ユメノハザマ

RAN

【外伝 前夜譚】夢の終わり

 その日は突然やってきた。

 前から覚悟はしていた。

 その仕事をしていれば、そういうこともあるかもしれない、とは言葉を理解するようになってからずっと言い聞かせられていた。

 そして、そうなった時、自分がその仕事を受け継ぐということも。

 だけど、それがそんなにすぐに訪れる未来だなんて、思うはずがなかった。

 父が帰らぬ人になってから数日、自分の世界はめまぐるしく変わり、慌ただしく過ぎていった。

 父が目覚めなくなってから、父の心臓の鼓動は弱まり、数日後に脈拍を映すモニターは、ただの直線だけを残した。

 呼吸が止まっても、心臓が動かなくなっても、父の顔はまるで眠っているように安らかであった。

 ただ、肌の色だけは日に日に青くなっていくので、それでどんどん温度がなくなっていくことをさとった。

 しかし、それ以外は全く生きている時と同じで、またそのうち起きるのではないかと思えてくる。

 そう思っていたが、ついに父は目を開くことなく、その体は高熱の火へ入れられ、灰になった。

 しばらくして出て来た白い骨らしきもの、散り散りの粉を見ても、父の体が本当になくなってしまったという実感がわかなかった。

 父の遺骨が入った骨壺とともに家に帰って来た次の日に、この家に父はもういないのだと実感した。

 目覚めても、この家には母親と自分しかいないことを、朝食を食べながらやっと理解した。

 食事の味は、しばらく感じられなかった。


 自分たちは、代々人の夢の中に入れる特殊な能力を持つ家系だった。

 夢の中に入り、夢に囚われそうな人々を救う。

 どういう経緯でそれが起こって続いているのか話し出すと長くなるので割愛するが、それを密かに行い続けている家系だった。

 この家系には特徴があって、夢の中に入れる能力を持つ者は、その家系で生きている者一人にしか与えられない。

 そしてその人物が死ねば、また別の人物に能力が受け継がれていく。

 そういうシステムになっていた。

 父は、その夢に入る能力を持っていた。

 夢に入ることの危険性は、夢に囚われてしまうこと。

 他人の夢に入り、その世界に引き込まれてしまえば、その夢の主ともども二度と目覚めることができなくなってしまう。

 夢の中に入るということは、そういう危険をはらんでいた。

 そして父は、夢に囚われてもう二度と目覚めることがなくなってしまったのだ。

 目覚めることのない肉体は、自然と機能が衰え、やがて死に至る。

 父は、そうして死んだ。

 父が死んだ今、能力は俺に引き継がれることになる。

 血がつながっていない母に、能力が与えられることはない。

 未だその実感はないが、強制的にそうなってしまう。

 身近な人が、この能力のせいで死んでしまったことを目の当たりにしながら、その能力を継がせるなんて、なかなか酷なことをさせる。

 俺は、その責任などにとてつもないプレッシャーを感じていた。

 だが、父を亡くして忙しく動いている母に余計な心配はかけたくなかった。


 慌ただしく過ぎ去った葬式から少したって、父の遺品整理をしている時に手紙を母が見つけた。

 しかし、中を見るには第三者の人に立ち会ってもらわないといけないと、その中身を開けることはなかった。

 ただ母は微笑みながら、お父さんからお手紙があったわよ、と俺に言ってくれた。

 俺も素直に、父の痕跡が残っていることが嬉しかった。

 内容が知りたかったので、後から俺は母にそれを尋ねた。

 母は、俺の質問に一瞬ぎこちなく歪んだ表情を浮かべた。

 かろうじて、それは微笑んでいるようにも見えたが、俺は違和感を感じた。

「……元気でいろって……あと、何かあったらお母さんに必ず言うように、って書いてあったわ……」

 それだけ聞いて、俺はそれ以上聞くのはやめた。

 何だか、聞いてはいけないような気がしたのだ。 

 そして俺は、後で知った。

 父の手紙には事務的なことしか書いておらず、個人的なメッセージなど何もなかったということに。

 俺は、母が大事にしまっている場所を知っていたから、そこからこっそり取り出して手紙を読んだのだ。

 遺書、とは本来そうあるべきなのかもしれない。

 その分、父の亡くなった後のことはスムーズに進んでいたと思う。

 おかげで、特に何か生活に困るということはなかった。

 母の仕事は忙しくなったが、休みの日はちゃんと一緒にいるし、母もだんだんと以前のような明るい表情を取り戻していた。

 ただそれでも俺は、父が残したものが、「父からの手紙」であってほしかったと思っていた。

 こんな遺書を残すぐらいなら、俺たちにつらかったことを何か話してくれたら良かったのに、とも思っていた。

 父は俺にとっては、とても良い父親だった。

 仕事が休みの日はよく遊んでくれたし、勉強も教えてくれた。

 何より、いつも笑顔だった。

 笑顔というか、理不尽に怒ったり、機嫌の悪い様子を見せることがなかった。

 叱る時は、きちんと理性を持って叱ってくれた。

 それが逆に俺にとっては怖くて、この人に叱られるようなことをしてはいけないと思えた。

 俺にとって父は、尊敬できる人だった。

 なのに、父の死によって、その全てが偽りだったのだと気づかされてしまった。

 父の我慢によって、自分の生活が成り立っていたのだとわかったのだ。


 そして徐々に生活を取り戻していったある日のことだった。

 いつも通り、俺は自分の部屋で眠りについた。

 そして気づくと、辺りが真っ暗な場所にいた。

 俺は、そこがすぐに現実ではない、夢の中であるとさとった。

 なぜ、とは説明ができない。何となくそう感じ取っていた。

 もしかして、さっそく夢の中に囚われそうな人を救わなければならないのだろうか。

 いきなりこんな風に始まるとは思わず、俺は激しく動揺していた。

 喉が妙に乾き、心臓が早鐘をうち、うっすら服が体に張り付くほどの汗が出てきていた。

 ふと、暗闇の奥に人影が見えた。

 近づくのが怖かった。それと接触したら、俺の仕事が始まってしまう。

 だが、近づかないとこの夢から出られないこともわかっていた。

 しばらく覚悟を決めかねていたが、意を決して足を踏み出した。

 人影に近づくと、それは横たわっているのがわかった。

 さらに近づいて、その顔を覗き込むと、俺は驚きで体が硬直してしまった。

 そこには、父がいた。

「父さん……」

 俺は、自然とそう呼んでいた。

 そして、その傍らに膝をついて父の顔を覗き込んだ。

 目を閉じ、眠っている。

 父は、ただそこに横たわっていた。

 目覚めなくなった時と、同じだった。

 触れてみたが、温度がないところまで一緒だった。

 ただ、不思議なことに呼吸はしていた。

 しかしここは夢の中であるのに、父は現実とほとんど同じであった。

 いくらそこに父がいても、もう父と会話をすることはできない。

 夢の中でぐらい、会話ができれば良かったのに。

 俺はせめて、なんで何も言わなかったんだとか、怒ってやりたかった。

 今も父の顔を見ると、色々な思いが心の中で渦巻いている。

 だけど実際に目の前にいると、何も言うことができず、ただ俺は涙を流すだけだった。

 葬式の時は、がんばって泣かないようにしていた。母が困るから。

 だが、俺は泣ける場所を求めていたのかもしれない。

 この気持ちを、どんな形でも良いから出せる場所が。

 俺は、たががはずれたように泣いた。嗚咽も我慢せず、大声でむせび泣いた。

 ここには、俺と父さんしかいない。

 ただ、父さんが帰らなくなったことを悲しむことができた。

 そして、俺はやっぱり、父さんが好きだったんだと、そこで実感した。

 大好きだった父の死を、やっと俺は本当の意味で悲しむことができた。


 しばらく泣き続けていると、だんだんと心が落ち着いてきた。

 この空間は、どうやら俺と父以外には何もないし、何事も起こらないようだ。

 冷静になってくると、この夢から離れられそうな気がしてきた。

 そもそも、父が目覚めたところで、もう帰れる肉体はない。

 灰になってしまったのだから。

 そして、父はもう目覚めることはないだろうと、これもまた何となくだが俺はわかった。

 これが、夢に囚われてしまった者の末路なのだ。

 このままここにい続けたら、自分もこうなってしまうような気がして、急に恐ろしさが心に沸き上がってきた。

 俺は勢い良く立ち上がると、その場から走り出した。

 どこへ向かうともなく、俺は真っ暗闇の中を走った。

 逃げろ、逃げろと、自分の声以外の声も走っている間中、頭に響いている気がした。

 その中に、父の声もあったような気もした。気のせいだったかもしれない。

 なぜこの夢に呼ばれたのだろう、どうせ父を救うことはできないのに。

 そんな疑問もあったが、俺はそれよりも自分が生きることを選んだ。

 頭の中で、強く念じた。

 目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ。

 こんな夢から、早く目覚めたい。


 すると、急に視界が白くなった。

 俺は、勢いよく目を見開く。

 そこは、自分の部屋だった。

 部屋の中は暗い。外にも光がないようだ。

 時計を見ると、まだ午前三時であった。

 朝の目覚めというには、俺にとっては少し早い時間だった。

 妙な時間に目覚めたせいで、頭が重たく感じる。

 全く、最悪の目覚めだった。

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