第146話 たまらん坂幻想 🦖
アパートの近くのこの坂の上に初めて立ったとき、おれは、つらつら考えてみた。
いわゆる都市伝説っていうやつに類するのか、名前の由来はいろいろあるようだ。
昭和二年、箱根土地株式会社による学園都市開発のハシリとして、一部が神田から国立に招致された一橋大学の学生たちが、辺鄙な通学やジョギングで悲鳴をあげた。
春休み、神田の古書店街をブラブラしていて、たまたま見つけた黒井千次著『たまらん坂――武蔵野短編集』(一九八八年 福武書店)にはそんなことが書いてある。
江戸へ行く旅人が同様なことをつぶやいたという俗説もあるらしいが、まあ、大きく分ければ中世の落ち武者由来、あるいは一橋大学由来かということになるようだ。
もともとは名もない林間の小道だったところを、開発が進むにつれて便宜上の名称が欲しくなり、「たまらん」という口語体に地名を当てて「多摩蘭坂」にしたのか。
いずれにしても、一時代の若者をリードしたRCサクセションの忌野清志郎さんがオリジナル曲に居住地の坂の名を使ってから全国的にメジャーになったものらしい。
🌄
であるとすれば……せっかく地方から出て来ながら、コロナ禍でアパートに籠もりオンライン授業が大半の学生生活を送る運命にあるおれは思う、なんでもありだな。
はるか遠いむかし、武蔵野のまわりがまだ海岸だった時代に狭山丘陵に棲んでいたアケボノゾウの親子が、えっちらおっちら坂を登り「たまらんぞう」と言い合った。
カモシカ、クマ、サル、イノシシ、タヌキ、キツネなどの野生が「たまらんかも」「たまらんくま」「たまらんざる」「たまらんしし」「たまらんきつね」と……。
この広々とした都会そのものの武蔵野の空がどれほど多くの事物を見て来たか空想をめぐらせると、壮大な宇宙の一点であるおれという存在を笑い飛ばしたくなった。
それにつけても彼女の欲しさよと、年ごろのおれはマジで思う。💚
武蔵野に住んだ動物も、坂の上の月にキッスをせがんだろうか。🌙
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