動機と目的

森本 晃次

第1話 オオワダ総合コーポレーション

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。新型コロナウイルスなどの新型伝染病に対しては、小説世界では存在しないものと考えてください。


 K市郊外は、小高い丘や山に囲まれていて、麓のようなところには、食品会社などの工場がいくつか建設されていた。近くを高速道路が通っていて、ちょうど、ここを拠点に主要各県の県庁所在地と無ずバレていることから物流の拠点でもあり、食品会社の工場以外は、そのほとんどが、流通関係の建物が多かった。

 市の中心部は、県庁所在地へのベッドタウンとして、車でも電車でも、十分な通勤圏内であることから、駅近くにはマンション、さらに高速道路近くには、郊外型の巨大複合ショッピングセンター、さらには、麓から少し傾斜になっている丘部分には、分譲住宅が建設されていて、結構賑わっていた。

 本当はバブル期に計画された街の一大プロジェクトだったのだが、昭和の終わりとともに、バブルが文字通り水泡に帰してしまってからというもの、このプロジェクトも無用の長物になりかけていた。

 だが、ここに王手企業が数社参入してきて、インフラと、交通の便のよさをフルに使って一気に売り上げを伸ばした。

 それまではm何とか丘の企業や個人に何とか集まってきてほしいということで、交通の便の分を犠牲にした価格設定で、場所を低価格で提供できるということが話題となり、少しずつ誘致企業が増えていき、活気が出てきた。そのうちに成功する会社が増えてくると、全国的にもバブル後の成功例として紹介されるようになり、街はバブルがはじけたとは思えないほどの活気を見せたのだった。

 平成の市町村合併で、市はだいぶ大きくなり、県庁所在地を勢いだけでいけば、一気に凌ぐところまできていると言っても過言ではない、

 あれよあれよという間に、人口は増えていき、県庁所在地へのベッドタウンとしての予定がm完全に、

「各種産業の担い手の街」

 という位置づけになっていた。

 そんなK市に一番最初に目をつけ、誘致を申し込んできたのが、地場ではナンバーワンの大手パンメーカーであった。

 平成に入ってからは、洋菓子にも力を入れ始め、ケーキなどの売り上げも次第に伸びてきた。最近では、スイーツブームに乗っかり、すっかり洋菓子部門でも一流と言われてきたので、平成の途中くらいから、会社をパン会社と、洋菓子会社の二つに分離し、グループ会社として運営を始めた。

 平成生まれの若年層は、その会社が元々パン屋だったということは知らないだろう。創業自体は、戦後の動乱時期というから、もうすでに、七十年近い歴史のある会社である。

 パンメーカーとして、五十年、一流の大手企業として業界を引っ張ってきたという自負を持ちながら、途中からケーキや洋菓子に目を向けていくなど、先見の明があったのも確かだった。

 そこには、人事部による、社員の育成であったり、優秀な人材を見つけてきて、引き抜く力があったというところも、忘れてはいけない事実である。

 会社のモットーとしては、

「人はシロ、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇が敵なり:

 という武田信玄の有名な言葉を掲げているが、この会社ほど、その言葉を忠実に実行している会社もないだろう。

 会社運営では、人とのつながりも確かに大切であるが、やはり個人個人がしっかりと自覚できていて、自分が何をすべきなのか、そのことが分かっていて、ちゃんと実行できる人がどれだけいるかで、決まってくるのではないだろうか。

 武田信玄の言葉を、

「人というのは、集団で行動するものだ」

 ということで、団結を意味していると解釈すると、それ以上を望めない会社になるだろう。

 要するに、

「個性のない会社は、先に進まない。成長などありえない」

 ということではないだろうか。

 この会社は、途中何度か社名を変えては来ているが、共通するのは、創業者の名前を頂くことだった。なるべく流行に沿った名前にすればいいのだろうが、人を大切にする会社という意味で、ダサいと思われようとも、会社の伝統としていた。

 この会社の社名は、

「オオワダ総合コーポレーション」

 といい、ほぼ知らない人はいないだろうと言われるほどの会社だった。

 本社は以前は東京にあったのだが、拠点をK市に持っていきたいということで、本部機能自体は、県庁所在地であるH市にビルを構え運営している。最初は雑居ビルの数フロアを借りていた程度だったが、洋菓子部門が新たに会社として独立したこともあって、H市に本社ビルを建設した。

 それだけ、K市といい、県庁所在地のH市といい、バブル期の教訓から、家賃をなるべく安くして、入居してくれた会社が立ちいかなくならないような良心的な価格を設定していたのだ。

 H市に本部を構え、K市には、巨大な工場、流通センター、開発センターと、広大な敷地を有効に使い、バブル冨居の成功ナンバーワン企業として、ずっと君臨してきた会社だった。

 この会社のいいところは前述の人材活用だけではない。

 というか、人材活用によって、優秀な人材がいるからかなうことであり、開発、企画のメンバーには、先見の明のある社員が揃っていたのである、

 流行には敏感で、

「来年に何が流行るか」

 ということをいち早くリサーチしてきて、先駆けとなるのだった。

 そして、ブームが下火になってくると、もうすでに、時期ブーム候補を見据えてくる。それは宣伝の部分でも大きなことであり、なかなか今は宣伝に力を入れる企業も昔ほどはないのかも知れないが、ピンポイントで視聴者の心を掴むCMづくりは今も昔も変わりなく、伝統のようなものだった。

 宣伝こそ、外部とのコミュニケーションが大切になってくる。営業能力というものが必要で、この会社の営業は、

「個人に向けてのものではなく、企業に向けてのものだ」

 ということが徹底されている。

 企業に対しての営業は、タイアップであったりすることで、一つの商品から、会社全体の付き合いに結び付けることで、その後のより強固な宣伝であったり、お互いに持ちつ持たれつの関係を持つことで、社会の変化で深刻な不安に陥った時でも、今までのノウハウを再研究することで乗り切ることができると思っている。

 その時には協力会社の存在が不可欠であり、

「より大きく強力な企業を目指す」

 として、他の会社のお手本になるという使命までも帯びているような状況になるのだった。

 だが、えてしてそういう形に持っていけば、今度は一般社員が何も言わなくともm会社を守ってくれる。

 それまで会社がいかに社員を守ってきたかということは、何もない平和な時代だとなかなか分からないものだ。

 だが、社会不安が訪れて、社員皆が恐怖に怯えながら仕事をしていると、どうしても、会社に対して、

「この会社、大丈夫なんだろうか?」

 と思える。

 会社が生き残るためには、平気で社員をリストラする会社もあるだろう。法律の範囲内で、できるだけ社員を削減できるかが、会社の生き残りのすべてだと思っている会社も珍しくはなく、当然の考えである。

 だが、元々地力があって。人材育成にも、先見の明があるこの会社では、他の会社と同じことをする必要はさらさらないのだ。

 むしろ、違うことをやって、その成功例を示すことが、この会社の使命でもあった。それが、

「オオワダ総合コーポレーション」

 の企業理念であると言えるのではないだろうか。

 今では、全国数か所に、K市にあるような巨大な物流センターを持っている。開発センターだけは、K市にしかないが、それは当たり前のことであり、いつも本部と一番連絡を取っているのも、開発部であった。

 週に一度の本部での開発会議には、他の部署から上がってきたアイデアが話し合われる機会があり、それだけ、この会社が開発に力を入れているのか、分かるというものであった。

 一人面白い男がいた、彼は今はK市にある、

「オオワダ総合コーポレーション」

 の洋菓子会社の開発工場で、第一開発課の課長をしているのだが、元々はオオワダ総合コーポレーションも、洋菓子会社にも興味はなかった。

 K市にある大学の薬学部出身だったのだ。

 薬品に興味があり、開発ということにも大いに興味を持っていた。だが、別に、

「救える命を救いたい」

 という思いであったり、

「難病を少しでもなくしたい」

 などという正義感に燃えているわけではなかった。

 極端な話、開発というものであれば、何でもよかったのであって、子供の頃に病弱だったことから、どうしても病院や薬とは切っても切り離せない毎日だったことで、自然と薬が身近なものになっていた。

 だから、薬の開発をしたいと思っただけで、動機としては、何とも安直なものだったのだ。

 だから、大学生の頃は、

「どこかの製薬会社の研究室に入るか、あるいは、大学院に残って研究を続け、その後、教授への道というのもいいかも知れないな」

 と漠然としか将来を考えていなかったのだ。

 K市の代表的な企業として、

「オオワダ総合コーポレーション」

 が存在しているのは、十分に分かっていたが、自分が目指している開発への道とはまったく違っているものだということは分かっていた。

 いよいよ就活の時期だという頃になってきたのだが、なぜかその気が起きなかった。

 本当であれば、就活に集中しなければいけないのは分かっているのに、興味のある会社がいまいち決まらない。

 大学のゼミでも、学部の成績でも、お世辞抜きにトップクラスだというのは、誰もが認めていた。

 本来なら、一流大学の、しかも大学でも看板学部である薬学部。さらにそこでの優秀な成績ともなれば、引く手あまたのはずなのに、その気にならなかった。

 大学院への道も約束されているようなものであったが、この期に及んで、

「エスカレーターなんて面白くない」

 というこれ以上ないというくらいの贅沢を口にしていたくらいだ。

 そうなってくると、まわりも相手にしてくれなくなる。どれほど上から目線なのかと言われても仕方がないのだろうが、実際に上から目線であったことは否定しないが、いわゆる、

「ものぐさ」

 と言われるほどの、無気力になっていた。

 そんな時、オオワダ総合コーポレーションの人事部のスカウトがやってきた。まさか、就活で、向こうから来るなど思ってもみなかったので、少しビックリしたが、

「君のその突出した感覚が、今の苦悩を作っているんだ。その苦悩は悪いことではない。それが君という人間を向上させることになるんだからね。だから、君のような人間は、一般的な場所にいるよりも、エリート集団の中に入っていくことの方が、自分を活性化できていいと思うんだ。普通の人は、エリート集団に入ると、普通なら億してしまい、最初からその覚悟を持っていないと、挫折するものなんだよ。だって、今までは自分が優秀だと思っていたのに、今度は皆が自分と同等か上のレベルだろう? プライドを大いに傷つけられるというものなんだ。だから、最初からよほどの覚悟と状況判断を持って臨むか、生まれつき、人にもまれることで自分の力を発揮することに喜びを感じる人間でもなければ、エリート集団の中では生きていけないのさ」

 と言われた。

「じゃあ、私はそのエリート集団の中に入る素質があるということをいいに来てくれたのでしょうか?」

「ええ、そういうことです。少なくとも私はそう思っているから、うちにほしいと思っています。あなたのように、自分の気持ちと才能発揮のリズムがハッキリしていて、同じバイオの上に載っている人は、そうはいません。私たちはそういう人材を探し求めているといっても過言ではないんです。だから、あなたに目をつけて、スカウトをしにきたというわけですよ」

 実に光栄な話であるが、少なくとも人生を決める決断なのだから、簡単には決められない。

 だが、簡単に決められないことの方が、余計に型に嵌るというもので、この男の話に大いに同調して聴いていた。

 彼は名前を清武研三という。

 大学院に行って、薬学の研究をそのまま続けるか、それとも、ここで民間に下って、この男の口車に乗ってしまうか、普通に考えれば医学の道を大学院で目指すかであったが、この清武研三という男、どこまでも天邪鬼にできていた。

「オオワダ総合コーポレーションに行くことにします」

 と大学院にはそういうと、

「どういうことなんだ?」

 と言われた。

「せっかく誘われたのでね」

 というと、

「お前はプロ野球のドラフトで、一位指名を複数球団から受けて、くじで選ばれた球団と交渉できる立場にありながら、それが意中の球団であろうがどうしようが、今までやったことのないプロサッカーチームに入団しようかというのと同じだぞ、それは無謀というか、自殺行為というか、たぶん、十人が十人、誰も尾苗の気持ちを理解することはできないというだろうな」

 と言われた。

「その通りだと思います。でも、それは皆さんから見て無謀とか自殺行為だと言われるだけで、僕にはそんな意識はまったくないんですよ。むしろ給料をもらいながら、学生のように一から教えてくれるというのだから、ありがたいことなんじゃないでしょうか?」

 というと、大学院の人はあきれ果てて。

「じゃあ、今までの人生で培ってきたものを棒に振るというのかい? 俺にはとてもそんなことはできないな」

 と、その言葉を聞いた時、清武は自分の決断が間違っていないことを確信した。

「今の言葉、僕の方こそ信じられないんですが。今までの人生で培ってきたものを棒に振るってどういうことですか? 私にはそれが理解できない」

 というと、相手はさも意外そうな表情になり、その後、苛立ちを覚えるかのように、声を荒げて言った。

「何言ってるんだよ。せっかく小さい頃から勉強して、大学でやっと目指していた薬学部に入って、大学生として精一杯の研究をしてきて、そして、これからやっと、仕事にできるというんじゃないか。ここまでの薬学で身を立てたいという思いを棒に振るかということを言っているんだ」

 と言われて、思わず清武は不謹慎だと思ったが、喉の奥で笑ってしまった。

「いやいや、それは大きな誤解なのかも知れないですね。僕は薬学部に入ったのは、別に薬剤師になりたいからでも、薬学で身を立てたいからなどというものではないんですよ。大学の入試は滑り止めを含めて、いくつか受けました。ただ、これも第一志望があったわけではなく、滑り止め以外が、どれも第一志望であり、第二志望でもあったんですよ。受かったところに行けばいいというくらいにですね、でも、受験ではすべてに受かっちゃって、そこで今度はどこにしようかを初めて考えたんです。どうして薬学にしようと思った科って? いまさら忘れましたね」

 という返答だった。

 まさに相手を小バカにしているような返事、さぞや聞いた方は怒り心頭だったことだろう。

 だが、これが彼の本心であり、彼が訊かれたことをどのように答えたとしても、これが真実である以上、すでに相手を不快にしない回答など、できるはずもないのだった。

 結局相手は何も言えなかった。

 実は同じ話を、オオワダ総合コーポレーションの人事部の人にもした。きっとこの大学院の人のようなリアクションと同じに違いないと思っていた。しかも、相手は初対面の人間である。これ以上の失礼はないはずだ。

 しかし、相手は笑っていた。その笑いは明らかに余裕の笑みであった。その表情を見ている限り、

「そんな回答、最初から分かっていたことさ」

 と言わんばかりであった。

「我々を舐めてもらっては困るよ。私たちは、就活に来た新入社員をふるいにかける仕事をしているわけではないんだ。確実に役立つという人間を選定して、その人たちをスカウトしようというんだ。就活のように、入社させた相手から、何人が残ってくるかなどというそんな甘っちょろい考えではない。すべてが即戦力に近い活躍ができる人を雇うんだ。だから、経験など関係ない。覚えることは普通にできることが前提なんだ。今、七十くらいで、入社すれば、そこから七十五になって、少しずつ上がっていって、出世していく人、七十を切ってしまって、下降線を描くことでやめていく人、それが普通の就活なんだよ。でも私たちは、最初は二十、三十くらいであっても、一部分が九十という力を持っている人を探すんだ。そうすれば、最低ラインであっても、いずれは、限りなく百に近づくというそんな人であると確信する人しか、スカウトはしない」

 と言ったのだ。

「それが、この私だというんでしょうか?」

 と聞くと、

「ええ、そうです。今のあなたと話をしていれば、きっと普通の会社の人事だったら、苛立っていることでしょうね。『何様のつもりだ』ってですね。でも私は違います。その『何様』という姿勢に、将来性を感じるんです。将来なんて、本当は分からないんですが、普通の会社は、そう思いながら、少しでも光るものがあれば、それを見つけようとします。だが、我々は、その人を百として判断します。すると、少しずつ落ちていく部分もあるでしょう。放っておけば、七十くらいになるかも知れない。だけど、少しでも我々が最初に感じた意識を、一言でも口にしてくれると、その人への評価は、七十から一気に上昇して、百二十になるんですよ。つまり、百が一番だなんて誰が決めたかということなんですよね。最初から百だと思うのは、相手に限界ありきだと思うのであって、そんな人間をわざわざこっちもスカウトなんかしませんよ。そんな人はいくら今はまったくの素人であっても、他の会社で、研修をしている間くらいには、すでに知識は備わっているはずですからね。それくらいの度量を我々は求めているんですよ」

 というではないか。

 喉の奥で笑ったが、これは清武という男のくせなのかも知れない。この笑いは決して相手を見下す時の笑いではなく、やっと自分が目指しているものを見つけることができたという喜びの笑いだったのだ。

 まったく正反対の感情を、一つの行動でしか表すことができないというのは、一種のマイナス要因になるのだろうが、そんなことを気にするようでは、彼を扱うことはできない。そういう意味では、彼らスカウト連中に引き抜かれてやってきた人たちは、ある意味一癖も二癖もある連中ばかりだと言ってもいいだろう。

 清武は、スカウト委員を気に入った。

「こんな連中がスカウトでいるんだから、この会社が伸びてきたわけが分かったような気がするな」

 という感覚であった。

 ただ、断っておくが、彼らスカウトが入社させた連中は、別に聖人君子というわけではない。

 倫理的に問題がないというわけではなく、今までの素行からでは、そこまで見抜くことはできないのだ。スカウトはあくまでも、

「会社の成長のための頭脳」

 として、突出した能力を有している人材をスカウトしているにすぎないのだ。

 社会人としてのモラルや、会社への忠誠心、あるいは、コンプライアンスなどの、道徳的なところはほとんどが度返しであった。

 そもそも、清武という男に、モラル、忠誠心、コンプライアンスなどという概念はない。もし少しでもモラルなどというものがあり、相手に気を遣っているというのであれば、大学院からの誘いにあのような失礼な言い方はしなかっただろう。

 まあもっとも、大学院の方からの誘いも決してモラルがあったとは言えないだろうが、挑戦的な口調は、一般的には失礼だと言ってもいいものだったに違いない。

「そもそも、コンプライアンスだとか、働き改革などというのは、会社員や仕事に携わる人たちのために言われるようになったわけではなく、社会問題を解決することと、会社員に休みを与えて、そこでお金を使わせて、経済を活性化させようという、一種の、

「二兎を追う者」

 という作戦にすぎない。

「一兎も得ず」

 という言葉に落ち着くのが関の山であるということを、政府の偉いさん(と言われている連中)に分かるはずもない。

「あれで、官僚だとか、政治家だとか言っているんだから、政府なんてたかが知れている。しょせんは柵の中でしか生きることのできない連中の集まりなんだ」

 と思えてならない。

 そんなことを感じている自分たちも、下々の連中から見れば、政府や官僚の連中と、対して変わらないと思われているとはまったく思っていないことだろう。

「人のことがよく分かる人は、意外と自分のことに関してはまったく分かっていない人が多い」

 ということであろう。

 ただ、理解しているかどうかは別の問題で、

「理解はしているが、分かっていない」

  という一種の矛盾した表現になるのではないだろうか。

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