第14話 続くデスゲーム
気が付くいたザガドの視界に見慣れた景色が飛び込んできた。
人間達の住む異世界とは違うどんよりとした寒色系の空、爬虫類らしい顔つきで目をぎょろぎょろとさせる仲間達の視線には不安と歓喜が渦巻いていた。
「ザガド兄さん!」
我先にザガドの胸に飛び込んでくるのは妹のザイーラだ。
リザードマン族の中でも珍しく頭頂部から紅色の毛が生えているのがザイーラの自慢だった。
「ザイーラ」
「兄さん、酷い怪我してるじゃない! すぐに傷を治療するから、他のみんな……も……」
そこでようやくザイーラは気付いた。いや、身内に最優先で気付いたザイーラが一番反応に遅れていた。
転移の魔法陣の中にザガドは帰還した。しかし、魔法陣の中にはザガドしか現れていないという事実の意味をようやく理解した。
愕然とするザイーラの肩に手を置き、固唾を飲んで見守る仲間達に頭を伏せた。
「すまない」
生きて帰ったことを心の底から申し訳なさそうにザガドが告げたことで、集落のあちこちから嗚咽が聞こえ始める。
いたたまれなくなり目線を落とすザガドにザイーラは囁いた。
「もう休みましょう。それだけ酷い傷を負っているのなら、早く休んだ方がいいわ。仲間達を弔うのは、その後にしましょう」
早口で言うザイーラはその場の雰囲気から離れたいようにも思えた。ここで足を止めたままでの方が確かに仲間達にもよくないのかもしれないと考え、促されるがまま家に帰ろうとするザガドだったが、右手に持った剣カリブレイドに気付いた。
「ザイーラ、俺は休む前にやるべきことがある」
「何を言ってるの!? そんな怪我じゃ無理よ」
ヒステリック気味に叫ぶザイーラから背を向け、魔獣オルトを飼っている小屋にザガドは一人向かう。
魔獣オルトは一見すると大きな犬のような外見をしているが、口元の鋭利な牙は牛や馬程度な一噛みで絶命させる。実際、体躯も馬よりも一回りは大きな魔獣だ。ただ思考も犬に似ているようで、産まれた時から育てたオルトは飼い主への忠誠心が高く移動手段や番犬代わりに飼う魔族も多い。
「待って、話が分からないわ! それだけボロボロになって、どこに向かおうとしているの! 兄さんのことを心配していた私のことも考えてよ!」
傷のせいでいつもよりずっと歩くスピードがゆっくりとしたザガドの前にザイーラが両手を広げていた。
「頼む、俺は異世界の敵を倒す際にオーク族の戦士から助けてもらった。奴らの無事を一刻でも早く確認しなければならないんだ。命を捨ててまで、俺を助けたオーク族の戦士……ノヴァクのためにも」
じっと視線のみでザガドとザイーラが攻防戦をしたが、折れたのは兄のことを知り尽くした妹の方だった。
「……分かったわ、こういう時の兄さんは殺したって譲らないんだもの。近くのオーク族の村は山二つ先よね。でも最低限の治療だけはさせて、オルトを連れて行ったとしても魔獣に不意打ちでもされたら救われた命も無駄になるわ」
「迷惑かける、ザイーラ」
頷いたザガドが自宅に帰ることなくオルトの小屋の側に腰を下ろすと、薬を取りに家に向かったザイーラの背中を見送った。
このままひと眠りしてしまいたくなる気持ちを堪えつつ、集落に入り口の方に目をやると人間の騎士が二人ほど立っていた。
どうした、まだこのくだらない遊戯が終わったことを知らないのだろうかと不審に思いザガドは重たい腰を上げた。
「もう戦いは終わった、俺は褒美はいらない。静かに暮らしたいだけだ。……だからもう帰ってくれ」
声を掛けたザガドに対して二人の騎士は無感情な視線を送った。
「魔族風情が何を言っている。――まだ終わらんぞ」
「馬鹿を言うな、王様が脅威だと言っているガキは殺したぞ。目の前で首を落として死んだ。それは王様も知っているはずだ」
警戒することなく顔を近づけて話す騎士は、ザガドの神経を逆撫でするような嘲笑を浮かべた。
「王は”終わった”とは言っていない。まだ、終わっていない。……俺達は生き残ったお前達に伝えに来ただけだ。これから六度陽が昇る朝、あの魔法陣の中で二度目の異世界転移を行う」
騎士の発言にザガドは言葉を失った。仲間達の命を繋ぎ合わせて成し遂げた先に待っていたのは、まっだ終わらぬ絶望だ。それこそ、先の見えない絶望だった。
頭に血が上ったザガドは腰の剣の柄に触れた。
その行動すら予想していたのかのように、喋り続けていた騎士が声を大きくした。
「おいおい、もし剣を抜いたらどうなるか分かっているんだろうな。お前が死ぬだけじゃない、ここに住んでいる連中の命なんて俺達はどうでもいいんだぞ。俺達人間は、大昔にお前らに大勢殺されてきたんだ。魔族共が歯向かうなら、当然容赦はしない」
舌打ちをしたザガドは剣の柄から手を離した。
忌々しい騎士達の顔は二十代そこそこだ。もう一人の騎士は男と年齢の近い女騎士であり、人間の中でも珍しい銀髪がナイトヘルムから見え隠れしていた。しかし、率先して口を動かす騎士から感じる敵意は本物だ。世代が変わっても、魔族への憎しみは脈々と受け継がれているのだ。
事は荒立てられないが、それ以前に成すべきことはある。
「争う気はない……ここの外に行きたいんだ。通させてもらえないのか」
「ならん、飲食に必要な狩りに出る必要はない。異世界人の戦争が終わるまで、食事は俺達が用意することになっている」
どうやら狩りに向かうと思っているらしい。食事をする為に他の魔獣を狩りに行くなんて、これも人間達の偏見だ。とザガドは思ったが言い返して拗れることを恐れた。
「人間様の食事は口には合わないんだが」
「減らず口を叩くトカゲ男め。まあ、さすが破壊者を殺しただけのことはあるということだな」
相変わらずもう一人の女騎士は無言だが、その目からは拒むような意思を感じ取れた。
ダメだ、とザガドはようやく気付いた。
こんな場所で言葉遊びを続けても騎士達は道を譲らない。何より、ここで通すなら騎士達も命が危うい。そして彼らを傷付けるようなことがあれば、リザードマン族が滅ぼされる危険性だってある。いやそんなことをしなくても、ここに住む者全員をあの世界に飛ばせば、全員があの世界の住人達によって皆殺しにされることだろう。
どの選択肢を選んでも最悪な結果しか生まないことは確かだった。
埒が明かないことを察して、ザガドはその場から離れることを選択した。
※
村の仲間達にザガドの口から次の戦いが始まることを教えると、目に見えて落胆した様子だった。精鋭とも呼べる戦士達を送ったが、生き残ったのはザガドだけだという事実が、必然的に死地に赴くのと同じ心情にもなる。
話し合いの結果、前日までに希望者を集め、もし誰も希望しなければ戦士長のザガドが任命することになった。もちろんザガドが参加するのは当然の流れだった。その際、相対する敵が勇者と同等の力の存在であることに加えて異世界の兵士は遠距離から魔族の頭や心臓を粉砕する高速の弓矢を使用することも説明した。
魔力を一切使用することなく攻撃するなんて、最初に聞いたら笑い話だと思ってしまうだろうが、ザガドの負った傷がその言葉に現実感を与えた。
翌日、木と土で出来た自宅の前に腰かけたザガドはザイーラに薬を塗布してもらっていた。
全身に切り傷や打撲を受けていたが、二、三日も安静にすれば問題なく動けそうだった。強靭な皮膚と衝撃を吸収する柔らかな肉体のお陰だろう。
薬を塗る為に背中にザイーラが回ると、地面に置いていたカリブレイドの剣を手にした。
「これから、どうすりゃいいんだ……」
トルカから預かったカリブレイドを眺めながらザガドは一人呟いた。もしノヴァクがこの剣に吸収されたとしたら、奴はこの剣の中で生きているかもしれない。などと都合の良いことを考えたくもなるザガドだが、こんな状態なら死んでいる方がノヴァクにとっては良いことだろうと考えを改めた。
「起きてから、ずっと肌身離さず持っているよね」
不思議そうにザイーラが聞いてくるので、僅かに逡巡した後にノヴァクという勇敢な戦士と共に戦ったことをザガドは語った。もしかしたら、あの鮮烈な記憶を誰かに話すことで肩の荷を軽くしたかっただけなのかもしれない。
時々、仲間が死を迎える場面で手が止まることはあるものの、ザイーラは最後までノヴァクの話を聞いてくれた。
「大切な剣なんだね」
ぽつりとザイーラが呟き、ザガドは頷いた。
「そうだ、これはノヴァク達が俺に繋いでくれた剣なんだ。それに、オーク族の村に行けばあいつらがどれだけ生き残ったのかも確認できるだろ」
「そっか、心配だったんだね。仲間想いの兄さんらしいや」
弱い者を切り捨て、仲間の死に対して何の感情も抱かない父の姿を知っているザガドは、血筋を否定するようにして真逆に生きてきた。
リザードマン族に不似合いなこの考え方を嫌っている者も多く、その度にザイーラに励まされたことで救われてきた。
「――お前が、ザガドか」
鎧が金属音を立てながら、一人の女騎士がザガドの前に立った。
それなりに驚いてるのはザイーラだけで、ザガドは少し前から隠そうともしない気配に気づいていた。
「騎士様、次の戦いの話は聞いている。やることは同じだ。それ以外に、何か話すことはあるのか」
伏し目がちに確認した騎士の顔は、先日出会った一言も声をだなかった女騎士だった。
「昨日は、こちらの騎士が無礼をした。ここに謝罪しよう、世界を救った英雄に向ける言葉じゃなかった」
息を呑んだのはザイーラだったが、彼女に負けず劣らずザガドも目を大きく見開いた。
人間の、それも王国の騎士が魔族に謝罪をするなど異例だった。
「ちょっと待ってくれ、そんなことをしていいのか。騎士が魔族にそんなことしたら、王や人間達は嫌がるんじゃないのか」
あまり表情の変化がない岩のような顔で、騎士はザガドの目を見て話をする。
「私の名前はルウラ・ハリバルド。これは、私個人の意思だ。過去、人間を殺してきたのはお前達だ。だが、現在は静かに暮らしお前達魔族が命を散らして、世界を救ったことも事実なのだろ。なら、それなりの、いや、言葉が過ぎたな。……せめて私達と同等に扱うぐらいはしても構わないだろ」
腰を抜かしそうになるザガドはルウラの瞳の奥に真摯な輝きをみた。
生まれて初めて関わる、信じられるかもしれない人間だった。
「分かった、もう分かった! あんなの慣れっこだ、もう怒っちゃいねえよ。だから、さっさと仕事に戻っちゃくれないか。せっかく生き残ったのに、人間がそんな態度だとびっくりし過ぎて心臓が止まっちまいそうだ」
そこで初めて氷像のようだったルウラは僅かに口角を上げると、言われた通りにその場から立ち去ろうとする。
「ザガド」
何かを思い出したようにルガは反転して、ザガドの名前を呼んだ。きちんと人間が名前を呼ぶのも初めてなので、これはこれで動悸が早まる。
「な、なんだ」
「お前は魔族でありながら他者の性質を視る力がある、これから転移する先ではお前のその他者を視る力が試されるかもしれない。お前の目と耳と心で、これから先の出会いと立ち向かうべき存在を見極めてほしい。どうか死なないでくれ、ザガド。……クルセイダーの加護があることを祈っているよ」
薄い笑みをその場に残して、本当に最低限の連絡と礼だけ告げて氷のような女騎士ルガはその場から去っていった。
しばらく呆然としていたザガドは、やっと我に返り呟いた。
「クルセイダーて何だ。人間の挨拶か? それにしても……変な人間だな」
「ええ、そうね……。変なリザードマン族と変な人間だわ」
「……おい」
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