第三話 旅立ち

「――それでは説明したとおりにやってみよう。みなさん、コップを机に置いて先生のお手本通りにやってみなさい」


 ズングーリとムックーリの兄弟は今日は朝から学校に姿が見えず、ジェサーレは昨日のことも忘れて、授業に聞き入っていた。

 エルマン先生が呪文を唱えて、指先から水を出すお手本を何回か見せた後は、いよいよ生徒たちが練習する番である。とはいえ、指先から水を出す魔法の練習は、魔法の授業で必ず行なうことになっていて、ジェサーレも他の子供たちと同じように、ちょろちょろと水をだすことには慣れている。


「水の祝福を。クリニ」


 教室のあちこちから呪文とコップに水が注がれる音が聞こえてくる。

 ジェサーレもコップの上に指先を止め、得意げにみんなと同じ呪文を唱えた。


「水の祝福を。クリニ」


 すると、なんということだろうか。

 彼の指先からは周りの子供たちと比べ物にならないくらいの量の水が、ドボドボと流れ出ているではないか。その水はたちまち、机と床を水浸しにしてしまい、本人が異常に気が付くまで流れ続けたのだ。

 それを見た子供たちは凄い、凄いと素直に感嘆の声をあげ、ジェサーレは照れ臭そうに微笑むが、その中でエルマン先生だけは違った。


「えー、みなさん。今、ジェサーレ君が魔法で沢山の水を出したことは、絶対に他の人やおうちの人には話さないで下さい。絶対にです。それから、残りの時間は各自自習にして下さい。魔法を使ってはダメですよ。ジェサーレ君は先生と一緒に別室に来てください」


 なんだろうと思いながら先生の後につき、小さな予備教室に入って向かい合わせに座ると、エルマン先生は相変わらず険しい表情のままで、ジェサーレに話しかけてきた。


「君は、マゴスだな?」

「……」


 ジェサーレは昨日もマゴスという言葉を耳にしてはいたが、マゴスが何かは分からない。どう返事をすれば良いのだろうと、少し黙っているとエルマン先生は尋問するように問い詰めてきた。


「なぜ、黙っているんだね? 君がマゴスでなければ、たった一言、いいえ、と答えればいいだけの話なのに。黙っているということは、君はやはりマゴスなんだろう?」

「あの、先生」

「何だね? 認める気になったかね?」

「僕、マゴスが何なのか分からないんです。マゴスとはなんでしょうか?」


 その言葉を聞くなり、エルマン先生は声を荒げて、ジェサーレを更に追い詰めようとする。


「嘘をつくんじゃない! この木霊の国でマゴスを知らないだなんて、そんなことがあるものか! どうしてそんな嘘をつくんだ! やっぱりお前はマゴスなんだろ! 正直に話せ!」

「……」


 マゴスが何かも分からないのに、エルマン先生のあまりにも一方的で理不尽な物言いに、ジェサーレはとても悲しい気持ちになり、もう何も言うことが出来なかった。

 それでも、エルマン先生はじっとジェサーレのことを睨みつけ続けていたが、ただただ悲しい表情で押し黙る相手に何を言っても無駄だと思ったのか、「もういい、帰れ」と厄介払いをするようにジェサーレを学校から追い出した。


 昨日、今日と立て続けに悲しいことが起こったジェサーレの眼には、帰りの夕陽がとても暗く重たく見えた。

 それでも重い足を引きずりながら帰るが、家に近づいたときに、どうにも嫌な胸騒ぎがしてたまらず、玄関の木戸を開けて中に入ると、その予感は的中していたことを知ることになる。

 居間には机や椅子が散乱して、中には脚が折れているものさえあった。何よりもジェサーレが心を痛めたのは、母のシーラが力なく床に座り込んでいたことだった。


「お母さん! いったい何があったの!?」


 最初、声を掛けただけでは反応せず、ジェサーレが何度か肩を揺すったことで、シーラはようやく彼が帰宅していたことに気が付いたのだ。


「……ああ、ジェサーレ、お帰りなさい。帰ってきていたのね」

「うん、ただいま、お母さん。ところでこれはいったいどうしたの?」


 この惨状を目にしたジェサーレは、先ほどまでの重い気持ちもかえって吹き飛んでいた。


「お前が昨日、マゴスについて聞いていたでしょう?」

「うん」

「何かの間違いじゃないかと思って、答えなかったけれど、そうしたら今日になって、大人が何人も押しかけてきて、お前を出せ、マゴスを出せって、それは大騒ぎだったのよ。息子は学校に行っているからいませんって言ったら、今度は強引に家の中に入ってきてご覧の通りよ」

「ねえ、マゴスってなに?」

「……」

「今日、学校の先生に聞かれたんだ。お前はマゴスだろうって。マゴスってなんなの?」

「……マゴスっていうのは、他の人よりも大きな魔法が使える魔法使いのことなの」

「魔法使い!? 魔法使いだなんて凄い!」

「でもね、凄いからダメなのよ」

「どうしてダメなの?」

「お話の中のジャナンのように、簡単に人にケガさせたり、殺したりすることができるでしょう。みんな、それが恐いのよ。恐いから町から追い出そうとするの」

「そんな……」


 ジェサーレは魔法の授業とエルマン先生の態度を思い出して、また悲しくなり、黙ってしまった。


「さ、この話はおしまい。部屋を片付けましょう。壊れた椅子もあるけど、コライは腕のいい船大工だもの。すぐに直せるわ」

「う、うん。そうだね」


 そのとき、玄関の木戸が開き、今度はあざだらけの姉メルテムが、父コライと一緒に帰って来たのだ。


コライは開口一番、「うわ、こりゃひでえな。ちゃちゃっと直すか!」と明るい声で言い、メルテムはジェサーレに向かって「あんたのことをマゴスだなんだと言いふらしている悪ガキがいたから、片っ端からとっちめてきたよ!」と、威勢よく言う。

 二人の様子にシーラとジェサーレは、今までのことも忘れて、なんだかとてもおかしくなって、お腹を抱えて笑うのだった。


――そしてその夜。


「おう、ジェサーレ。今日のことなんか忘れて、ぐーすか寝ちまえ。なにかあっても父ちゃんが守ってやるから心配すんな」


 コライに言われて温かい気持ちでベットに寝転んだジェサーレだったが、家族が寝静まる物音を確認すると、むくりと起き上がり、お気に入りのカバンを肩からかけて、忍び足で外に出た。

 夜空にキラキラとした沢山の星と真ん丸の月が見える中、足音を立てないように町の出口を目指す。

 少年はもう、自分がマゴスであることを分かっていた。そして、この町の住民がマゴスを恐れ、自分ばかりか家族にまで暴力を振るうことも分かっていた。

 だから、こっそりと町を抜け出すことにしたのだ。一人で生きていけば、マゴスだとばれることも、家族が危害を加えられることもないだろうと、彼なりに考えた結果だった。

 最後にジャナンに挨拶をしようとも思っていたが、町の入口の門に辿り着くまでには、結局、出会うことはなかった。

 残念だけど、と衛兵のいない門をくぐり、外に出ようとしたそのときだった。


「おう、ジェサーレ。遅かったな」


 コライと、そしてフードを深くかぶった見慣れぬ男が、門で待ち構えていたのだ。


「お、お父さん!? どうしてここにいるの?」

「どうしたもこうしたもねえ。俺はお前の父ちゃんなんだぜ? お前が何を考えているかなんて簡単に分かるってもんだ」

「僕を連れて帰るつもり?」

「そんなことはしねえよ」

「え?」

「男が腹を括ってやろうとしたことにケチを付けるほど俺は野暮じゃねえし、何よりも俺の力だけじゃあ、家族を守り切れないってことも分かってる」

「じゃ、じゃあ、どうするの?」


「儂が、預かることにした」


 コライの隣のフードの男が初めて口を開いた。立派な髭を生やしたこの男の声は、その白いヒゲの通り老人のもので、ジェサーレが初めて聞くような低い声だった。


「えー……っと」


 ジェサーレが何を話そうか迷っていると、コライがすかさず割り込んでくる。


「この人は父ちゃんの昔からの知り合いなんだ。だから安心しろ」

「う、うん。分かった」

「ジェサーレ君。そういうことだから、どうか信用して、儂らの旅についてきて欲しい。君のことは儂らが守ろう」

「この人のいうことをよく聞くんだぞ、ジェサーレ」

「うん、分かった」

「……さて、馬車を待たせてあるから、そろそろ出発せんとな。行こうか、ジェサーレ君」

「はい、分かりました」

「旅が終わったら、男になって戻って来いよ。父ちゃんとの約束だぞ」

「うん! あ、ところでお爺さん」

「なんだね?」

「名前は何ていうの?」

「おお、名乗っておらなんだか。儂の名前は、そうだなあ……、タルカン、だ」

「タルカン! マリクの仲間の!」

「そうだ、そうだとも。ジェサーレ君は物知りだのう」


 そうしてジェサーレは、いつまでも見送る父に時おり手を振りながら、タルカンとともにひっそりと旅立った。



『さあ、少年よ、旅に出よう!

 山より大きいデブラーチェニスの大灯台、キラキラ光るガラスで出来たケファレ山、グンドウムの生きる砂浜、赤い竜が住むというクルムズパス、神々がのいびきが聞こえるケスティルメの大神殿!

 この世界は、君の心を震わせる不思議なもので溢れているのだから!


 ……だが、暗くなる前に帰らないと母ちゃんが恐いという気持ちもよく分かるぞ』

〔英雄王マリクの冒険・第1章よりマリクを旅に誘うタルカンのセリフ〕



< 第1章 旅立ち > ― 完 ―

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