第75話 水風船 🎈
朝方、打ち上げ費用を惜しんだかのように聞こえぬでもない(笑)時化た花火の音が何発かして、例年になく暑い日盛りをなんとなくやり過ごし、それでも日が傾くと思いがけず涼しい風が吹き始めて、遠い潮のような笛太鼓の音がちぎれ飛んで来て。
むすめたちが幼かったころは両方の手につかまらせ、埃っぽい四キロの道を歩いて行ったものだが、近年はアセチレンガスと裸電球の出店もめっきり少なくなり、氏子の当番がラジカセで流す楽の音だけが辛うじて祭りのムードをつくっているらしい。
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どういうものか、ヨウコさんはいまだに露店の定番のひとつである水風船が怖い。なにかの拍子に弾けたとき手の平が受ける痛覚の衝撃が瞬時に全身の細胞に伝播し、またしてもあの苦しい呼吸発作を引き起こすのではないか、そんな気がしてならず。
水風船に限らず、ふくらませてナンボの風船というアイデンティティ自体がひどく不気味なものに感じられる。トラウマのもとをたどれば、子を身籠っているときの、わが腹でいながら自分ではどうしようもない、あの感覚に兆しているかも知れない。
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あのころのヨウコさんの日常は破裂寸前の風船だった。家事と育児は仕事の合間にこなして当たり前とされ、〆切仕事を抱えて子が熱を出せばひと晩じゅう抱きながら右手でペンを走らせた。公私の全権を掌握する相方は接待と称して日の高いうちから花街に繰り出し、翌朝の地域の清掃や雪かきまですべての労働が妻の役割とされた。
「いい人」と称されることを無上の喜びとする相方を慕う来客のいとまがなく、その食事や寝具の用意、洗濯、かたづけ、ときに十人ほどいたスタッフの夕飯づくりまで旧い時代の体質を引きずる最後の世代といっても、あまりといえばあんまりで……。
そんなストレスも手伝ってかふたり目の子がお腹にいるときの悪阻は尋常でなく、起床と同時に入った嘔吐のスイッチは深夜の就寝の瞬間まで絶え間なくつづき、妻のゲーゲーが疎ましいと洗面器を抱えるお腹を蹴られたのは、八か月目のことだった。
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あれからじつにいろいろなことがあり、個人保証した巨額の負債付き事業を置いて行かれたヨウコさんは、残されたスタッフの援けを得て完済したところで力尽きた。ジリ貧業界の承継希望者がいなかったので、全スタッフの転職先を探して閉業した。
いまも水風船から解放されない身を丸ごと受け入れる覚悟ができたヨウコさんは、きれぎれに飛んで来るノスタルジックな楽の音を聴きながら喜怒哀楽の彼方にいる。
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