気持ちと記憶
第18話 受賞スピーチ
夕日広告賞・授賞式会場
「ガッチガチじゃん。」
緊張で顔を強張らせる水惟に、正装をした啓介がいつもの調子で
「だ だって…か、会場広いし…人が…」
授賞式はそのまま同じ会場での祝賀パーティーになるため、ホテルの大広間で執り行われていた。
広間の一番奥に表彰用のステージがある。
広間には水惟の予想以上に大勢の人がいて、みんな正装をしているせいか偉い立場の人に見えてしまう。
(こんなところでスピーチなんて…)
「水惟ちゃん。」
「蛍さん!洸さん!」
生川夫妻は揃って出席していた。二人に会って水惟は少しだけホッとした。
「蛍さんきれ〜」
蛍は大人っぽい黒のマーメイドラインのドレスを着ている。
「水惟ちゃんも髪がアップでいつもより大人っぽいね。そのドレス、とってもよく似合ってる。」
「でもこれ…昔のヤツなの。ひさびさに着た。」
水惟は照れ臭そうに言った。
蒼士と結婚していた頃はパーティーに出席する機会も多かったため、何着もドレスを持っていた。
しかし離婚してそんな機会もあまり無くなったので、水惟は持っていたドレスをほとんど処分してしまったが、このミルクティー色のシルクのワンピースだけはなぜか手放さずにずっと大切にしまってあった。デコルテがスクエアに開いた大人っぽいデザインだ。
(他のドレスを処分したときのこともそんなにはっきり覚えてないけど…なんでこれだけ?…おかげで今回買わずに済んで助かったけど…)
「水惟ちゃん、スピーチ頑張ってね。」
「わ〜!思い出させないでー!」
「水惟、客はみんなジャガイモだと思え。」
洸が古典的なアドバイスをする。
「それ…効果があったためしがない…」
「じゃあ手のひらに“人”って書いて飲み込め。」
役に立たなそうな洸のアドバイスに水惟は不満そうに眉間にシワを寄せた。
「水惟!」
今度は冴子が声をかけた。冴子は会うなりまた水惟を抱きしめた。
「わ、冴子さん!来てたんだ!」
「うん、うちの部署が関わった案件もいくつか受賞しててね〜」
(さすが深端…やっぱり深端の人もいっぱい来てるんだよね…)
水惟は冴子にわからないくらいの小さな溜息を
「水惟はスピーチあるのよね?」
「もー!みんなそうやって思い出させるから緊張するよ〜!」
水惟の様子に冴子は「あはは」と笑った。
「いい?お客さんはみんなカボチャ!よ。」
「冴子さん、それ〜…」
「ん?」
「なんでもない…おかげでちょっと力抜けたかも…」
「そ?」
冴子からも古典的なアドバイスを貰ってしまい、水惟は思わず脱力した。
授賞式が始まった。受賞者である水惟は、ステージの脇で順番まで待機している。
(みんなすっごくちゃんとしてるなぁ…)
段々と早くなる心音を感じながら、水惟は不安を募らせていた。
(みんなジャガイモ…いや、カボチャ…どっち!?)
(えっと…)
手のひらに“人”と書いて飲み込んだ。役に立たないと一蹴したはずの洸と冴子のアドバイスを次々に実行していくが、やはりあまり緊張が和らぐことはない。
「第73回夕日広告賞、公募部門、夕日賞は課題・海月出版の作品名「呼吸」。ADはリバースデザイン所属、SUIさんです。コピーは同じくリバースデザインの葦原 啓介さん、撮影は—」
水惟の作品がスクリーンに映し出され、会場は拍手に包まれる。華々しい光景だが、水惟には緊張を煽るBGMでしかない。
「SUIさん、壇上へお上がり下さい。」
(…落ち着かなきゃ…)
———スー…ハー…
胸に手を当てて、小さく深呼吸をした。
水惟が一歩踏み出そうとした時だった
「スイってあれじゃない?まえに
「あー深山さんの…」
どこからかヒソヒソと噂話をする声が聞こえてきた。
水惟の心臓が先程までとは違う音を鳴らし、全身から血の気が引いていく。
(深端の人たち…)
このままステージに上がれば深端の社員たちの噂の的になってしまうかもしれない…そう思うと足を踏み出したくはないが、状況は待ってくれない。
水惟はステージに上がった。
プレゼンターから記念の盾を渡され、とうとうスピーチの時間になってしまった。
司会者からマイクを渡される。
「あ、えっと…」
元から緊張してはいたが、深端の人間の噂話に動揺してしまい、考えていたスピーチが全て頭から飛んでしまった。
会場はシン…と静まり返り、視線が水惟に集中する。壇上の人間に視線が集まるのは当たり前のことだが、今の水惟には刺さるような冷たさすら感じる。
(…どうしよう…)
「えっと…」
(…怖い…)
——— コホッ
ステージ下の手前の方に立っていた誰かが小さな咳払いをした。
(あ…)
水惟が視線を向けると、そこに立っていたのは蒼士だった。
蒼士の口が、小さく動く。
ガ ン バ レ
——— 水惟らしい普段の言葉で伝えたら良いんだよ。こんな背伸びした文章じゃなくてさ
(………)
水惟はまた、胸に手を当てて小さく息を吸った。
「すみません」
マイクを通して、水惟が喋り始めた。
「緊張しすぎて、考えてきたスピーチが全部飛んじゃいました。」
水惟が苦笑いで言うと、会場が笑いに包まれた。重たい空気が変わり、水惟は内心ホッとした。
「えっと…スピーチの内容は飛んでしまったんですけど、私がこの場で言いたかったことはちゃんと胸に残っています。私は—」
水惟は自分の伝えたい気持ちを話し始めた。蒼士のアドバイスの通り、自然体の言葉を紡いでいく。
「—なので、沢山の人に支えられて今この場に立っています。こんな風に受賞スピーチがうまくいかないくらいダメなところのある人間ですが、デザインでは胸を張れるような良いものを届けたいですし、デザインに誠実でありたいと思っています。口下手な分、強かったり熱かったり…深い想いを、デザインでお伝えできると信じています。この度は素晴らしい賞をいただき、あらためて感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。」
水惟は深々とお辞儀をすると、顔を上げて笑顔を見せた。気づくと、会場は拍手に包まれていた。
水惟がまた蒼士の方に視線を向けると、蒼士は拍手をしながら優しい顔で微笑んでいた。
(私…やっぱり…)
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