狩人

「……貸す?」



猟虎の後ろから――少女が現れた。周りがゴリゴリの男ばかり。違和感があるはず。だが1度も桃也は少女のことを認識することができなかった。


「……よろしく」



少女はかなり小柄だ。150cmにギリギリ届くくらいの身長。周りが大きいので、なおさら小さく見える。


水色の髪。動きやすいように後ろに縛っている。両目はガラスのように透き通った水色。白の多い肌色が、目の色を強調していた。


服装は猟虎とほとんど同じ。違うのは色。上が水色でズボンが藍色。そして――不釣り合いなほど大きいライフルを抱えていた。


「名前は氷華ひょうか。チビだが頼りになる。お前よりかは強いはずだ。コイツについて行けば遭難することも、猿に殺されることもない」


猟虎は氷華の背中を叩いた。どこか氷華は嬉しそう。兄に褒められたからなのか。年齢は分からないが、まだ子供なのだろうか。


子供なら将来が楽しみだ。顔のパーツは全てが高水準だ。赤くなった顔もいい。桃也の好みである――。



「――どうかしたのか?」


想像して興奮していた。頭を振って精神を正常に戻す。


「なんでもない。よろしく頼む」






45度にも達するほどの斜面。踏み込むほどふくらはぎが痙攣する気分だ。疲れが乳酸となって下半身をグルグルと回る。


山の新鮮な空気は開始10分ほどで不快さへと変わった。嗅ぐだけでイライラしてくる。だが立ち止まれない。


「……遅い」

「ごめ……てか……速くない?」


立ち止まってしまうと氷華からはぐれてしまう。はぐれてしまっては、遭難してしまう。そうなるとめんどくさい。


息も絶え絶えな桃也だが、氷華は汗ひとつかいていない。ポーカーフェイスのまま冷酷に桃也を見つめている。


土を踏むのも疲れた。枯葉を踏むのも疲れた。木の根を踏むのにも疲れた。もう何をするにしても疲れてくる。


「これじゃ日が暮れる。猿も逃げちゃうよ」

「そんなこと言われたって……俺は山初心者だぞ?」


ため息をついた。


「もう村の住人なんでしょ。じゃあいつまでも初心者なんて言ってられない」

「えぇ……」

「無駄話は終わり。はやく行くよ」


氷華は振り返ることなく歩き始める。渡された水筒に口をつけ、水を一口飲んだ。


――体力がほんのりと回復。まだまだ山は長い。桃也は気合いを入れ直し、また歩き始めた。






山頂。ゆらゆらとヒトダマのように揺れる太陽が瞳に映った。とても美しかった。


「ハァハァ……」


滝行をしてきたのかと思うほどの汗。水筒の水は空になっている。体内の水分はあらかた出し尽くしただろう。


今は直射日光が気持ちいい。熱いのが快感となっていた。無表情だった氷華の頬も少し緩んだ気がした。



「ここから……どうすんの?」

「まぁ合図が来てない。だから山駆けも出てきてないはず」


氷華はライフルの手入れをし始めた。


「……なんで猿が山駆けって言われてるんだ?」

「そのまんまだよ。から山駆け」

「ほんとにそのまんまだな」



ライフルを構える。狙いは山のふもとの湖。そこにいた鴨である。距離にして600メートルほどはあるはずだ。


「何してんの?」

「練習。撃たないけど」


ピタッ。


静寂。それでいて絵画のように動かない。今なら殴られても無反応を貫くはずだ。


「ここから当てられるのか?」

「うん。絶対」

「……ふぅん」


訝しむ顔だ。全然信用をしていない様子。そんな桃也に氷華はムッと眉を歪めた。



「疑ってる?」

「まぁ……だがあんなにも遠いところだそ?」

「腹立つな。見ててよ」


はるか遠い場所にいる鴨だ。目では捉えることすら難しい距離。コンパスの先ほどの大きさしかない。


普通なら無理だ。無理に決まっている。しかし氷華には一切の迷いが見られない。まるでに当てられると言っているかのように。


桃也はゴクリと唾を飲み込む。当てられるかも。そんな凄技を見られるのかも。


永遠にも思えるほどの静寂。氷華は指をトリガーにかけた――。




――存在感。後ろに感じのは野生である。強い獣臭が鼻に突き刺さってきた。肌が危険信号を出している。


「――!?」


猿がいた。体長は1メートル以上。前情報と同じだ。だがやはり実際に見てみると、予想よりも大きかった。


手は哺乳類と言うより、山登りに使うようなフックみたいだ。パッと見は金属のように見える。



「いつの間に――」


鴨を狙うことに集中していた氷華も動きが1歩遅れる。


猿は雄叫びを上げながら桃也に襲いかかってきた。長い手を振り回して肉を切り裂きにくる。



「うぉ――!?」


爪はギリギリで避けられた。だがそれだけ。体勢を崩して腰から転げる。咄嗟のことで銃から手を離してしまった。


猿はすぐに攻撃を再開。唾液を纏った牙で噛みつきにかかる。



防御手段はない。それでいて銃は遠い。取りに行くのはできない。かと言って素手で殴りかかるのは無謀だ。


じゃあどうするか。刹那のような時間の中。死ぬ前は時間が遅くなる、と言われている。それに桃也は晒されていた。



高速で目を動かす。目の筋肉と神経を最大限動かす。まばたきはしない。すれば……どうなるかは言うまでもない。


木の葉。木の棒。根。土。この状況を打破できるかもしれない物を探す。


焼き切れそうなほど回転させる頭。止まる呼吸。桃也が手を伸ばしたのは――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る