第二十九話 魔女

「お姉さん、だれ?」


 突然、目の前に現れた白いとんがり帽子と白いローブの女性に、ジェサーレは警戒の表情もなく問いかけた。

 ジェサーレはその女性のことを、ずっと前から知っていたような気がしていたから。


「魔女様!」


 さらにセダがあこがれの目でその魔女装束の女性を見ているのだから、ジェサーレにはもうそれが誰なのかなんとなく分かってしまった。


「もしかして、ジャナン……様!?」


 鏡花きょうかの魔女ジャナンは、黒く長い三つ編みを揺らして、優しい顔でこくんと頷く。


「セダちゃん、久しぶりー。ジェサーレちゃんは、初めまして?」

「お久しぶりです! またお会いできてうれしいです!」

「は、初めまして。えっと、あれ? ジャナンが犬から魔女になっちゃった?」

「ちょっとジェサーレ、違うわよ。ジャナン様は犬のジャナンの中に住んでたのよ」

「えええ、魔女って生き物の中に住めるんだ! すごい!」

「あらあらー、それほどでもないわよ。うふふふふー」

「あれ、でも、本の中のジャナン様はもっと厳しい人だったような……」

「私もあの本を読んだことあるけど、書いた人とは知り合いじゃないから、物語を面白くするためにああいう口調にしたんでしょうねー。私、あんな話し方しないのに、まったく失礼しちゃうわー。ぷんぷん」

「そうですよね、魔女様に失礼ですよね。早速書き直させましょう」


 鏡花の魔女ジャナンに憧れているセダの提案に、しかしジャナンは無言でクビを横に振り、別の話をし始めた。


「ところで、あなたたち困っているのよね? あ、返事はしなくてもいいわ。お姉さん、分かってるからー。それでね、」

「あれ? お姉さんってさんびゃ……」

「こら、話の邪魔をしちゃダメでしょ。魔女様、失礼しました。続けて下さい」

「うふふふふー。魔法使いと魔女にとっては、年齢って自慢するものだから気をつかわなくてもいいのよー。それでね、この幻なんだけど、私のせいなのよ。ごめんなさいねー」

「へ?」

「え? ど、どういうことでしょうか?」


 この告白に二人は揃って、理解できないといった表情になるが、ジャナンは変わらぬ笑顔と口調で話を続けた。


「ほら、セダちゃんには、ヌライが出てきちゃったことがあるって話したでしょー? それで、私がここの杭を直しに来たんだけど、そのときにヌライに邪魔されて犬に封印されちゃって、それで魔法が暴走しちゃったのよー。えへへへへー」

「はい、魔女様!」

「はい、ジェサーレちゃん!」

「この幻みたいなのって、アンソスカスレフティの魔法ですか?」

「その通りよー。さすが、よく勉強してるわね。偉いわー」

「いえいえ、それほどでもー」

「……ジェサーレ、そうじゃないでしょ。あの、魔女様、この幻は消せるんでしょうか?」

「それがね、杭の魔法陣に書き込んじゃったみたい」

「ということは?」

「杭を直さないと無理ねー。……あらあら二人とも、そんな落ち込んじゃダメよ。自分の魔法なんだから、私には幻と本物が両方とも見えているの。だから、これから私が二人を案内しちゃう」


 それを聞くと、二人の顔はにわかに明るくなった。この後、すぐに恐怖に歪み、更にまた明るくなることになるのだが。


「それじゃ、案内を開始するわね。まず手始めにー、えい」

「ひえ」

「ひゃ」


 掛け声とともに魔女ジャナンは崖を目掛けてジャンプした。

 ジェサーレとセダは、すぐに顔面蒼白そうはくになって目をつむり、セダなどはへなへなと地面にしゃがみこんでしまっている。


「ほら、大丈夫よー」


 呑気な声に誘われて目を開くと、二人の視界にはジャナンが映っていた。

 しかも、両手を腰に当てて鼻高々な表情である。


「ほらほら、二人ともこっちにいらっしゃい。大丈夫だからー。それともお姉さんをほったらかしにして、そこでイチャイチャするつもりなのかしら。うふふふふー」

「す、すぐ行きます」


 まずはセダがひょいっと足を踏み出すと、その体はジャナンと同じように、崖の上の何も無いところを歩いていく。

 慣れると、何の恐れもないように、ジャナンの隣へと駆け寄った。


「ジェサーレ、大丈夫だよ。早く早く」


 そうは言っても、足元は底も見えない切り立った崖だった。

 しかし、セダとジャナンがああやって、空中で飛び跳ねて見せても落ちないのだ。

 ジェサーレもさんざんに悩んだが、とうとう一歩を踏み出した。

 すると、何も無い宙を踏んでいるはずなのに、足の裏には確かに土や草や小石の感触が伝わってくる。

 しゃがんで小石をつまもうとすれば、何も無いところから急に小石が現れたりもする。

 それをひょいっと前に放れば、その小石も宙にたたずんだ。


「よし、頑張れ」


 そうやってジェサーレは自分を奮い立たせて、ジャナンとセダの後ろを歩いていった。

 それから、地面が無いところを歩いたり、岩をすり抜けたりして、どれくらい歩いたのかは分からない。

 いよいよ勾配こうばいがきつくなり、山頂に向けて道がとぐろを巻くようになったところで、またうっすらと霧が立ち込め始めた。

 それとほぼ同時に、曲がった道の向こう側から、ジェサーレがのんきな顔で現れた。


「セダ、ジャナン。二人とも、早くしないと置いてっちゃうよ」

「あれ? ジェサーレ、いつの間に前に行ったの?」

「違うよ、セダ。僕はずっと後ろにいたから、あれはきっと偽物だよ」


 セダは一生懸命に首と目を動かして、少し離れたところから声を掛けてくるジェサーレと、すぐ後ろにいるジェサーレを交互に見る。

 あっちを見て、こっちを見て、またあっちのジェサーレを見て、こっちのジェサーレも見たが、セダには見分けが付かなかった。


「僕が本物でそいつが偽物だよ。だまされちゃだめだよ、セダ」

「それこそ騙されちゃだめだよ。僕はずっと後ろにいたんだから」

「あらあらー。ジェサーレちゃんのぷるるん頬っぺたが四つもあるなんて、セダちゃん、良かったわねー」


 ジェサーレ同士による言い争いも、しかし、ジャナンは動じていない様子である。


「魔女様、良くないです。どっちが本物なのか私には分からなくて」

「あなたには簡単なことだと思うわよ。だって、ずっとジェサーレちゃんと一緒にいたんだから」

「簡単なこと……ぷるるん頬っぺたが四つ。魔女様、私、閃きました。ありがとうございます」

「うふふふふー、どういたしましてー」

「後ろのジェサーレ!」

「はい」

「ちょっと頬っぺたを揺らしてみてくれない?」

「え? こ、こうかな?」


 セダに言われた後ろのジェサーレは、体をひねったり、飛び跳ねたり、自分の頬っぺたを触ってみたりして、一生懸命にセダのお願いに応えた。


「分かった。ありがとう」

「どういたしまして?」

「前のジェサーレ! あなたも頬っぺたを揺らしてみて!」

「分かった」


 そうして前のジェサーレも、後ろのジェサーレと同じように動いてみたのだが――


「偽物はあなたよ! 前のジェサーレ!」

「僕が偽物だなんて、どうしてそんなひどいことを言うんだい? 僕が本物だよ。信じてよ」


 セダがビシッと前のジェサーレを指さして偽物だと言うと、彼は悲しそうな顔で反論した。

 けれど、それでセダの結論が変わることはない。


「あなた、本物の頬っぺたのぷるんぷるんを知らないから、全然揺れてないのよ。それにその髪の毛。一見、モコモコのふわふわに見えるけど、固すぎる。それで本物だなんて、よく言えたものね」


 セダに堂々と違いを言われた前のジェサーレは、もう本物の真似などどうでもよくなったように、女性の声で話し始めた。その声は、セダやキズミットと似ている。


「まさかそんなことでばれてしまうなんで、もっと観察しておけば良かったかしら」

「君は誰だ」


 今度はジェサーレが、いつになく厳しい声で問いただす。もちろん、声を出したのは本物のジェサーレである。

 しかし、偽物のジェサーレが答える前に、セダとジャナンが同時に声を出した。


「あなた、ヌライでしょ」と。


 その指摘に、偽物のジェサーレはひどく顔をゆがめた。

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