と、心の中の声は親父化してしまっている自分に戸惑いを感じながらも、ふと感じたこととして、
「そう思うということは、見ていた夢が決して怖い夢ではなかったということを示しているんじゃないかしら?」
ということであった。
つまり、今までは、
「怖い夢以外は少なくとも自分にはないんだ」
と、まわりのことは別にして、そう感じていた。
目覚ましのアラームで目を覚ますのも、嫌だったが、セミの声はさらに嫌だった。その日がうだるような暑さであることを、目が覚めた瞬間から頭にしみこんで離れないからだった。
「本当に嫌だわ」
と、アラームのように脅かされるわけではなく、ジワジワと現実に引き戻される感覚の方が嫌だったのだ。
そのうちに、つかさは夢を見なくなった。いや、見なくなったというわけではなく、夢を見ていたかも知れないという感覚がなくなってきたのだ。
「やっり、夢なんか見ないんだ」
と思うようになり、それまでと違って、夜がゆっくり眠れるようになった気がしてきた。
その感覚があるからか、自分をあまり惨めに思わなくなった。この感覚に慣れてきたのかも知れないが、慣れてきたことを嫌だと思うこともなくなってきたのだ。
そう思うと、朝起きた時のセミの声も嫌ではなくなっていた。セミの声は相変わらずなのだが、ジワジワと現実に引き戻されるという感覚がなくなってきたのだ。
一番よかったのは、目覚ましが鳴る前に目が覚めるようになったことだ。
「それは熟睡できていないからなんじゃないの?」
と自分に問うてみたが、そのわりには、目覚めは悪くなかった。むしろ目覚ましで叩き起こされる方が、眠りを途中で邪魔された気がして、頭痛も残ってしまうし、ロクなことはないように思えたのだった。
きっと、体内時計が実際の時間に対応できるようになったからなのだろうが、そこまで冷静になれなかったので、結論を理解することはできなかったが、感覚で納得していたのがよかったのか、その頃から、目覚めが嫌ではなくなっていた。
それまでは、
「まずは規則正しい生活を志すこと」
という意識が強く、昼寝もしなかった。
眠い気持ちを抑えて勉強をするのがどれほど辛いか、昼寝をするようになって気付いた。昼寝などという感覚を持ってはいけないなどと考えていた自分を、その時に戻って殴ってやりたいとまで感じたほどだった。
季節はいつの間にか秋になっていたのだろう。セミの声がいつの間にか鈴虫の声になっていた。セミの声が響き始めた時は意識があったのに、セミの声がいつの間にか鈴虫の声に変わってきてからというもの、その意識がなくなっていることに、なぜか気付いていなかったのだ。
ただ、相変わらずの暑さではあった。ただ、風が吹いた時に感じる涼しさは、秋の到来がすぐそばまできていることを予感させた。
まだ暑さが残っているので、鈴虫の声に気づかなかっただけなのだろうか? どうも違っているような気がして仕方がなかった。
そこから大学受験まではあっという間だった。
それまでを思い出しても、あれだけ暑かったはずの夏があっという間であったということは、暑さの感覚を遠い昔のように、忘却の彼方に追いやってしまったことと同じなのかと、余計なことを感じるようになっていた。
だから、秋から先があっという間であるということを自覚していたのであり、実際にあっという間に過ぎてしまっていたのだ。
「志望校に入学できた」
という事実は、まるで夢を見ているかのように自分を有頂天にさせた。
昨年は、滑り止めさえ受からなかったことを思えば、何ということだろう。今年は、滑り止めであっても、合格してほしいと思いながら、半分は自分が信じられなかった。それはその都度、去年のどこにも引っかからなかったという現実をどうやって受け入れればいいのかという思いで途方に暮れていた自分を感じたからだ。
他人事のように思っていた去年。今年こそはそんな思いをしたくない。
「大学に合格さえできれば、嫌いな食べ物だって食べることができるようになれそうな気がする」
と感じたほどだった。
差し当たって、嫌いな食べ物があるわけではないつかさに、その感覚は分かるはずもないのだが、そう感じるというほどに、有頂天になっていたということであろう。絶対という言葉があるはずはないのに、合格発表を見に行った途中のどこかで、
「必ず合格している」
と感じたのは、まるで虫の知らせのようなものだったのかも知れない。
宗教的なことや、超常現象などは、まやかしとして信じることのなかったつかさだったが、大学に合格できたこの時だけは、虫の知らせを、まるで超常現象のように感じたとしても、それは無理のないことだと思えたのだ。
それは、自分の中で、自己催眠にでも掛けているような感覚があり、これから始まる大学生活のシナリオを、ゆっくり描けるということが、一番の有頂天なのだということを自覚していた。
「これでやっと大学生だ」
と、入学できたことを節目と見るはずのものなのに、最終目標のように思えるのは、本当に無理のないことだったのだろうか。
今回は希望している大学にも入学することができ、最初の年は、
「滑り止めなんかじゃ嫌だ」
と思っていたのに、その滑り止めにすら引っかからなかったのに、二回目になると、
「滑り止めでもいいから、大学生になりたい」
と思っていると、志望大学に入学できるなんて、
「世の中本当にうまくいったとしても、それはただの偶然なのかも知れない」
と思えてくるから不思議だった。
大学入学がすべてではなく、これから送る大学生活のスタートラインに立っただけだとは思うのだが、エネルギーを使い果たしたという気持ちはあった。地元の大学なので、家から通えるのはありがたかった。今まで通っていた予備校よりも大学の方が近いところにあるというのも実に皮肉なことで、あれだけ遠かった大学のキャンパスが、入学前から自分のものにでもなったかのような気がして、本当に有頂天になっていた。
あれだけ夢にまで見た入学式だったが、実にあっけないものだった。最初の方では、
「早く終わってくれないかな?」
と思うほどであり、せっかくの夢をぶち壊されたような気がして、興ざめしていたのだ。
もし、これが現役で入学していたらどうだっただろう? 入学式への思いも違ったかも知れない。本人は一年遅れたという意識をなるべく持たないようにしようと思っていたのだが、心の中で、
「待たせたな」
と言っているのを感じると、思わず吹き出してしまいそうになっていた。
入学式が終わり、諸手続きのために、大学の講堂から、教務会館までの道のりには、各部活のテナントが設けられていた。テントが張られ、それぞれのブースになっていて、新入社員勧誘の恒例儀式になっているのだ。
大学のパンフレットなどでよく見かけた光景の中で一番最初に出会う光景がこれであることは最初から分かっていた。
昨日までは、
「どんなものか」
と楽しみにしていたが、実際に来てみると、
「こんなものか」
というのが実感だった。
実際に、どのサークルに参加しようかなどという思いはまだ持っておらず、そもそもサークルに参加するかどうかすら頭の中では考えていなかった。
部活ブースには、まず、自分たちが何のサークルなのかを示す、さまざまなアニメや画像を駆使してのいわゆる看板が最初に目につく。
いや、運動部系であれば、ユニフォームや道具などで、何の部活なのかは一目瞭然なのだろうが、文科系はそうもいかないので、最初に見に就くのは文科系サークルであろう。だが、中には運動部系でも、ユニフォームだけでは何のスポーツなのか分からないものもある。その時は看板に目が行くのだが、看板を見ても、いまいちピンとこないサークルもあるのが笑えるところだった。
テントの下には長机が置かれていて、そこに三、四人くらいの人が座っていて、受付をしていた。
看板の近くでは、いかにも呼び込みと呼ばれる人たちが、それぞれのパフォーマンスを演じている。何とか部員候補を呼び込もうとする宣伝部員だった。
後で知ったことであるが、この宣伝部員は二年生が多く、
「宣伝は二年生の役目」
という部がほとんどのようだ。
ほとんどの部は賑やかなイベントにふさわしく、紳士淑女の正々堂々とした呼び込みをしていたが、中には半強制的にブースに引き込もうとしている部もあった。運動系の部活で、勇ましさだけを売りにしているくせに、引き込む新入生のそのほとんどは、誰が見ても青二才で、ちょっと強く言われると断り切れないような連中ばかりである、
――そんな青二才ばかりに声をかけてどうするっていうのよ。役に立たないか、それともすぐに辞めてしまうのがオチなんじゃないかしら?
と思って、冷めた目で見ていた。
まさに呼び込みは脅迫そのものだったが、見ていて不快な気持ちにさせられたのは、つかさだけではなかっただろう。そう思っていると、急に我に返った。
「あっ、いけないいけない・今日はせっかくの入学式なんだわ。入学式から、何を冷めた目でしか見ていなかったんだろう?」
と思ってしまった自分を、情けないと思うよりも、どんな大学生としての自分を表に出すかという意識があったはずなのに、どこかに忘れてきた自分にビックリしていた。
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