第二十六話 開放

 セダが目を見開いて、ジェサーレの名を叫ぶ。

 氷の槍は、ジェサーレに当たっていた。

 ジェサーレは後ろにばたんと倒れた。

 セダが大急ぎで駆け寄る。

 穴は、空いていない。呼吸はある。

 近くには、カリキによって先端がすっかり丸く削られた氷の槍が落ちていた。

 セダの怒りと戸惑いは、一瞬で頂点に達した。同時に自分が守らないといけないと思った。

 馬上から冷たい目を向けるキズミット・ソルマをキッとにらむ。

 頭の中に魔法の呪文と使い方が、勝手に流れ込んでくる。

 それは今まで聞いたことがなければ、魔法辞典にもっていない魔法だった。

 呆然ぼうぜんとするタネルには目もくれず、セダは魔法辞典を取り出す。

 けれど、セダはすぐには魔法を使わず、なんとジェサーレの柔らかい頬っぺたを、平手で二回叩いた。


「は!? セダ!」


 慌てて飛び起き、セダを探すジェサーレだったが、すぐ目の前にいたことに安堵あんどする。


「ジェサーレ、すぐにフォマティフォを使って!」


 ところがセダはそんなこともおかまいなしに、ジェサーレに魔法をお願いした。


「あ、あ、分かった! 隆起りゅうきせよ、フォマティフォ!」


 ジェサーレはすぐに実行に移し、ソルマ家の者たちとの間に、自分たちよりも少し高い土の壁を作り出した。

 同時にセダも唱えていた。つい先ほど、頭の中に流れ込んできた魔法の呪文を。


「魔の法を封じよ、マギアスビビリオ。……フォマティフォ!」


 しかし、なにも起こらない。

 いや、起こっていた。

 少し離れた場所、新たに向かってきていた兵士たちが、瞬時に土の壁で取り囲まれたのだ。それも、ジェサーレが出したものよりも、うんと頑丈そうなものを。

 それまで表情を崩さなかったキズミットの顔が途端にゆがみ、けわしくなった。


射抜いぬけ、パゴドリイ」


 再び氷の槍が二人に迫る。


「ジェサーレ!」

「うん! 隆起せよ、フォマティフォ!」

「フォマティフォ!」


 ジェサーレとセダにより、土の壁が何枚も現れる。

 氷の槍は次々と土の壁を貫いたが、しかし、それが二人に届くことはなく、直前で止まったのだった。

 そしてセダは腰ポーチから羽根を一枚、素早く取り出すと、すぐに別の呪文を唱えた。


「我らに夜の祝福を、ニヒテリニエビオギア」

「セダ、どうしたの。まだ昼間だよ?」


 おまじないを不思議に思ったジェサーレが、戦いの最中だというのに呑気な声でセダに聞く。

 それを聞いたセダは、魔力を操作してフォマティフォの土の壁に開いた穴を広げ、キズミットを指さした。


「あの人がぶれて見えたのよ。ニヒテリニエビオギアには呪いや魔法を見破る効果もあるでしょう?」

「そういえば、僕にもぶれて見えていたような気がするよ」

「今はどう? 私にはさっきまでと違う人が見えているんだけど」

「そうだね。よく似てるけど、服装が違うね」

「わん! わん!」


 果たしてニヒテリニエビオギアのおまじないが犬のジャナンにも効いたのかどうかは分からないが、いつの間にか二人の近くに来ていたジャナンがけたたましく吠え始める。

 それに怖気おじけづいたわけではないだろうが、女は苦虫にがむしを噛み潰したような顔になり、馬の腹を蹴って反対方向に去っていった。


「タネル!」


 それを見届けたセダが、大きな声でタネルを呼びつける。


「はい、姫様」

「姫様!?」


 しっかりとしたタネルの返事に、ジェサーレはびっくりしたが、セダはジェサーレの態度を気にした様子もなく、二人で話を続ける。


「すぐにチョバン族の老人たちを介抱かいほうなさい。その後、私たちに説明。いいわね?」

「はい、すぐに」


 セダから話しかけられたタネルはいきいきとした顔で、兵士たちに指示を飛ばし始めた。


「ねえ、セダってお姫様だったの?」


 落ち着くまで我慢できなかったジェサーレが、丸い瞳をキラキラと輝かせてセダに聞く。

 するとセダは途端に得意顔になり、両手を腰にあてて胸を張った。


「そうよ、ソルマ家のお嬢様なのよ。凄いでしょ?」

「うん、凄い凄い。あ、だけど、そうしたらさっきの悪い女の人は、セダのお母さんだったんじゃないの?」

「あれは、偽物よ」

「姫様、老人たちの手当てが完了しました」

「ご苦労様、タネル。……ジェサーレ、この話はまた後でね」

「うん」

「タネル、老人たちを町に招いて、それから馬を与えて開放しなさい。きっとチョバン族から奪ったものがあるのでしょう?」

「さすが姫様ですね。その通りにいたします。ところで、キズミット様は偽物だったのですか?」

「……そうね」

「やはりそうでしたか。実はキズミット様によく似た女が、秘密の牢屋ろうやとらわれているという情報がありまして」

「すぐに調べなさい」

「はい、ただちに。それでは姫様とそのご友人、かな? アトパズルの町でお待ちしてます」

「頼んだわよ」

「はい」


 タネルが去ると、セダは大きく溜息をついて、伸びをした。

 太陽はすっかり傾いて、辺りは暗くなり始めている。


「さ、ジェサーレ。草の海を探そう」

「うん、姫様」

「あなたに姫様って言われるのはこそばゆいから、今まで通りセダにして」

「うん、分かったよ」


 そこから歩くこと三十分。

 太陽が三つ子山にすっかり隠れた頃に、二人と一匹は草の海と思われる場所にようやく辿たどり着いた。

 そこは確かに、辺り一面の草が風に柔らかくしなり、まるで海の波のようになっている。

 そればかりか、まるで渦のように草がぐるぐるとしているところもあった。


「きれい」


 セダがつぶやいた。

 空には月と満天の星空が浮かび、草原には光の海が広がる。

 もう、セダにも見えるようになっていたのだ。様々な大きさの魔法陣が、その、動き光り輝くさまが。


「セダ、これが杭だよ」

「わふん」


 今度はジェサーレとジャナンが得意顔で語る。


「ええ、とてもきれいね。ジェサーレだけにこれが見えていただなんて、私、とっても損をした気分だわ」

「ええ!?」

「ふふふ、冗談よ」


 そうして二人と一匹は草の海のすぐそばでテントを張って、一晩を過ごした。



   *   *   *



 翌朝、二頭の馬の足音で、二人と一匹は目を覚ました。


「二人ともおはよう!」

「あ! アスランさん、おはようございます」

「おはようございます」


 ゲーキ族のアスランが、馬を連れて迎えに来たのだ。


「どうしてここに来たの?」

「昨日の晩にな、ソルマ家から使者が来て、これまでのひどいおこないをびていったんだ。これはもしかして、君たちがなんかやったんじゃないかとピンときて、集落にお招きしようという魂胆こんたんさ」


 ジェサーレの質問に、ニカっと歯を見せて笑うアスランの顔は、前よりもさらに爽やかだった。

 だけど、セダは首を振る。


「アスランさん、ごめんなさい。私たちアトパズルに行かなければならないの」

「……それはもしかして逮捕されに行くのか?」

「ううん、違うの。詳しくは話せないけど、向こうの偉い人からのお招きよ」

「そっか、それじゃしょうがないな。そうしたら、かわりに馬で送ってあげようじゃないか」

「え、いいんですか?」

「お安い御用さ。セダはこっちのひいてきた馬にジェサーレと一緒に乗ってくれ。俺の馬には、そっちのモフモフしたお友達を乗せてやる。それでいいか?」

「はい、ありがとうございます」


 そこでジェサーレは初めて馬に乗った。

 馬の背から見える景色はいつもよりだいぶ高く、草原を駆けるその速さに、とても感動した。

 落ちないよう、セダにしがみつくことにも必死だったが、背中まで伸びたセダの髪の毛がジェサーレの鼻をくすぐって、くしゃみも我慢しなければならず、それはもう大変だった。

 だからアトパズルに着いた途端、彼はしばらく動けなくなってしまった。

 やむなくアスランにおんぶされながら、ジェサーレはアトパズルの町を観察する。

 建物の壁は真っ白に塗られ、通りに面した壁には、簡略化された草花の模様が若草色や青緑色や深緑色の絵の具で描かれていた。

 その最たるものがソルマ家の屋敷だった。

 白く大きな壁には、まるで絵本のような草原とお花畑が広がっていて、見ているだけでも心が和やかになりそうである。


「アスランさん、ジェサーレをおぶってくれてありがとう」

「どういたしまして。ほれ、ジェサーレ、立てるか?」

「うん、大丈夫そう。ありがとうございました、アスランさん」

「子供一人おぶるくらい、大したことじゃないさ。二人とも、また集落に遊びに来てくれよ」

「ええ、是非」

「はい、絶対」


 アスランはセダの正体に気付いていたのだろうが、本人から打ち明けられなかったから、最後まで態度を変えずに去っていった。

 それはジェサーレと同じように、友人として在りたいと思ったからだろうか。


 そして、翌朝。ソルマ家の屋敷には二人の人物が訪ねてきた。

 若草色の軍服のタネル。

 そしてもう一人は――


「お母様!」


 すっかり痩せこけていたが、セダには一目で分かった。


「あ、あ……え」


 〝本物〟のキズミット・ソルマは、うまく動かないその口を懸命に動かそうとして、それも叶わない。

 だけど、セダとキズミットは涙を流して抱きしめ合い、精一杯に再会を喜んだ。



   *  *  *



「ねえ、マリク。あなた、本当に何の魔法を使ったの?」

「何って、教わった通りにフォトスフェイラの魔法を唱えたよ」


 マリクがボシ平原のとある場所で魔法の練習をしてから、何日経ったでしょうか。

 彼が放った光は土にしみこみ、草に移り、くり返し光り続けていました。

 その光は夜になると、まるで星空のようにきらめき、草の動きに合わせて海の波のようにうねるのです。

 鏡花の魔女ジャナンは、もうすっかりその光が気に入ってしまい、何日も旅が中断してしまうのでした。

〔英雄王マリクの冒険・第七章より〕

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