くろ✕もも

朝霧あさき

可愛い子をデートに誘ってみた


 幼い頃からクールビューティなどと呼ばれ人の感情に疎かった黒瀬薫にとって、今の状況は実に理解しがたいものであった。困った。どうすればいい。それでも表情筋がまったく動かないせいで、彼女が動揺していると気付いた者は皆無であろう。


 大学の学食で昼食を食べ終えた後、ちょっと手伝ってほしいと女友達に誘われて人気のない校舎裏にまで連れてこられた。するとどうだ。一人の小柄な少女を壁際まで追い込み、数人で取り囲んでいるではないか。

 面倒事に巻き込まないでほしい。薫は気付かれぬようため息を吐いた。


 ゆるりと毛先をまいた肩より少し長いくらいのピンクグレージュの髪。首元のレースが愛らしい白のブラウス。花柄のロングスカート。

 薫には逆立ちしても似合わない可愛いを詰め込んだ彼女は、目を潤ませて怯えたように周囲を見回していた。ぱっちりと大きな瞳が揺れる様は、小型犬のようで実に庇護欲をそそる。

 しかし彼女は薫の姿を瞳に入れるなり、びくりと肩を震わせた。

 多分、怖がらせてしまったのだと思う。

 きりりと引き締まった瞳。黒のショートヘア。ジャケットを羽織り、長い脚にぴったりとくっついたスキニーパンツをはいている。もちろん上下とも黒だ。身長は女性にしては高めの170センチ。しかもヒールの高いパンプスをチョイスしてしまったせいで、プラス5センチくらいある。どうだ。威圧感の塊だろう。


 薫はマネキンのように固まった。これ以上近づいて彼女を怖がらせてはいけないと言う配慮だ。しかし最後尾で腕を組む彼女の図はまさにこの場のボス的風格を備えていた。本当は一番無関係な人間なのだけれど、誰一人そうは思ってくれないらしい。

 薫がバックについたことで、周囲の女性たちが一斉に攻勢に転じだ。


「どうしてこの場に呼ばれたか、わかっているんでしょうね?」

「貴方が三日前にデートしていたの、私の彼氏なんですけど?」

「その前の週は私の彼氏ね」


 どうやら他人の彼氏をとっかえひっかえ捕まえてデートをしていたらしい。この状況になるのもやむなしか。「ミキ、そんなつもりじゃ……ぐすん」と少女は憐れみを誘うように肩を震わせている。

 可愛いを崩そうとしない姿勢はまことに天晴だと思う。


「そんなつもりじゃなかったら、どういうつもりなのよ!」

「……みんな、フリーだって言ってたの。だから一緒にご飯しただけ。彼女がいるってちゃんと言ってくれたら、ミキだってデートしなかったよ?」


 顎に手を置き、うるうると擬音が聞こえてきそうな上目づかいで子犬のように振る舞う。薫は実家の犬を思い出して頭を撫でてあげたい気持ちになった。犬は飼い主からの愛情に敏感だ。自分を可愛がってもらうために、耳を後ろに伏せて最大限可愛いの顔を作る。

 己のためだけの可愛い仕草。薫にとってそれは、何よりも尊いものに思えた。

 しかし、怒れる彼女たちには火に油を注ぐ結果となったみたいだ。


「はぁ? 何よそれ! 私たちに魅力がないからいなかった事にされたって言いたいの? ムカつくんだけど!」

「ほら、薫も何か言ってやってよ!」


 この場にいる人間全員の視線が薫に集まる。何か言えとせっつかれても困るのだが。彼女とは初対面。彼氏などいないのでちょっかいを出される心配もない。

 薫は不思議そうに首をかしげ――


「なにか、って。何を言えばいいの?」


 真顔で言い切った。


「え? ……お、思った事?」

「思った事を言えばいいの?」

「そ、そう、だけど……」

「そう。わかった」


 一歩足を踏み出すと、海が割れるかのごとく道が出来た。期待に満ちた眼差しがちくちくと肌を指す。薫は面倒くさいなと前髪を掻き上げ、壁に手をついた。いわゆる壁ドンである。揺れるブラウンの瞳が、水面のように薫を映している。


「君さぁ」

「や、やめてください。暴力に訴えるのなら人を――」

「可愛いよね。今度私とデートしない?」

「………………はい?」


 虚勢を張っている時ですら、ホイップに蜂蜜をかけて粉砂糖を振り撒いたような甘ったるい声を崩さなかったというのに、今この瞬間だけは完全に素の声だった。むしろ少々ドスが効いていたかもしれない。それもまたギャップがあっていい。


「あ、あの、薫? 何を言っているの? 本気?」

「誰かに可愛いって思ってもらうために計算して、研究し尽くしてるんでしょ? 凄いと思う。それに、私のためだけに可愛いを作ってくれるんだよ? 気にならない? だから私もデートしてみたくなっちゃった」


 淡々と、抑揚のない声で告げる。だからか。この場にいる誰もが薫の言動をたちの悪い冗談だと受け止めていた。本人だけが純度百パーセントの本気だった。


「どう? だめ?」


 ぱちくりと、大きな瞳を最大限まで見開いて薫の真意を探りかねている少女に問いかける。彼女はややあって口を開いた。


「……ご飯、おごってもらえるんですか」

「ご飯? もちろん。お安い御用だ」

「わ、かりました。今週の土曜日、午前中なら空いています」


 疑念と緊張の混ざった声だった。

 女性陣から糾弾されている状況で、ボスの風格を漂わせていた人物からデートして、と口説かれたら誰でも訝しがるはずだ。しかし普通の人ならばそんな怪しい誘い、きっぱりと拒否するところを彼女は受けてくれた。

 これは、ご飯をおごってもらうためにデートをしていると考えてもよさそうだ。

 薫はトークアプリを起動させてスマホごと彼女に渡した。


「ありがとう。じゃあ連絡先教えて。待ち合わせ場所とか連絡するね。あと、名前も」

「順番逆な気がするんですけど!」


 そう言いながらも彼女は薫の手からスマホを奪い取ると、さくさく操作して自分の連絡先を登録したらしい。

 はい、と戻されたそれには桃井美樹という名前とトーク画面が表示されていた。アイコンはデフォルメされた兎だ。凄い。こんなところまで可愛い。


「これがミキの連絡先です! よろしくお願いしますね、薫先輩?」


 両手をぎゅっと丸めて胸の辺りで合わせ、計算されつくした角度で首を傾ける。ふわりと揺れたピンクグレージュの髪からは、華やかで甘い桃の香りがした。


「……抱きしめるのはアリ?」

「なしです♡」


 すげなく拒否されてしまった。残念である。

 しかし、これが可愛いの暴力か。なんて破壊力だ。ジャブでこの程度ならば、デートではどれだけの致命傷を負うのだろう。実に楽しみである。

 ふいに腕時計の文字盤が目に入り、そろそろ昼からの授業が始まる事に気付く。名残惜しいが、デートの約束は取り付けた。出会って初日から距離を詰め過ぎるのもよくないだろう。自制は大事だ。


「それじゃあ、そろそろ行くよ」

「先輩のために予定空けておくんですから、ミキのことちゃんと覚えててくださいね? 約束、忘れちゃ嫌ですよ?」

「ふふ、絶対に忘れないよ。だって、すっごく楽しみだもん」

「本当に?」

「うん」


 本当だ。未知なる探究心とでもいうのだろうか。ずっと凪いでいた心が、今は好奇心に満たされている。薫は手を振って彼女と別れると、スマホでオススメのカフェなどを検索しながら授業に急いだ。

 ちなみに。


「うふふ、どぉんな可愛いで攻めてみようかなぁ。――あ、やば。ミキも次授業だった。もう行っていいですかぁ? いいですよねぇ? それじゃ、さよなら」


 と何事もなく去っていく美樹に、残された面子は引きとめることも出来ずただ茫然と見送るしかなかったとか。

 


 * * * * * * *



「あんな誘い方だったから、どんなところに連れて行かれるんだろうって思ってたんですけど、普通に映画館なんですね」

「もっと奇をてらった方が良かった?」

「ううん。ミキ、映画好き!」


 にっこり笑って甘えるように薫の腕に手を回す美樹。

 約束の時間の十分前についた薫だが、ほぼ同時刻に美樹も現れた。

 校内で見かける時はまだ可愛らしさとお淑やかさが合わさった雰囲気だったが、プライベートでは更に可愛さに振っているらしい。胸元にリボンがついた白のブラウスに、黒のダブルボタンスカート、頭にはチェックのベレー帽をかぶっていた。それに合わせてよりキュートなピンクメイクを施している。

 自分のためにこの可愛いを作り出してくれた。

 その事実が嬉しくて、薫は見た瞬間ありったけ「可愛い」の雨を降らせた。

 最初こそ「ありがとうございま~す」と流していた美樹だったが、だんだん恥ずかしくなってきたのか、最後は頬を赤らめて「もう、いいので。ミキが可愛いのはわかったから、その、ほどほどに……」と拗ねたように顔をそむけられた。

 素直は美徳。そう教わって生きてきたが、何事も限度というものがあるらしい。薫は彼女のお願いに分かったと頷いた。

 たった数分前の出来事だ。ちゃんと覚えている。そこまで耄碌はしていない。のだが――、時には耐えられぬ事もあると胸に刻むよりほかはない。

 薫はくっついてきた美樹の方へ首を傾けた。


「やっぱり可愛い」

「……先輩? 約束、覚えてます?」

「うん。いちおう」

「一応じゃなくて脳に刻みつけておいてくださいね?」


 小声で「でないと心臓が持たないじゃん」と聞こえてきたのは幻聴ではないはずだ。

 薫は可愛いと言いそうになるのをぐっとこらえて、映画館のなかをぐるりと見渡した。薄暗い室内に煌びやかなライトが上から降ってくる。休日なだけあって人は多い。

 右手の壁には女性が好きそうな恋愛映画やアニメ映画のポスター、左の壁にはアクションやホラー映画といったポスターがずらりと貼られている。

 美樹の視線は興味深そうに左側のポスターを眺めているように見えるのだが、何か見たいものでもあっただろうか。ならば嬉しい。折角のデートだ。楽しんでもらえた方がいいに決まっている。


「どれにする?」

「え? あ、ええと、今、桜の花と最後の恋っていう恋愛映画がめちゃめちゃ面白いって評判らしいですよ? だから――」

「ほんとうに?」


 ぴたりと美樹の表情が固まった。


「え?」

「ほんとうに恋愛ものなんて興味ある?」


 確かにデートにおいて恋愛映画は鉄板だ。それは分かる。しかし薫が確認する限り、美樹はこの映画館に入ってからパンフレットの展示、グッズ売り場、ポスター、すべてにおいて恋愛映画に興味があるそぶりは見せていなかった。

 薫は財布を取り出すと、美樹の方に投げた。


「はい、好きなチケット買ってきて。私は飲み物買ってくるから。味はどうする? ポップコーンも必要かな」

「ちょ、財布丸ごと!?」

「ああ、こっちは電子マネーあるから」


 ひらりとスマホを掲げる。


「そう言う意味じゃないんですけど! ミキが持ち逃げしたらとか考えないんですか!」

「美樹ちゃんが? しないよ。そういう子じゃない。私、人を見る目だけは確かだよ」

「……私の目的分かってるくせに」

「ご飯だよね? 良いお店で食べられるくらいは持って来てるよ。安心して。あ、心配だったら中身確認しておいてもらっても――」

「だから! そう言う意味じゃ! ……――もう、好きなチケット買ってきますぅ! 先輩の馬鹿!」


 財布を大事そうに抱きかかえ、チケット売り場へ駆けていく美樹。しかし途中でくるりと振り返って叫んだ。


「飲み物は桃ピューレ! ゼリーみたいなの入ってるやつです! ポップコーンはいちごキャラメル味で!」

「了解」


 薫は笑って手を振り上げた。




 食べ物と飲み物を調達し、トレーを抱えた状態で美樹と合流する。

 何の映画になったのだろう。尋ねようとしたところ「もう入場始まっているので」と美樹に腕を掴まれ、そのままもぎりを通って8番スクリーンへ。人はまばらで、カップルというよりは友人同士が多そうだった。一番後部のど真ん中という席に座り、ドリンクとポップコーンを配備した後、ようやく財布とチケットの半券を渡される。

 タイトルは『エクソシストの晩餐』。

 バリバリのホラー映画である。


「おっと、これは」

「す、好きなの買って来ていいっていいましたよね」

「うん。でもちょっと予想外で、……ふふ、いいね。楽しみだ」


 意外だったが悪くない。むしろギャップがあっていい。

 薫は膝の上に置いたポップコーンに手を伸ばした。その時、こつりと肩に美樹の頭があたった。


「左腕こっちにください」

「左腕? 何に使うの?」

「わたし、ホラー映画を誰かとぎゅってくっ付いてみるのが好き、……なので」

「ふふ、なにそれ。可愛い」


 というか、素の一人称は「わたし」なのか。それ含めて可愛いし、不思議な優越感が芽生える。これも可愛いの策だとすれば、かなりの策士だ。


「どうぞ」

「どうも」

「昔付き合ってた彼氏とかと、こういうデートしてたの?」

「……デートでホラー映画なんて選びませんよ。ぎゅっとしてたのは……ぱ、パパと、だけで、家族以外では薫先輩、だけ、ですよ。こんなの、他の人には言えないし」


 照れ隠しのように強く腕を抱かれる。今、心がぎゅっと締め付けられる気がした。なんだこれ。初めての経験だ。ドンドンとうるさいくらいに心臓が脈打っている。心なしか顔も火照ってきた気がする。

 薫は緩む口元を隠すように手を置いて、足を組んだ。

 やばいな。絶対映画の内容入ってこないぞ。――と危惧した通り、美樹の挙動が気になりすぎて気付いたらエクソシストらしき人物が銃を空にぶっぱなしながら「フゥウウウ!」と勝利の雄叫びを上げていた。ホラーじゃなくてバイオレンスアクションで、シリアスじゃなくてコメディ映画だったのかもしれない。


「面白かったですね! 先輩!」

「……そうだね」


 彼女が楽しそうだったので、まぁなんでもいいかと薫は笑った。

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