第72話 自分を笑う 🤭
三歳のとき医師の母を、次いで父を失い、幼くして無常を知ったというドイツ人が来日して禅寺に入り、何十年にもわたるきびしい修行の末に明朗闊達な僧になった。
Eテレ『こころの時代』で最愛の妻に逝かれて何年間か自分を見失っていたという老医師との対話を放送していましたが、心の病の経験があるおふたりの言葉は……。
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まず感銘を受けたのは、二足歩行で頭でっかちになっている人間は考えても仕方のない未来を恐れてうつ病になる、働くなり運動するなり、首から下を無心に動かせば余計なことを考えなくなる、禅寺では雑巾がけ、農作業、薪割り、食事の支度など、一日の大半を労働につかうので、起こってもいない未来を憂える暇がないという話。
それに、今日一日をしっかり生きるという示唆に関連して、朝起きたらまず一枚のカードをもらったと仮定し、それを持って一日を生き、夜、寝るときにそのカードをお返しするというたとえ。明日の分もと欲張らなければ思い悩むことはないはずと。
さらに、生き物の本能とされている生殖の営みについても、人類自体どころかこの惑星🌏ですらいつか消滅する運命にある事実を思えば、たかが一代、二代、数代の人間の係累の短いスパンでの継続を図ってみても、銀河的にはなんの意味もないと。
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ああ、たしかに!! ながいこと地面に住みついている人間は虫の目で見るのが当たり前になっているけど、空から俯瞰する鳥の目にはあれやらこれやらの有象無象さぞかし滑稽にうつるんだろうね~と思うと、なんだか可笑しくなってきます。(^-^;
自分的には一所懸命なつもりでも、はたから見たらひっくり返された昆虫が背中であがいている文字どおりのひとり相撲かも知れず、そんな自分を、たまにはをポンとつきはなして笑ってみること、もしかしたらとても大事なことなのかも知れません。
この国で生まれ育った人間より法衣や作務衣がよく似合い、苦行の末に深海の底のように深くてとらえどころのない禅の思想を獲得されたドイツ出自の高僧&亡き妻と同行二人でボランティア東北巡行をつづける老医師に、深甚なる敬意を捧げました。
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