第44話 泣き顔
翌週、水惟は渋々深端グラフィックスの会社説明会に訪れていた。
(大きいビル〜…女性はみんなキレイなお姉さんて感じだし、はっきり言って雰囲気が威圧的で怖い…私がここで働くことは無いなー…)
水惟は深端本社のエントランス前でビルを見上げながらそんなことを思っていた。
(生川 洸さんの話が聞けるのはおもしろそうだから、今日はそれだけ楽しんで帰ろ…)
(会場は会議室…4階…か。まだ時間あるし…)
階段で会場を目指す事にした。
(
水惟は
目当てのフロアに着いた水惟は、部屋のドアにつけられたドアプレートで会場を探した。
(会議室…会議室…あ)
水惟は【会議室A】と書かれたプレートを見つけ、ドアを開けた。
「え…」
ドアを開けた瞬間、男性の驚くような声が漏れた。
(え…)
水惟も心の中で同じように驚いた。
部屋の中には、背の高いスーツ姿の男性が缶コーヒーを片手に一人窓際に立っている以外誰もいない。それどころか、学生が何十人も入れるような広さの部屋ですらない。
「何?」
「え、あの!?会社説明会に来たんですけ…ど…」
「ああ、それなら一つ下の階のはずだよ。」
水惟が急にドアを開けて入って来たにも関わらず、男性は穏やかな笑顔と声で教えてくれた。
「す!すみませんでした…!ありがとうございます!」
そう言って慌てて頭を下げて部屋を出ようとした水惟は、手に持っていたポートフォリオをバサッと落としてしまった。ファイルのポケットから、何枚かプリントが飛び出した。
「わぁ!すみません!さっさと片付けます!!」
水惟はさらに慌てて床のプリントを拾おうとした。
「落ち着いて。会社説明会までまだ時間あるよね?慌てて片付けなくても大丈夫だよ。」
そう言って、スーツの男性は水惟が落としたプリントを拾うのを手伝ってくれた。
(さっきの笑顔といい、優しい人だなぁ…)
「これ…キミの作品?」
男性は、水惟の作ったポスターデザインを見ながら言った。
「はい…そうです。それは旅行会社のキャンペーンていう課題で…」
「そっか。すごく良い作品だね、なんていうか—」
(え…)
言葉を詰まらせた男性は目を右手で覆った。
「マズいな…学生さんの前で」
(泣いてる…?)
男性は胸ポケットのハンカチを取り出して、一瞬目を押さえ涙を止めた。
「俺、最近いろいろ忙しくて疲れてたんだけど、この作品見たらなんか…胸に刺さったっていうか…癒された。」
そう言って微笑んだ男性の目はまだ涙で潤んだ名残が見えた。
気づくと水惟の胸はドキドキと早いリズムを刻んでいた。
「キミみたいなデザイナーが入ってくれたら、うちのクリエイティブも幅が広がりそうだね。」
「え…」
「って、軽々しく期待させるようなこと言っちゃいけなかったな。デザイナーでもなんでもない、ただの営業マンの感想だから。」
「は、はい!ありがとうございます!」
その日、水惟は会社説明会の間も、洸の講演の間も、ずっとあの男性の涙が頭から離れなかった。
誰かが自分の作品で泣くという初めての体験への感動と、大人の男性の泣き顔を初めて見た驚きで、頬は熱く、胸はずっと高鳴っていた。
(…きれいな顔だったなぁ…)
翌日
「私、深端グラフィックスに入りたいです。」
水惟は目を輝かせて蟹江教授に言った。
「え、何?どうしたのよ急に〜!そんなに良かったの?説明会…」
「えっと…はい、まあ。」
「ふーん、そうなんだ。さっすが大手ね〜!」
(………)
正直なところ、会社説明会の内容はあまり覚えていない。水惟の頭にはずっとあの男性の顔だけがこびりついていた。
(あの人と一緒に仕事がしたい…)
(またあの人が泣いてくれるようなデザインがしたい…)
「深端を受けるなら、ポートフォリオの作り方から筆記試験に面接の受け応えまで、しっかり対策しないとね!」
「はいっ」
それから水惟は、本来苦手な集団面接のディスカッションなども教授や講師の先生たちに協力してもらいながら何度も何度も練習した。
「受かりました〜!」
大学4年になった水惟が吉報を携えて教授の研究室を訪れた。
「おめでとー!頑張ったわね!」
「はい。」
「羨ましいわねー生川 洸と仕事ができるなんて。」
教授の言葉に水惟は「えへへ」と笑いながら、内心ではあの男性と働くチャンスを得た事を喜んでいた。
オフィス自体も広く社員数も多い深端で、水惟が男性に再会できたのは営業部での新人研修のときだった。
「営業部第一グループの深山です。よろしくお願いします。」
(ミヤマ…ミヤマさん…)
水惟は、この人の名前だけは絶対忘れないようにしようと小さく名前をつぶやいた。
***
「だから私、深端のことなんて本当によく知らなかったから…あなたが社長の息子さんだって知って本当にびっくりしたの。なんて人に憧れちゃったんだろうって…」
水惟ははにかんだような
「………」
「蒼士…?」
蒼士は驚いた顔で黙っていた。
「え…あれって、水惟…!?」
水惟は笑って頷いた。
「やっぱり全然気づいてなかったんだ。髪が短かったからわからないよね。」
「…なんで…言ってくれたら良かったのに。」
「何度か言おうと思ったよ。でも、その度に“深山さんが泣いてくれるくらい良いデザインができてから言おう”って思い止まったの。」
水惟は蒼士の手を包んだ両手にぎゅっと力を込めた。
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