水惟の秘密

第43話 やり残したこと

「だって…今の話と私の記憶を合わせたら—再会してから今までのこと、全部…全部—」


水惟は蒼士の言葉を一つ一つ思い出していた。



——— 前に会った時より元気そうだな。少しふっくらした?



——— 変わらないな。安心した



——— 昔のクセでイチゴのスイーツとかは今でもつい目に入るんだよ



——— 覚えてるよ。俺は水惟のデザインのファンだから



——— …なんていうか、すごく…水惟らしいな—

——— ごめん…久しぶりに水惟のデザインを間近で感じて…



——— そんなに喜んでもらえたなら、持って行った甲斐があった



——— そのドレス、やっぱり似合うな

——— また着てくれて嬉しいよ



それは、食欲を無くし痩せてしまいデザインもできなくなってしまった水惟が、4年間で元気になったことに安堵するような—深い愛情を感じるような言葉ばかりだった。



「蒼士は…今でも私のことが好き…でしょ…?」

「水惟…」

「だったら—」

言いかけた水惟に、蒼士は溜息をく。

「ダメだよ、水惟。」

「どうして…?」

「…水惟は…今、またデザイナーとして第一線に戻った。」

「………」

「これから深端でやり残したことの続きをやっと始められるんだ。」

「やり残したこと…」

蒼士は頷いた。

「その時に、きっと俺の存在がまた水惟の邪魔をするよ。」

「邪魔…?」

蒼士はまた、小さく溜息をいた。


「俺は…あの時水惟と結婚したことを後悔してた。」


「え…」

蒼士の思いもよらない言葉に、水惟の胸がキリ…と軋む。

「じゃあやっぱり…私と結婚なんてしない方が良かったって…」

「違うよ、そういう意味じゃない。俺が水惟のキャリアを邪魔したことを後悔してるんだ。」

蒼士は水惟の頬をそっと撫でた。

「本当は…水惟がもっと深端でキャリアを積むのを待つべきだったんだ。デザイナーとして、誰からも認められる仕事を水惟の名前でできるようになってから結婚するべきだった。」

「………」

「なのに俺は…ガキみたいな独占欲で…焦って無理矢理…水惟が断れないような言い方でプロポーズして…」

蒼士は後悔を滲ませたような困ったような笑みで言った。

「その結果が…4年前のあの状況。まだ一人前って自信も評価も得られてなかった水惟の評価を歪めて、仕事以外でも苦手なことばっかりさせて…水惟の自信をどんどん失わせてしまった。それをあの時から今までずっと後悔してる。」

初めて聞く、蒼士の本音だった。

「4年前、あんなに仲良くしてた冴子さんや鴫田さんと絶交してたのも…今になって知った。水惟の世界を随分変えてしまったんだなって改めて後悔したよ。」

蒼士は苦しそうに言った。

「でも…約束は…」

「あの約束も、水惟の為みたいな言い方したけど…本当はただ俺が…水惟を手放したくなかっただけなんだ。」

「なら…」

蒼士は首を横に振った。

「水惟と再会できたときは…またやり直したいって思ってたけど、また楽しそうに働けるようになったんだって思ったら…それを壊すのが怖くなった。今度はもう、デザイナーの水惟の邪魔はしたくない。」

「そんな、私は…」

水惟は困ったように眉間にシワを寄せる。

「水惟が俺とのことを忘れてるかもしれないってことも洸さんから聞いてたよ。」

「………」

「実際に再会したら…本当に忘れてるみたいで…」

「………」

「ショックだったけど、記憶障害のことを少し調べたんだ。大きなストレスで記憶障害になることがあるって。ストレスの元になる記憶を忘れようとするんだって。」

「え…」

「だからさ、水惟にとって…俺はストレスなんだよ。」

「ストレス…?」

「だから、もう俺は水惟と恋愛も結婚もしない。水惟には一デザイナーとして深端に帰ってきて欲しい。」

「………」


「また…勝手に決めてる…」

水惟がポツリと言った。

「え…」

「だって…私はまた、蒼士のことが好きになっちゃったのに…この気持ちはどうすればいいの?」

「水惟、それは—」

「それに私は—」


「深端には戻りたくない。」


「え、何言ってるんだよ。水惟には深端でやりたいことがあったんだろ?」

蒼士の言葉に水惟は首を横に振った。

「ううん…たしかに、深端でしかできないことがあったから必死で頑張って深端に入ったけど…今は…多分それは深端じゃなくてもできるの。」

「え…」

「だから、私は深端には戻らない。」

水惟は蒼士の目を見て言った。

「水惟のやりたいことって…?前に言ってたカフェとかホテル?」

水惟は首を横に振った。

「それもやってみたいけど…それは深端に入ってから思ったことだから。」

「じゃあ…どこかの企業広告?」

また首を横に振った。

「誰かと仕事がしたいとか?」

「………」

水惟は考えるように沈黙した。

「それは…半分正解。」

「誰?洸さん?」

「洸さんと仕事できるのは光栄だけど…深端に入る時の夢じゃないの…氷見さんでもないよ。他のデザイナーでもADでもない。」

蒼士は眉間にシワを寄せ、真剣に考え始めた。

「わからない?」

「…全然。」

「忘れてるのは私じゃなくて、蒼士の方。」

「え?」

水惟は蒼士の右手を両手で包むように握った。


「思い出したの。私が深端を目指した理由は…蒼士あなただから。」


「え?…俺…?」

全くピンと来ていない蒼士の表情に、水惟は眉を下げて笑う。

「私には、人生を変える出会いだったんだよ?」

そう言って、今度は水惟が昔のことを話し始めた。


***


10年前

壽野美術大学ひさしのびじゅつだいがく・視覚情報グラフィックデザイン科

「藤村さんて本当にデザイン事務所で就職探すの?」

大学3年の水惟は教授に呼び出され、進路について聞かれていた。

「はい。そうですけど。」

水惟はなんでもないことのように答えた。この頃の水惟はショートカットで今とは随分印象が違う見た目をしていた。

「勿体無いな〜。正直、今のこの科では一番あなたに期待してるのよ?大手の広告代理店だって狙えるんじゃない?」

「うーん…デザインだけなら…もしかしたらそうかもしれないですけど…面接とかが無理なんじゃないですかね〜。みんなギラギラしてそうです。」

水惟は苦笑いで言った。

「受けるのはタダなんだから、先に諦めるのはもったいないでしょ。今度深端の会社説明会があるから、それだけでも行ってきなさい!」

「みはし…?」

「も〜!深端グラフィックスくらい知っててよー!生川 洸とか知らない?」

「あ、その人は知ってます。輝星堂のキャンペーンの人!」

「その生川さんもいる会社よ。興味湧いた?」

水惟はポカンとして小首を傾げる。

「もー!会社説明会、行かなかったら単位あげないわよ!」

「え!横暴ですよー!アカハラ〜!」

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