普遍
「「カンパーイ!!」」
ガラスのジョッキがぶつかる。並々に注がれたビールは桶に入った湯水のように激しく動いた。
淡い電灯の下。仕事を終えた社会人たちがあれやこれやのどんちゃん騒ぎ。息抜きか。ストレス発散か。見てるだけで楽しくなってくる。
壁に貼られた古いポスター。ヒビの入った壁。荒い木目が目立つ机。匂ってくる焼き魚の香りが腹をカラカラと空かせてくる。
桃也と
「――っっかァァァ!!連勤明けのビールは最高だな!!」
口元のビールを袖で拭う。幸せのため息、が体から力を抜いていった。
「名前だけじゃなくて行動も古いのな」
「歳だからな。俺らもう30だぞ?」
「あー嫌な現実を突きつけてくんなよ」
焼き鳥を頬張る。嫌な現実も旨みとアルコールで忘れることができる。
「ついこの前まで大学生だったのにさぁ。いつの間にか三十路だぜ?」
「俺もちょっと前に成人式でお前に会ったと思ってたのにさ」
「それな。お前に会ったの10年振りだぞ」
「ひぇぇ……下手なホラーよりも怖いな」
タバコの匂い。最近は珍しい全席喫煙可の居酒屋だ。百害あって一利なしともいうが、独特なタバコの匂いは嫌いじゃない。
「でもまぁ――最近は忙しかったんだろ?」
「刑事だからな」
枝豆を口の中に放り込む。おつまみの定番だ。素朴な味がこれまた酒に合う。
「捜査一課だっけか。かっこいいじゃん」
「はは、でもテレビで見るよりかは地味だぞ?」
ネクタイを緩める。こう見るとまさに刑事。今すぐにでも胸ポケットから警察手帳を出てきそうだ。
「お金がワサワサ入ってくるだろ?」
「まぁな。けど家族に全然会えないんだよ。辛いぞー。帰っても子供の寝顔しか見れない」
「十分だろ」
「ただのサラリーマンにゃ分かんねぇよ」
「おー?今の発言は全国のサラリーマンに喧嘩売ったぞ?」
酔いが回ってきたのか。口数が段々と多くなってきている。
日常生活の様々なストレス。今だけは忘れられる。記憶から吹き飛ぶ。昔からの馴染みだからこそ、言えることもあるのだろう。
しばらく飲み明かしていた時。小次郎が少し真面目な顔をして言葉を出した。
「――そういえばさ。山井乙音って覚えてるか?」
桃也は無言でビールを喉に流す。――覚えていないはずがない。あんなに美人な子は人生でも片手で数えられるほどしか知らなかった。
印象に残らないわけがないのだ。嫌な予感が頭によぎり、自身の体が数倍に重くなったと脳が錯覚する。
「そりゃ覚えてるけど……どうしたんだ?」
「単刀直入に言うぞ――あの子が行方不明なんだ」
行方不明。いい響きじゃない。微妙に残っている鮭の欠片を口に投げ入れた。
「先週から家に帰ってきてないらしい。夫との中も良好……子供はいなかったそうだが、別に家出をする理由もない」
「今どきはスマホのGPSとかあるだろ」
「スマホは道路の側溝に落とされていた。誰かにストーカーされてたとか、よからぬものを見てしまったとかもない」
「情報が無さすぎてどうしようもねぇんだよな」と呟きながら、焼き目の着いたコンニャクステーキにかぶりつく。
桃也は頬杖をつきながら話を聞いていた。酒で顔が赤くはなっているが、真剣な眼差しである。
「大変だな。確か中学生の時も……」
「可哀想に。せっかく生き残ったのにまたこんな目に会って」
「まだ死んだわけじゃないだろ」
「まぁそうだけどもよ」
小次郎が座り直す。
「――少し怖い話をしてやろうか?」
「……突然だな」
橋をタバコのように噛んでいた桃也に話しかけた。
「乙音ちゃんが失踪したとされる場所。その近くには昔からある、いわく付きの村があるんだ」
「へぇ……それで?」
「村の名前は――」
「――
「……聞いたことはないな」
「俺も聞き込みをしてる時に初めて聞いたよ」
ジョッキの酒を舐めながら、話を続ける。
「山を2時間ほど進んだ先にほっそりとある村。限界集落ってやつだな。今どきコンビニもスーパーもないような場所だ。外部からの建物は一切ない」
「……聞いてる分には普通のド田舎のように聞こえるけど」
「俺もそう思う。けど昔から八月村には悪い噂が多いんだ」
『カルト教団に支配されている』や『人を攫って食べている』など。まるで子供騙しのような噂だ。
子供に言うならまだしも、相手は大人。今どきそんな噂が広がっているのも珍しいことである。
「本気で信じてんのか?」
「なわけないだろ。あくまで噂話さ。だけど山の近辺に住んでいる人達は全員が口を揃えて言ってるんだよ」
「……じゃあ調査でもしてみたら?」
「単なる噂話に人員を割くほど暇でもないんでな。一応の調査もしてみたが、別に変なところもなかったし」
「――ふぅん」
八月村。名前に異常はない。噂もただの噂だ。だが心に杭が刺さったかのように気になる。理由は桃也自身も知らなかった。
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