治療後、サカヌキ村生活の実質的な初日 トオル その5


奥の岩の壁の一部が、通りに面して開けられた小窓から分厚い石壁越しに入ってくる外光に照らされて、灰色っぽい色が消えるくらいには明るくなっている。

その半分は、外の通りに立ってる小さな樹の葉陰になっていて、そよ風で揺れる葉を微かに映す淡い影が、ゆらゆらと踊り続けていた。


粗末な草鞋を足の下に敷き、踵の両側から出ている蔓紐を引いて踵の後ろで交差させ、前に持ってきつつ編み目に浅く通して、足首の前で縛った。

本当は履く前に、裸足の裏についた土を草鞋の裏で叩き落としておきたかったが、他人の室内なので憚られた。

一旦縛った紐だが、少し歩き廻ってみると皮膚に擦れて痛くなったので、解いて編み目に通す場所を変えて、もう一度縛りなおす。


トオルの机から斧頭を取り上げて、手の中で玩んでみて、鈍らな刃を研がなきゃと思った。



暫くして、質問が一段落し、


「道具の手入れは怠るな。それじゃあな。頑張れよ。」


の言葉と共に、此処での用事も終わったので、軽く礼を言って、扉を開けかけて、

「それじゃ、分らないことがあったら、また後で訊きに来ます」

「そろそろ私は飯を食いに出てしまうから、また来るなら少し後にしてくれ」

「わかりました、どうも有難うございました」


室内の淡い光が深々と影を落すごま塩もじゃ髭のトオルの顔から顔を背け、戸の外に出る。

途端に、新鮮な空気に混じって風に漂う昼餉と煙の臭い。

他人の臭いが支配する空間から逃れ出られて、ほっとした。


--


「あー、長かったなあ……」

「疲れたね~」

「さて、どうしよう」

「ナイフだぜ!」


トヨキが掲げて、はしゃいでいる。


「いいの貰ったね」


マサノリも嬉しそうだ。

村では子供は刃物には触れなかったからな。

ぼくはどちらかというと、手の中の斧頭の出来の粗さが気になる。

もっときちんと研ぎあげたいな……。


「男の子はいいわね……」

「とりあえずどこか雨宿りできる処を探そうよ」


まだ幻覚剤の効果が残っているのか、なんとなくぼおーっとしていて、大きな石の前に陣取って斧頭をひたすら磨いて理想的な形に研ぎだしていく自分の姿を夢想しかけたが、女子は現実的だった。


「待て」


外に出てぼそぼそ喋っていると、まだ閉めきっていなかった扉の中から、呼びかけられた。

なんだろう、と振り返って重い扉を開けると、黄衣のトオルが


「家畜小屋だが、実は三つほどあるんだ。で、今貸せるのは、少し行ったところのだ。ここを出て右に歩いて角を右に曲がって、すぐ左に入ってつきあたりを左に曲がれ」

「えっと、右、角を右、で左、つきあたりを左……?」

「そうだ」

「どうも」



小雨の中を、ぼくたちは歩き出す。角を曲がり、この先をまた右だな。

「こっちか……」

「ちょっと。こっちよ」

「え……あ……?」

トモコに注意されて、引き戻された。

ぼく一人だけ違う方へ行こうとしてしまっていたようだった。

それは分かったが、ぼくはまだ、なんでそうなるのかよく呑み込めなくて、頭の中が混乱したまま、しくじったという気まずい思いを抱えて皆に尾いていった。


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