第232話 ビターチョコのほろ苦さ 🍫
土地の真ん中に立った大男が竹ぼうきをダイナミックに動かしたから、山という山が東と西に掃き寄せられましたとさ……そんな空想を誘う広大な平野を南北に貫く一本道に車を走らせていると、一瞬、まばゆい光に包まれた。車の時計は二月十四日水曜日午前七時ジャストを表示。例年なら寒さの底だが今年は春の陽気になるらしい。
満を持してスタンバっていた浅春の太陽がそおれっとばかりに東山のてっぺんから躍り出ると、沿道の民家や商店、学校、病院、枝だけの並木、行き交う🚙や🚴……形ある物という物がいっせいに濃くて長い影を引き、「祭りだ祭りだ!!」天地が囃し立てる。歩道を行く女子中学生の頬に奔った微笑みを運転席のヨウコは見逃さない。
明日は定休日だからと自宅近くの一のカフェでいただいたビターチョコの苦さがよみがえる。いま向かいつつある郊外の二のカフェでも用意してくれているだろうか、ひとかけらの幸いを。ほんのひと口……それが大事なのだ。何事も過ぎると感謝の念はどんどん薄らいでいく。美食や飽食は鈍感な人間性を増長させる道具でしかない。
コロナ明けのインバウンドで日本へ押しかけ、一串五千円也の牛肉を立ち食いして悦に入っている富裕層とやらの人たち、あんたら世界の飢餓をどう思っているの?
自分や家族の口だけ奢らせる究極のエゴイズム、恥ずかしいと思わないの? それを嬉々として報じるマスメディアの愚かな感覚も含め、ほんとうに情けない限りだよ。
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いま読んでいる自伝的小説に、むかしの小学校の一大行事だった運動会の昼休みの情景が細やかに描写されている。漆塗りの重箱を携えた家族と桜の木かげに敷いた筵の上でご馳走をいただくのが楽しみだったが、父母がいない子や極貧の家の子らは、おにぎり一個を学校の水道で流しこんで何気ない顔をしていなければならなかった。
そういう残酷な時代の片隅に、まぎれもなくヨウコもいた。教師も保護者も子どもたちも「こっちへお出でよ、一緒に食べよう」となぜ言えなかったのだろう。他者の辛さに見て見ぬフリをさせる無教養も無関心も等しく大罪だが、あのころより時代やそれに伴う文化が進んだはずの現代も、人の心に巣食う無情に変わりないんだね。
小学校の同級生にジョウジくんという男子がいた。つんつるてんの学生服の着たきりすずめの少年で、なにがそんなにいけなかったのか軍隊上がりと思われる担任教師に頻繁に殴られていた。いきおい余って教室のうしろまでふっとぶこともあったが、農村出の晩生の少女は凄まじい暴力にひたすら怯えるだけでなにも出来なかった。
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