第5話 ストロベリータルトとミルクとお砂糖
カフェ&ギャラリー
järviの事務所は、現在営業中のリニューアル前のカフェの2階にあった。
「はじめまして、今回デザインを担当させていただくリバースデザインの藤村と申します。よろしくお願いします。」
水惟は名刺を差し出した。
「järviの
オーナーの
湖上は水惟の名刺を受け取ると、じっくりと見た。
「リバースデザインって、KOH UBUKAWAの事務所ですか?」
「ええ、そうです。お詳しいですね。」
水惟が言った。
「ファンなんです〜え〜ウブカワさんにデザインしてもらいた〜い!」
「え…」
洸は名前が知られているだけに、こういうことも今回が初めてではない。それでもつい、水惟は表情を失ってしまう。
(………)
「湖上さん、藤村さんはリバースデザインの中でも若手のホープなんですよ。」
蒼士がフォローするように穏やかな声で言った。
「新人の頃は
(引き抜かれた…?)
「え!そうなんですか〜?」
湖上の目がパッと輝く。
「これ、先日発表になった広告賞の作品です。」
蒼士はタブレットで夕日広告賞の入賞作品の発表ページを見せた。
「え〜!なにこれ面白ーい!それにイラストが可愛い!」
湖上の反応に、蒼士が笑顔になる。
「このADのSUIが藤村さんです。イラストも彼女が担当していて、järviの雰囲気にも合うと思いますよ。」
湖上はうんうんと頷いた。
「あの…もちろん生川もサポートしてくれるので…」
水惟は申し訳なさそうに言った。
「あ!私ったら…ごめんなさい!そういうつもりで言ったんじゃなくて、他意のないミーハー心だったんですよ〜!SUIさん、よろしくお願いします!」
湖上に謝られ、水惟は少し恐縮した。
「後ほど私の
水惟は笑顔で言った。
1時間後
「どの案もいいから迷っちゃいますね〜」
水惟のプレゼンを聞いた湖上が嬉しそうに言った。
「ありがとうございます。ご決定いただけたら、来週水曜日を目処に深山さん宛にご連絡ください。その後もう一度お伺いするので、今後の詳細を詰めていきましょう。」
「では、我々は本日はこれで。」
水惟と蒼士は部屋を出ようと立ち上がった。
「あ!そうだ!」
湖上が何かを思い出したように言った。
「良かったら、カフェでお茶でもどうですか?お時間大丈夫でしたらですけど…お茶一杯ご馳走しますよ。」
(…え!それってこの人と、ってこと!?)
「すみません、この後—」
「ありがとうございます。是非。」
咄嗟に断ろうとする水惟の言葉に被せて、蒼士がニッコリ笑って言った。
「顧客理解はデザインする上で大事だろ?」
不満そうな顔をする水惟に、蒼士が囁いた。
(…なんで元夫とお茶しなきゃいけないの…)
二人はカフェjärviのテラス席に通された。街中にありながら、都会の喧騒を忘れるような緑に溢れた爽やかな空間だ。どこからか小鳥のさえずる声も聞こえてくる。
「俺はコーヒーだけにするけど、水惟はケーキも食べれば?」
蒼士はメニューを開いて水惟に渡した。
「…紅茶だけでいいです。」
水惟はまたツンとして答えた。
「でもほら水惟、イチゴ好きだろ?ここのストロベリータルト美味しいって有名だよ。それにここ、土日は1時間以上待つらしい。」
「え…」
ついメニューに目を奪われてしまう水惟に、蒼士はフッと笑う。
「じゃあタルト1個だな。」
「………」
水惟は悔しそうに少し膨れて頷いた。
「すみません、ホットコーヒーを、それとストロベリータルトのドリンクセットをホットの紅茶で—」
注文する蒼士が水惟を見た。
「ミルクだけでいいんだっけ?」
「………」
水惟はコクッと頷いた。
(4年も前なのに、よく覚えてるな…)
そう言う水惟も、蒼士がコーヒーに砂糖を一つ入れることを覚えていた。
(…変わってないんだ…)
ブラックコーヒーを飲みそうな見た目とのギャップが昔は好きだった。
「良い店だよな。」
「…そうですね」
「相手が俺じゃなければ…って顔だな。」
蒼士が自嘲気味に言った。
「…元夫婦でお茶なんて…老後じゃあるまいし…」
水惟はボヤくように言った。
「老後ならいいんだ?」
「そういう意味じゃないです。」
水惟は思わずムッとして言った。
「…さっき…ありがとうございました。」
水惟がティーカップを口元に運びながらボソッと言った。
「さっき?」
「夕日広告賞の…なんていうか、湖上さんに私のこと良い感じに紹介してくれて。」
「ああ。でも別に、普通にありのまま紹介しただけだよ。」
蒼士が言った。
「…でも私、リバースに引き抜かれてなんてないです。無理矢理拾ってもらったようなものだし。」
水惟は少し申し訳なさそうな表情をした。
「水惟、それは違う。洸さんは独立した頃からいつか水惟は欲しいって言ってた。」
「え…」
水惟は蒼士の言葉に一瞬驚いて見せたが、すぐに首を横に振って否定した。
「だって私、リバースに入って半年以上もパソコンに触らずにお遣いとか電話番みたいな雑用だったし。パソコンに触るようになってからもしばらくは簡単なDTP作業ばっかりだった。他はみんな即戦力で入ってるのに。」
「…水惟、それは—」
蒼士は何かを言いかけた。
「ストロベリータルト、お待たせしました。」
テーブルの上に置かれた赤いキラキラした宝石のようなケーキに水惟の表情がパッと明るくなる。
普段のクールそうな表情とはギャップがあり、蒼士はクスッと笑う。
「変わらないな。安心した。」
水惟の胸がキュ…と音を立ててわずかに赤面してしまう。
(…“安心”なんて、どの口が言うのよ…)
「…私も…なんか安心した。」
フォークを手にした水惟がケーキを見ながら言った。
「え?」
「美味しいって評判のケーキの情報を知ってるってことは、彼女か、奥さんがいるんでしょ?」
水惟は一口分になるようにタルトをカットした。
「え…」
蒼士は水惟が全く予想しなかった、心底驚いたような表情をした。
「いるわけないだろ、そんな相手。」
「…なんで、いるわけないの?」
「なんでって…」
蒼士は水惟をチラッと見て小さく溜息を
「とにかくいないよ、そんな相手。昔のクセでイチゴのスイーツとかは今でもつい目に入るんだよ。」
(…昔のクセ…)
それはつまり、水惟と一緒にいた頃のクセだ。仕事相手から聞いた店などに休みの日に連れて行ってくれたり、お土産に買って来てくれたりした。
「…このケーキ、本当に美味しい。」
水惟はなんとなくバツが悪そうにつぶやいた。
(…好きじゃない相手の好きなものなんて、早く忘れればいいのに…)
久しぶりに見た“カフェにいる深山 蒼士”は、スーツ姿だからか妙に大人の落ち着きがあり、相変わらず所作が美しい。元夫でなければ見惚れていたかもしれない…と水惟はこっそり思った。
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