第2話 名前を呼ぶよ
「冬月さんが俺を指名してくれたの……?」
大学三年生のユーザーネーム<カノン>という女性がやってくるはずが、冬月秋葉がやってきたことで、春也は完全に混乱する。
一方の冬月秋葉の方も、完全には状況に適応できていないようで、少しは動揺しているようだった。
「うーんと、順を追って説明させていただいても?」
「お願いします」
広場の真ん中にある小さな噴水が、穏やかに水音を立てている。
それよりもはるかに耳心地の良い声で、冬月秋葉はゆっくり話し始めた。
「まず、夏川くんを指名したのは私じゃないの。私のお姉ちゃん、冬月花音っていうんだけど、お姉ちゃんが指名したんだ」
「確かにユーザーネームがカノンだったもんね。それでどうして冬月さんが?」
「お姉ちゃんが急に予定入っちゃって、来られなくなっちゃって。だけどすっぽかすのはご迷惑がかかるし、ブラックリスト入りしたらこの先レンタル彼氏を予約できないしで、私に代打要請が来たんだよ」
「なるほど」
春也もまだバイトを始めたばかりで、レンタル彼氏のシステムについて詳しく分かっているわけではない。
それでも予約のドタキャンや無断すっぽかしなどが多い客は、ブラックリスト入りしてサービスが利用できなくなるという話を聞いたことがあった。
冬月秋葉の姉、冬月花音はそういう事態になるのを避けたかったのだ。
「でも冬月さん、予定があったんじゃないの?」
竜馬は間違いなく、冬月秋葉が来るからと春也をカラオケに誘ったはずだ。
「そうなんだけど、お姉ちゃんにちょっとした借りがあって。だからお姉ちゃんにお願いされたら断れなかったんだ~」
「そうだったんだ」
「それにレンタル彼氏がハルヤさんって聞いてもしかしたらって思ったし……」
「ん?」
「あ! いや! 何でもないよ!」
冬月秋葉がぼそっとつい口に出してしまった言葉は、幸か不幸か春也の耳には届かなかった。
会話が途切れ、二人の間を沈黙が通り過ぎていく。
「えーっと……」
噴水の音だけが流れる静寂を、再び冬月秋葉が破った。
「お姉ちゃんからはカノンのふりをしてって言われたんだけど、相手が夏川くんだったからついつい全部喋っちゃった」
「大丈夫だよ。ちゃんとカノンさんとデートしましたってことにしておくから」
「ふふっ。ありがとう」
ひとまずほっとしたのか、冬月秋葉がふわっと体を揺らして微笑む。
ひそかに想いを寄せる相手に、目の前でそんな仕草を見せられて、春也は少し頬が熱くなったのを感じた。
「お姉ちゃんがした予約って何時間だっけ?」
「4時間かな。今15時過ぎだから……だいたい19時くらいまで」
「19時までね。そしたら近くのショッピングモールとかがいいのかな~」
「えっと……もしかして冬月さん、そのままレンタル彼氏を続けようとしてくれてる?」
「うん」
「でも事情が事情だし、別に無理しなくても……」
システム上、レンタル彼氏側と客側でこの状況が認知できていれば、いくらでもデートしたことにする方法はある。
春也がお金をもらえなくなるということはないし、冬月花音がブラックリスト入りすることもない。
ここで解散としてしまっても、後々やりようはあるのだ。
でも冬月秋葉は、“それなら解散しようか”とは言わなかった。
「せっかくだし夏川くんと遊んでみたいな~って。その、夏川くんが嫌じゃなければだけど……」
「そんなそんな嫌とか全くそんなことは」
春也は手をぶんぶん振って否定する。
なんなら冬月秋葉と二人で遊べるなんて、春也の側からお金を払いたいレベルの話なのだ。
ましてやちょっと不安げな表情で、上目遣いに冬月秋葉から言われてしまっては、断る要素なんてどこを探しても見つからなかった。
「それじゃあ一緒にショッピングモールに行くでもいい?」
「もちろん。よろしく、冬月さん」
「あー、えっと」
冬月秋葉は何かを言いかけて、少しの間口ごもる。
彼女は別に恋愛経験豊富なわけじゃない。
ただただたくさんの男どもから告白されているだけで、そもそもそれをオーケーしたことはないのだ。
だから春也と同じくらい、あるいはそれ以上に、この二人きりの状況に緊張している。
それでもせっかくだからと、冬月秋葉は勇気を振り絞って言った。
「レンタルとはいえデートだしさ、その……せっかくだから名前で呼んでほしいな~って」
さすがにまっすぐ目を見て、ましてや上目遣いなどという高等テクニックを使いながらお願いはできない。
頬を赤らめ、肩を縮こまらせて伏し目がちに言う。
しかし、冬月秋葉ほどの美少女が見せるその仕草は、むしろ破壊力満点だった。
「秋葉さん……」
やはり目を逸らして、ぼそっと春也が言う。
これで十分かとも思ったものの、冬月秋葉はさらに勇気を見せることにした。
「もう一声……」
小さな呟き。
春也もまた、小さな呟きで応える。
「あ、秋葉……」
「うん、は、春也……」
澄み渡る青い空。
ぽっかりと浮かんだ白い雲。
爽やかな風に揺れる新緑の木々。
その真ん中を、真っ赤な顔した大学生が二人。
並んでゆっくりとショッピングモールへ歩き出したのだった。
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