第二部 第一章 クルムズパスの赤竜の舌

第一話 出発

 マリクと鏡花きょうかの魔女ジャナンは、武器を作ることが得意なイーデミルジュ族の町に来ました。タルカンからもらって、ずっと大事に使っていたマリクの剣が、もう随分とおんぼろになってしまったからです。

 ところが、この町の鍛冶屋さんは人見知りの人が多くて、初めて会うマリクのお願いを誰も聞いてくれませんでした。

 足を棒にしてたくさんの鍛冶屋さんにお願いしましたが、それでも駄目でした。

 夕方になって、すっかり諦めて帰ろうとしたとき、イーデミルジュ族の青年が、マリクとジャナンに声をかけました。丈夫そうなエプロンと手袋をしていて、やはりその青年も鍛冶屋さんなのだと分かります。


「そこのお兄さん。鍛冶屋を探しているんだろう? おいらが引き受けてやってもいいぜ」

「ありがとう。でも、どうして引き受けてくれる気になったんだい?」

「それは、その」


 その青年はジャナンの顔をチラッと見ては、顔を赤くして黙ってしまいました。


「よく分からないけど助かるよ。よろしくね」

「おう、任せろ。赤竜様の舌の、一番熱いところで作ってやる」


 そうして青年は一生懸命に丈夫で立派な剣を作り、感動したマリクは、持っていたお金のほとんどをその青年に渡しました。

 その後、ジャナンとその青年が何やら話をしていました。青年がひどく落ち込んだ様子になったので、マリクがジャナンにこっそり聞きましたが、「秘密よ」と言われて教えてもらえませんでした。

〔英雄王マリクの冒険・第六章より〕



「ふーん……、つまりその鍛冶屋の青年は、ジャナンにフラれたのね」

「え? そんなこと書いてないのに、どうして分かるの? セダは凄いね」


 次の目的地を目指してゆっくりと走る馬車の上で、ジェサーレが感心したようにセダのことを見ていた。


 ジェサーレはルスの里で気を失ってから三日三晩寝込んだ。

 ケレムによれば、大きな魔力を練習もしないで放出したため、体がついていかなかったのだろうということだった。

 勝ち気な少女セダと、ジェサーレのようにもふもふとした頭の毛を持つ、白い犬のジャナンは、その間、つきっきりでジェサーレの看病をした。彼らをルスの里まで送り届けたタルカンとデミルも、ケガの治療をしながら、ジェサーレが早く目覚めるように祈っていた。


 そうしてジェサーレは、みんなに心配されながら目を覚ました。彼が目覚めると、犬のジャナンは彼のプルンとした頬っぺたをこれでもかと舐めて祝福し、セダは頬を緩ませながら、「心配させないでよ」と怒るのだった。

 タルカンとデミル、そしてケレムは照れることもなく、ただ、良かった、おめでとうとジェサーレの目覚めを祝福した。


「あ、僕、頑張らないと」


 目が覚めたジェサーレが、最初に言った言葉はそれだった。


「夢の中でたくさんの人が頑張ってたんだ。だから僕も頑張らないと」

「それは立派な心掛けだけど、君は何日も気を失っていたんだ。大丈夫なのかい?」


 里長さとおさのケレムは心配しているように言葉をかけるが、その顔は微笑んでいるようで、ちっとも心配はしていないようだった。


「はい、大丈夫です。だって皆が手当をしてくれたんだから、これっぽっちも悪いところなんてないんです」


 それを聞いたケレムもセダも、みんなみんないっそう優しい顔になって、ジェサーレに向かって頷いた。


「それなら大丈夫だね」

「はい、大丈夫です。だから、杭がある場所についてもっと詳しく教えて下さい」


 ジェサーレがまっすぐにケレムを見つめると、彼は背を向けて部屋の入口まで歩く。そして振り向きざまに両手を広げてはこう言ったのだ。


「私がそれを教えてしまったら面白くないでしょう? 冒険は、自分の目と耳で感じて初めて本物になるのだから」


 その後もセダが杭について聞いてみたものの、やはりケレムは詳しく教えてくれはしなかった。

 それでも、早く杭を見に行きたいというジェサーレの気持ちに、皆が動かされた。

 ジェサーレが目を覚ました翌日早朝、深い谷に霧が残る中、ジェサーレ、セダ、タルカン、デミル、そして犬のジャナンは次の目的地、クルムズパスに向けて馬車で旅立った。



   *  *  *



「それで、その青年はその後どうしたのかしら?」


 セダは、ジャナンにフラれた鍛冶屋の青年に興味があるようで、英雄王マリクの冒険を得意気とくいげに語り続けるジェサーレに、質問を投げかける。


「あ、えっとね。分からないんだ」

「分からないの?」

「うん、そんなことは書いてないんだ」

「そんなことってことはないのよ。恋の話の結末は、女の子にとって一大事なんだから」


 黒くつやのある短い髪の毛を少し揺らしながら、セダがジェサーレに詰め寄った。

 ジェサーレにしてみればマリクの冒険の続きの方がよほど興味があることで、セダにそのように言われても、「ああ、そうなんだ」と歯切れの悪い返事をするしかない。


「坊ちゃんたち。ここから揺れますから、口をしっかり閉じて、ベロを噛まないようにして下さいね」


 御者ぎょしゃのおじさんが声を掛けてくれた通り、ルスの里から出てしばらくの間はでこぼこが多い道が続き、そのせいでセダは少し機嫌が悪かった。

 ジェサーレもでこぼこ道に疲れはしたが、彼のぽってりとした体がほどよく衝撃を吸収してくれて、セダより少しは楽だった。


「うわあ、立派なとりでだね」


 だけどそんなでこぼこ道も、ユケルバクという大きな町が見えてくる頃にはもうすっかりと緩やかででこぼこが少ない下り坂になっていて、ジェサーレは目と口を開けて驚くことができた。

 ジェサーレが驚いたのは、ユケルバクの名所の一つでもある、大きな石の建物だった。大理石でできたそのとりでは白く輝いていて、町を取り囲む高い城壁よりも更に少し高い。


「タルカンさん、ここはユケルバクの町ですか?」

「そうとも。ジェサーレ君はやはり物知りだのう」

「もちろんです。マリクたちは、最初ここで剣を買おうとしたけど、気に入ったものが無くて、クルムズパスまで行ったんですから。……だけど、本にはあの白い砦のことは書いてなかったな。どうしてだろう」

「さあ、どうしてだろうね」


 タルカンはきっと理由を知っているのだとジェサーレは思ったが、それでも自分の目で確かめた方がいいのではないかと思って、しつこく聞くことはしなかった。


「ねえ、どうしてなの?」


 しかしセダはジェサーレと違い、大きなあおい瞳をくりくりさせて、遠慮なくタルカンに聞く。

 それに対してタルカンは、腕を組んで、うーんと大袈裟に声を出した後で、こう答えた。


「儂は英雄王マリクの冒険の作者ではないから、本当の理由は分からないが、それでも二つくらいは考えられるぞ」

「それって何なの?」

「セダのお嬢ちゃんはなんだと思う?」


 そう言われてセダもやはり腕組みをしながら、うーんと唸り、しばらく考えた後に口を開いた。


「マリクが冒険していた昔の時代には、あれは無かったんじゃないかしら」

「うん、そうだな。儂もそう思う。流石はセダのお嬢ちゃんだ」


 タルカンにそう褒められれば、セダも実に嬉しそうにはにかんだ。


「儂が考えるもう一つの理由は、作者が砦に興味がなかったのかも知れない、というものだ」

「あんなに大きくて目立つのに!?」


 一目見てその威容いように目を奪われたジェサーレにとっては、その方が驚きだった。


「うむ。あの物語を誰が書いたのか、ひょっとしたらマリク本人が書いたとも言われておるが……、ともかくマリクたちが南側からここに来たのなら、あの砦はきっと壁で見えないことだろうから、砦に気付かなかった可能性もあるな」


 ジェサーレとセダは不思議そうな顔でそれに頷き、犬のジャナンは「わふん」と控えめに鳴いたのだった。

 そんな会話をしながら、馬車は東門から入らずに町の外をぐるりと回り込み、西門からユケルバクに入った。

 一行はそのまま宿を探し、夜に少し観光をしただけで、翌朝にはユケルバクを出発してしまう。

 西の道は平らで、確かに白い砦は見えず、同じように平らだという南の道でも、同じように見えないだろうなと、ジェサーレとセダは思った。

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