第10話 予報

 7月上旬に差し掛かるある日。

 梅雨明けの発表はまだであるものの、日差しは完全に夏そのものであった。研究室のある建物の入口では、酷暑で息絶えたと思われるセミがひっくり返っている。

 川口が同期数名と向こう数日の食料を買って戻ってきた際、「旧時代」の前で何か相談しているのを見つける。

「どうかした?」

「んあ? 川口か、ちょうどよかった。これ見てくれ」

 そういって「旧時代」の画面を見せられる。

「んー? ……なんだこれ? これでエラー吐いてないのか?」

 「旧時代」の演算は、結果だけではなく途中の経過も見ることが出来るのだが、その途中での演算の値がかなり荒ぶっているのだ。正直、エラーを吐かなかっただけ、モデルが完成されている証拠だろう。

「うーん……? なんかおかしいなぁ……。最終的な演算結果は正常な値っぽくなってるのに、なんでここら辺で値がグッチャグチャになってんだ……?」

 買ってきた荷物を同期に預け、川口は要因を探す。

「初期設定は問題なし……。各種パラメータは、問題なし……。メッシュの大きさも問題ない……。何か変なことをしているものってあったかな……」

 そんなことを思考している時、ある機能があったことを思い出した。

「そうだ、簡略出力するか」

 それは前の先輩たちが残していった機能である。演算開始から終了までの簡単な天気図を生成してくれるツールがあるのだ。

「えぇと、生成間隔を12時間にセットして……」

 そして生成を開始する。

 数分もすれば、生成された画像が出力されるだろう。

 それを見た川口は、驚きすぎて椅子から転げ落ちそうになった。

「こ、これ……、マジか!?」

「どうした?」

 川口の元に同期のメンバーが集まってくる。

 川口は同期に、生成された画像について説明する。

「これ、沖縄に台風が接近してきてる……」

「台風? それなら特段驚くような事じゃないよな?」

「そうだな」

「いや……、それがそうでもないんだ……」

 そういって画像を大きくして見せる。

「この太い線が1000hPaの線で、20hPaごとに等圧線が書かれているんだけど、この台風の中心部の気圧を見てほしい」

 肝心の台風の等圧線は、中心に向かう事にどんどん細かくなっていき、もはや線同士がくっつくのではないかという所まで細かくなっている。

「こ、これ900hPa切ってるのか……?」

 台風の中心気圧が900hPaを切ると、その台風は例外なく猛烈な台風へと発展している。

「見た感じ、高くても880hPaはある。これはもう、アメリカ軍が設置した台風警報センターの定義でスーパー台風に分類されるほどのものだよ……」

「そもそも、台風で900hPaを切るなんてそうそうない……。この台風、確実にヤバい……!」

 研究室の中がざわめきだす。

「いや待て! もしかしたら『旧時代』の演算がどこかで間違っている可能性もあるぞ!」

「そ、そうだよ! どこかで数値がバグったに違いない」

 そんな反論も出てくる。

「だけど、今までそんなこと起きたことあったか? 多少のエラーは発生したかもしれないけど、大体の演算結果は予想通りだったじゃないか」

 川口が反論する。

「それでなくても、最近の台風は猛烈な強さで襲ってきているだろう?」

 特に2050年を過ぎた辺りから、発生した台風の三つに一つはスーパー台風になっている。それによって被害も大きく出たこともあった。

「すぐに予報を出す! 情報発信の準備を! 俺は会社に連絡する!」

 早速川口は、気象予報専門会社共同体に連絡する。

『……状況は分かった。今こちらでも、気象庁のひまわり18号からの観測データを確認している。フィリピン沖に辺りに気になる雲が見受けられるから、おそらくこれがそうなんだろう』

「『旧時代』の予報が正しければ、1週間以内に沖縄本島に直撃するはずです。すぐに警報を出して避難をしなければ大惨事になるかと」

『危機感は分かっている。だが、日本の行政は手順を踏むことを何よりも重視するからね。少しばかり時間はかかるが、確実に避難勧告と特別警報を発表できるようにするよ』

「よろしくお願いします」

 こうして、気象庁は異例の早さで台風の進路を予測。そして警報を発表した。

 特に沖縄周辺の住民に関しては、頑丈な建物に避難することを強く推奨する旨の記者会見を気象庁がする。

 しかし、まだ台風が発生する前の熱帯低気圧の状態からの発表であったため、当の本人たちは一切危機感を持つことがなかった。

 挙句の果てには、「今回の台風も大したことない」という考えから、特段対策を取らない人が大勢出てくる。

 そして台風が発生した。「ナクリー」と命名された台風5号は、グアム沖から北上してくる。その速度は時速70km。かなり早い移動速度だ。

 数日後には沖縄本島を通過する予報が報道される。その時に、中心気圧が865hPaであり、これは統計史上最低の気圧であることが伝えられた。

 この時に危機感を覚えた人々は、急いで避難や台風対策をする。対応が遅すぎるとも思うが、何もしないよりかはマシだ。

 そして沖縄本島の沖合100kmを通過する台風5号。これだけ遠く離れていても、暴風域の範囲内である。

 沖縄本島では最大瞬間風速94m/sと、台風の観測史上最大の風速を観測した。

 これに伴い、家屋やビルの倒壊、窓ガラスが割れるなどの被害が多数発生する。

 その他にも、平地であるにも関わらず土砂が飛んでくるといった、ほぼあり得ない現象まで発生する事態となった。

 こうして沖縄本島の近くを通過した台風は、そのまま偏西風に乗って太平洋上へ進路を取り、そのまま消滅した。

 今回の台風の影響で、死者行方不明者数が少なくとも4万人に達することが見込まれた。

 これを聞いた川口は、机を拳で叩く。

「もっと、もっと情報を拡散できていれば……!」

 そこに同期が慰めに入る。

「まぁ、俺たちの出来ることをしたんだからさ、仕方ないよ」

 川口もそう割り切りたい所ではあるが、そうも言ってられない。

 自分の目標である「人を救うための天気予報」とはかけ離れているからだ。

 だが、すでに過去の話。悔やんでも仕方ない。

 川口は深呼吸して、次に備えることにした。

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