~リセット~

病院へ搬送されて1週間、俊の意識はまだ戻らなかった。

医師は「精神的なストレスが原因」と告げ、「意識が戻っても、後遺症が残る可能性があるので注意してほしい」と両親に伝えた。

弥月も毎日見舞いに来ては、まだ意識の戻らない兄を心配した。


その間、学園では俊の状況が噂になっていた。


気が狂ったようにリストカットをしていたこともあって、クラスメイトのほとんどは、「架山は気が狂った」と面白おかしく尾ひれを付けて、さらには敦也と甲斐にも、「原因は仲違い」と批判され、二人は居たたまれない思いでいっぱいだった。


そして章裕もまた、苛ついていた。

散々好き勝手扱って、始めて反抗してきたかと思ったら、仲違いで心を壊した俊に、「使えねぇ…」とぼやいていた。


そしてそれから数日後、ようやく俊は意識を取り戻したが、意識を失うまでの数日間の記憶があやふやになってしまっていた。

そして感情表現が乏しく、常にぼんやりとした表情で、口数もさらに少なくなってしまっていた。

医師は、「何らかの強いショックを受け、心を閉ざしてしまっている」「自傷行為をするほどに、過剰なストレスを抱えている」「PTSD(心的外傷後ストレス障害)の可能性が高い」と説明した。


それから暫く入院し、カウンセリングを受けることになった俊。

医師との会話の中で、ふとしたことがきっかけとなり、俊は倒れてしまう。

それは、「相談に乗ってくれそうな友人はいるか?」と聞かれて、俊は暫く考え、「分からない」と答えた直後だった。

急に頭がぼんやりして、誰かが自分を訝しい目で見つめている光景が見えた。

何だろう?と、頭を抱えていると、次第に息が苦しくなっていき、医師が「大丈夫かい?」と声を掛けたが、その時にはもう倒れ込んでしまっていたのだった。


そのことから、医師は友人関係で何かしらのトラブルがあったモノと判断し、原因は学園生活にあると診断した。


両親は、弥月に学園でのことを聞くが、寧音の専属従者になっている手前、下手なことは言えず、ただイジメが多発しているというしか言えなかった。

そのことを聞き、両親は教育委員会に連絡しようとするが、俊の立場が危うくなるからと、両親を止めた。


「ごめんなさい。詳しくは言えないけど、今はまだ何もしないで」


懇願する弥月に、両親は困惑しながらも受け入れ、暫くは様子を見るが、これ以上何かあればこちらも考えると告げた。


それから一週間ほど入院し、口数は相変わらず少ないが、表情にゆとりが見受けられるようになったからと、退院の目処がついた。

退院してからもカウンセリングは続けるようにと、通院することを告げられ、俊は自宅へと戻ってきた。


「今日はもう休みなさい、まだ学園には無理していかなくても良いから」


両親がそう言うと、俊は無言のまま頷き、自室に篭もり、弥月は心配しつつも、安堵した表情で兄の背を見送った。

弥月は俊が退院したことを敦也へLINEで報告した。

そしてまだ学園には休ませること、家族ともあまり会話がなく、引きこもってしまっていることを知って、敦也は表情を曇らせ、こう返した。


「出来る限り俺も甲斐もサポートはするよ。あまり表立っては出来ないかもしれないけど…」


それでも良い、敦也さん達が支えてくれるなら、と弥月が返すと、敦也は「あとで甲斐にも連絡しておく」と伝え、弥月も「ありがとう」と返した。


その後、敦也から甲斐へと、その内容のLINEを送ったが、暫く経ってから返事が来た。

しかし、そこにはこう書かれていた。


「ごめん、気持ちは分かるけど、今は何もしてやれない」


と、謝罪の言葉があった。

もしかして、と思い、敦也はこう返した。


「もしかして、またあの時のこと、許せないのか?」


そう、あの時のことが甲斐の中では許容できず、未だ受け入れられずに戸惑っているのだった。

甲斐からは「ごめん」とだけ返信があってから、それ以降返事はなかった。


敦也自身も、あの時は止められなかったことを後悔している。

だから、これ以上の強要は出来ない。


「………っ」


何も出来ない自分が、情けなく感じて。

下唇を噛み、小さく拳を握りしめていた。


その頃、部屋に戻った俊は、特に何もすることもなく、ベッドに寝転がりぼんやりと天井を見つめていた。

そして、机の上に置かれた写真立てをみていた。

そこには、彩希と一緒に撮った写真があった。


まだ2年になって間もない頃。

彩希と一緒に過ごす時間が多かった頃に、撮っていたモノだった。

邪気の無い笑顔の彩希と、はにかんだ自分の姿。

今となっては、もうこの頃に戻ることも叶わなくて。

俊はそっと眼を閉じて、その写真立てを机の引き出しの中へとしまい込んだのだった。


『戻りたいの…?』


ふと、そんな声が聞こえた気がして。

その声は、俊自身の心の声。

意識が戻ってから、自然と自分に問い掛けるような声と成って聞こえるようになったのだ。

ただ、医師にはそのことは話していない。

相手は自分自身なのだから、と、敢て何も言わずにいたのだった。


『戻りたいの…?あの頃に…』

「………」


―――戻れるのなら、戻りたい。

けれど、出来るのならもうやっているさと、自問自答を繰り返して。

俊はぼんやりとしたまま、ただ一点を見つめて。

そしてまたベッドに寝転がり、目を閉じると、今までの光景が走馬灯のように思い出されて。

何でこんな風になってしまったのだろう?

彩希のことも、甲斐とのことも、防ごうと思えば防げたはずだった。

なのに、いったいどこで道を踏み間違えてしまったのか?

考えても考えても、答えが見つからない。


『だったら、どうすればよかった?』


ふと、またそんな声が聞こえてきて。

わからない、と心の中で答えると、声がまた問いかける。


『それって、ただ逃げてるだけじゃない?』


―――そうだね、考えないように逃げてるだけなのかもしれない。

もっと自分がうまく立ち回れていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。

そんな風に思っていると、声が話しかけてくる。


『意思を強く持ち続けていれば、状況は変えられたかもしれない。

けれど、お前はそうしなかった。

ただ、流されるままに、言われるがままに行動して、自分の意思を貫かなかった。

違う?』


そう痛いところを突かれて。

俊は何も返せないまま黙っていると、声はさらに問い掛け続けた。


『せっかく水瀬の意思を受け継ごうとしたのに、その結果がこうなることが解っていても、お前が一言、「いやだ」って言えてたら、その結果は違っていたのかもしれないのに…』


まるで責めるような声の言葉が、痛いくらいに俊を追い込んでいく。

それは、自分で自分を否定するかのように。

俊は何も言い返せずに、ただその声に耳を傾けていた。


『可哀想だね、哀れだね、惨めだね。

何も出来ない君に、一つだけ教えてあげる』


『………壊せば良いんだよ。何もかも、ね』


―――何を?


と、問い掛けるまもなく自然と身体が動いて。

いつの間にか右手に、カッターが握られていた。

そしてそのまま左腕に押し当てる直前で止まった。


『これで、リセットすればいい。

そうすれば、嫌なことも全部、忘れるくらいにスッキリするの、解ってるだろう?』


甘く囁くように、声は俊を導くように、『さぁ、リセットしよう…』と右手を滑らせた。


プツリ、と赤い血が滲み出して。

でも、なぜかまた痛みは感じなかった。

それよりも逆に、その真っ赤な血を見ると、モヤモヤした頭の中が、ス~ッと晴れていくような感覚があって。


『…ほら、スッキリしただろう?』


声はクスクスと笑い、また甘く囁くように俊へと語りかける。


『モヤモヤしたときは、こうやってリセットすれば良いんだよ』


俊は与えられた刺激と感覚に酔うかのように、微睡み、そしてそのまま浸るように、ぼんやりとした意識の中で、誰かの呼ぶ声がした気がして。

その声は弥月の声だったが、俊は認識できずに、ぼんやりとしたままでいると、弥月が再び呼びかけて、ようやく我に返った。


「お兄ちゃん…?どうしたの?」

「………」

「お母さんが、もうすぐ夕飯出来るから、お腹空いたら降りてきなさいって言ってた」

「………わかった」

「………じゃあ、またあとでね…」


弥月はそれだけ伝えると、扉を閉め、暫くその場で俯いていたが、やがて自身の部屋へと戻っていった。


弥月が出て行ったあと、俊は右手に握ったままのカッターを仕舞い、ティッシュで傷口を抑え、軽く止血すると、ぺたぺたと適当に絆創膏を貼っていった。


「………」


先ほどまで重かった頭も軽くなり、至って冷静な自分に戸惑いながら、軽く息を吐いた。


その日を境に、俊は何か気持ちが不安定になるとき、リストカットを繰り返すようになっていったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る